2話
街へと出かけたギミーは立ち寄った喫茶店で適当に遅めの朝食を済ませると、依頼を執行するための準備を始めた。
いくら大したことはないであろう異能力者とはいえ、捕獲相手は暴力事件を起こしている。 何より危険な依頼を避けてきたギミーにとって、こういった相手に対する用心はしすぎるに越したことはなかった。 彼自身も異能の力を持ってはいるが、できればその力には頼りたくはないというのも彼が入念に準備を重ねる理由の1つだった。
ギミーは久しぶりに訪れた執行士御用達のサポートショップで異能犯捕縛用の合成繊維ロープや衝撃吸収インナー、それに『とっておき』を購入した。
いささか高くついたが、できるだけリスクを避けたいギミーにとっては必要なコストだ。 それに、依頼を達成すればこの何倍もの報酬が舞い込んでくる。 そう言い聞かせ、ギミーは自分を納得させた。
「……しかし、こう言うのもなんだが、いかにも暴力事件を起こしそうな見た目だな〜」
サポートショップを出たギミーは、管理委員会から配信されている事件時の映像を見ながら呟いた。 映像にはスキンヘッドで四角く突き出した顎を持つ、筋骨隆々の男が暴れている様子が映っていた。 男は大きな拳をものすごいスピードで振り回し、喧嘩相手の男を吹き飛ばした。
「うわ……こりゃ近づくのは危険だな。 遠くから仕留めるのが良さそうだ……」
映像のインパクトにギミーは思わず身を縮こまらせる。 映像の中の男はまだ怒りが収まらないのか、側にあった街灯をこれまた物凄いスピードの蹴りで根本から破壊すると、吹っ飛んでいった男目掛けて投げつけた。
「……まいったな、遠距離にも対応してやがる。 中々厄介な相手だ。 どうにかバレないうちに仕留めるしかないな……まぁ、こんだけ目立つ奴なら目撃情報もすぐに集まるだろうし、足取りを掴むのも簡単だろう。 ダラダラしてると管理委員会が情報を掴んでランクを下げちまうかもしれないしな……夜には祝杯をあげられるよう、気合入れてくか……」
映像の迫力に気圧されていたギミーは気を取り直して自らを鼓舞すると、人通りの多いヴァイジュヤ地区の中心部を北に向かって歩き始めた。
ギミーの予想は半分は当たり、もう半分は外れていた。 捕獲相手が人目を引く人相だったのも相まって、目撃情報は順調に集まり足取りを追うこともできたのだが、捕獲相手はギミーが思っていたよりずっと遠くまで移動しており、目撃情報を追っているうちに中心部を離れ、ついには隣町まで来てしまっていた。 調査に乗り出した時は高く昇っていた太陽も、今ではすっかり傾き、地平線の向こうへ沈みかけていた。
それでも、ギミーは何とか捕獲相手の行方に辿り着いていた。
相手の名前はドーマン。 この町に住んでいる男だが、ここにやってきたのはつい1週間ほど前で、知り合いと呼べる人間はほとんどいない。 普段何をしているのかは分からないが、夜になると町のバーに現れたらふく酒を飲み、しょっちゅう町の荒くれ連中と喧嘩をしているらしいとのことだった。
この日も行きつけのバーに顔を出しているらしいとの情報を聞きつけ、ギミーはそのバーへと向かっているところだった。
夜も光に溢れ賑やかなヴァイジュヤ地区の中心部とは打って変わって、この町は建物もまばらで空き地が目立ち、たまに吹く風が戸を軋ませる以外はすっかり静まり返っていた。 薄暗い路地を左に曲がる。 しかしその先もまた似たような景色が広がっていた。
目的地までは後わずかだが、ギミーは内心焦っていた。 足取りも自然と速くなる。
(依頼書を受注してからもう8時間は経ってる……事件が起きてからは20時間以上だ……不味いな、そろそろ管理委員会もやつの詳細を突き止めているはずだ……)
その時、ギミーの思考を遮るように懐からアラーム音が響き渡った。 駆け出した足音がピタリと止まる。 ギミーは微かに震える手で電子端末を取り出してアラームを止めると、画面を覗き込んだ。
「『執行中の依頼書の情報が更新されました』……はぁ……やっぱりか……これじゃ報酬も大幅ダウンだな……」
あともう少しのところで大金を手に入れることができたはずだったギミーはその場でがっくりと肩を落とした。
「……まあでも、ここまできたんだ。 達成しないよりはマシだろ……」
ギミーはしばらく薄暗い路地の真ん中で立ち尽くしていたが、やがてそう呟くと更新された情報に目を通し始めた。
「……何々、『犯人の異能力の詳細が判明。 犯人の異能力は体内発電による身体能力強化、放電等。 これにより、依頼書の危険度を「A」に変更。 報酬も当初の5倍とする』……なるほどねぇ、体内発電……ん……?」
すっかり興を削がれた思いで依頼書を流し読みしていたギミーは、最後まで読み終えてから初めてアルファベットの違和感に気付き画面を二度見した。
「……単純な肉体強化じゃなかったのか? それに、危険度「A」だって? ウソだろ……」
ギミーの額からじんわりと冷や汗が滲む。 危険度Aの依頼書といえば、下手をすれば一つの街が壊滅するほどの被害が想定されるレベルの難易度だ。 ギミーはこれまでA級の依頼書など受注どころか中身を開いたことすらなかった。
思惑が全くもって外れてしまったギミーは当然今すぐにでも踵を返して家に帰りたかったが、依頼書の最後の一文が彼の後ろ髪を引っ張っていた。
「……報酬5倍……」
それだけの大金が手に入れば、当分は生活に困らないどころか、今より2つグレードの高い部屋に住めるだろう。 先日通販サイトで見かけて2時間悩んだ挙句泣く泣く諦めた限定版のスニーカーだって全色揃えられる。
(それに、本当に捕獲相手の危険度はA相当なのか? 防犯カメラの映像や街での証言を聞く限り、奴は単なる腕っぷしのある大男で、そこまでの相手ではないように思う。 それに、こっちには先程サポートショップで仕入れた秘密兵器がある。 本当に奴の能力が体内発電だとしても、人間である以上は「コイツ」が効くはずだ。 居場所も把握している、うまく不意をつけば……)
そんな考えがギミーの脳内を巡っていると、突然前方の空がまるで昼間になったように明るくなり、巨大な光の柱が天へと昇っていた。 それとほぼ同時に耳をつんざくような雷鳴が轟き、彼の胃袋をひっくり返していった。
「……よし、帰ろう」
天へと昇っていく極大の雷撃を見てすっかり怖気ついたギミーは、すぐに回れ右してそそくさと来た道を戻り始めた。
依頼書の見立てに間違いはなかったようだ。 いくら報酬5倍といはいえ、あれほどの電撃を操る相手じゃ命がいくつあっても足りない。
先程曲がったT字路に差し掛かる。 するとその瞬間、後方から衝突音と瓦礫の崩れるような音が響いてきた。 気配を感じたギミーが咄嗟に振り返ると、巨大な黒い塊が物凄いスピードでこちらに突っ込んできていた。
「なぁっ!?」
驚いたギミーはすんでのところで転がるように身をかわした。 巨大な塊はそのままT字路の塀に衝突した。 衝撃で塀は派手に崩れ落ち、砂埃が舞い上がる。
「あ、危なかった……一体今のはなんだったんだ……?」
ギミーは地面に転んだままの体勢で、砂煙に覆われている塀を凝視した。 呼吸は大きく乱れ、心臓は激しく鼓動している。 パニック状態の思考回路で、ギミーは必死で先程の光景を反芻し分析していた。
一瞬彼の目に映った巨大な黒い塊。 何となくヒトの形をしていたように思える。
ギミーは冷静さを取り戻すとゆっくり身体を起こし、慎重に崩れた塀に向かって近づいた。 次第に砂煙も晴れ、徐々に塀へと突っ込んだ黒い塊の正体が明らかになる。 それを見て、ギミーは思わず目を丸くした。
「こ、こいつは……! ドーマン!?」
崩れた塀の中で倒れていたのは、ギミーが探していた捕獲相手、『体内発電』のドーマンだった。
次回は7/29の夜に投稿予定です!