五射目 「絆無き町」
「誰もが互いを信用していない町」
カナは自分の違和感を言葉にするならこの言葉以外には見つからなかった。
先ほどから宇佐美の話しかけた人たちはみんな嘘をついている。カナにはそう思えて仕方なかった。
カナに確証は無い。だが今まで人の顔色を窺う事が多かったためか、人の表情を感じ取る事がある程度得意になってしまっていた。
「とにかく今日の宿を探そう、考えるにもまずは落ち着ける場所が必要だ。雨も降りそうだしな」
宇佐美がそう言って歩き出すと同時に空から水滴が一つカナの顔に落ちてきた。空を見上げると今のカナの思いを映し出すような暗い空が広がっている。
「はい……」
宇佐美の後をゆっくりと歩き出すがカナの気分は暗く沈んだままだ。
宿を探し道を歩く二人の間に会話はない。二人の心には先ほどの違和感がべったりと……糊のように張り付いてしまっていた。
やっと宿らしき看板が見えたと思った途端に兵士の怒声が耳に飛び込む。
「いいか? 今週中に払えなきゃこの店をぶち壊すからな!」
兵士が気弱そうな中年の男の首元を掴みあげている。男は虫も殺せないと言った顔つきをしており、兵士に掴まれて体を震わせている。
「はい……今週中にはなんとか……」
男は何とか声を絞り出しているようだった。兵士たちが立ち去った後、男はため息を一つ吐いたあとこちらに気付き近づいてくる、やっと来た客を逃がすまいとしてかは分からないがその様子は必死そのものだ。
「お客様ですか? 大変お待たせしました!」
男は息を切らしながら、深々と頭を下げた。身なりは上等とは言えないが、それなりの物を身に着けているような感じがする。
「何日か泊りたい、部屋は開いてるか?二部屋借りたいんだ」
指を二本立て宇佐美は自分の意志を強く伝える。
「二部屋? 何でですか? 一つの部屋に二人で泊まればいいじゃないですか」
カナは首を傾げ宇佐美に尋ねた。部屋をわざわざ二つ取る宇佐美の意図が鈍感を極めたカナには分からない。
宇佐美はひどく呆れた。今の宇佐美の表情を見ればどんな人間でも分かっただろう、この男はどうしようも無く呆れている……と。
もっともカナには分からなかったが。
「お前なぁ……年頃の娘が男と簡単に同じ部屋に泊まるとか言うなよ……」
ため息まじりにうなだれた宇佐美を見ながら、カナは自分なりに宇佐美が部屋を分けたがる理由を考える。
ーーなんで宇佐美さんはこんなに部屋を分けたがるんだろう……?
「あっ!」
カナは手をポンと叩く。これしかない! 宇佐美が自分と部屋を分けたがる理由はこれしかない! カナは何かに打ち勝ったかのような満足感を得ていた。
「分かりましたよ宇佐美さん!」
宇佐美は安心し顔を上げた、いくら鈍感な娘とはいえさすがに分かったろう……宇佐美はようやく気を緩められた。
「そうか分かってくれたか……」
「もちろんですよ! これ以外に考えられません! 昨日私のいびきがうるさかったから! ずばりこれですね!?」
カナの脳細胞を全投入し二分三十五秒考えた結果だった。
「違うんだよ……そうじゃない……そうじゃないんだ……」
宇佐美は手を顔に当ててさらに呆れた。宇佐美はまるで宇宙人と話しているような感覚に陥る、ここまで話が通じないのも珍しい。
「あの……申し訳ありませんが、お貸しできるお部屋は一部屋のみとなっておりますが……」
声をかけるのをためらっていた店主がすまなそうに言った。店主は宇佐美の言いたいことを理解していた、理解していたがゆえに声をかけるのをためらったのだ。カナを気遣うもその思いが全く伝わらない宇佐美があまりに不憫に思えてならない。
「そうなんですかーじゃあしょうがないですね!」
カナが無邪気に言う。三人の中で状況を一番わかっていないのが、一番気遣われている当の本人とはなんと皮肉な事か。宇佐美が周りを見渡しても、他に宿屋は見当たらず雨もぽつぽつ降り始めていた。
「はぁ……わかったよ」
今回宇佐美は諦めた。
だが次回こそはきっちり二部屋に分けようと人知れず決意していた。
「では、こちらです」
店主に案内され部屋へ向かう、小さいながらも建物はしっかりとした造りのようだ。
歩くたびに床がぎいぎいと音を立て壁はくすみ天井には蜘蛛の巣が張っているが。
廊下を歩いていると、柱の陰に小さな女の子がいるのを見つけた。
「娘の信織です、ほら挨拶しなさい」
女の子はじっと、二人を見ている。
「こんにちは……」
ぺこりと頭を下げて店の奥へと行ってしまった。
「すいません人見知りなもんで……ああ申し遅れました。私はこの宿を経営しております、尾長と申します」
尾長は改めて二人に頭を下げる。
「尾長さん、娘さんは今おいくつなんですか?」
「はい、今年で五つになります。妻は信織が生まれてすぐに病気で亡くなってしまいましてね……そこからは、男手一つで何とかやってます」
「そうなんですか……お母さんいないんですか……」
カナの表情がにわかに暗くなる。
それは自らも両親がいない事を思い出したからだった。
尾長はそれに気付いたのかもしれない、話を変えるように少し大きな声を出した。
「すいません暗い話をしてしまって。お部屋の方はこちらです」
案内された部屋は少し狭いがベットが一つ大きめのソファーが一つテレビにシャワーと必要なものはあらかたそろっていた。
「お食事は後ほどお持ちします。御用がありましたら何なりとお申し付けください」
頭を下げ部屋から出て行こうとする尾長を宇佐美が呼び止めた。
「ちょっと待ってくれ、この町について聞きたいんだが」
尾長の顔が青ざめた。
「この町は、素晴らしい町ですよ! それもこれも……」
お決まりのセリフを言おうとする尾長を宇佐美は自らの言葉で遮った。
「俺たちはこの町の人間じゃない。何があるのか知らないがあんたに危害が加わることはないようにする、だから教えてくれこの町について」
「しかし……」
尾長は考え込んでしまった。
宇佐美たちには分からないがここで余計なことを喋りもし万が一にでも軍に知られればどういう目に合うかを尾長は十分すぎるほど知っていた。
「お願いです! 信じてください!」
カナはまっすぐに尾長を見た。
「信じるか……そんな言葉とはもう縁がないと思っていたよ……けど不思議と君をを見ていると信じてみようという気持ちになる……」
尾長は悲しげに笑った。
「なら、話してくれるんだな? この町について」
ついに観念したのか宇佐美たちに背を向けドアの方を見ながらぽつぽつと尾長は話し出した。
「これから話すことは、私の独り言だと思ってください。この町は『通報制』を採用しています」
「通報制? なんだそれは?」
カナはもちろん宇佐美にも聞きなれない言葉だ。
「統括官や管理官また現体制に対する不満を漏らしている人間を誰でも通報できる制度です」
しゃべり続ける尾長の背中は震えている。
「なるほどな、昼間の奴はそれでか……でもメリットはあるのか? 余程の事が無ければそんな事しないだろ? 統括官や管理官の不満を言うとするならかなり親しい間柄に絞られるはずだ……家族や親友とか」
ここで尾長は宇佐美たちの方に向き直った尾長の表情は暗い。
「あるんですよ、それもどでかいのがね……たとえ親友や家族を売ってでも得たいメリットが」
「通報した人間には、褒賞金が出るんです一人につき100万です」
尾長は右手の指を一本立てた。
「確かにまあまあな額だが……」
果たしてそれだけの額で家族や親友を軍に売るのか宇佐美には分からなかった。
「何より、質が悪いのはこの町では軍が様々な物の値段を決めていますが、あらゆるものが高いんです治療費や物価……税金なんかもね、とてもじゃないが普通の稼ぎじゃ暮らしていけませんよ」
「物価を釣り上げて通報制を使用せざるをえない状況を作ってるのか……」
宇佐美は軍のやり口の汚さを知っていたが改めて聞いても反吐が出るようだった。
「だからみんな、他人の粗探しに必死ですよどんな些細なことでも不満を漏らせば即通報されます。だから段々と本音を話す人もいなくなりました……親だろうと親友だろうとね……この町に信用という言葉はもうありませんよ……」
「この町の支配体制は何となく掴めたな、通報された人間はどうなるんだ?」
先ほどの男はどうやらどこかに連れていかれたようだった。宇佐美はあわよくばどこに連れていかれているのか知りたいと考えていた。
「通報された人間は、その場で殺される事もありますが、多くは統括官のところに連れていかれます生きて帰ったものはいませんが……」
尾長の発言に少し落胆しながらも宇佐美はもう一つの疑問を解決にかかった。
「そうか……最後に一つ、町で何人か腕に腕章みたいなのをつけているのがいたがあれはなんだ?」
町の中でちらちらと見かけていた腕章を付けていた住人の事が宇佐美は気にかかっていたのだ。
「あぁ……ええと……あれは……過去に通報したことのある人間ですよ、付けているとあらゆる物の値段が半値になったり、兵士の標的にならずに済むんですよ」
少し口ごもりながらも尾長ははっきりとそう言った。
「話してくれてありがとう」
宇佐美は尾長に頭を下げた。
「いえ……では失礼します」
尾長が部屋を出て行った後、カナは宇佐美に声をかけた。
「ひどいところですね……でも尾長さんはいい人みたいで良かったですね! 腕章つけてませんでしたし!」
「ああ……そうだな」
嬉しそうに笑うカナに宇佐美は言えなかった。
尾長はまだ何か隠しているような気がするなどと。