第四話『険しい道と、愛の重さ』
空は、灰色に染まっていた。
私は、濡れた草むらを抜け、山を目指して歩いていた。
アミュレットを咥えたまま、小さな足を重たく引きずって。
もう何日歩いているのか分からない。
途中、足を滑らせて泥に転び、アミュレットが草の上を転がった。
慌てて拾い上げる。
歯を立ててしまわぬよう、そっと布の端だけを咥える。
彼の匂いが、まだそこに残っていた。
空腹で、意識が遠のきそうになるたび、
私はただ一つの理由で立ち上がった。
──あの人に、届きたかった。
食べ物の匂いがする場所に近づくと、他の動物に追い払われた。
森の中に生える小さな実を見つけて、舌で転がしても、ほとんど味はなかった。
川の水を飲もうと近づくと、足を滑らせて流れに落ちそうになった。
濡れた毛は重く、身体にまとわりついて、歩くのがさらに困難になった。
私は、時折小さく鳴いてみた。
誰も答えない、雨の降る道の途中で。
喉が乾いて、声にならなかった。
夜になると、冷たい風が体にしみた。
雨に濡れた毛はすぐに冷えきって、私は岩陰で丸くなり、眠るふりをした。
夢の中でだけ、あの人の手が私を撫でてくれた。
「頑張っているな」
夢の中の彼は、いつものように優しく微笑んでいた。
「でも、無理をするな。お前は小さいんだから」
それでも、私は首を振った。
行かなければならない。
この想いを、届けなければならない。
──まだ届かない。
でも、進むしかない。
このアミュレットは、彼が決して持っていけなかったもの。
だから私が、彼のかわりに届ける。
三日目の夜、私は倒れた。
風が強まって、木の枝がしなった。
大きな葉が顔にあたり、思わず足を取られて転んだ。
泥の中に片足が沈み、しばらく動けなくなった。
そのとき、ふと思ってしまった。
──もし、ここで動けなくなったら。
もし、このまま、私が死んでしまったら。
あの人は、怒るだろうか。
「馬鹿だな」と、呆れながら、きっと私を抱き上げる。
そして、静かに撫でてくれる。
──そんな幻を、私は見た。
それでも私は、立ち上がった。
身体が震えていた。
空腹で、視界が霞んでいた。
それでも、歩くしかなかった。
彼は、この道を歩けなかった。
重すぎる過去に縛られて、一歩も動けなかった。
だから、私が代わりに歩く。
あの人を想うこの気持ちは、
恋だとは、きっと知らないままだろう。
でも、それでいい。
撫でてくれた手。
暖かい匂い。
あの人の膝の上。
それだけが、私のすべてだった。
そのすべてがもう戻らないと分かっていても、
私は、それでも──届けたかった。
四日目の朝、山の麓が見えた。
その影を見た瞬間、私はアミュレットを咥え直した。
ぼろぼろになった身体。
ふらつく足取り。
それでも、私は、登る。
それが叶わぬ恋でも、
伝わらぬ想いでも、
もう一度だけ、彼に──届くように。