#03 自分が例え大人になったとしても、母には勝てないものだ
パパとママと話し合ってから数日、鈴木君が死んでから最初の休日が訪れた。
あの日から私は鈴木君の時の両親と、今の両親の呼び方を変えることにした。ごっちゃになっちゃうしね。
私、美月澄香のはパパとママ。前世だったら絶対に使わない呼び方だけど、もう慣れてしまったし、これ以外だと違和感が出てきてしまう。
私の前世、鈴木斗真のは父さんと母さん。こっちは前世で両親を呼ぶときのまま、こっちはこっちでこれ以外の、しっくりくる呼び方がなかったし、深く考えずに呼ぶことにした。
今は関係ないけど、休日までの間に佐藤君が学校に登校することはなかった、葬式の時に見た佐藤君は大丈夫そう見えたけど、何か別の理由で休んでいるのかもしれない。
(父さんと母さんに色々話した後、佐藤君のことを聞ける余裕があるなら聞いてみようかな)
もしかしたら体調を崩しているだけなのかもしれないし、別の理由があるのかもしれない。
一番可能性としてあるのは鈴木君の死にショックを受けていて、っていう事になるけど、本人に直接会うなりしないと本当の所は分からない。
(それよりも私が今、意識を向けるべきするべきは佐藤君じゃない)
休日の早朝、私は前世の自分が住んでいた家の前まで来ていた。
転生してから十数年、久しぶりに見る見慣れた一軒家を前に、私は深呼吸した。
時間とともにおぼろげになる記憶に、意外と自分の住んでいた家の外観は残されていなかった。
生まれてからずっとこの家で過ごしてきたはずなのに、前世の私は興味がない所はとことんだったらしい。
でも、この家を前にしたとき、私の心は自然と落ち着いて、十年以上見てなかった家なのに、帰ってきたと思っていた。
多分、前世の私、鈴木斗真の記憶がそうさせているのかもしれない。実家を離れて上京した人が、帰ってきた時に感じるものと同じなのかもしれない。
そんな逃避を続けること十数分、私は玄関の呼び鈴を押せずにいた。
家に帰ってきた安堵感があるのに、玄関に近づいて、呼び鈴に手が届く距離までくると、その安堵はどこかに消えていった。
心臓が激しく鼓動するのが分かる、そのくせ、体を廻る血液が温度を感じさせないためか、指先は驚くほど冷たかった。
呼び鈴を押せば父さんと母さんに会える、それが分かっているのに、最後のひと押しが出来ない。
父さんと母さんがいるとわかっているから、私は地獄の時間をただ悪戯に彷徨っていた。
(……パパとママと約束したんだ、一人で頑張るって)
不安になったときはパパとママのあの優しい顔を思い出す。
そうするだけで、不思議と震えは止まって、勇気が湧いてくるから不思議だ。
「……ふふ」
自然と笑みがこぼれた私は、軽くなった体とともに呼び鈴を押した。
「はあい」
扉の向こうから母さんの声が聞こえてくる。
どこか声は落ち込み気味で、曖昧な記憶の母さんはもっと明るい声を出していたはずだった。
「どちさらまですか?」
扉が開き、十数年ぶりになる母さんとの面会は驚くほどあっさりとしたものだった。
もっと心が揺れ動いたり、涙が溢れるものだと思っていたけど、そんな激情も感動もないのはきっと。
「あら、こんな可愛らしい娘がどうしたのかしら。もしかして斗真のお友達?」
見るからにやつれて、生気の感じさせない。前世では見たことのない弱り切った母親を目の前にしたからだと思う。
☆
「ごめんね、こんなお茶とお菓子ぐらいしか出せなくて……」
「いえ、突然押しかけるようにご自宅まで来たのは私ですから」
あれからすぐに、母さんは外も暑くなり始めているということもあって、家に上がらせてくれた。
久しぶりに感じる家の匂いは、どことなく違和感を感じさせつつも、やっぱり心のどこかで懐かしいと思えた。
リビングに通された私の目の前には、家庭訪問に来た先生に母さんがよく出していた、お茶とお菓子が出される。
(なんだか、自分の家だったはずなのにお客様になった気分……実際お客様だけど)
母さんは私の前の椅子に座ると、ゆっくりと口を開いた。
「それで、澄香さんでいいのよね。今日はどうして家を訪ねてきたの? 斗真のお友達とかかしら」
「ち、違います。私は、と、斗真君とお話したことはないです。同じ小中高って同じ学年だっただけです」
(うわー! 前世の自分の名前を君呼びって結構ヤバイ!)
謎の羞恥心に心の中で悶えてしまう。
「そうなの? てっきり斗真にこんな可愛いお友達がいるのかと思っちゃった」
「ごめんなさい、でも私が今日お邪魔させていただいたのは斗真君のことです」
「……何かしら」
「……」
しばしの沈黙の後、私は意を決して口を開く。
「わ、私! 斗真君なんです!」
「へ?」
(……あれ?)
私は自分という人間を客観視できない。
だから忘れていた、私はこうゆうとき言葉の選択を間違えるということを。
今更思い出しても後の祭りだと、目を点にした母さんの顔を見ながら私は思った。
☆
「……つまり、澄香さんは前世の記憶があって。それが斗真だったってこと?」
目を点にした母さんと、自分の言葉の下手さ加減に慌てふためく私は、とりあえず母さんによって落ち着くことができた。
息を落ち着けた私は、今度は言葉を間違えないように、私に前世の記憶があることを母さんに伝えた。
「信じてもらえないかもしれないですけど、本当なんです。ふざけてもいません。でも、ちゃんと言わなくちゃって思って……自分を助けようとも思ったけど、自分を助けたら……今の私が消えちゃうんじゃないかって……それで……………」
「……」
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
沈黙を保つ母さんに、私はいつの間にか言い訳を初めて、ただただ謝っていた。
声は震えて、言葉も途切れ途切れになりながら、私は母さんの顔を見るのが怖くて、下をずっと向いたまま一方的に言葉を投げていた。
「そう、もういいのよ。言ってくれてありがとう」
そんな私に、母さんは優しい声と同時に頭を優しくなでてくれる。
暫しの沈黙が続いた後、母さんの目が徐々に湿気を帯びる。
私の頭を出てくれる手が、少しだけ震えているのが分かってしまう。
堪えきれなくなったのか、母さんは呟くように。尋ねるように口を開いた。
「……そこに、そこにいるのね? 斗真」
「うん……いるよ母さん、ごめんね。勝手に死んじゃってさ……でも、親友を助けたんだから許してよ」
弱弱しい母さんの声に、どんな顔をしたいいのか分からなかった。
まだ何も証明していない私の言葉を、母さんは信じてくれた。
声は私以上震えて、目から涙が溢れていることに気づく。きっと、母さんの心は死にかけていたんだと思う、我ながら愛されているみたいだと、薄情な事を思ってしまう。
結果がどうあれ、母さんを苦しめたのは私なのだ。
死んだ事に悔いがあるとするなら、目の前で泣いてくれる母さんとの日常を、もう送ることができない事かもしれない。
そして、母さんをこんなにも苦しめてしまったことだ。
今度は間違えない、母さんを悲しませたりしない。
性別が変わって、生まれが変わってしまっても。
それなら別の付き合い方をすればいいだけだ、どうせ女になったことだし、一緒にショッピングも今なら楽しめそうだ。
「母さん……ただいま、見た目がこんなに変わっちゃったけど、帰ってきたよ」
椅子から立ち上がり、私は母さんを抱きしめる。
「あ……ああ……斗真、斗真ぁ……」
「……」
力強く抱きしめ返してくれる母さんの両腕に、母さんの今日までの気持ちが篭っているようだった。
暫くの間私たちは抱き合っていた。
今度は母さんが落ち着くまで待った私たちは、椅子に座りなおした。
「あ、そうだ母さん。本当に前世の記憶があるかどうか証明しようと思うの!」
どことなく沈黙で重くなりかけていた空気を、そうはさせまいと私は普段より声を大きくした。
「そうね、言われてすぐに信じちゃったけど、まずはそれからよね。でも、どうやって?」
「ふっふっふー、私しか知らない真実、それは……母さんのへそくり!」
「あらあら、斗真ったらいつの間に私のへそくりなんか……なん、か……待ったあああああ!」
「んぐふ!?」
落ち着いた母さんに、私が本当に前世の記憶があるのかを教えるため、私は母さんが父さんにすら隠しているモノを提示した。
弱り切っていたのが嘘のように、母さんは声を上げて慌てながら私の口を抑える。
勢いあまって鼻まで塞がれた私は、呼吸困難に陥ってしまい、すぐさま母さんにタップ降伏した。
「も、もう! なんてこと言うの! 上にいるお父さんにバレたらどうするの!」
「えーでもそれ以外だと難しいと思うんだよねえ」
どうやら父さんは二階にいるらしい。もしかしたらこの声も少しは聞こえているのかな。
父さんにもこの話をしないといけないと思うと、少し心配だ。色々な意味で。
そんなことを私が考えていると、母さんは体を私のほうにグイッと近づけると、小さな声で聞いてくる。
「因みになんだけど、小さい声で言ってね……場所は?」
「母さんの化粧台の収納スペース、引き出しの中の天井にテープで固定」
「本当に斗真ね。私、信じてた」
ガッと私と母さんは固く手を結んだ。
「あ、今世の私は美少女澄ちゃんだから、澄香って呼んでね母さん」
「そうね、澄香……何度も思うけど物凄く可愛いわね」
母さんはそういうと私を立たせると、頭の先から足の先までじっくりと観察するように見回してくる。
人にそこまで凝視されることのなかった私は、そんな母さんの鋭い眼光にちょっと恥ずかしくなってしまった。
「そ、そうでしょ? だから今度は母さんと一緒にお買い物とか、ご飯食べに行きたいなって……思ってたりするんだけど……」
「……なにそれ最高。斗真じゃ出来なかったことが出来るようになるのね! 斗真、よくぞ転生してくれたわ!」
「えーなんかそれひどくなーい? あ、それから今世の父さんと母さんに会ってよ」
「……ごめんなさい、それは出来ないわ」
私の軽い気持ちで言った提案に、母さんは冷たさと申し訳なさが混ざりあったような言葉を返してきた。
さっきまでのテンションがウソのように、母さんは悲しい表情をしている。
「澄香を生んでくれたご両親には感謝しかないわ、貴方がこうして私の所に来てくれたこともね」
そう言う母さんの顔は、本当に嬉しそうだった。
「でもね、今のあなたは私達の子供じゃないの。例え前世の記憶を持っていたとしても、斗真と貴方は違うのよ」
優しい声だけど、母さんの言葉が私の胸に突き刺さるような感覚だった。
私はまだ子供だ、母さんやママのように子供を生んだわけでも、父さんやパパみたいに誰か一人の女性を愛したこともない。
人の営みを知らない私には、この時の母さんがどんな気持ちで話しているのか、全く分からなかった。
そんな私を見透かしたように、母さんは優しく微笑む。
「これはケジメよ。斗真は死んだ、それは変わりようのない事実。そして澄香は貴方を生んだご両親がいる、貴方はまだ生きてるの」
「な、何言ってるか分かんないよ……」
「大丈夫よ、いつかわかるわ……でも、生きていてくれて……本当に、嬉しい……こんな母親だけど、一つだけ我儘を聞いてほしいの」
私の手を自分の両手で優しく包んだ母さんは、少しかがんで視線を合わせる。
玄関で見た時に死にかけているように見えた母の瞳が、今は綺麗に輝いているのがわかった。
その瞳は、私が前世でも、今世でも見たことのあるモノだった。優しい、母親の瞳。
「私たちのことを今まで見たいに、母さん、父さんって呼んで欲しい。そして、たまにでいいの、さっき言ってくれたように買い物に、一緒に行ってくれない?」
「……うん、いく。ずっと母さんは母さんだけだもん、買い物も絶対に母さんと一緒に行くから……」
今の気持ちをどう表現したらいいの分からなかった私は、顔を見られるのも恥ずかしくて、思わず母さんに抱きつく。
今日何度目かになるそれを、母さんは何度でも優しく受け入れてくれた。
「もう……澄香は生まれ変わって泣き虫さんになっちゃったみたいね。仕方のない子ね……」
優しく抱きしめ返しててくれる母さんの腕が、少し震えていた。
抱きしめてくれているから顔は見れなかったけど、その顔も今まで私が見たことのないものなのかもしれない。
私は今日、初めて帰ってきたと思えた。
母からすれば死んでしまった息子と。
私からすれば十数年ぶりの母さんと会えたことで、感情の起伏が激しくなり、周りが見えなくなっていた私たちは気づかなかった
「……母さん、どうして抱き合ってるんだ? っていうか、その子だれ?」
二階にいる父さんがリビングに降りてきて、部屋の入口から抱き合っている私達をポカーンとした顔で見ていることに。
さあ、第2ラウンドの開始だ。