49話 物語の怪物
俺が魔術師を目指した理由は単純なものだった。
村を救った英雄。彼が魔術師だったからだ。
凶作に喘ぐ農民達の為、彼はその水系統魔粒子によって死んだ田畑を活性化させ、生き返らせた。
俺はその姿を見て思ったのだ。
俺も彼のようになりたいと。
皆から尊敬され、求められるような存在になりたいと。
だから……俺はこの学園に進学することを決めた。
彼が教師として赴任している、この学園を──
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「……ぐ……ハッ……」
肺が酸素を求めて暴れていた。
どうやら一瞬、俺は意識を飛ばしてしまっていたらしい。この命を賭けた戦闘中に眠りこけるなんて豪胆にも程がある。だけど……一度リセットしたせいか、意識ははっきりしていた。
「ぐ……」
両手、両足……ある。
重要内臓器官も……健在。
骨も問題なし。体は動く。戦意は……万全だ。
「……く、そっ……」
ガラガラと、音を立て瓦礫の山をどかす。
俺がまだ生きていることが不思議だったのか、先生は驚いた表情で俺を見ていた。
「全く……ルイスは本当に勤勉な優等生ですね。僕の講義をまだ聞きたいのですか? 居眠りしても僕が怒らないこと、君なら知ってるでしょうに」
「……げほっ、ごほっ……い、居眠りならしたさ。そのせいで懐かしい夢まで見ちまったぜ。だから……まだ、諦めるわけにはいかねえんだよ」
魔粒子を体に纏わせ、身体能力を向上させる。
それと同時に気付かれないよう『水閃』の詠唱を続けながら俺は次なる先生の手を考えた。
(さっきの『変成』は恐らく一度『分解』した地面を新しく鋭利な形に『構築』したものだろう。驚異的なのは術者からこれだけ離れた位置で発動できる効果半径とその発動速度……この部屋にいる間はさっきの攻撃を常にケアしねえとな)
「少しだけ、君の事が分からなくなりましたよ。君はもう少し賢い人間だと思っていたのですが……どうしてまだ戦うのです? 僕に適わないことはもう分かったでしょう? 君が取るべき行動は私と敵対することではなく、僕の軍門に下ることです」
「……なるほどな。道理でまだ生きてるわけだぜ。アンタ……さっきはわざと直撃しないように攻撃したな?」
「当然でしょう。僕は別にルイスを殺したいわけではないのですから。君が僕の研究室を訪れた時点で、君の選べる選択肢は二つしかなかった。僕と共に研究を続けるか、それとも死ぬか。この研究内容が世間に公表されて困る部類のものだというのは僕も知っていますからね。そのまま帰すわけにもいきません」
「俺がアンタの研究を手伝うと思ってんのかよ」
「ええ。思ってますよ。だって君は僕のことを尊敬している。尊敬する大先輩のやることなんですから、手伝ってくれてもおかしくはないでしょう?」
「……自分でそういうことを言っちまうあたりが、苦手なんだよ」
ゆっくりと体を起こし、俺は変わらぬ意思を『白銀』に込め、立ち上がる。
すでに水閃の発動準備は完了していた。そこんとこは油断しまくってる先生に感謝だな。
「まだやる気ですか? 僕には勝てませんよ?」
「ああ……だろうな。でも、そんなことは関係ないんだよ」
血反吐を吐きながら、傷ついた体を引きずりながら、俺は先生に向けて距離を詰める。
「ここでたとえ、俺が死ぬ事になろうとも……俺は俺の意思を貫くことが出来る」
「意思を貫く? そんなことに価値なんてありませんよ。それは弱い人間が自らを正当化するための方便です。死んで残るものなど……冷たい孤独以外にありません」
「そんなことはない。それはアンタが何も見えちゃいないだけだ。例え手が届かなくても、残るものはある」
「……一体それはなんだと言うんです」
本当に分からない様子で聞き返す先生に、俺は不恰好な笑みを浮かべて告げてやる。
「──"魂"だよ」
先生は俺がそんなあやふやなものを語るとは思っていなかったのか、意外そうな表情を浮かべていた。だけど……それはある。確実に存在するものなのだ。
「例え死んだとしても、そいつがどんな人間だったのか、何を好み、何を良しとしていたのか……残された奴らの中にはそいつの魂が残るんだ」
「……それは記憶と言うべきでしょう。過去の映像をただ脳内に保存しているだけの経験に過ぎない。そこに未来はありません」
「それがあるんだよ……先生」
俺は瞳を閉じ、かつての映像を思い出す。
俺の憧れた魔術師、その姿を。
「その人の魂は俺に影響を与えているんだ。俺が前に進めるのはその人が俺の背を押してくれるから。だからこそ、俺はこうして真っ直ぐに立っていられてるんだ」
思えばいつだってそうだった。
俺の始まりにはいつも彼の姿があった。
かつて魔術師を志したときも、無力感に怯え孤独の道を進もうとしたときも。
いつだって彼が俺の背を押して、正しい方向へと導いてくれた。
「俺はよ、いつか誰かが思い出した記憶の中で『つまんねえ奴だった』なんて思われたくねえんだ。リリィやティア、他のクラスメイトにも。そして……勿論、アンタにもな」
残された意思は他者に影響を与え、心に残る。
だとしたら……俺は格好悪い自分だけは誰にも見せたくなんてなかった。
俺の憧れた魔術師のように……
「だからこれは誰かの為の戦いなんかじゃない。ただ、格好付けなくちゃ気がすまない見栄っ張りなガキの精一杯の虚勢なんだよ。だけどな……」
白銀を構え、意識を集中させる。
そう。俺はただ……
「俺はその虚勢を……胸を張って誇れるような人間でありたい」
──誰かにとって理想の魔術師になりたかっただけなんだ。
繰り返される日々の中、失われていた俺の原点。それをようやく思い出した俺は……
「だから……俺は前に進む。今度こそ、後悔しないように。ただ理想だけを追い求めるッ!」
水閃の術式を起動させ、全力で先生に向け駆け出した。
「……君は何も分かってなどいない。そんな子供の理想は大人になれば粉々に砕け散る。現実はそこまで甘くなんてない」
「それでもッ! 俺は憧れたんだ! 理想の中の存在に!」
蠢く床を飛び越え、茨の森を潜り抜け、俺は一歩一歩前に進み続ける。
「理想が現実に勝てないことなんて分かってる! この学園で何度も目にして来た! 俺の思い描いた理想の世界は現実にとっくに塗りつぶされてるっ! だけど、それでもッ!」
迫り来る漆黒の弾丸を白銀で弾きながら、大地を踏みしめる。
絶対に退かない。その強い意思を込めて。
「今も苦しんでる女の子がいるんだよッ! そいつの為にも俺は……英雄にならなくちゃならねえんだッ!」
隆起した地面を蹴り飛ばし、一気に距離を詰める。
その勢いのまま、振り切った白銀の刃はようやく……
「やっと一撃……入ったな」
先生の頬に、一筋の血の雫を垂らすことに成功するのだった。
「……どうあっても退きませんか」
「ああ。そいつは無理な相談だ」
俺がここで逃げればリリィは死ぬ。
それが分かっていながら逃げ出すなんて出来るはずがなかった。
「そうですか……それなら……」
頬の傷をゆっくりと指でなぞる先生。その指が離れた瞬間、そこにはもう……
「──仕方、ありませんね」
先ほど与えた傷は、跡形もなく消え去ってしまっていた。
先生は水系統の魔術師だ。『水蓮』によって傷を癒したのだろう。だが……その速度が異常なまでに早い。二人分の魔力だとそこまで性能が違うってのか!?
「僕にも譲れないものがあります。これがその一つです。だから……」
そして、そのまま先生は漆黒の魔粒子を右腕に纏うと、
「君には死んでもらいますよ、ルイス」
そのまま、神速の手刀を俺に向け振り下ろすのだった。
「────ッ!」
咄嗟に白銀によってガードするが、その勢い全てを殺すことは出来ず膂力に振り回される形で俺は無様に地面を転がされてしまう。
俺の頭上で黒色の魔粒子を纏う先生は……
「『水閃──二重展開』」
まるで物語に登場する魔王のように、俺の前に立ち塞がるのだった。




