#20 【佐藤大翔】親友の死4
美月にテニスを教えることになった俺だったが。
美月がテニスに対しての知識が既に持っていたこともあり、そこまで面倒なことは無かった。
ラケットの握りから始まって、テニスというスポーツの説明といった面倒な所が殆ど無かったのは個人的に助かる。
テニス以外のスポーツもそうだが、最終的に一番重要とされるのは体の使い方だ。
言葉を変えれば、感覚といった言葉に置き換えられるが、最終的に言えば使い方ということになる。
美月は体の使い方が上手な反面、要らないイメージが足を引っ張っている様子だった。
何というか、男の振り方とでも言いうのだろうか。
男と女では体格の違いが大きく、その分ラケットの振り方が男女で程度はあれど、その差は確かに存在する。
そういったこともあり、体を上手に使うという意味では、女性テニスプレイヤーのほうがその練度は高いというのが俺の考えだ。
それを念頭に置いて、美月のフォームからスイングを見る。
所詮ATPと呼ばれる男性に多い振り方をする美月は、専門的な知識が少ない俺の目からも無理やり振っているのが分かる。
どうしてWTAと呼ばれる女性に多いスイングをしないのかが分からなかったが、このままでは変な癖がついてしまうと思った俺は、美月にある動画を見せることにした。
それはWTAの打ち方を解説した動画だ。
WTAというのは簡単に言えば、WTAというのは腰を軸に振るということ。
男性よりも腰幅が体格的に広く、重心も男性より下にある女性にとって、WTAの打ち方というのが一般的に適していると言われている。
その動画を見せて、美月に今の打ち方を修正してもらおうというのが俺の考えだったのだが。
「よいっしょっと、あ。ここなら見やすい見やすい」
気の軽い声とともに、美月が俺に密着してきたことで俺の思考は打ち消される。
数日で少しは話す関係になり、美月の残念さ加減もある程度分かったが、それでも美月は相対的に見て可愛いと判断できる。
しかも、女性特有の柔らかさと、表現し難い甘い香りが密着した美月から嫌でも感じ取れてしまう。
斗真という存在がありながら、自分が男なのだというのを無理やりにも自覚させられる。
さらに言うなら、俺がここまで揺れるのは多分美月だけなのだと、何となく確信が持ててしまうのが厄介だった。
美月は俺が見せた画面を食い入るように見ているのだが、どうやらこの体制でも画面が見ずらいのか体制を少しずつずらしていく。
俺はそれを止めることもできずに、体を乗り出すように密着させてくる美月をただ見つめることしかできなかった。
美月が身を乗り出すたび、密着する部分が増えていき、華奢な体を強く俺に密着させていく。
そうして近くなればなるほど、甘い匂いは明確なものとなって俺の意識を埋めていく。
「なーるーほーどーねー、こうやって振るんだ」
「……分かったなら、どいてくれないかな」
「え? ……あ、ごめんなさい」
美月がようやく口を開いたことで、俺はどうにか煩悩を振り払って美月に離れてもらうことができた。
が。
「えっと……役得だった、ね?」
困った表情で上目遣いでこちらを見てくる少女が、こうして幾人もの男を落としてきたのかと思うと、とんだ悪女だと思う。
「そんな役は要らない。興味もない」
斗真が死なずに、美月との仲を深めていけば斗真の隣に立っていたのは、目の前でショックを受けた様子からどこかイラっと来る表情に切り替わった、この少女だったのかもしれない。
チクリと胸を痛めたのはきっと、斗真の隣が俺じゃなくなる光景を想像したからに違いない。
そして、どこか安堵しているのは。そうなる未来が訪れないと、どこか卑怯な自分が居たからに違いない。
「ほんと、お前って顔に出るよな」
「うぅ、秋ちゃんにも言われてることをよくも……気にしてるんだからね!」
自分の気持ちを隅に追いやり、いつも通りの自分を装う。
「あっそ。それよりもさっきの動画で分かったと思うけど、男女じゃそもそも適した振り方が違う。だから振り方のイメージから変えてもう一回だ」
「なんか、佐藤君って私に対して冷たいよね」
「冷たかったらテニス教えてないだろ? 逆に優しいと思うけどな」
いつもみたいに、懐疑な目を向けるなら口で説き伏せる。
「あ……そっか、そうだよね。テニス教えてくれてるし、佐藤君は優しいってことだよね……ほんとだ優しい! ありがとう!」
「……なんで……だよ……」
どうして俺は、いつもみたいに美月と会話できるんだ。
斗真と話しているみたいに、いつもの自分が出てくるんだ……
美月、お前はどうしてそこまで斗真に似ているんだ……
「よおおおし! 私やるぞおおお!」
そう言って元気そうな出会って間もない少女を見るたびに。
「ふりゃ! ふんにゃ!」
謎の掛け声と共に、空回りする少女に目が向いてしまうたびに。
「だから力み過ぎ、言った事をすぐに忘れるなって、いつも……」
俺の気持ちが、斗真といる時みたいに弾んでしまうんだ。
斗真と一緒にいる気持ちになるなんて……おかしいだろ?
☆
「さあ!」
卓球のサーブに使われそうな掛け声とともに、美月がサーブを打つ。
フラット気味に放たれたボールは相手コートの深い位置に着弾する。
「やったあ! 佐藤君見た!? 見た!?」
そう言って自慢気にこちらに駆け寄ってくる美月が、どうしてアイツの面影と被るのか。
それは多分、あの特徴的な掛け声のせいだろう。
斗真もサーブを打つときはあの掛け声をよく使っていた。
「……見てたよ、ナイスサーブ」
俺は自分の愚かな考えを悟られないように、生返事でも声を出す。
だが美月はそんな俺の様子に不満だという顔をありありと見せつけて、口では顔以上に俺に懐疑心をぶつけてくる。
だから俺は、よく斗真にしていたように指摘と正論をぶつけて黙らせる。斗真が俺に口で勝てたことはない。
「……もう一回」
こうして、何度も指摘と修正を繰り返していくと、美月はどんどん吸収していき、数日の練習でサーブをある程度まで上達させる。
まるで、久しぶりにテニスをして段々と勘を取り戻しているようだった。
後は練習を積んでいけばそこそこのモノになるだろう。
「さあ!」
さっきまでは練習のために思考を割いていたから気にならなかったが、ある程度美月の練度が上がっていくにつれて、俺は意も知れない気持ちになっていった。
「さあ!」
美月の掛け声を聞くたびに、斗真の姿を思い出してしまう自分が嫌になっていくことに気が付いたのに、時間は掛からなかった。
別に嫌なわけでも、鬱陶しい訳でもない。
ただ、その掛け声を美月の口から聞くのが、たまらなく嫌だった。
「さあっていう掛け声止めろよ」
美月が悪いわけじゃないのに、そう言った俺の声は普段より冷たくなってしまった。
☆
「そういえば、再来週に初めての期末テストだな。美月は勉強とか得意なのか?」
「はっ!」
あの発言の後、どこか気まずい空気をどうにか出来ないかと、学校の話題を何気なく振ってみる。
寝耳に水だったのか、美月は今気が付いたような表情とともに口に手をやる。
また斗真の顔が思い浮かぶ、斗真もテニスに夢中で勉強……というよりもそれ以外に対しての関心が弱い時がある。
特に勉強やテニスになると、毎回ギリギリになって慌てたようにテスト勉強に付き合わされたなと、美月の顔を見ながら思いにふける。
(……嫌な予感がしてきた)
面倒な事になるという漠然とした不安の後には、決まって斗真が俺に泣きつく時だった。
「……佐藤君」
「やだ」
色々斗真に似ているとはいえ、ここまで似る必要は無いのではないだろうか。
斗真ならいざ知らず、美月にまで勉強を教えるなんて面倒はごめんだった俺は、逃げるように背を向ける。
「……お願いがあります」
「俺、今日野暮用あったのを忘れてた。美月も大変だろうけど、勉強頑張れよ?」
「逃がすかあ!」
格好つけて逃げようとするんじゃなかった、脱兎のごとく危険から遠ざかるべきだったんだ。
逃げようとする俺を美月は全力で引き留めに掛かる。
美月は俺の腕を自分の両腕で、胸に抱え込むようにして俺の行動を阻害する。
夏のスポーツウェアは風通しがよく、揮発性が高くなるように設計されている。
当然、夏真っ盛りと言える時期になってきた今、美月が来ているスポーツウェアも同じ設計がされている。
だから美月に抱え込まれた人質(右腕)は、薄い服越しにハッキリとわかる異常なまでの柔らかさに包まれてしまう。
「み、美月!? 離せ! 色々不味いから!」
「いーやー! 勉強教えてえ! 佐藤君頭良くて教えるの上手って鈴木君言ってたもん!」
「だからって俺が教える必要ないだろ! と、とりあえず離せって!」
慌てて離れようとするが、返って美月は対抗しようとさらに拘束を強める。
学校でも感じたあの感触が、さらにダイレクトに俺の腕に伝わってくるのに合わせて、運動で上がった体温や、汗をかいて湿り気を帯びた感触を腕が感じ取ってしまう。
(こ、こいつ新種の痴女か!?)
惜しげもなく自身の腕に当てられるマシュマロの感触に、ついそう思ってしまう。
しかし、厄介なのが美月という少女と関わって分かったのは、美月にそんなつもりが一切ないということだ。
いまも、そういった気持ちがあってこうしているのではなく。
目前に迫っている審判の日(期末テスト)に怯え、俺に助けを求めているだけに過ぎないというのは分かっている。
だが、分かっているからと言って。
美月とこうして密着している瞬間の俺にはそこまで思考を広げる余裕がない。
断言できる、この状況。
俺以外の男だったら完全に落ちている。
斗真第一の俺ですら、美月という少女の存在に戸惑ってしまうの程だ。
これが斗真にされることがなくてホッとする。
そこから暫く、俺と美月の攻防が繰り広げられる。
誓って言おう、もう少しこの状況を……とかは一切考えてない。邪推なんてするなよ?
「わ、分かった。教えるから、とりあえず離してくれ!」
「良かったあ……じゃあ明日から教えてくださいね、先生!」
「はあ……なんでこんなことに」
最終的に諦めた俺は、肩を落としながら目の前の悪女に首を垂れることになった。