48話 暴虐
「あ、あああっ、いやあああああああっ!」
「リリィ! おい、リリィ! しっかりしろ!」
痛ましい絶叫を上げるリリィに呼びかけるが……駄目だ。全くこちらに気付いてもいない様子だ。
「くそっ! おいテメェ、リリィになにしてやがる! さっさとこの魔法陣を止めろ!」
リリィがこの魔法陣の軸となっていることはこの配置から疑いようがない。俺はこの仕組みを作り上げた先生に向け、術式を止めるよう訴えるが……
「ふふ、お楽しみはこれからです」
リリィの苦しむ姿すら、喜悦の表情で見つめている先生。
この人を止めるには……言葉では駄目だ。
「くそっ! くそぉぉぉぉおおおおおっ!」
この魔法陣がどんな効力を持っているか分からない以上、一秒でも早く止めさせる必要がある。俺はなんとも言えない苦い感情を抱えつつ……
「今すぐ術式を止めろッ! マルク・マクレガァァッ!」
敬愛する恩師に向け、その切っ先を突きつけるのだった。
だが……
「駄目ですよ、ルイス。そんな決意なき刃では僕を止めることなんて出来ません」
「…………ッ!?」
先生は俺の白銀の刃を素手で受け止めていた。
まるで差し出された手を取るように。呆気なく。
「この魔粒子は……ッ!?」
「気付きましたか、ルイス」
俺の刃を止める先生の手には、漆黒の魔粒子が展開されていた。それは以前に見た水系統魔術師である先生の魔力光ではない。この色……この性質を持っているのは……
「アンタ……ッ、リリィの魔粒子を強引に奪っているのか!?」
俺の問いに、先生は薄く笑って答えた。
これに似た現象はゴルゾフにも起こっていた。だけど、あれは元々眷属契約により回路が通っていたからこそ出来たこと。何の契約も行っていない赤の他人と魔粒子の共有なんて出来るはずがない。
……通常であれば。
(そうか、そのための魔法陣かッ!)
俺はようやく部屋中に張り巡らされた魔法陣の意味を悟った。つまり、これは拘束した人間から強引に魔粒子を徴収し、発動者に還元するシステム。魔粒子総量に悩まされる魔術師たちにとっては理想とも言える魔法陣だった。
だが……
(こんな強引に魔粒子を奪い取って体が持つわけがない! このままだとリリィが死んじまうぞ!)
魔粒子とはその人間の魂そのものとも言われている。
これが底を着けば、魔粒子欠乏症に陥り、果てには死に至る。自分で放出するわけでないのだからそこに限度などない。まさしく死ぬまで対象から魔粒子を吸い上げる死の魔法陣だ。
「アンタ……リリィを殺すつもりかよッ!」
「そうならないことを願ってはいるよ。だけど……例え、そうなったとしても特に問題はない。僕にとって彼女はその程度の価値しか持たないからね」
「…………ッ!」
先生だってリリィと一緒に過ごした時間がある。
それなのに……こんな間単に切り捨てられるってのかよっ!
「アンタは……悪魔だ」
「かもしれないね。だけど、それを言うなら人間という種そのものが悪魔なのさ。この感情は誰だって抱えているものだ。君だって彼女を救う為に、僕を排除しようとしている。一を救う為に一を切り捨てる。誰だってやってる当然のことさ」
すっ、と先生が腕を引くとそれだけで鬼種に引っ張られているかのように俺の体は先生へと引き寄せられてしまう。この距離は……まずいッ!
「少し、授業をしようか。ルイス・カーライル」
気付いた瞬間にはもう遅かった。
ただの膂力だけで放り投げられた俺は、まるでゴムボールのような勢いで部屋を真横に吹き飛ばされ……
──バガァァァァアアアアンッ!
何度も地面を跳ね飛ばされ、壁に激突することでようやく勢いが止まる。
ただ先生は腕を振っただけ。傍目から見ればそれだけだったはずだ。それなのに……
「が……ハッ……」
それにより、起きた被害は甚大だった。
人間を地面と平行に投げ飛ばすだなんて……普通じゃない。幾ら身体能力が強化されているからって無茶苦茶すぎる。
「……ぐ……あ……」
ボタボタと口から血の塊を吐き出しながら、体中に力を込める。
今の衝撃で、五体満足なのが信じられなかった。無意識の内に魔粒子を展開したのが丁度良いクッションになってくれたのだろう。それでもこのダメージは計り知れないが……まだ、戦える。
「っとと、少しやりすぎましたかね。これでも軽くやったつもりなのですが、やはり自前の魔粒子と違って制御が難しいですね。まだ生きてますか、ルイス?」
「あたり……まえ、だ……」
「それは良かった。ようやく完成した術式ですからね。実はちょっとだけ自慢したかったんですよ。ルイスが頑丈で良かった」
俺が何とか立ち上がるのを見て、先生は嬉しそうに笑みを浮かべた。
くそっ……完全に遊ばれてやがる。だが、それほどにレベルが違うことも今の一瞬で理解させられた。とてもじゃないが……まともにやってたら勝ち目なんてないぞ。
「まずは復習です。魔粒子の特性、まずは風系統から」
そう言った先生の右手に漆黒の粒子が集まり、小さな球形にまとまり始める。
アレは……なんだ? 詠唱がないところを見るに、ただの魔粒子に過ぎないはずだが……
「風系統の魔粒子の特性は『移動』そして『固定』。通常であれば陽性と陰性に別れたこの二つの特性を同時に発生させることは不可能です。物理現象的にも矛盾する二つですしね。ですが……」
手の平に集まる魔粒子をこちらに向る先生。その仕草に嫌な予感がした俺は……
「他人の魔粒子を混合させれば、この矛盾も再現可能なのですよ」
その魔力光が放たれた瞬間、その場から全力で回避した。そして……
──ドンッッッッッ!
先ほどまで俺がいた壁際に、突然隕石でも落ちたかのような爆音と共に人間一人を覆うほどのクレーターが生まれていた。
見れば先ほどまで先生の手元にあった漆黒の球が消えている。
まさか、今のは……
「『固定』した魔粒子そのものを……『移動』で飛ばした……?」
「正解です。では次、水系統……は適性がありませんでしたか。では闇系統で行きましょう」
両手を広げる先生に俺は身構える。
陽性と陰性、二つの魔粒子特性を同時発動させるなんて聞いた事がない。それだけにこれから起こる現象は未知のものになる。
闇系統の特性は『分解』と『構築』。これらを組み合わせて起こる現象と言えば……
「…………ッ!?」
「そうですねえ。風系統魔粒子の運用を『魔弾』と称するなら、これは……」
その可能性に気付いた瞬間、地面に視線を向けた俺はそこに漆黒の魔粒子が集まり始めているのを目撃した。そして、次の瞬間……
「──『変成』」
石材により組み立てられた床が、無数の棘となり、俺に向け牙を向くのだった。
「ぐっ……ッ、があああああああっ!」
咄嗟に避けようと体を捻るが、真下から迫る攻撃というのは回避も難しく、全てに対処することは出来なかった。体中を引き裂く痛みに、絶叫が漏れる中……
「…………ッ!」
先生の両手がこちらに向けられるのを、俺は見た。
「──『魔双弾』」
そうして放たれた漆黒の弾丸は俺の視界を染め上げ……
──ドオオオオオオオオオォォォォンッ!
石の欠片と共に、俺を宙へと吹き飛ばすのだった。




