第二話 遠すぎた始まりの街
主人公の描写は次当たりでします。遅くて申し訳ない。
俺の名前は照星 無限。どこにでもはいない普通の親不孝ニートだ。そんな俺が年に十人の転生者に選ばれたのは、僥倖としか言いようがない。俺は幸せに異世界ハーレムを満喫する。
…………はずだった。
「うわああおあああおああ!!!」
今俺が何をしてるのかって? 絶賛巨大熊に追われてるところだ! よく見たら体の表面に鉱石みたいなのが浮き出てるし、絶対にただの雑魚じゃない! 死ぬ死ぬ! 殺される!
「いや、俺は最強スキルを貰ったんだ。あんな熊ごときに負ける訳ない!」
くるりと熊に向き直る。そうだ、あのカードは本物だ。今や俺は無双の剣を振るい、古の雷魔法を放てるのだ!
「知恵の輪! あいつは何だ!」
おっと、その前にやはり一度こいつに確認を取らなくては。
《はい、あれは鋼鉄熊です。体表が非常に硬く、城塞を吹き飛ばすほどです。ご注意を》
「城、塞?」
……いや! 俺は一騎当千の最強勇者。城塞の一つや二つ破壊する熊ごときに、負けるはずがない!
すう、と深く息を吸い込み、俺は雷魔法を試す決心をする。おお、頭の中にカッコいい文字列が浮かんできた……!
「雷華 豪輪!!」
文字列の中の強そうな奥義っぽいやつを唱えると、俺の手から無数の雷が放たれ、収束し、最後に花弁のように雷が咲き誇った。
「かっ、けえ……」
思わずため息をついてしまう。技名もそうだが、こんな見た目も性能も素晴らしいスキルを与えてくれた神に俺は感謝した。
そう。スキル自体は恐らく問題なく発動し、その効果も十分な物だったのだ。ただ一つ問題があるとすれば、それは目の前の鋼鉄熊が倒れていないことだけだった。
「嘘だろぉ……」
やはりここは平和に見えてとんでもない場所だったのだと、俺は確信を深める。体に多少の焦げを作りつつ立ち上がった熊の形相は、それはそれは恐ろしいものだった。
「知恵の輪ぁ! 今こいつに与えたダメージはどのくらいだぁ!」
涙目で俺は訴える。せめて半分くらい削れててくれよ……。
《はい、ただいまの攻撃が対象に与えたダメージは、およそ一パーセントです。ご注意を》
「ご注意をじゃ、ねぇぇぇーー!!」
言って、猛スピードでその場を離れる。
後ろからは鋼鉄熊が草原を踏み鳴らしてこちらに突進してきている。たいそうお怒りなのだろう、雄叫びを上げながら。
「一、一パーセントって……! 嘘だろ! 誰か嘘だと言ってくれぇ!」
俺の目からは涙がドバドバと溢れ出す。理不尽だ! 最初の到着地点でこんなに強いモンスターと当たるなんて!
後ろからはドシンドシンと、鋼鉄熊が草原を踏み鳴らして近寄ってくる。あれ? おかしい、俺の俊敏ステータスはAだったはずだ。何でこんな鈍そうな熊に差を詰められて……
「あ」
気づいたときには、もう鋼鉄熊は俺に飛びかかり、俺はその巨体の下敷きに――――
「はっ!?」
飛び起きるとそこは、忘れもしない、真っ青な空とふわふわの雲でできた、天界だった。
「俺は死んだ……のか?」
どうやらそういう事らしい。天界の穏やかな日差しに当たりながら、これは異世界死亡RTAの記録を塗り替えてしまったかな、なんて呑気な事を考える。
「いやいや! どうなってるんだよ!? 俺は今どういう立場なんだ?」
そう、そこが重要なのだ。おればこれからあの異世界に帰れるのか? 生き返りOKなのか?
「……どうやら、死んでしまったようですね」
その甘い声がした途端、景色が桃色に染まったように思えた。超絶美女神、エリファがそこに立っていたのだ。丸い頬は見ただけでもふにふにしていると分かる。
「は、はい。申し訳ございません……」
俺は急に敬語になり、しょぼくれながらそう返す。期待を裏切られて、さぞかしガッカリしているだろうなあ……。
いいんですよ、と女神は微笑し、
「ではこれからもう一度門を開けます。次は死なないよう、頑張ってくださいね?」
「え!? い、良いんですか!?」
驚きのあまり叫んでしまう。何度でも生き返って良いだなんて、何て優しい女神様なんだ!
「ええ、ええ。失敗は誰にでも訪れます。しかしそれを克服した先にこそ、真の成長があるのです」
天使…………! 思わず手を重ねて拝んでしまう。目の前のこの子は、なんと容姿だけでなく性格も最高だ。天は二物を与えずと言うが、天自身は例外だったらしい。
俺はエリファ様に感謝の言葉を伝え、再び金色の扉へと足を進める。いや、その前に一つ聞いておかなくてはならない事があった。
「あのー、エリファ様」
何でしょう、とエリファ様が笑みを崩さずに言う。
「先程とても強い熊に殺されたのですが、俺は一体どんな魔境に飛ばされたのですか?」
これだけは聞いておかねばなるまい。もしエリファ様が間違って魔王の城の前の草原に飛ばしていたりなんかしたら、俺の命はいくつあっても足りやしない。もうあんな目に会うのはごめんだ。
エリファ様は少しの間考え込んで、
「おかしいですね、貴方を転送したのは始まりの街、アッドの周辺の草原のはずですが……。そんなに強い熊がいるとは知りませんでした、ごめんなさい」
「いや、いいんですよ! 全然。俺の力不足だったんですから!」
ああ、いい子だなあ……。熊の事を知らないという事は、やはりあれは特例中の特例、イレギュラーだったのだろう。それにしたって俺が力を使いこなせば倒せるはずなので、気にしない事にした。
再度扉の前に立ち、門を開く。仕切り直しだ! 俺の異世界英雄譚はここから始まるのだ!
「では、言って参ります!」
またも意気揚々と宣言し、俺は扉の中へ吸い込まれていく。視界が闇に覆われた。
……後に残されたのは、可愛らしい女神が一人。彼女は無限が門をくぐったのを見届けると、唐突に指を鳴らした。
パチンという音とともに、今まで見えなかった丸いドーム状の家が現れる。両端に翼のエンブレムがついていて、いちご大福のように、白い外装の中で扉だけが桃色になっている。
女神エリファはその家に入り、バタンと扉を閉める。見れば、中には豪華な家具に豪華な食事、テーブルの上には最高級の紅茶がはいったティーポッドが置かれていた。
三メートルはあるであろう巨大な赤いソファーに腰を下ろし、女神エリファは身を震わせる。そして、まるで今まで我慢してきたものを一気に開放するように――
「あーはっはっはっはっは!」
大きな声で笑いだした。
「ひー、ひー。何度見ても最高だわ! くくっ……、俺の力不足です! って! 地上ではあんなに泣きわめいて逃げ回ってたのに、カッコつけちゃって!」
くくく、と笑いが止まらないのか、エリファは声を立てる。
「これまでにここに来た人間は、みーんな同じね! 意気揚々と旅立って、最強スキルに興奮しては、簡単に死んじゃって落胆する! それでも気を取り直してこう言うの。『女神様、すみません……』って! あー最高!」
意地悪な笑みを顔に張りつけてエリファは言う。
「みーんな最初は気のせいにするわ。けど後で否応なしに気づくことになるの。自分が難易度最強最悪の異世界に来たことにね!」
心底楽しそうに笑うエリファ。
「さーて、今度はどんな茶番劇を見せてくれるのかしら」
言ってエリファは紅茶を一口すすり、部屋に置かれた水晶を起動する。そこには、奇怪な猛獣に追われる無限の姿が映っていた。
おかしい、やっぱりおかしい。俺は首が三つあるライオンの様なモンスターに追いかけられ、全力疾走しながら思案する。どう考えたっておかしいのだ。こんなのが始まりの街周辺のモンスターか?
普通はスライムだったり、弱めのゴブリンだったり、せいぜいが普通の熊モンスターって所だろう。だが後ろにいるコイツと来たら、もう絶対にそんな可愛いレベルのモンスターではない。
「おら! 『剣閃』!」
俺の華麗なる剣技は三つ首ライオンの目に命中。悲鳴を上げ苦しがっているようだが、どうせすぐ起き上がってくるだろう。
「おい知恵の輪! 始まりの街までの安全なルートを出してくれ!」
仕方ない、作戦変更だ。こんな奴に構っていたら日が暮れるかその前に死ぬかだろう。俺は手っ取り早く街まで逃げることにした。
《はい、街までは直線距離にして約一キロメートルです。ただいま安全性の最も高いルートを表示中です》
その言葉通り、すぐさま俺の視界には地図の様なものが現れる。見る限りピコピコと点滅している赤い点が俺で、街までの青いラインが安全なルートって事か……。
「っておい! この青いライン、五キロメートルはあるんだが!? どんだけ遠回りしなきゃいけないんだよ!」
おかしいおかしいおかしい! 罪の無いナビにぶちギレながら、俺の中の疑念は深まってゆく。つまり、ここ周辺はあり得ないほど危険にまみれているってわけだ。これはもう偶然を通り越して異常。エリファ様を疑いたくはないが、何らかの作為すら感じる。
「ゴルフォアアアア!!」
「許して下さい俺は食べても美味しくないですからー! 根が腐ってるんで!」
迫り来る三つ首ライオン。逃げ惑う俺。バカな、話が違い過ぎる! 追いかけてくる美少女。笑いながら逃げる俺。二人砂浜で……ってのが、お約束だろうが!
――――それから五時間が経過した。
全身で酸素を求めて喘ぎながら、俺はようやく着いた街を見上げる。道中百匹ほどの猿の集団や、謎のゴーレムや、浮いてるマグロに追いかけられたりしたが、今は昔。未来だけを見据える俺には関係の無いことだ。
「ごめんくださーい!」
閉じきった城門に声をかける。始まりの街がどんなものかと思えば、周りをぐるっと分厚い石の壁で囲われていて、見ただけで堅牢と分かるどちらかと言えば要塞だった。中でも一際分厚い鉄の城門は不気味ですらある。
「はいはい。合言葉は?」
「え?」
思わず間抜けな声が出る。城門の向こうから声がしたかと思えば、知らない合言葉を尋ねてきた。
「え、えーと……、すみません、旅の者なので、何のことだかさっぱり……」
「うーん、困ったなあ……。過去に人間のフリをした化け物が入ったことがあってねー。ここのチェックは厳重に行わなければならないんだ」
なにそれ怖い! けど、ここで引き下がる訳にはいかない。
「そこを何とか! 入れて貰えたら身体検査してもらって大丈夫なんで!」
「弱ったなあ。分かった、今適任の人を呼んでくるよ」
適任? 城門を開けるのに、適任がある人なんているのか?
少し待っていると、城門が軋みながら開く。中から出てきたのは、初老の刀を腰に差した男だった。白髪混じりの髪に裸足で、黒と灰色の着物を着ている。
「あいよ。お前さんがもしかすると魔獣、ちゅー兄ちゃんかい?」
「俺は本当に人間ですよ!」
ほら、ほら、と角度を変えて怪しい角や尻尾なんかが無いことをアピールする。
「ふーん、まあいいや。よし兄ちゃん、一戦やろうか」
「今なんて?」
なんだ、この老人は何を言っている? 初対面の人間に一戦やろうだなんて……。
「不思議そうな顔してんなぁ。大丈夫、俺は一戦刀を交えればそいつが何となく分かんのよ。ほれ、その腰に下げてる立派な剣出しな」
言って、男は転生時に貰った琥珀色の剣を指差す。
「変わってるけど、そういう事なら仕方ねえ! 俺の名前は宮本武蔵! 天下無双の剣豪だ!」
調子に乗って偉人の名を使い名乗りをあげる。人間相手なら俺の剣技は無敵だろう。
「よーし、威勢が良いのは好きだぞ? じゃ、始めようか」
男と俺は構える。当然俺は剣の素人だが、スキルのおかげでどんな構えが良いのかは分かった。二人の間に緊張が走る。
草原に吹く一陣の風が、始まりの合図だった。
「うらぁ! 『剣逆鱗』!」
「無天流『鵲』――」
剣と刀が激突する。俺の荒ぶるような技に対し男の放つ技は静かで、気付いたときには俺の体は浮き上がり、そのまま地面に受け身をとっていた。
「まじかよ」
驚愕だった。このじいさん半端じゃなく強い……。スキルで剣技を極めている俺だからこそ分かる。あれは人外の領域だ。今更ながら、天下無双の宮本武蔵はやり過ぎだったと赤面する。
「はっはっ、若いなあ。衛兵殿、安心してくれ。この坊主は人間だよ」
言い残して男は去っていく。名前を聞きたかったが何だか癪なので、知恵の輪に後で尋ねることにする。俺って小さい男……。
「悪かったね、君大丈夫?」
門から顔を覗かせたのは優しそうな若い男だった。俺は恥ずかしくなりつつも応対し、門のなかへと入れてもらおうした、その時だった。
「ちょっと、そこで何もたついてるの?」
凛とした声に振り向く。見ると、そこには目を奪われるような美少女が一人。煌めく銀色の髪をポニーテールにして結び、碧色の目は強い意思を感じさせる。対して服装は少女には似つかわしくない、無粋な錆びた鉄の鎧を着込んでいる。
「ちょっとあなた、どいてくれない? 私は忙しいの」
少女の立ち姿に目を奪われていると、迷惑そうに門の端に追いやられる。なるほど、ツンデレか……。
引きこもり生活のギャルゲーで鍛えた観察眼は伊達ではない。俺は即座にこの子の属性を見抜き、これから始まる異世界生活に希望を持ち直すのだった。