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「わたくしが来た道を戻りますか?」

『俺が開けた穴を迂回しないといけないが、川の下流に集落が見える。ここからそんなに遠くなさそうだ。まずはラファールのまんまとおべべを調達するぞ』

「その言い方やめてくださいまし」

『なぜ?』

「子供扱いですわ」


ほお、と緑の瞳がキラキラと輝く。


『ラファールよ、君は幾つなんだ?』

「20歳ですわ」

『竜で言えばまだ卵の中だぞ』

「人間で言えばとっくに大人です!」

『おお、怒っとる怒っとる。わかったよ、まんまとおべべはなしだ』


抗議したのに、ファリードはなんだか嬉しそうだった。いつだったか、まだ幼い頃にサスキアがお父様に怒って、恐れ多くも小さな拳でポカポカ叩いていた時の、お父様の表情をなんとはなしに思い出した。


あの頃は表情豊かで、喜怒哀楽がすぐ態度に出る子だったのに。社交界で聞く彼女の評判はいつも、“ 暑がらず寒がらず欲しがらない”、淑女の完璧な振る舞いだ。あの子は穏やかな微笑の下で、どんなにか自分を律していたことだろう。


サスキアの幼い頃を思い出すとうっかり絆されそうになる。確かにたくさん困らされたけれど、姉妹の情はあった。


だめよ、わたくしはあの子を許さないわ。そう決めたの。

それに淑女は姉の婚約者を横取りしたりしないわ。妹の本性はあの一件でよくわかったはずよ。


妹について考えないように、話題を変えることにした。


「飛んでいくのですか?」

『飛ぶとおそらく風圧で地形が変わる』

「風圧……」

『人里に影響が出ないとも限らないしな。歩いていく』

「そのお身体で…?」

『いいや。人になる』

「どういう意味……ファリード?」


瞬きの間に、ファリードの姿が消えた。目の前の巨体が一瞬でいなくなり、代わりにラファールが着ている乗馬服とよく似た形の衣服を纏った、赤い髪の美丈夫がニコニコと目の前に立っている。


「……ファリードですの?」

「いかにも」

「人になれるのですか…?」

「驚いているなあ。目をまーんまるにして。ふふっ」


豪奢な赤い髪、緑の目。縦に裂けた瞳孔。特徴はファリードそのものだが、外見は人間だ。瞳を除いては。


「体を起こすときにはやむなしだったが、いたずらに草木を薙ぎ倒すこともあるまい。少々時間はかかるが、これで行こう」


ファリードが手を差し出してくる。手を繋いでいくの?


「足場が悪いからな。俺を安心させてくれ」

「はい。よろしくお願いいたします」

「あ〜、久しぶりだなあ人の手のひらぁ……」

「手を繋ぐのは、足場が悪いからですよね?」

「足場が悪いのと、俺が人間の手のひらの感触が好きだからだ」


きまり悪くなってそっと手を抜こうとしたけれど、がっしり握り込まれてそれは叶わなかった。


「不快ならばそう言いなさい」

「嫌ではありません。ただ、手のひらの感触を堪能されていると思うと、少々」

「少々不快か?」

「……少々、恥ずかしいです」

「恥じらいか。恥という概念があるのは人間くらいのものだ。面白い」


さらに深く握り込まれて、やっぱり手は離してくれなかった。

肉球を揉まれている猫が複雑そうな顔をしていたのは、こういうわけだったのかもしれない。


落ち葉と土ばかりの地面を踏んで道を行く。一人で来た時とは比べ物にならないほど楽な道ゆきだった。ファリードがいるからだ。

足を運びやすい地面を探して教えてくれる。足を滑らせる心配もない。ファリードが手を繋いで支えてくれる。


「二足歩行は大変だ」

「……竜はみんな、人になれるのですか?」

「分からん。他の竜に会ったことがほとんどないからな。俺も人になるには、50年かかった」

「なぜ人になろうと?」

「そりゃあなあ、竜の姿じゃ手も握れないし、抱き締めることもできないし、他にも色々できないだろ」

「……手を握ったり、抱きしめたりしたい方が、昔いらっしゃったのですか?」

「ああ、いたよたくさん。ラファールももし目の前で誰かが泣いていたら、知らない人間でも抱きしめて手を握ってやりたいだろ?」


この優しい竜は、こうして人を愛してきたのだ。そして人々から愛されてきたのだ。

家を出る前、落ち込む私の肩を抱いてくれた母上の手を乱暴に振り払ったことを思い出し、胸が痛んだ。


「……わたくし、誰かの肩を抱いて励まして差し上げたことなんて、ありませんでしたわ。いつももらってばかりで…」


家出する前は、積み上げてきた努力ばかり思っていたのに。報われなさばかり嘆いていたのに。

今改めて振り返ると、家族のためにわたくしが何かできたことはあったかしら。心を砕いたことが、一度でもあったかしら。


「俺が落ち込んだ時は頼んだぜ。ラファールが励ましてくれ」

「心得ました」


横目でファリードが表情を窺っているのを感じる。ファリードは何も訊ねずにそばに置いてくれる。こんな森の奥深くまで一人で来て、いきなり食べろと迫ってきた人間に、何があったのか何も聞かない。

きっと何か察している。彼はそういう竜だ。


事情を説明すべきだと思う。婚約者を妹に取られたから、やけを起こして家出したこと。

それを聞いたらファリードはどう言うだろう。


彼のことだから、家族と話すべきだと言うだろうか。それとも一緒に、怒ってくれるかしら。


「わたくしがファリードに会いに来た理由を、聞かないでくれてありがとう」

「気にするな」

「あとどれくらいで着きそうかしら」

「俺がラファールをおぶったら数分だ」

「歩いて行ったら?」

「2日かな」

「では2日後、街に着いたらお話ししますわ」

「おぶられるの嫌?」

「嫌ですわ」


はっきり言うと、ファリードは愉快そうにからからと笑った。例の重低音が聞こえないのは少し寂しい。


「嫌じゃなくなったらいつでも言ってくれ」

「そんな日は来ません」

「恥ずかしいから?」

「矜持の問題です」







ファリードは魔力で見た目だけ人に似せているだけなので、骨や内臓まで変えてません。お腹も空かないし、切っても血は出ません。

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