聖女です。自分の生き霊を祓いに行ったら女装した王子でした。
「聖女アドリア様……どうか王宮にお戻りいただけませんか?」
「……わたくしは王宮を追放された身ですわ、宰相閣下。朝令暮改……すぐにその処分を覆しては、民に示しがつきませんことよ」
「はい、それは重々承知のことです……ですが……」
「くどい」
私はきっぱりと宰相閣下を制した。
「しつこい男は嫌われましてよ」
「はい……いえ……男として見られたい欲はもうないです……私の妻は完璧ですし……」
そうだった。宰相閣下は愛妻家として有名だった。いや、それはどうでもいいのだが。
正直、王宮には戻りたくない。
部屋は豪勢だった。庭は美しかった。料理は美味しかった。
しかしいつも息苦しかった。
誰かに監視され、誰かに陰口を叩かれ、そして誰かに蹴落とされて私は王宮を追放された。
私が神から賜った神託「西で虫により、農作物が壊滅する。対策を講じよ」は、王や宰相に届く前に揉み消された。
結果として私は西の危難を予言できなかった出来損ないの聖女として糾弾され、王宮を追放された。
「のろけはけっこう」
「失礼しました」
「……今更わたくしに王宮に戻り、どうしろというのです?」
「……出るのです」
「はい?」
「王宮から追放されたあなた様の霊が夜な夜な王宮を彷徨い出でるのです!」
「…………」
「…………」
私達はしばし沈黙した。
「私、生きてますわ、宰相閣下」
「はい……ですから生き霊か怨霊のたぐいかと……」
「いや、別に恨みとかそこまでありませんわ。正直、毎日お祈りするとか向いてなかったので、ありがとうって思ったくらい」
「ですが、皆怯えて仕事にならんのです……」
宰相閣下は困ったように声を絞り出した。
「あなたを蹴落とそうとした聖女ティーナはすっかり怯えきり、聖女を辞めて故郷に帰る途中で事故に遭い死にました。神罰でしょう。ティーナに協力し、あなたの神託を握りつぶした神官もそれぞれ怯えすぎて事故で怪我をしたり、情けないと高位貴族の細君に離縁されたり……まったく、妻に見放されるとは男の風上にも置けませんな」
「バカなの? あの人たち」
霊なんているわけないじゃない。バカバカしい。
……ティーナが死んでしまった辺り、神様は本当にいるみたいだけど。
「そこまで恨み深い女だと思われていたことにも失望してますわ、宰相閣下」
「聖女アドリア様!」
宰相閣下は一声叫ぶと土下座をした。
「あああああ、おやめください。やめて本当に。あなたほどの方がそんなことしないで。断りづらいことこの上ないから……!」
「お願いします! お願いします! お願いします!」
この宰相閣下、愛妻家でなおかつ土下座が有名である。
この土下座一本で地方の小役人の身から宰相まで上り詰めたとも噂されている。
いや、普通に有能な方だからさすがに土下座だけが出世の理由ではないと思うけど……。
「やめてください……ホントやめて……」
「お願いします! お願いします! お願いします!」
もはや「お願いします!」としか言わなくなった宰相閣下こそ、何かに取り憑かれているような気がしたけれど、もはや私には断る気力が無かった。
多分宰相閣下はこれから一日中でも土下座をし続ける。
最長で一週間土下座をし続けたとは有名な話だ。さすがに嘘だと思うけど。
「……分かりました」
「ありがとうございます!」
宰相閣下がバッと顔を上げる。顔が輝く。
「それではさっそく王宮の亡霊退治からお願いします! 聖女様!」
「亡霊……ね」
そんなものがいるのだろうか? 私は半信半疑で宰相閣下が用意した馬車に乗り込んだ。
ほんの一ヶ月すごしたあばら家を眺める。
さようなら、追放された時の退職金で買った私のお城。
「見ろ、アドリア様だ……」
「追放された失意で死んだのではなかったのか……」
「ではやはりあの幽霊は生き霊……」
王宮の者たちは私を見てヒソヒソと囁く。
これだ。こういうのが嫌だったから私は王宮をおとなしく辞したのだ。
ちらりとそちらに視線をやると、蜘蛛の子を散らすように去って行く。
「……わたくし、視線で人でも殺せると思われているのかしら?」
「あはは……」
宰相閣下は苦笑い。
そうこうしているうちに王の間に到着した。
「陛下! 聖女アドリア様をお連れしました」
「でかした宰相!」
国王陛下の馬鹿でかい声が響く。
「会いたかった! 会いたかったぞ、アドリア!」
国王陛下が私に駆け寄り、キツく抱擁する。
「た、ただいま戻りました……アマデオ陛下……」
つぶれそうになりながら、なんとかあいさつをこなす。
「すまなかった! 庇ってやれなかった! アドリアのことを疑った日は一度としてない! 信じてくれ!」
「あ、はい。それはもう存分に」
アマデオ陛下は私に甘い。ベタ甘だ。
ちなみに27歳になってなおまだ独身でいらっしゃる。
遊び相手こそいるようだが、なかなか妃を取らない彼は宰相閣下の悩みの種だ。
そういうわけだから、こうして抱きしめられ続けると困ってしまう。
「へ、陛下、そろそろお離しになって?」
「ああ、すまんすまん」
そう言いながら名残惜しそうに陛下は私を手放した。
背後からでも分かる。宰相閣下の目が痛い。
この二人やはりもしかして……? とかお考え中だ。
大丈夫です、宰相閣下、聖女は恋愛禁止です。
聖女アドリア二十歳、誰のものでもありません。
それにアマデオ陛下は……その……私の好みじゃないんです!
筋骨隆々、男らしいたくましさを持つ金髪角刈りのアマデオ陛下。
それに惹かれるご婦人も多かろう。
しかし私の好みはそっち系じゃない。
もうちょっと線の細い美男子が好みなのです……。
「さあ、アドリア! 積もる話があるのだ!座ってくれ!」
「はい……」
私はしずしずとアマデオ陛下の示したソファに腰掛けた。
アマデオ陛下と宰相閣下の話をまとめると、王宮に出る私の霊は政治を司る政務棟と陛下達のお住まいになる王族棟との間に出るのだという。
時間は日付の変わる頃、残業をしていた政務官達が見たという。
……そんな時間まで働かせているから幻覚でも見たのではないか?
私は思わずそう言いたくなったが、さすがに自重した。
「アドリア……どう思う?」
「亡霊などいるはずがありません」
アマデオ陛下の問いかけに私はきっぱり言い放った。
「そのものは聖女の格好をしているのですね?」
「ああ、君の着ていた最高位の聖女の証である純白の聖女服に身を包んでいるという。だから夜でもめっちゃ目立つとか」
「めっちゃ目立つ」
「あと、髪の色、君と同じ銀の長い髪をしていたとか」
「銀の長い髪……」
王宮に私の他にそのような者がいたでしょうか。
王族には今、女性がいません。アマデオ陛下の姉君が5年前に嫁がれて以来、王族は男ばかりになりました。
侍女達は髪を伸ばしっぱなしにはしません。いつも結い上げています。
いえ、寝るときはほどいているかもしれませんが、私のように腰ほどの長さのある髪をした侍女はそうそういないでしょう。
「……それ、普通に侵入者じゃありませんこと?」
私は思わずそう尋ねました。
「それだったら困るなあ」
アマデオ陛下は苦笑いをします。
「王宮の警備がそんなに穴だらけなら……君の霊だと思った方がマシだな!」
「それはそれで……」
私は渋い顔をしました。
「……分かりました。陛下、宰相閣下、誰でも良いので、兵士を何人か貸してください。本当に亡霊なら私の祈りで神の御許に返しますし、侵入者だったら兵士に捕らえさせます」
「宰相」
「はい、腕利きの者を用意させます……聖女アドリア様、いつになさいますか?」
「今夜です」
「今夜……ですか」
「ええ、今夜」
私は頷きました。
「善は急げと言いますもの」
自分の霊が彷徨っているなんて人聞きが悪い。
さっさと退治してしまうに限ります。
深夜、私の周りには兵士が5人、その中の一人はアマデオ陛下の幼馴染にして騎士の出世頭マヌエル様でした。
「……すみません、マヌエル様、このような些事にお付き合いいただき……」
「いえいえ、王宮の乱れは国の乱れ。さっさと解決しましょう、アドリア様」
「そうですね……」
マヌエル様はとっても真面目な方です。そしてアマデオ陛下同様ムッキムキです。
何度も言いますが、私、筋骨隆々の方はあんまり好みではない……を通り越して暑苦しいからちょっと苦手です。
「ここです。この政務棟の辺りで聖女の霊は目撃されているようです」
「では、潜みましょう」
「はい」
……………………。
暇!
暇です。おそろしく暇です。
何が悲しくてこんな深夜に王宮の庭の片隅で息を潜めていなければいけないのでしょう。
それもムッキムキの兵士5人に囲まれて。
とんだ逆ハーレムもあったものです。できれば、美男子がよかったです。線の細い系の。
「あ、あれを見てください。王族棟の方……」
兵士の一人が小さく声を上げました。
私は目をこらします。
いました。確かに純白の聖女服に身を包んだ銀の長い髪の誰かがそこにいます。
とりあえず私ではないですね。私はここにいるので。
「…………この不届き者おおおおおおおおお!」
「アドリア様-!?」
マヌエル様の驚愕を背に私は走り出しました。
聖女の霊が飛び上がりましたが、私はお構いなしに飛びつきました。
こう見えて鬼ごっこでは負け知らずでしたの私。
「捕まえましたわー!!」
聖女の霊の背中に馬乗りになりながら私は勝利の声を上げました。
「マジか……」
「マジだ……」
兵士の皆さんが驚愕にどよめかれています。
「政務官の野郎共の目はごまかせてもわたくしの目はごまかせません! あなたそれカツラね! しかもずいぶんと質が悪いわ! 安物ね!!」
遠目に見てピンと来ました。
というかこんなボサボサな髪を私だと思われていたなんてショックです。
いえ、ボサボサだからこそ怨霊とか言われてたのでしょうけれど……。
「うりゃっ!」
乱暴にカツラを取り払うと、ずいぶんと短い髪の毛が見えました。
アマデオ陛下やマヌエル様のような角刈りとまではいきませんが、ツンツン頭、くらいの金髪が見えます。男の方でしょうか?
「お顔を見せてもらいますわよ!」
私は彼の肩を引っ張り、ひっくり返しました。
そしてそこにあった顔は……。
「……レナート王子?」
アマデオ陛下の末の弟君、レナート王子の美少年顔がそこにはありましたとさ。
私は今、土下座をしております。
王宮の庭の片隅なのでマジで土に座ってますが、正式には土下座というのは相手は板とかの上に乗っていないと土下座にはならないらしいですね。礼儀とは本当に難しいものです。
いえ、そんなことはどうでもいいのです。
私が鬼ごっこ感覚で捕まえて馬乗りになった聖女の霊の正体はレナート王子15歳でした。
どうしよう……国家反逆罪で死ぬのかしら私……。せっかく追放されても悠々自適に暮らせていたのに……。
「あの、聖女アドリア、もういいので、僕、別に怒ってないので、自業自得だと思っているので、顔を上げてくださいませ……」
ボーイソプラノの素敵な声が私の頭の上に降り注ぎます。
恐る恐る顔を上げます。
周りでは5人の兵士がどうすればいいのだという顔でおろおろしています。
そして私の土下座先にはレナート王子。
美しい顔、まさに紅顔の美少年といった彼。
私が追放されるときに「こんなもん要らねえ!」と脱ぎ捨てていった純白の聖女服に、レナート王子は身を包んで立っています。
そしてよくお顔を見ると、化粧もされているようです。ですが……。
「僭越ながら、殿下」
「はい」
「口紅がはみ出ていますわ」
「はい……」
レナート王子がしょぼんとうつむかれます。あ、かわいい。
「頬紅の位置も左右でズレておいでですし、おしろいにもムラがあります」
「はい……」
どんどんとレナート王子の顔が暗くなっていきます。
「レナート殿下……よろしけば、わたくしめがお化粧を教えて差し上げますわ」
「え、いいのですか!?」
レナート王子の顔がぱあっと明るく輝きます。あ、かわいい。
「よろしいですとも」
私はにっこり微笑みました。
「殿下は素材が良いのですから、お化粧の仕方をきちんと学べばもっと綺麗なお顔になりますわ!」
「ほ、本当に? セレーナ姉上みたいになれる?」
セレーナ姉上とは嫁がれたアマデオ陛下の姉君です。もちろんレナート王子の姉君でもあります。
それはそれは美しい姫様として有名でした。
「なれますとも! レナート殿下は元からセレーナ様とそっくりですから。それに、私にお化粧を教えてくださったのも誰あろうセレーナ様なのですよ!」
「そうなの!?」
レナート王子の顔がさらに光り輝きます。ついでに語調が崩れてらっしゃいます。かわいい。
「はい、わたくし、セレーナ様には大変よくしていただきましたから……ですから、殿下、こんなことをしているわけを話してくださいますか?」
「…………」
レナート王子の顔が一気にふさぎ込みました。
「……とりあえず、僕の私室にいきましょう。えっとマヌエル以外の兵士はもうお役御免ですよね? 帰って構わない……ですよね?」
「はっ! お前達は先に戻っておけ! 今日見たことは他言無用! 漏れた際には全員に罰を与えるからそのつもりでいろ!」
「はいっ!」
マヌエル様の指示に他の4人は声を揃えて返事をし、風のように去って行かれました。
なんと統率の取れた兵士達なのでしょう。王宮も安泰ですね。
とりあえず私たちはレナート王子の私室にお伺いすることとなりました。
人が出払っています。厳重に警備されるべき王子の私室でこれは本来ならあり得ないことです。
きっとレナート王子が何か言い含めて人払いをしたのでしょう。
「……ええと、なんというか、その、僕……僕、綺麗になりたいのです」
「今でも十分綺麗なお顔ですわ」
「ありがとうございます。でも……なんというか僕って……自分で言うのめちゃくちゃ恥ずかしいんですが、美少年じゃないですか」
「ええ! レナート殿下は我が国が誇る一番の美少年です! 胸を張って生きてくださいませ!」
「聖女アドリア様、鼻息が荒いです。怖いです」
マヌエル様から忠告が飛びます。危ない危ない。
美男子にはまだ発育が足りませんが、私好みになりそうな美少年を前に少し興奮してしまいました。聖女、反省。
「その、僕は美少年ではなく……美少女または美人みたいになりたいのです……」
「なるほどぉ」
正直、自分でも何がなるほどなのか分かりませんでしたが、私は頷きました。
「はっ!? それで私の格好を選んだと言うことは私が美人だと言うことに!?」
「あ、いえ、聖女アドリアの格好を選んだのはたまたま服が捨てられてるのを拾えたからです」
「あっ……はい……」
聖女、早とちり。恥ずかしっ!
「えっと、自分は聖女アドリア様のこと美人だと思っていますよ」
マヌエル様のお世辞が心の傷にしみます。
「……その、ごめんなさい。いやですよね、勝手に男に古着を着られるなんて」
「いえ、特に服に愛着はないので、差し上げますわ。どうぞどうぞ」
「な、なんてからっとしてらっしゃるんだ……」
レナート王子はちょっと戸惑われました。
「……その、レナート殿下は……えーっと女性になりたいのですか?」
「いえ、あの……女性装をしたいだけで、女性そのものになりたいわけではないようです。好きな人も女性ですし」
「あら、好きな方がいらっしゃる! まあまあ」
私はマヌエル様の腕を揺さぶります。
「聞きました? マヌエル様! レナート殿下に好きな子がいるそうですよ!」
「聞きましたけど、主題はそこではないですよね?」
マヌエル様はどこまでも冷静ですね。さすが兵士です。
「ええと、話をまとめましょう。レナート殿下は女性のかっこうがしたい。セレーナ様みたいに美人に見られたい。でも、女性が好きで、なおかつ別に女性そのものになりたいわけではない」
「はい……」
レナート王子はうなずかれました。
正直、私には理解できない嗜好ではありますが、それを否定することなどできません。
人の望みを叶えるのもまた聖女の仕事ですもの。
「なるほど、ではとりあえず、お化粧をしましょうか」
「……怒らないのですか?」
「あら、何故怒る必要が?」
「……だって、僕は、僕の行いは王宮の人心を惑わせました。聖女アドリアにもマヌエルたちにも迷惑をかけて……」
「このくらい迷惑のうちに入りませんわ」
「そうですよ」
マヌエル様が口を挟みます。
「迷惑というのは、お城の塀によじ登って、走り回るようなあなたの兄上アマデオのことを言うのです!」
うーん、アマデオ陛下の破天荒伝説に新たな一ページが。
「悲鳴を上げて倒れる王妃様! 追いかける兵士達! 塀の上で高所恐怖症なのに付き合わされて半泣きの俺! ね! レナート殿下、自分がやったことがかわいく思えるでしょう?」
「はい……、すっごく……」
レナート王子、苦笑い。まあ、そうもなりますわね。
「ですから、聖女アドリアにすべてをお任せしましょう、レナート殿下。きっとことも収めてくれるはずです」
なんかしれっと厄介なことも押し付けられた気がする!
「……でも、僕は、やっぱり王族の男たるもの強さとたくましさを求めねば……」
レナート王子がそう呟かれます。
「何をおっしゃいますか! 聖女アドリア様を見てください殿下!」
「え、私?」
「あの、殿下を捕らえたときの勇姿! 今のそこそこ美しいお姿!」
「そこそこ、要らないでしょ、ねえ、マヌエル様?」
「強さとたくましさと美しさは両立できます!」
マヌエル様の言葉に力が入っていきますが、引き合いにされた私は少し不満です。ええ、不満ですとも。
「……確かに」
……レナート王子が納得されてしまいました。
いえ、レナート王子がそれでいいなら、いいのです。はい、すべてはレナート王子の幸せのためです。はい。
その後、私は自分の化粧道具でレナート王子のお顔にお化粧を施しました。
おしろいははたきすぎない。
口紅は慣れないうちは慎重に。頬紅はうっすらと。
はい、それはもうこの世のものとは思えない美しい美少女が爆誕しました。
「あー! かわいい! レナート殿下、ばんざーい!!」
「聖女アドリア様、うるさい」
マヌエル様が私に向ける言葉がどんどん雑になっていきます。
「あ、ありがとう、ありがとうございます、聖女アドリア……」
鏡を見て、レナート王子はうっすらと涙を浮かべられました。
「ああ、もう、私の化粧道具なんて、私が持ってても豚に真珠ですわ! 全部差し上げます!!」
「い、いいのですか!?」
「いいのです! もういいのです!」
私は化粧道具を全部レナート王子の腕に押し付けました。
「……何か困ったことがあれば、いつでもわたくしにおっしゃってくださいませ」
「ありがとう、聖女アドリア」
そうしてこの夜は私たちは王族棟を辞しました。
そして、このことをどう説明したのかというと……。
「おい、聞いたか。聖女アドリア様が亡霊を討ち滅ぼしたらしい」
「あれ、やっぱり亡霊だったのか! しかし、いったいその正体は……」
「なんでも聖女アドリア様の心に残った負のアドリア様が夜な夜な暴れていたそうだ」
「負のアドリア様……?」
「それをアドリア様は見事、祈りで鎮め、事を収めたとか!」
「それマッチポンプじゃね?」
……聖女に変な属性は尽きましたが、何はともあれ物事は解決しました。
ええ、解決ですとも。
さて、それからというもの私は王宮に戻って暮らしました。
聖女として日々お祈りをし、降りてきた神託はアマデオ陛下に直々にお伝えすることとなりました。
そんな日々をのんべんだらりと3年続け、正直そろそろ結婚とかして王宮を辞したいなーなんて思い始めた23歳の私の前に一人の美男子が現れました。
「……聖女アドリア」
ボーイズソプラノだったお声はすっかり低くなられましたが、その美しさは健在です。
筋肉もずいぶんとつかれましたが、ムッキムキにはなっていません。よかったー。
3年の間に周りの理解を徐々に勝ち取り、今ではドレスで王宮を歩けるようになったレナート王子18歳が金の長い髪をたなびかせて、私の前に現れたのです。
「あら、ご機嫌よう、レナート殿下」
「あの、これをあなたに……」
レナート王子が私に差し出してきたのはお化粧道具一式でした。
かつて私が彼に差し上げたものより高級な王族ご用達のものです。
専属化粧道具職人も王族から女性がいなくなって閑古鳥だったのが、レナート王子の女装のおかげで、仕事が増えて喜んでいました。
「あら、どうされましたの」
「3年前のお礼を、していなかったので……」
「そんなこと、気にしなくてよろしいのに……」
「どうか、受け取っていただけると嬉しい」
「そこまでおっしゃるなら、いただきますわ」
レナート王子から化粧道具を受け取りました。
それで話は終わりだろうかと思ったのですが、まだレナート王子は立ち去りません。
どうかされたのでしょうか。
「あ、あの、聖女アドリア、ご、ご結婚されるというのは本当ですか!?」
「えっ」
「えっ」
どうやら「結婚して聖女辞めてえ~」という私の願望が回り回ってレナート王子には結婚すると伝わってしまったようです。
「しませんよ。相手もいませんし……」
「あ、そうなんですね。よかった……」
「よくはありませんよ!?」
聖女の後進は育っています。まだ若いですがなかなかに有能です。
いつでも私は辞めて良いのです。
私だって結婚したいし、相手がいないのは不本意です。
「……そう、ですか。あの、その……ええっと……昔、言いましたよね、好きな相手は女性だった、と」
「ああ、そう言えば。好きな子って誰でしたの? やっぱりお城に出入りする貴族のお嬢さんとかですか?」
私、そこら辺には興味津々です。
「……あ、あなた様です」
「アナタ様?」
そんな方いらっしゃったかしら。
「聖女アドリア! 僕はあなたが好きだったのです! ずっと!」
「えっ」
またまたご冗談を……とは言えません。
レナート王子はとても真っ直ぐなお顔でこちらを見つめてらっしゃいます。
でも、私の好みは美男子で……美少年は守備範囲外で……ああ、いえ、もうレナート王子は少年という年でもなくなりつつありますね。
美男子、と呼んで差し支えないでしょう。
すっかり私がときめくようなお方になられました。
「こ、こんなドレスを着た男に告白などされても、嬉しくはないでしょうが……」
「格好なんて気にしませんわ。今日もよくお似合いですよ、その青色のドレス」
「あ、ありがとう……」
レナート王子はまっすぐ私を見つめました。
「どうか、どうか、この僕と……結婚していただけませんか、聖女アドリア」
「…………」
ああ、どうしましょう。
お答えして良いのでしょうか。
私が、この方と結婚しても良いのでしょうか。
許されるでしょうか?
……許されますわ。だってアマデオ陛下は私に甘いのですから。
「……はい、結婚しましょう、レナート殿下」
「……やったあ」
レナート王子はかつてのように目に涙を浮かべて私に歩み寄られました。
ぎゅっと大きな体が私を抱き締めます。
たくましく育たれましたが、細身のドレスが似合う体型を維持できるように日々努力されてらっしゃるのを私は存じ上げています。
この3年間のレナート王子の歩み、そのすべてが愛おしく、また尊敬できるものでした。
自分がその一助になっているのだろうなどとは、思い上がりも甚だしい思いですが、それでも少しは力になっていたと、そう願いたいものです。
私は彼の背に手を回しました。包まれているととてもホッとするお体でした。
それから半年後、諸々の手続きを終え、開かれた私とレナート王子の結婚式。
それは二人とも白いドレスを着た前代未聞の結婚式となりました。
周囲の反対もありましたが、アマデオ陛下がすべてから庇ってくださいました。アマデオ陛下は私に甘いのです。
そして我らがセレーナ様がかわいい末の弟のお祝いのために嫁ぎ先から、はるばるお戻りになりました。
「……あ、姉上、僕、綺麗でしょうか……」
恐る恐る尋ねた長身のレナート王子に、記憶に残った姿より少し老けたセレーナ様は微笑みかけました。
「ええ、まるで若い頃の私みたいよ、レナート、綺麗だわ」
そのお言葉に、私は何だか一つの大きな仕事が終わったように感じました。