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歴史とDNA

回族と弥生人

作者: とびうお君

 稲作についてロングランで受けてる。最近ハプロで新しい事実が分かったので絡めて書いて見る。日本人に特異なハプロとしてD1A2がある。元々はD1Bだったんだけど、最近アフリカで古いDが見つかったため、全面的に見直しになったため変更になった。だが韓国を含めるとこれも稀有だと言うのがO1B2になる。


 これ多分中国発だが元の中国では皆無なので謎のハプロになってる。だが最近回族の集団を調査してて全く別の意図で調べていたら江蘇省の回族が多く住む場所で大量のO1B2を父系に含む集団が見つかった。ただこれちょっと難しい目的意図が全く別なのでそれを理解し無いと多分納得できない。


 この調査の意図は回族が西方のイスラム集団の子孫なのか?調査するためだった。当初この調査は全くその傾向なしで終ったのだが、サイド調査したらわんさか西方のYハプロが出てきた。何故失敗したのか?と言うと、偏った集団を調べてしまって大半が漢族にありがちなハプロで絞められていたからになる。


 だが中国各地の集団大半調査したところ、かなりの量の西方Yハプロを含む集団がわんさか見つかってやはり回族は西方イスラム集団の混血した子孫だと判明した。これだけならO1B2と何の関係があるんだ?となる。この大量に調査した地区の1つが江蘇省の回族集団だったと言うわけだ。


 ただ核DNAによる調査ではさほど強い西方集団の影響が認めらず偏った父系ハプロだけの存在から男性の移住者によるものだと判明したのだが、多くの集団で地元の集団との混血が見られるため、そこで過去に江蘇省いたO1B2が奇跡的に残ったのではないか?と私は見ている。以前自論と事実の区別がつかないといわれたので、今回はこれは見解になるけどとなる。


 それというのも別の調査でこの集団同じ宗教集団と結婚しやすい。その過程でそれが絶対では無いから周りの地元集団と混血していったとなる。そしてその性質は混血相手の古いハプロを残しやすい理由ともなる。


 過程に過ぎないが、この点からO1B2が中国で消えてしまったのは歴史時代になるのではないか?と予想される。以前から言われていた古代にO1B2は移住したから居ないのではないか?だがこれは違うと思われる。比較的近年までいたのだが、父系として消滅してしまっただけだと見ている。


 さてこれに問題点だが、イスラム教で有名なのがベトナムのチャム族になる。ベトナムのどの集団にいるのか?分からないが、ベトナム人はO1B2が韓国人についで多く出る。チャン族の移住者じゃないのか?


 これについては別の調査でこの付近は海洋ルートで来たイスラム教徒が多いためどの地域もチャン族の影響が考えられる。だが特にチャン族に近い集団があるわけじゃないらしい。もっと南に多くの回族の地区があるのに何故ここだけ?となるとおかしいので多分江蘇省に住んでいたO1B2集団と混血したイスラム教徒だったと思われる。


 さてここから稲作に移る江蘇省から来た集団が弥生人だったのか?であるが、私は違うと思ってる。何度も指摘されるが、このあたりの考古学的な稲作の道具とあまり重ならない。直接来たのではなくて北方に移動して半島ルートだと見ている。後無文土器の問題があり、あれは明らかに北方ルーツで江蘇省から来た集団と言うのはおかしいとなる。


 稲作の北限から否定されることが多いが、北朝鮮周りではなくて、遼東半島と山東半島を渡るルート出はぎりぎり稲作の遺跡が見つかっている。


 以前陸稲の話をしてしまったが、今ではこれには強く否定的。日本の陸稲は弥生前に別に来た可能性が高い。取りあえずこれは謎にしておいたほうが良い。それと言うのも中国の稲のDNA調査で陸稲栽培は遅かっただろうと見られていて、かつ韓国の遺跡調査から陸稲の物とは考えにくいとの調査が出ていて、過去のエッセイでそれについては触れている。


 おそらく山東省に居た集団が山東半島から遼東半島にわたって半島南西側に南下してきた集団が弥生人だと思われる。元は江蘇省あたりに他集団だと思われる。稲作の北限が歴史時代前に北上したのが分かっていて、その流れで山東省にまでO1B2が広がったと者と思われる。北方に多いのは、なんらかの事情でO1B集団として移動した時に割合が北方の方が多かっただけと見ている。


 それと言うのも日本以外ではO1B2はそれなりに高いO1B1とセットで見つかる事が多いから。


 おそらく母系からN集団と混血してるのだが、これがいつの時期か?と言うとややこしい。そもそも稲作の北限が広がった時期に山東省では高いNハプロの古人骨発見される。後から稲作で北上したO1B集団と元から居たN集団がすでにいたためここで混血したと私は見ている。無文土器の関係から遼東半島での混血が考えられなくも無いが、2重に混血していてもおかしくはない。


 どうしても日本は南方言語より北方言語の集団と近いと見られている。チャンポン的な混成言語っぽさがはあるが、ベースは北方言語だと思われる。その点弥生時代に混血していきなり変わるか?と言うのも変なので、元々山東省は北方言語の地域で後から南方言語族が北上したのじゃないか?と見てるから。だから遼東半島にいって突然言語が大きく変わったのじゃなくて、最初から似てたのじゃないか?と見ている。


 今回の発見がある前から弥生人が南方ルーツであるのは確信していた。元々O1B2は北方で変異したのじゃないか?といわれていたが、稲作の関係から関連付けられて中国南部から移住が定説になっていた。だが実際は南部にはO1B2は残ってない。かなり弱い論だったのだが、それより下戸遺伝子が南部に偏ってるって点の方が重要だった。


 そのため韓国より下戸が多いのがかなり説明が苦しい。だから北方系が多い韓国より日本の方が中国南部系の遺伝子が濃いのを示している。韓国の北方系が直接来たのではなくて、太古に北方系が流入する前の南方系が濃い集団が日本にやってきて、後から北方系によって韓国人は下戸が減ってしまったと見ている。


 かなりの割合のO1B2集団が江蘇省で見つかったことにより、この地域ではO1B2集団が歴史時代までいたが父系としてはO2が優勢となり現代では消えてしまったと言う事だろう。北方集団との混血が著しいが中国南部から徐々に北上した集団が最終的に半島南部にたどり着いたと見て良いだろう。


 ただし山東省の前にそもそも北方の遺伝子は東南アジアまで広がっているため稲作の北上の前から中国南部では北方系の形質を示していたことは古人骨から分かってるので、北方の母系ハプロのルーツは江蘇省から混血していたからだと思われる。


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