異形の戴冠式
【ゾフィア・ドロテア】(1666~1726)
本編の主人公。ツェルレ公ゲオルク・ヴィルヘルムとエレオノーレ・ドルブロイゼが貴賤結婚で儲けた一人娘。
【ゲオルク・ルートヴィヒ】(1660~1727)
ドイツの名門ハノーヴァー選帝侯太子で、ゾフィア・ドロテアの従兄にして夫。粗野な性格。後のイギリス国王ジョージ一世。
【ケーニヒスマルク伯フィリップ・クリストフ】(1662~1691?)
スウェーデン貴族で稀代の放蕩家。プラーテン伯爵夫人を籠絡してハノーヴァー軍の近衛隊長の地位を得、更に夫と仲の冷えきったゾフィア・ドロテアにも手を伸ばすが……。
【ハノーヴァー選帝侯エルンスト・アウグスト】(1629~1698)
初代ハノーヴァー選帝侯でゾフィア・ドロテアの義父。権勢欲の強い人物。
【ゾフィー】(1630~1714)
選帝侯妃でゾフィア・ドロテアの義母。プファルツ選帝侯家の出身でスチュアート王家の血を引き、イギリスの王位継承権を持つ。自分との婚約を一方的に破棄したツェレ公の娘であるゾフィア・ドロテアを敵視する。
【ツェレ公ゲオルク・ヴィルヘルム】(1624~1705)
ゾフィア・ドロテアの父。一旦はブラウンシュヴァイク・リューネブルク公位継承を了承したものの一国の主としての責任感に乏しく、末弟に公位を押し付けてユグノー亡命者の娘と貴賤結婚をし、安逸な生活に耽る。
【エレオノーレ・ドルブロイゼ】(1639~1722)
【ゲオルク・アウグスト】()
ゾフィア・ドロテアとゲオルク・ルートヴィヒの長男。幼くして自分を母親から引き離した父親を深く恨む。後のジョージ二世。
【キャロライン・オブ・アーンズバック】()
【ゾフィー・ドロテア】()
【プラーテン伯爵夫人クララ・エリーザベト・フォン・マイセンバッハ】(1648~1700)
ゾフィア・ドロテアの侍女頭。ハノーヴァー公の愛人で、宰相の夫と共にハノーヴァー公領を牛耳る。妹はゲオルク・ルートヴィヒの愛人。
【ゾフィー・シャーロッテ・フォン・キールマンセッゲ】(1675~1725)
プラーテン伯爵夫人とハノーヴァー選帝侯との間に生まれた庶子で、異母兄であるゲオルク・ルートヴィヒの愛人。異常な肥満体で《象》と渾名される。
【エーレンガルト・メルジナ・フォン・デア・シューレンブルク】
【アン】
【ウィリアム三世】
【メアリ二世】
【ジェームズ二世】
【ジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアート】
大僭称者
一七一四年、八月一日朝。
イギリス王国において、スチュアート王家最後の君主であるアン女王が四十九歳の生涯を閉じた。
アン女王はデンマーク王家出身の夫カンバーランド公ジョージとの間に十八人の子を儲けたが、一人が流産、十二人が死産、四人が夭折、ただ一人残った王子のウィリアム・ヘンリーも十一歳で亡くなっている。我が子を全て失った悲しみを大量の酒で紛らわせて《ブランデー・アン》と渾名された女王は、アルコール中毒による極度の肥満と痛風に悩まされた末、脳出血という至極当然の原因で亡くなった。
アンが即位した時点で、国内に王位継承者が存在しないという異例の状態に陥っていたイギリス王国の為政者たちは、アンの即位直前に定められた王位継承令の《王位継承者はスチュアート王家の血を引き、かつプロテスタントに限る》という条件に基づいて、アン没後の後継者の人選をかねてより進めており、そこで白羽の矢を立てられたのが、ドイツの大貴族ブラウンシュヴァイク・リューネブルク家のハノーヴァー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒだった。
ゲオルク・ルートヴィヒの祖母は、スチュアート朝初代君主ジェームズ一世の娘でドイツのプファルツ選帝侯フリードリヒ五世に嫁したエリザベスであり、かつ彼自身の信仰はプロテスタントだったから、王位継承令の定めた条件にはぴったり合致する訳であり、そして彼以外に条件を満たす人物は存在しなかった。
《ジョージ一世》として王位を継いでほしいというイギリス側の懇請に対し、ゲオルク・ルートヴィヒは当初表面上はいい顔をしなかった。
「スチュアート王家の血を引く者なら、三代前の国王ジェームズ二世殿の御子息がおるのではないか。今はフランスのルイ十四世の元に亡命していて、確かジェームズ・フランシス・エドワード殿とかいったかの」
「殿下……いえ、陛下もよくご存知でしょう」
本国からの急報を受けて、押っ取り刀でヘレンハウゼン離宮の選帝侯に謁見したイギリス公使は、心にもないことを、と内心舌打ちした。ゲオルク・ルートヴィヒの息子ゲオルク・アウグストの妃で聡明と名高いキャロラインが、義父のイギリス王位継承を早々に見越して英語の習得に励んでいることは周知の事実だった。
「あれはただの僭称者に過ぎません。それに父王と同じくローマ教会に帰依している時点で、先王ウィリアム三世陛下の定められた王位継承令に違反しております」
「血統よりも信仰が優先か、貴国も色々と厄介なものだな」
ゲオルク・ルートヴィヒは、その不器量な顔に皮肉げな笑みを浮かべた。
「かつての清教徒革命のごとき、イギリス人同士が二派に分かれて血を流す悲惨な内乱は何としても避けたいところですので。それに、フランスが僭称者とその一味を後押ししているのは陛下も御承知でしょう。もし僭称者が王位に就けば、我がイギリスはフランスの傀儡国に成り下がってしまいますし、フランスがこれ以上強大になることは、貴国ハノーヴァー選帝侯国にとってもよい結果をもたらすとは思われませぬが」
「ふむう」
公使の言葉に、ゲオルク・ルートヴィヒはもったいぶった様子でだぶついた顎をさすった。昨年結ばれたユトレヒト条約でようやく決着を見たスペイン継承戦争においても、ハノーヴァー選帝侯国はイギリスと枕を並べてフランスと戦っていたのである。
「しかし、貴国の外国人嫌いは相当のものと聞いておるぞ。現にオランダから招聘された先王ウィリアム三世殿が、ハンプトン・コートで乗馬中もぐら塚に馬の足を取られて落馬なさって亡くなられた時、国民たちはこぞって祝杯を上げ、もぐらを《ヴェルヴェットの小紳士》と呼んで称えたと余は聞き及んておるがの」
くつくつと喉の奥を鳴らして笑うゲオルク・ルートヴィヒは、まるで公使の忍耐力を試しているかのようだった。
「それは僭称者を支持するカトリック教徒――ジャコバイトの連中に限った話です。大多数の忠実な国民たちは陛下のイギリスへのお渡りを心よりお待ち申し上げ、また即位の暁には熱烈に歓迎して永遠の忠誠をお誓い申し上げることでしょう」
公使は心の裡で、目の前にいる尊大で不愉快な男の面体を思いきり踏み付けながら、口に出してはたっぷりの世辞をまぶしてこう言った。
実際のところ、イギリス国民が新王として迎えられるゲオルク・ルートヴィヒを熱烈に歓迎するとは到底思われなかった。それは彼自身の粗野で人好きしない性格もさることながら、彼が二十年前に離婚した妃に今も加えている惨たらしい仕打ちに原因があるのだが――。
「しかし喜び勇んでブリテン島に上陸した途端、ジャコバイトの者どもの刃の餌食となるのは王者としてはいささか外聞の悪い死に方じゃの」
「連中の動向は当局が逐一監視しておりますので、陛下におかれましてはどうぞ心平らかにロンドン入りをお果たし下さいますよう。それに我が国の議会は宮廷費として、年七十万ポンドを支出する用意がございます」
突如、ゲオルク・ルートヴィヒの眼に貪欲な光が宿った。神聖ローマ帝国から半ば独立した一国の主とはいえ、所詮はドイツの辺境の一領邦君主に過ぎない彼にとって、七十万ポンドという額は想像も付かないほどの大金だったのである。
渋った挙げ句、結局はイギリス王位を引き受けたゲオルク・ルートヴィヒは八月末、選帝侯太子ゲオルク・アウグスト以下およそ百人の随員を引き具してハノーヴァーのヘレンハウゼン離宮を発ち、九月十八日の夕刻にグリニッジに上陸した。
英語をほとんど解さない五十四歳の新王の傍らに王妃の姿はなく、代わりにエーレンガルト・メルジナ・フォン・デア・シェーレンベルクとゾフィー・シャーロッテ・フォン・キールマンセッゲという二人の愛妾が寄り添っていた。エーレンガルトは女性にしては異様に背が高く、シャーロッテは異様に太っており、そして両者とも不美人であった。口さがないロンドンっ子たちはエーレンガルトに《メイポール(春を祝う五月祭で立てる柱)》、シャーロッテに《象》と渾名を付けて、新王の治世に早くも冷や水を浴びせかけるのだった。
十月二十日、ウェストミンスター大聖堂で《ジョージ一世》となったゲオルク・ルートヴィヒの戴冠式が挙行されたが、式典に詰めかけたロンドン市民たちは異様な光景を目にすることになる。皇太子となったゲオルク・アウグストは華やかな式典にもかかわらず終始不機嫌な顔を隠そうともせず、上機嫌で王冠を戴く父王に憎悪のこもった眼差しを向け、皇太子妃のキャロラインは祝典行進への参加を拒否したのだった。
何とも白けた雰囲気の漂う祝典行進を眺めながら、物見高いロンドンっ子たちは噂話に興じていた。
「いやはや、噂には聞いてたけどハノーヴァーから来た新王と皇太子の仲の悪さは想像以上だな、こりゃ」
「ジャコバイトの担ぐ僭称者なんざ真っ平御免だが、他にましな候補はなかったのかねえ。あの御一家ときたら、皇太子妃のキャロライン様以外ろくすっぽ英語も話せないんだろ」
「他に候補者がいたら、田舎者のドイツ人の殿様なんざわざわざ呼んだりはしないさ。ああ、亡くなられたアン女王や先々代のウィリアム三世とメアリ二世御夫婦に子供がいればなあ」
「メアリ二世とアン女王の御姉妹は、どうしてどちらもお子に恵まれなかったんだろうな」
「何でも、昔の名誉革命で議会が追っ払った父王ジェームズ二世の梅毒が御姉妹にも移ったらしいぞ。そんなものは異母弟の僭称者の家系のほうに持っていって欲しかったものだが」
「メアリ二世陛下の場合はあれだ、御夫君のウィリアム三世陛下の男色趣味のせいでベッドが冷えきってたせいもあったんじゃないのか、ハハハ」
「それにしても、新王の連れている人三化七みたいな二人のお妾さんには驚いたもんだ。皇太子妃は天使のようにお美しいというのに」
「ところで王妃様の姿を一回もお見かけしないんだが、一体どうしたんだ」
「何だお前、知らないのか。王妃様はハノーヴァーのアールデン城ってところに閉じ込められてるんだぞ。お子様たちとも小さい時分に無理矢理引き離されて、ずっと顔も見てない有り様らしい」
「なるほど、そりゃ皇太子が親父を深く恨むのも無理ないわな。でも、何で新王は自分のお妃様にそんな酷い仕打ちをしてるんだ?」
「そりゃ、今から二十年前――」