悪女かどうか、私を見たらわかるでしょう
「父上。私の婚約相手をルドヴィカ・サンティ侯爵令嬢から、彼女の妹、キアラ嬢に変更していただきたいです」
朝の謁見に、王太子が順をとって申し込んだ。
さらに開口一番の発言に、広間中が驚きに包まれる。
「……理由を聞こう」
王が先を促した。
「まず、ルドヴィカ嬢は評判が良くありません。気に入らないことがあれば周囲に当たり散らし、見目好い男を見ればすり寄ると有名です。遊び好きな"悪女"として名を馳せており、国や王室に貢献できるとは到底思えない。妹のキアラ嬢も、横暴な姉から多くの害を被っております」
「ふむ……。王太子よ、そなた自身が見たルドヴィカ嬢はどうか? 噂通りの気質なのか?」
王がそう尋ねたのは、ルドヴィカが公の場に姿を現すこともなく、王宮の宴席も度々すっぽかしているからだ。
ルドヴィカの母親フラヴィアーナは、王の末の妹であった。サンティ伯爵と恋仲になり、持参金を持って降嫁した。
妹が幸せに暮らせるよう、王は伯爵を侯爵に格上げし、領地を増やしてやったものの。
フラヴィアーナは娘をひとり生んだ後、産後の不調が続き、若くして世を去った。
幼い頃のルドヴィカには会ったことがある。
妹によく似た紫色の瞳が愛らしい、聡明そうな娘であった。
姪の成長を見たくもあり、顔を見せるよう何度か催促したのだが、"体調が優れない"という返事が来れば、無理強いするわけにもいかない。
気がつくと数年が経ち、ルドヴィカは傲慢に成長してしまったようだ。
王太子が忌々し気に返答する。
「彼女は私には会おうともしてくれませんよ。侯爵邸に赴けば、朝帰りで寝ているだとか、気分が悪くて会いたくないだとか。私を歓迎してくれるのは、いつも妹のキアラ嬢です」
ルドヴィカの生母亡き後、侯爵は後妻を迎えた。侯爵家には跡継ぎの男子がいない。男児を儲けるため正室を迎えるのは、貴族として大切な義務であり、自然な流れだった。
しかし後妻との間に出来たのは、また娘。
それがいま話題に出ている、キアラ・サンティ侯爵令嬢で、可憐で心根が良いと評判の少女だった。
彼女の後に、子は産まれていない。つまり現在、サンティ侯爵は後妻とふたりの娘と暮らしていた。
王の言葉は続く。
「しかし、手紙くらいはやりとりしておろう。手蹟から、人となりは読み取れぬか?」
「手紙もないですね。贈り物を贈っても、なしの礫。お礼はもちろん、なんの反応もなく、挙句プレゼントを捨てようとしたそうで……。私が贈った首飾りをキアラ嬢がつけていたので理由を尋くと、ルドヴィカ嬢が"気に入らぬから"と窓から投げ捨てようとしたらしく。彼女が慌てて譲り受けたということでした」
王太子の言葉に、居並ぶ家臣たちの間にざわめきが走る。
"殿下を軽んじすぎている。けしからん"という、ルドヴィカへの批判が主だ。
それにしても王太子は、ずいぶんとキアラに心を許しているらしい。
彼女のことを語る時、頬は赤く紅潮し、声は柔らかく変化する。愛しげな眼差しは、その場にはいないキアラを思って、夢見るように細められる。完全に恋する男のそれで微笑ましくはあるが、問題なのは相手が婚約者である令嬢ではなく、その妹という点だ。
周囲の共感を得られていると踏んだ王太子が、頃合いを読んで進言した。
「実は、この場にキアラ嬢を呼んでいるのです。扉の外に待たせてあります。彼女は姉であるルドヴィカ嬢から常に辛く当たられているようなのですが、毎日健気に耐えています。キアラ嬢から話を聞けば、ルドヴィカ嬢の悪行がより鮮明にお分かりになるかと思います」
王太子の言葉で、キアラが御前に呼ばれ、非道な姉を庇いながらも自分の身に起こったこれまでの出来事を振り返る。
話しながら辛い記憶を刺激されたようで、キアラから涙が零れ落ちていく。
「姉を改心させることが出来ず、力不足な私をお許しください……」
そう言って、朝露の如く煌めく涙をはらはらとこぼすキアラは、噂にたがわぬ美少女だった。
貴族令嬢として褒められる態度ではなかったが、彼女の清らかさが眩しく美しく、そんな令嬢に寄り添う王太子も優しく甘やかで、とても絵になる美男美女だ。
「そういうことであれば、婚約者交代もやむなし、ではありませんかな、陛下」
家臣のひとりが口を添える。
誠実なキアラに胸を打たれたであろう別の家臣も頷いた。
「さようでございます、陛下。ルドヴィカ嬢の、王太子殿下への度重なる無礼を、見過ごすわけにもいきません。ルドヴィカ嬢には厳罰を与えたほうがよろしいかと」
王は目を閉じ話をまとめた。
「あい分かった。だがこういうことは、確認が肝要。まずは双方の意見を聞くべきであろう。相手は平民ではなく、サンティ侯爵家が長女なのだ。何か意図あってのことかも知れぬ。ルドヴィカ嬢をすぐに召喚せよ」
王が知る末妹は、賢明な女性だった。
その妹の忘れ形見が、甘やかされて奔放に育ったなら、身内として正してやらねばならない。
もし他に何か理由があるなら、耳を貸してやるべき。
一方の意見だけで、決めつける愚を犯してはならぬ。そう判じての王の言葉だったが、意外にも声をあげた者がいた。キアラだった。
「そんなっ、お姉さまに意図なんて──」
「どうしたんだいキアラ嬢。国王陛下のお言葉に反してはいけないよ。ルドヴィカ嬢のことを証明していただく良い機会じゃないか」
王太子がキアラをなだめ、かくして待つことしばし。
広間に姿を現したのは、とてもみすぼらしい少女だった。
ろくに食事もとっていないのか、やせこけた頬に細すぎる手足。栄養のないぼさぼさの髪。
急ぎ身づくろいをさせられたのか、豪奢なドレスを纏っていたが、明らかにサイズも何もあっておらず、服に着られているといった状態なのは明白だった。
「???」
一同は何が起こったのかわからなかった。ややあって、宰相が口を開く。
「誰が侍女を呼べと言ったか。陛下はルドヴィカ・サンティ侯爵令嬢をお召しになったのだ」
控えめに"侍女"と表現したが。おそらく端女以下。
平民の娘でも、まだマシな見た目をしている。
侯爵家の傍付きを務めているような者には見えないが、しかし王宮からの正式な使者が、行きずりの貧民を連れて来るとも思えない。
侯爵家の関係者ではあるのだろう。
「娘、ルドヴィカ嬢に命じられたのか? 陛下の御前にて、自分の代わりに弁明してこいとでも」
もっとも有り得そうな線を推測して、宰相が問うた。
おそらくこの娘は、ルドヴィカの身代わりで、罰を受ける任を請け負った者なのだろう。
それだけでも非道なことだが、高位者を教育する際、その肌に直接傷つけたり触れたりすることを避けるため、代わりに鞭を受ける下僕を置くことがある。
「なんと! それは明らかな命令違反。即刻、ルドヴィカ嬢を厳罰に処すべきです」
厳罰、という言葉に、少女はビクリと身を縮め、全身で平伏した。
「お、お許しください! 見苦しい姿で御前に出ましたご無礼を、どうぞ、どうぞご容赦ください! 私がルドヴィカ・サンティにございます。これ以上の体罰は、どうかご勘弁を──」
"──は?"
皆が耳と目を疑った。
ルドヴィカ・サンティ?
それは侯爵家の我儘な長女で、数々の男たちを篭絡し、自由気ままに過ごしている貴族令嬢の名前だ。間違っても貧民街の孤児のような、この娘のことではないはずだが。
「そなたがルドヴィカ・サンティ侯爵令嬢? 貴族の名を騙るは重罪ぞ。命じられたことを正直に話せば、そなた自身の罪は問わぬ。さあ──」
「誓って本当でございます。証明、といわれても、このくらいしか出来ませんが……」
ルドヴィカを名乗った娘が自身の前髪を分け、紫色の目を見せると、少女の周りに虹色の光が散った。
それは、正統な王の権威を示すため、精霊から与えられた神秘の力。
遠く、王家はこの国土を精霊から託された。
その約束の証として、王家の人間は些少だが、光を操ることが出来る。
数代を経て血が薄まれば奇跡は消えるが、王位継承権を持つ近しい縁者は力を持つ。
王の姪ならばまだ、血は近い。現在サンティ侯爵家の中で光の力を受け継ぐ者は、ルドヴィカしかいなかった。
(ではこの、今にも倒れそうな娘が、ルドヴィカ嬢本人だというのか?)
王をはじめ、その場の全員が愕然と言葉を失った。
贅沢とは真逆の、日頃、虐待されているかのような状態。
召使いに辛く当たる? 無理だろう。カップひとつ投げる腕力も残ってないのではないか?
数々の男を渡り歩く? どうやって。ドレスひとつ満足に着こなせない、やせ細った身体で?
衝撃が大きすぎた。
どういうことかと口にも出せず、彷徨う視線が答えを求め、キアラ・サンティ侯爵令嬢に向けられる。
「ち、違いますわ。こ、これは私を陥れようとしたお姉様が、演技をしているのです」
キアラが慌てて言い繕う。
「では彼女は間違いなく、そなたの姉、ルドヴィカ・サンティ侯爵令嬢なのだな」
「あっ、えっ、あ……。…………はい」
キアラの肯定は、さらに現場を沈黙させた。
彼女はルドヴィカの演技だといったが、急ごしらえでここまで栄養失調になれるものか。しかしキアラは強引に、腹違いの姉に畳みかけた。
「お姉様! 皆様に"演技だ"とおっしゃってください。日頃のふてぶてしさはどうしたの!?」
強めの口調でキアラが責めれば、ルドヴィカを名乗る少女は気の毒なほど竦み上がった。
「ヒイイッ。キアラお嬢様、ご勘弁を! 今朝お嬢様にヒールで踏みにじられた背は、まだ血がにじんでおります。せめて別の場所にしてくださいませぇぇぇぇっっ」
怯え全開で、己が身を庇おうとする。
「なっ」
キアラが慌てて周りに目を巡らせる。
あっけにとられたような視線の中に、濃く滲んだ疑惑の空気。
「そ、そんなこと、するわけありませんわ。お姉様、おかしなことを口走るのはおやめになって」
「お嬢様、と呼ばれていたが。キアラ嬢は姉にそう呼ばせているのか?」
「まさか、そんな。ですからこれは、お姉様の嘘で、いつもはもっと生意気なのです」
「……。姉を表現するのに"生意気"、か。キアラ嬢には、先ほどまでの言葉選びとずいぶん違うな?」
「あ……!」
「嘘かどうかは、見分すればわかるだろう。誰かルドヴィカ嬢を別室に案内して、すぐさま背をはじめ、全身を検めるよう」
あっという間に指示が出て、女官たちがルドヴィカを丁重に、奥の部屋へと連れて行く。
待っている間、沈痛な面持ちで、王は王太子に問いかけた。
「そなたは婚約者であるルドヴィカ嬢に、ずっと会っていなかったのか」
「は、い──。もう何年も、顔も見ていませんでした」
真っ青な顔で、王太子は直立していた。
「それでキアラ嬢とばかり逢瀬を重ね、彼女の話だけを真に受け、確かめることもしなかった、と」
「は……、はい……」
息子の返事に、王の深い嘆め息が落ちる。
「いや……。忙しさにかまけ、姪に会わずにいた余にも責はあるが……。あまりにも……常軌を逸した事が起こっていたようだな」
王の目が、鋭さを持ってキアラを捉えた。
「さてキアラ嬢。そなたとそなたの両親には、確認せねばならないことが山ほどある」
それは、凄みを持った宣告だった。
かくして驚くべき事実が発覚する。
まずルドヴィカは、ずっと最底辺の暮らしを余儀なくされていたらしい。
彼女はサンティ侯爵が後妻を得て以降、"目障りだ"と言う理由で、狭い屋根裏部屋へと追いやられた。
訪れる者は日に一度、わずかばかりの残飯を差し入れる下僕。そして気まぐれに、憂さ晴らしに来る妹や後妻。
キアラや継母が、ルドヴィカに対し暴行を加えていたことは、身体中に残った傷跡から判明した。
古いものから新しいものまで、全身くまなく傷や痣があると報告した女官は、その凄惨さに震えていた。
ルドヴィカは令嬢教育はもちろん、外出さえ許されず、衣服は召使いのおさがりで、ぼろ布しか持ち得ていなかったらしい。
王太子の贈り物や手紙の類がルドヴィカに渡った事実はなく、ルドヴィカ自身、何も見たことがないと証言した。
首飾りの件も何もかも、キアラの作り話だったのだ。
サンティ侯爵は妻子の振る舞いを把握の上、黙認していた。……だけではなく、王妹フラヴィアーナ殺害の疑惑が浮かび上がる。
王宮の女官に囲まれたルドヴィカが、「お母様のように殺されたくはありません。お慈悲を」と泣き叫んだことから、何かあるのではないかと報告されたのだ。
ルドヴィカが大人しく家族に従っていたのは、「逆らえばお前の母親のように命はない」と脅されていた背景があったらしい。
調べると、王妹フラヴィアーナの遺産はすべて侯爵家に食い潰されており、ルドヴィカには何一つ残されていなかった。
侯爵家の面々は、ルドヴィカを除き、現在牢獄に繋がれている。
すべての調査が終了し次第、罪に応じた刑罰を受けるだろう。
おそらく、命を以てあがなうことになると見込まれている。
王姪に対し、あまりに悲惨な虐待が、誰にも気づかれず何年も続いてたのだ。
もしも王妹まで手にかけていたら……。もっと多くの人間が、凄惨な罪に問われることになるはずだ。
侯爵家の召使いたちの多くは、キアラの姉が邸内の屋根裏にいたことを知らなかった。
噂の悪女は別邸を構え、そちらに住んでいると解釈されていたらしい。
ルドヴィカに宛てて王太子からの手紙が屋敷に届く不可思議も、下の者が主に疑問を抱くことは許されない。
分を弁えずに詮索すれば、主人の逆鱗に触れてしまう。彼らは日々、自分たちの役目にだけ従事していた。
王は早くに行動しなかった自分を悔いながら、ルドヴィカを王宮に引き取った。
回復するまで手元で手厚く面倒をみると、ルドヴィカ自身に約束。
王太子は偏った情報のみだけで諸々を判断していたことから、"未来の王として資質不足"と太子の地位を下ろされた。
現在は彼の幼い弟が、新たな太子となるべく勉学に励んでいる。
王宮で暮らすルドヴィカは、少しずつ笑顔を見せるようになった。
体調も日々回復を重ねていて、従来の若さと闊達さを取り戻しつつある。
肌には張りが戻り、髪には艶が戻り。心には安らぎが戻り始め、瞳は生気を吹き返した。
肉付きが良くなってきた彼女は、今では見違えるほど美しい。
捏造された"悪女"の噂は、侯爵家の行いとともに国中に広まり、訂正、払拭されている。
もともとの知性が高かったらしく、勉学やマナーは驚くほどの成長を見せていて、近い将来、身分に相応しいデビュタントを迎えるだろう。
悲劇の姫君は、救われたのだった。
◇
ルドヴィカの微笑ましい復活を、国中が見守っていたある日の深夜。
彼女の部屋には、人知れず来訪者があった。
「あ──、美談だ。盛大にやり返したな、ルドヴィカ」
「どうかしら。これまで受けた仕打ちから言えば、足りないくらいだと思うけど」
王宮の面々に見せる、素直であどけない表情とは一転した、怜悧なルドヴィカがそこにいた。
気品に満ちた所作は洗練されており、細くなめらかな肢体は優美で芳しい。
「男に目がなく浮名を流しまくる悪女。……日頃食事も満足に与えてないのに、悪名に無理があり過ぎない? どうして私が直接呼ばれることを想定しなかったのかしら。一目見られたら、バレるでしょうに」
「そうだよなぁ。しかし、なかなか気づかれなかったし。ここまで長く我慢する必要なんてなかっただろ? もっと早く訴え出れば良かったのに」
ルドヴィカの話し相手は、長身の青年だった。人間離れした美しさで、長い金髪が蜜のように艶やかに輝いている。
砕けた口調で事情をよく知っている様は、昔からの馴染み相手のようだ。
ルドヴィカが彼に、言葉を返した。
「いいのよ。殿下が"キアラを王子妃に"と言い出したタイミングだからこそ良かったの。じゃないと、あの人の妃にされてしまっていたわ。今回の騒ぎで婚約は白紙になったし、私もじきに、王太子戦に参加するつもりよ。だって悪女ですもの。王位ぐらい狙わないと」
煌びやかな笑みでルドヴィカが言うと、彼女に賞賛を示しながら、青年がしみじみと言った。
「感慨深いなぁ。あの時箒を持って立ちはだかった子どもが、ここまで育つなんて。人間の子は成長が早い」
「私もよ、ミエーレ。"ハチミツ泥棒さん"と、こんなに仲が続くとは思ってなかった」
ルドヴィカがくすりと笑う。ミエーレと呼ばれた青年も、悪戯っ子のように笑い返した。
「あれはただのハチミツじゃない。"百年蜜"だ。きみが餓死も病気もせず命を永らえたのは、あの蜜のおかげ──だからね?」
念押すように首を傾げたミエーレの髪がさらりと流れ、尖った耳先が覗く。
精霊の特徴として知られる、三角の耳。
青年は、精霊だった。
切れ長の秀麗な目に、品格ある鼻筋。精悍な口元はどこか妖艶で、見惚れるほどに整った容姿の。
ルドヴィカが押し込められていた屋根裏部屋には、古く巨大なミツバチの巣があり、ため込まれた大量のハチミツがあった。
いつの巣なのか、蜂はもういない。
天井の隅から流れ出た蜜に気づいたルドヴィカは、少しずつ舐めるその蜜を、ひとり過ごす境遇の支えにしていた。
蜜は、彼女が日々負わされた傷の治癒にもよく効いた。
そんなある日、蜜のところに人影がある。
なんの気配もしなかった。屋敷の誰でもない、見たことのない相手。
震えあがったルドヴィカは、けれども箒を手に、賊に向かった。
もとより失うものは何もない。それよりも唯一の支えを失う方が、怖い。
「何者? この部屋の主は私です。許可なく採取することは許さないから!」
小さな少女が箒を持って殴ってきたことに侵入者は驚き、そして自分の正体と蜜の名前を明かしてくれた。
通称"百年蜜"。
最後の一匹まで、蜂たちが女王を守り抜いた巣には、特別な力が宿るという。消えかけた精霊を、蘇生する力。
ミエーレは長く人間の世界にいたせいで、精霊界に還る力を失い、消滅しかけていた。
「やっと見つけた蜜なんだ。少しで良い。分けて貰いたい。代わりにきみをここから逃がしてやろう。それか、満足の行く食事ではどうだ?」
ルドヴィカは首を横に振る。逃げたところで行くあてなどないのだ。それよりも。
「私はいずれ自分で、この屋根裏を出るわ。私や母様を陥れた者たちに、もっとも効果的に報復してやりたいの。やせ細った身体は、その時の証拠にしたい。あなたにハチミツの対価として求めたいのは、私が外で戦うための知識と教養よ」
ミエーレの力を借りて、ルドヴィカは学んだ。
自分が必要とすることを。
国王が伯父で、己に継承権があり、光の力を持っていること。光の力の操り方。
妹を偲んだ王が、息子の婚約者に自分を据えていることも知った。
はじめこそときめいたが、屋敷に来てはお茶だけ飲んで帰っていく王太子に、幾度となくがっかりさせられて。
やがて彼が、お膳立てされた情報だけを鵜呑みにして、あっさり妹に落とされたことがわかると失望した。
自分のことは、人任せには出来ない。
いいえ。なんなら国も、彼に任せていたら危ないのでは?
ルドヴィカは壮大な方針を決めると、侯爵家を出る時を眈々と待った。
王宮での一幕は、緊張しつつも張り切ったものだ。
「それにしてもミエーレ……。精霊界に還らなくていいの?」
「だってきみが興味深いんだもの。しばらく滞在しようかと」
「そんなこと言って、また消えかけることになっても知らないわよ」
「平気さ。時々は還る。それに百年蜜はまだたっぷりあるし」
サンティ侯爵家の屋敷は国王の計らいで、ルドヴィカの所有物となっている。もともとフラヴィアーナに贈られた、由緒ある邸宅だったのだ。
屋根裏は大切に保存中だが、ミエーレのためにもハチミツは移し替えておいた方が良いだろうか?
「それにさ。俺が還っちゃうと、ルドヴィカは寂しいだろう?」
至近距離で囁かれて、不覚にもルドヴィカは心臓が跳ねた。
なんだろう。くすぐるような彼の声に、時々不整脈が起こるのは病気かもしれない。
どきどきと焦るルドヴィカに、面白そうな視線を送ったミエーレは、さらに彼女に近づいた。
「俺、ルドヴィカには、まだいろいろ教えてあげたいことがあるんだけど」
「? そうなの? 有益なことなら喜んで聞くわ」
「ハチミツよりもっと別の、甘ーい味」
「えっ。それは砂糖とか? 砂糖なら知ってるわよ?」
「ははっ。とりあえず、食べ物じゃないんだけど……。うん、まあ、もう少し育ってからね。きみはまだ、食べることの方が好きだから」
「?」
(食べることは、いつまでも一番好きだと思うけど)
ミエーレの言うことは、時々わからない。
顔見知りの精霊が"青年貴族"を名乗り、雇用を求めてルドヴィカの元に来たのは、それからしばらくしてのこと。
ルドヴィカの"一番好き"が変動したのも、その頃で。
光の加護を持つルドヴィカ女王の隣に金色の精霊が並び立ち、彼女を守護し続けた話は、子どもも知るほど有名な逸話である。
お読みいただき有難うございました!
すみません、いつも思ってたんです。見たら一目でわかるんじゃない? なドアマット・ヒロインの噂と実態…。あとなんでみんな噂にあっさり騙されるの、と。
今回は勢いで書きましたが、もうひとつ似た構想で練っているのがあるので、いつか出しましたら「言ってたやつね」と思ってください。
作中、"罰の請け負い役"と書いている仕事は、貴い身分の人物の代わりに折檻される「ウィピング・ボーイ(鞭打たれ役の少年)」をイメージしています。貴族令嬢にはないと思うのですが、ゆるふわ設定で持ち込んでみました。
◇以下部分は蛇足かな、と思ったのですが、せっかくなので付け加えてみました。蛇足と言う名の本命。ファンタジーが好きなのです!(笑)
Mieleはイタリア語でハチミツです。
ミエーレがいつもルドヴィカを大切に構ったので、屋根裏暮らしでも彼女は、自分を強く保てたんだと思います。ルドヴィカを癒す"ハチミツ"!
ミエーレが長く人間界にいた理由や、過去に、王家に光の力を与えた精霊については気になるところですd(´v`*)
※誤字報告有難うございました! 漢字の間違いは直したのですが、言い回し等は自分好みな表現もあったりで、そんな場合はそのまま残しますね~♪
作品をお楽しみいただけましたら、☆を★に塗り替えて応援いただけますと励みになります。どうぞよろしくお願い申し上げます!ヾ(*´∀`*)ノ