7話 あっ、こら! 逃げるな!
アンディール魔術学園には幾つかのクラスが存在する。
1組から順に8組まで分けられた生徒たちはそのクラスの連中と共に自らを高めあう。半期毎に行われる定期試験にて、そのクラスの成績上位者10名は一つ上のクラスに昇級することができ、逆に成績下位者10名には一つ下のクラスに降級させられてしまう。
だからこそ生徒は全員、死に物狂いで勉強する。
優秀な魔術師を輩出することを目的とするならば、これ以上優れた仕組みもないだろう。考えた奴はよほど性格が捻じ曲がっていたに違いない。
……話を戻そう。
そうして分けられた8組のクラスで生徒はそれぞれ毎日勉学に励む。
8組から5組は西校舎で。4組から1組の生徒は東校舎で。
現在、4組に所属している俺は東校舎。
つまりここは学園内において、優秀な生徒が集まる校舎ということになる。ちらほらと眷属を連れている生徒が散見されることからもそれは伺える。
とはいえまあ……
「る、ルイスぅ……今日も見られてるよぉ」
「流石に昨日今日で慣れるわけないだろ、もう少し我慢しろ」
幼女を連れている生徒となれば、かなり珍しい。
というか俺だけだ。
昨日は休日で授業もなかったため、生徒もまばらだったが今日は違う。授業に出席するために集まった生徒がぞろぞろとそこらじゅうを歩き回っているのだ。
当然、集まる視線も段違いなわけで……
「ひ、人が多い、多いよぉ!」
「あっ、こら! 逃げるな!」
元来が臆病な性格なのだろう。
首根っこを掴んで逃げられないよう拘束したリリィは周囲から視線を集めて、今にも泣きそうな顔をしていた。
「お前が来たいって言うから連れてきたんだろうが」
「でもぉ……」
「本当に帰りたいなら一人で帰れ。俺は別に止めない。だが、例の約束はなしだからな」
「うっ……」
「それが嫌なら頑張れ。いずれ慣れる」
「う、うん……分かった。がんばる」
自分の中の何かと戦って勝利したらしいリリィは両拳を握り、やる気に満ちていた。
「まあ、お前が出来そうなことは何もないんだけどな」
「ええっ!?」
「いやだってそうだろ。お前、板書の取り方分かるのか? 術式分解の基礎方程式は? 魔粒子特性を全部詳細に説明できるか?」
「~~~~っ」
ぶんぶんと勢いよく首を横に振るリリィ。
出来ないことを出来ないと素直に認める潔さは認めるが、つまりはそういうこと。今言った全ては入学初年度に学ぶような基礎も基礎。魔術理論の根底にある知識だ。
これを知らないと今俺が受けている授業なんて1ミリも理解できないだろう。いきなり連れてこられたリリィが理解できるはずもない。
「だからお前に出来ることはとりあえず俺の隣に座って大人しくしていることだけ。分かったか?」
「う、うう……わ、分かったよ」
「よし。なら教室に行くぞ。こっちだ」
リリィの手を取り、4組の教室に向かう。
正直リリィには退屈な時間になるだろうが、俺にとっては成績を決める重要な内容だ。サボることなんて出来るはずもない。
(部屋で大人しくしていてくれれば、それが一番だったんだけどな)
とはいえ、それが通用しないのも分かっている。
結果が分かりきっている賭けとはいえ、約束は約束だ。俺はリリィの成果を見守る義務がある。少なくとも機会を与えるだけのことはしてやらねば、わざわざこんなところまで召喚してしまった彼女に申し訳が立たない。
(本当なら優秀な使い魔を肩にでも乗せて格好つけるつもりだったのに……どうしてこうなったのやら)
今更ながらの後悔を胸に、俺は教室の扉に手をかけ一気に開いた。
成績優秀者の平民ということで何かとヘイトを集めている俺が入室したことで、一瞬だけ視線が集まるがすぐにそれも霧散する。生徒のほとんどは自由席に座り、勉学に勤しんでいたからだ。
「う、うわあ……すごむぷっ」
「言い忘れたが、教室ではあまり物音を立てるなよ。ぴりぴりしている奴もいっから」
この独特な雰囲気の教室に声を上げかけたリリィの口元を手で覆いながら告げる。誰も彼もが血走った目で一心不乱に教書を読み漁る光景は圧巻というよりは不気味だ。先に説明しておくべきだったかと少しだけ後悔した。
「リリィ、こっちだ」
「? こんな端っこでいいの?」
「ああ、ここでいいんだ」
魔術の勉強に関しては真面目な俺が見通しの悪い席に座ったことが意外だったのだろう。リリィは中央付近のまだ空いている席をちらちらみながら俺の隣にちょこんと腰掛けた。
「……平民の指定席はここなんだよ」
「え?」
「いや……なんでもない。俺は授業が始まるまで自習するから、適当にそこらでも眺めてろ」
思わず口から漏れた愚痴を誤魔化すように俺は手元の荷物から教書を取り出し、他の生徒と同じように自習を始める。
別にこの席が公式に平民の席だと決まっているわけではない。
身分の差を問わないと校則で明言しているアンディール学園ではそういった差別は本来起こらないはずなのだ。だが、"それ"は実際にここにある。すでに形骸化して久しい規則など覚えている人間がいるのかすら怪しいところだ。
もしも俺がここで見通しの良い、最前列中央の席に陣取ったりすればその日のうちに貴族の子息連中からお呼びがかかることだろう。この教室においては目に見える規則よりも、目に見えない作法が優先される。
「…………」
いつからそれを当然と思うようになったのかは最早思い出せない。
繰り返された経験の中で、自然と体が面倒を回避するようになっていた。
それが悪いことなのか、良いことなのか……それすらも今の俺には分からない。ただ、新しい同行人を得たことで改めて自分の立ち居地を把握させられた俺は奇妙な居心地の悪さを感じずにはいられなかった。