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「ラファール。……明日、エドガー様がいらっしゃる」


心臓が跳ねた。どくどくと血の流れる音が耳の内側でして、体を起こしていられなくなった。


「お前に詫びたいそうだ。酷だとわかっている。…ドア越しでいいから、一度話を聞いてみなさい。お前のためだ」

「お父様は、サスキアの結婚に翳りがつくのが気に入りませんか」


久しぶりに出した声は、掠れていた。


「……何を言う、ラファール」

「わたくしがこうして閉じこもっていることで、サスキアの結婚に影が落ちることを憂いていらっしゃるのでしょう」

「それは違う」

「嘘つきは嫌いです」


父がドアの向こうで沈黙する。こんな無礼な口の利き方をしたことはない。驚いているのだろう。


「お父様。わたくし、よい娘でしたか」

「ああ、当然だ。自慢の娘だとも」

「わたくしも、自慢のお父様と思っておりました。お母様のことも。サスキアのことも。前までは」

「………」

「今は違いますわ。……もう休みます。おやすみなさい」


ドアの向こうで父が何度か呼びかける声がしたが、無視を決め込む。


部屋に閉じこもって数日。最初は怒りでどうにかなりそうだったが、妹との関係や今後のキャリア、社交界での立場を冷静に分析すると、この国で貴族としてこれまで通り生きていくのは難しいだろう。


このまま閉じこもって家族の憐憫を受けるのも、衆目に晒されるのも、我慢ならない。


修道院に行くか?

私は罪人ではない。死刑がない貴族の終身刑としての修道院に行くのは、誇りが許さない。


ならいっそ暴れて結婚そのものを破談にしてやろうか?

いや、私は妹に腹を立てているけれど、復讐したいわけではない。

婚約者を横取りされたからと言って、サスキアの幸せを邪魔したいわけではない。


死んでしまおうか……。

当てつけで命を絶つ?私ともあろうものが?

……なんて強がりだ。家族を悲しませるのは本意ではない。こんなでも、一応の愛はあるのだもの。


天井まである書架に歩み寄り、適当に一冊抜いてパラパラ捲る。煮詰まった時にとりあえず本を手に取るのは、昔からの癖だ。

それは王国が建国される前の王朝の詩で、読みやすく編纂し直した子供向けの読み物であった。


曰く、大陸の東に火の住処あり。

火の住処に竜いたり。

曰く、竜は人と交わりたり。

東は豊穣約されたり。

曰く、人は眠りたり。

竜も眠りたり。


思い出した。当時はこの詩の意味がわからず、王国史を教わっていた家庭教師に尋ねたのだ。


「ある人が言いました、大陸の東に火山の火口があります。

その火山には竜が住んでいました。

ある人が言いました、竜と人は結婚しました。

その土地は実り豊かな土地になりました。

ある人が言いました、竜と結婚した人は永遠の眠りにつきました。

竜も眠りにつきました……」


大陸の東は大きな森である。森の奥深くは人が手をつけていない森で、王朝の時代から伐採が禁じられていたと聞く。

そんなところに火山があるの?と質問したら、その家庭教師は王朝時代の地図の写しを後日持ってきてくれて、その森が空白になっているのを教えてくれた。


「地図さえも描けぬほどの、人が立ち入れぬ深い森です。もしかすると草木が生い茂る前は、不毛の地だったのかもしれませんね。実際に森の入り口付近では花崗岩の採取が盛んですから、あのあたりまで溶岩が流れ出していたのは本当ですよ」

「火山ならガスも噴き出しますよね。立ち入りが禁じられるうちに、人が踏み入れないので植物がその地の覇者になったと」

「明察と存じます」

「竜はどうでしょう?」

「それこそ、森の深くまで立ち入らなければわかりません」

「……いると思う?」

「お嬢様はどう思われますか?」


反射的にいるわけないと答えそうになったけれど、一度考えてみる。


「南には首が異様に長い、黄色と黒の馬がいると聞きます。北の果てには、氷が流れる海があるとか」

「ふむ」

「昨年は陶土の採取場から、巨大な生き物の骨が見つかったそうですし」

「竜もいると?」

「……見つかるまでは、いないと断じることはできません」

「貴族らしいお答えでいらっしゃる」


ふふ、と楽しそうに教師は笑った。厳しい人だったので、記憶に残っている。


「ですが、」

「はい」

「いてほしいなと思います。森を掘り返したら、竜がいた痕跡を見つけられるかも」

「おやおや。森は王朝の代から禁足地ですよ。そんなことをしたら食べられるかもしれませんよ」

「ではわたくしは、有史以来初めて竜に食べられた貴族令嬢として、名を残します」

「どうせなら竜を発見した令嬢として名を残してください」


呆れたように微笑んで、おしゃべりはおしまい。再び王国史の厳しい先生に戻って、その日もレッスンを受けた。

私の好奇心に、真剣に向き合ってくれる大人だった。

最後のレッスンの日、先生は小さな角笛をくれた。


「私の家に伝わる家宝です。竜の牙で作られたと代々言い伝えられています。本当のところはおそらく一角獣の角でできた笛だと思いますが、災厄から身を守ると言われています。お嬢様に差し上げます」

「こんな大切なものを、どうしてわたくしに?」

「私に子はいません。受け継ぐ者がいないので、お嬢様に持っていていただきたい」

「……そうおっっしゃっていただけるのでしたら。ありがとうございます。大切にしますわ」

「こちらこそありがとう。ラファール様のような優秀な生徒に出会えたこと、研究者として至上の喜びでした」


その後先生は、数日のうちに息を引き取った。お体がずっと悪くて、体調不良を推して教えにきてくれていたらしい。私は彼の、最後の生徒だった。


ジュエリーボックスを開けて、角笛を手に取る。煌びやかな宝石に囲まれた黒の角笛は武骨だが、定期的に鹿の皮で磨いているのでツヤツヤピカピカだ。絹の袋に入れて大切に保管していた。先生が私を認めてくれた、免状のようなものだ。

社交界デビューの日、王室サロン初出勤の日、人生の節目にお守りとしてドレスの下に忍ばせていた。


───竜を探しに行こう。


パタンと本を閉じて、宝石類と一緒にトランクに詰める。

侍女に硬いパンとビスケットを部屋に持ってきてもらうよう言いつけると、喜んで!!と涙声で返事があった。用意した食事さえ手をつけないこともあったので、食欲が戻ってきたのだと思ったらしい。少しだけ罪悪感を覚えた。


東の森──ファリードの森と呼ばれるその場所は、馬車で半月、馬で十日と言ったところ。馬は伯爵家の子を失敬する。角笛を首から下げて、乗馬用のトラウザーズとブーツを履いたら、気分はすっかり家出少女だ。


遅れてきた反抗期は、ラファールを家出と冒険に駆り立てた。森で竜を見つける。あわよくば食べてもらう。もっとあわよくば竜に食べられた令嬢として歴史に名を残す。


とにかく、この屈辱を塗り替える冒険がラファールには必要だった。




内紛によって分裂した王朝を、長年かけて平定したのが現在の王国です。東方に森、北方に山脈が連なり、南西の海に守られた広大な平野部を持ちます。外国から攻められにくい天然の要塞です。

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