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学生の話

 ――ここは妙だ。駆けつけ一杯をちびちびとやりながら、探偵は思った。


 BAR白昼夢は、本日も深夜開店である。店に来た時の記憶はやはりなかったものの、行こうと思い立つと自然に足が向き、気づけば店の前に立っていた。


 しかし、そんな事はともかくとしてもだ。やはりここは妙だ、それが彼の結論である。


 なにせ今、目を離した隙に、人が突然現れるのを確かに見たのだ。真横、というには少し遠いが、それでも距離的には一席か二席か離れている程度。歩いてきたのであれば足音がしない筈はないし、ましてドアのベルの音さえも聞こえなかった。ともあれ、唐突に、あまりにも短い瞬間に現れた彼女は、しかし所在無げに座っている。


 長い三つ編みが特徴的な女の子だ。背は少々低いが、背格好や雰囲気を見るに、大学生ほどだろうか。見るに、生真面目そうで、読書を好む、いわゆるインドアな方の学生をそのまま取り出してきたような印象であった。


 酒に慣れているといった風貌にはまるで見えず、ああ彼女も、招かれた人間なのだろうと探偵は結論づけた。はじめ、この"白昼夢"へと訪れた彼のように。


「お客様、ご注文はいかがいたしましょうか?」

「あ……ええと、その、あんまり強くないお酒で……」


 バーテンダーは何時ものごとく、女学生が初めから居たかのようにふるまう。彼女もまた、ぼんやりとした様子ではあるものの、しかし自分がそこにいる事になんら違和感は覚えていないようであった。


 短い沈黙の後、アルバートンはわずかにほほ笑み、シェイカーに手を伸ばした。


 何らかの酒と、酒ではない何か――色や、読み取れた文字からすると、トマトジュースだろうか。なんとも場の雰囲気にそぐわない品であるが、店主は気にした様子もなく、シェイカーの中へと入れて振り始めた。


 それは、まさに鮮やかと言う他ない手並みであった。小器用なもので、しかも身体の方はほとんど動いていない。この道五十年と言っていたが、なるほど伊達や大口という訳ではなさそうである。


 そうして混ぜ終わった酒は、カクテルグラスに注がれ、音もなくついと前に出された。女学生は、かなり赤々としたそれを興味深そうに見回した後、恐る恐るといった風に、カクテルグラスに指を添え、そして静かに口を付けた。探偵も、注がれていた酒の口をつける。


 そうして、おいしそうに赤いカクテルを半分ほど飲んだ後、彼女は不意に口を開いた。


「……これって、流行のお酒とか……ですか?」


 その言葉は、懐疑的な響きと、それから嫌悪感を帯びていた。わずかだが、確かに感じ取れるほどのものだ。探偵は飲んでいる風にグラスを傾けながらも、話の続きを聞こうと耳を傾けていた。


「はて。どこでも見るような、一般的なメニューですが。何か、気に入られませんでしたかな?」

「あ、いえ! その、美味しかったです……けど……はい。変な事を聞いてすいません」


 女学生はそう言って一層縮こまり、またちびちびと飲み始めた。その速度たるや亀のごとく、大して飲み口が早くない探偵ですら遅いと感じるのだから、対面しているアルバートンにはよほど遅く見えていることだろう。


 しかし、アルバートンは何を言うでもなく一歩横へと逸れ、グラスを磨き始めた。


「……すいません、変な質問、でしたね」

「いえ、然程は。ここのお客様は珍妙な方ばかりですので」


 そう言ってバーテンダーはこちらを――つまり、探偵の方をちらりと向いた。僅かな一瞬だったが、彼女もその視線を追って探偵を見た。必然、聞き耳を立てていた彼とは目が合う形となる。


 しれっとした態度でどうも、と山高帽を軽く上げてみせると、女学生もまた、軽い会釈を返した。


 一瞬の、気まずげな沈黙。恨みがましい視線をアルバートンに飛ばしたが、店主はどこ吹く風と言わんばかりに肩をすくめた。ため息一つ、探偵は女学生の方へ向き直ると、言葉を練りながら舌を回した。


「やあ、お嬢さん、横からの盗み聞きで申し訳ありませんが。流行りになにか含みでもおありで?」

「あ、う、その……わかり、ますか」


 ええ、と返すと、彼女は数分の間気まずげにあちこち見まわした後、観念したように口を開いた。


「その、私、流行りとか、全然わからなくて……」


 ゆっくりと、所々で言葉に詰まる彼女の話を、探偵は気長に待った。話下手な様子で、それでも話そうというのだから、何か言って遮るべきではないだろう。そんな彼の様子に、女学生は息を一つ大きく吸い、吐き、それからようやくまともに話し出した。


 "それ"を自覚したのは、中学校に通う生活にもなれた、二年生のころであったという。友人と、家族と、まるで話が合わず、いつの間にか、ほとんどだれとも話さない生活が始まっていたのだと。




 流行りに(うと)い――というのは、別段、おかしな話でもない。どこで生まれどう育っても、流行り廃りを気にしない人間というのはどこにでもいるもので、だからといって排斥されることもない。そういう面で見たとき、今の世界は比較的寛容である。


 しかし、それは彼女にとって、あまりにも大きいコンプレックスであった。 


 今時の、とくくるのは大雑把が過ぎるが、それでも若いうちは流行り廃りに敏感な傾向がある。まだ、自分の生涯をささげたいと思えるほどの何かに、出会えていないからかもしれない。だが、彼女のそれは度を越していると言ってよかった。なにせ、触れた事さえないというのだから。


 かつては華族だったといわれる名ばかりの名家という家庭環境か、そもそもそう言った物に興味を持てない本人の気質か。はたまたその両方かはさておき、結果として、彼女が流行りに触れる事はほとんどなかった。家族が友人を()()()結果、彼女にそうした流行や流行への乗り方と言う物を教えてくれる人も居らず、今の今まで至ったのだ。


 しかし、流行というのは、非常にわかりやすい話題である。天気の次に切り出しやすい、といっても過言ではあるまい。最近はパンケーキが美味いだとか、紅茶がどうこうとか、ともあれ話を広げるのには事欠かない。しかし、彼女にはそれが通用しないのである。


 まして、大学では県外からも多く人が寄る。完全に初対面の人と話す事も多くなり、しかし初めて話す彼女と円滑に話題を広げる手段が皆無となれば、自然彼女に近づくのは難しくなる。


 そうして彼女は孤立した。それは、家族が勝ってに取捨選択したとはいえ、一応友人がいた小中高の頃の比ではなく、彼女のパーソナリティを知る人間がゼロに等しかったのである。


 女学生の側から話を切り出すにしても、見ての通りの口下手に加えて、普通に友達を作る方法が分からず、さらに流行への乗り方も知らない彼女は、まるで話を広げられない。八方ふさがりの状態で、まともな話し相手を失った彼女は、ただ怯えていたのだ。自分の知らない"流行"の存在に。


 探偵としては、それほど気にする事かと思う。流行など知らぬ存ぜぬで押し通す者とて、趣味から繋がれば、友達の一人や二人は出来るはずだ。だが、気弱な彼女に、それをどう伝えた物だろうか。怯えなくて良いと。難しく考える必要などないと。


 そう思って首をひねっていた所で、ようやくバーテンダーが口を開いた。


「流行ばかりが人の全てではありません。流れ行く者あらば、とどまり続ける者もいる。あなたが後者なら、後者を探せばよいのです」


 女学生は小さくうつむいて、語られた言葉を飲み込むように、しばし沈黙した。それから、小さく頷くと席を立つ。彼女なりに、なにか思うところがあったのだろうか。


 支払いを終えて席を立つ彼女の背に、バーテンダーは笑いかけた。


「なあに、気長に行きなさい、時間はまだまだある、人生は続いてゆくものです」


 その言葉は、届いたのか、届かなかったのか。キィ、と扉の音。からんからんとドアベルが軽やかに響いて、涼しい風だけが残った。夢のように現れた彼女は、また足音なく現実へと帰ったのだろう。


 静まり返った店内で、グラスに残っていた酒をぐいと飲みほす。探偵は目を細め、バーテンダーの方を半ばにらみつけるようにしながら、ぶっきらぼうに口を開いた。


「……私を利用しましたね」

「おや、なんのことでしょう。さっぱりですな。はは」

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