54話 眷属契約
気付くと俺は知らない真っ白な空間にいた。
もしかしたらここが死後の世界というやつなのかもしれない。
何も成し得なかった俺にはぴったりの場所だと思った。
自嘲にも似た笑みを浮かべる俺に……
「……ルイス」
背後から小さな声がかかる。
振り向くと、そこには以前の姿のリリィが立っていた。
「リリィ? お前、なんでここに……」
「声がきこえたの」
「声?」
「うん。ルイスがリリィを呼ぶ声」
リリィの言葉に最後の記憶を思い出す。
確か、俺はリリィのために最後の魔法陣を完成させて……それで……それからどうなった?
……駄目だ。思い出せない。
まるで靄でもかかったかのように不鮮明な記憶を探る俺に、リリィが問いかける。
「ルイスは……もう知ってるんだよね? リリィが……ふつうのひとと違うって」
「……ああ」
頷く俺はリリィの変わり果てた姿を覚えていた。
漆黒の角、緋色の瞳、変わってしまった頭髪。
それは異形の証明。人とは違い生き物だという証拠だった。
「リリィはね。うまれたときからこんなだったの。だから……おかあさんもおとうさんもリリィとはいっしょにいられなかったの」
「……そうか」
俺はリリィにかける言葉が分からなかった。
吸血鬼という種族がどんな社会を形成しているのかは分からないが、集落の存在すら認知されていない現状を見るに、恐らく日陰の中をさまようような生活を続けていたのだろう。
「リリィがいっしょにいたらね。めいわくがかかるんだって。だから……リリィは一人で生きることにしたの。そうしたらだれも困らないから。だれも怒ったりしないから」
リリィが最初から一人だった理由。
リリィが元の場所に帰ろうとしなかった理由。
それが今、全て分かった。
だけど、それは……
「……寂しくはなかったのかよ」
「え?」
「そんな生活で、お前は満足だったのかよ」
「…………」
リリィは俺の言葉に目を伏せた。
そして、それが何よりの答えだった。
「お前がこれまで背負ってきた苦労は俺には分からない。だから、気にするなとか過去は忘れろなんて無責任なことは言わないし、言えない。俺だってそんなことを言われたら反射的に殴っちまいそうになる思い出ってのがあるからな」
「……ルイスも?」
「ああ。お前には、結局言えなかったけどな」
俺が国家魔術師を目指している理由。
それを俺がリリィに伝えることはなかった。それはきっと本質的なところでリリィのことを信用なんてしていなかったからなんだと思う。
心配事や悩み事を打ち上げられる相手ってのは、それこそ気の置けない相手だけだ。そこまで俺はリリィのことを無条件に信じることが出来なかった。
そして……それはきっとリリィも同じだ。
「俺たちは……きっと臆病なんだろうな。他人を信じることが出来ず、どうしても一人でいることを選んじまう。最初から誰かを頼っていればもっと違った結果になってたかもしれないってのによ」
「ルイスは……後悔してるの?」
「まあ、な。俺は結局お前のことを守ってやれなかった」
何もない自分の手を見つめながら呟く。
俺は結局、誰も助けることが出来なかった。
それで後悔するなと言うほうが無理だ。
だが……
「そんなことない……そんなことないよ……」
リリィは涙目になりながら、大きく首を横に振った。
「ルイスはリリィに『いばしょ』をくれた。たった一人だったリリィに、かえる場所をくれたの。それはね、リリィにとってとってもうれしいことだったんだよ?」
「……そんなもんは当然なんだよ」
「え?」
「子供には帰る場所があるのが当たり前だ。そんなことで感謝されても困る。俺が本当に守りたかったのは、お前の望む平穏そのものなんだよ」
そういう意味では、俺は何も守れちゃいない。
先生への憧れも、ティアとの約束も、リリィの願いも。
全て、全て全て全て。
俺は無為にしてしまった。
「俺にもっと力があれば良かったっ! そうしたらこんな風にお前に辛い思いをさせることもなかったっ! 全部、俺が……ッ!」
気付けば俺は膝をつき、懺悔していた。
「結局、同じなんだっ。俺はいつだって、大切な人が守れない! ルイス・カーライルっていうのはそういうつまらない奴なんだよっ!」
俺はこのまま死ぬだろう。
残されたリリィにも未来はない。
そして……俺がここで死ねば『アイツ』も……
「……ルイス」
「俺のことを恨んでくれ、リリィ。お前をこんな場所に呼び出しちまったのも、お前を守りきれなかったのも俺なんだから」
「…………」
痛みにも似た沈黙の中、静かにリリィは俺の隣に並ぶ。
そして……
「ねえ、ルイス。さっきさ、リリィを眷属にしてくれたよね?」
「……え?」
リリィはゆっくりと語りだす。
「あ、ああ。そうだ。誰かと契約するのは始めてのことだったが……こんな仕組みになってんだな」
真っ白な世界を眺めながら呟く。
するとリリィは柔らかな笑みを浮かべて俺の胸に手を当ててきた。
「リリィはね、ルイスが眷属にしてくれたことがうれしいの」
まるで爆弾にでも触れるかのような慎重な手つきで。
「リリィは独りじゃないんだって、はじめてそう思えたの。誰かと一緒に……ううん。ルイスと一緒にいられるんだって思ったら、胸のおくがあったかくなってね。しあわせな気持ちになるの」
俺の胸元をなぞるリリィの指先。
その手は小さく震えていた。
「だから……ルイスもひとりで悩まないで? リリィに何が出来るか分からないけど……それでもリリィはルイスの力になりたいの」
上目遣いの瞳が俺を見つめる。
まるで何かを期待するかのように。
「俺は……」
僅かな躊躇い。
だが、その決断に至るまでそれほどの葛藤は生まれなかった。
「……俺はもう、自分の限界を知ったよ。嫌ってほどな。だから……」
これまでずっと独りで生きてきた。
それが当然だったし、それしかない状況だったから。
だけど……もしも、そうでないのなら……
「俺に力を貸してくれるか? リリィ」
リリィの瞳を見つめ返しながら、俺はリリィの小さな手を取った。
こんな小さな子を頼るなんて男として格好悪いにもほどがある。
だが、そうするべきだと心のどこかで確信にも似た想いがあった。
そんな俺の問いに、リリィは……
「うんっ!」
瞳の端に涙をためながらも、大きく頷いてくれるのだった。
眷属召喚には術者と似た性質を持つものが選ばれる。
いつか誰かに聞いた言葉を思い出す。今はその言葉にも自然と納得できた。
「ルイスが受け入れてくれるなら、リリィはリリィのすべてをあげる。だからルイスもルイスのすべてをリリィにちょうだい」
「ああ……分かった」
一切の躊躇いを捨て、頷く。
すでに命すらリリィに差し出したのだ。
これ以上の対価なんて存在しない。
「~~~~~~っ」
決意の固まった俺の様子に、リリィはたまらずといった様子で……
「だいすきだよっ、ルイスっ!」
大きくその身を乗り出し、俺の口元に……
「……っ!?」
「んっ……」
ぶつかるように、キスをした。
軽く触れ合うだけのキス。だけど、それだけで『儀式』は完了した。
「これからリリィはずっとルイスの眷属になるの。だからルイスも……」
体の内側から燃えるような熱量を感じる。
「──リリィの眷属になって?」
魔力の塊がリリィを通して俺へと流れ込む。
(ああ……そうか。これが……)
その奇妙な感覚に俺は全てを察した。
そう。これこそが……
──本来の意味での、眷属契約だったのだ。




