38話 終わらぬ戦い
「はあ……はあ……」
痛む右手を押さえながら前を見る。
するとそこには大の字で地面に倒れるゴルゾフの姿があった。
「ふう……さて、お前のご主人様はこうして敗北したわけだが……どうする? まだやるか?」
くるりと反転し、背後から飛んでくる火竜に向けて問いかける。それに対する答えは単純だった。
「ま……そうなるわな、っと!」
ゴルゾフが巻き込まれないようその巨体を出来るだけ遠くに蹴飛ばしながら爆炎を回避する。
通常なら契約者が指示を出せなくなった時点で眷属はあらゆる命令を中止にするはずだ。普通はそういうふうに契約されている。なのに火竜は攻撃を止めるどころかゴルゾフごと俺を焼き殺そうとしてきた。
これは明らかに契約がうまく機能していない証拠。
まず間違いなく反転支配の逆契約が起きている。
「火竜のほうが強引に契約を上書きしたか、ゴルゾフが契約不履行だったか、もしくは第三者の介入があったか……まあ、原因を今考えても仕方ねえか」
現実に火竜が俺に牙を向いているのだ。
考察や分析は後回し。まずはこの現状を何とかするのが最優先だ。
とはいえ……
(火竜には知能もある。俺が攻撃できない距離から一方的に焼き殺すつもりだな)
もはやここがちょっとした林であることも忘れたかのように火炎を吐き出し続ける火竜。当然、あっという間に山火事同然の騒ぎになり始めているのだが、これに気付いて誰かが助けに来てくれたりしたら助かる。
(その頃には俺が焼き殺されていそうだがな……っと!)
ゴルゾフの意識が落ちたことで、より主導権が火竜に移ってしまったのか、先ほどより攻撃が苛烈になってきた。具体的には炎の渦だったものが炎の幕になるくらいには。
がむしゃらな範囲殲滅型の魔術行使。それを可能にするだけの魔粒子量があの小さな体に詰まっているのだろう。羨ましい限りだ。
「ちっ、かわしきれねえッ……『水閃』ッ!」
少しずつ逃げられる場所が減ってきている。
直撃すると判断した炎を避けるために、こちらもより無茶な魔術起動をしなければならなくなってきた。
『水閃』とは術者の身体能力を強化する魔術。そして、その上限はどこまであるのかと聞かれればどこまでも、だ。正確に言えば、人間が可能な動きであれば上限はないということ。
つまり本気の本気を出せば体が強化された肉体に耐え切れず、筋組織を含む稼動箇所が深刻なダメージを負ってしまうのだ。それゆえに術者は自分の肉体が崩壊しない限界の二歩か三歩手前あたりで力をセーブするのものなのだが……
「そんなことも言ってられねえ、ぜっ!」
もしここで力を少しでも緩めれば、俺は焼死体として供養されることになるだろう。それが分かっていたから俺は明日の身も省みない無茶な肉体活性を続けるしかなかった。
一歩進むごとに、体が悲鳴を上げているのが分かった。
筋肉が切れ、骨が軋み、細胞が崩れていく。
それでも止まる訳にはいかない。
俺と……ゴルゾフの命の為に。
(反転支配とはいえ、契約そのものが切れているわけじゃない。となると魔粒子はお互いが共有しているはずだ)
人がなぜ他の種族と契約を交わすのか。
それは高位次元上にて、お互いの体に直接回路を繋ぎ魔粒子を分けてもらうためだ。人間は元々、魔粒子総量が少ない。そのため大量の魔粒子が必要となる大魔術の行使、実験、開発には外部の力の助けが必要不可欠だった。
元は吸血鬼と呼ばれる種族が使っていた眷属化の秘儀を強引に術式化したことが始まりだったと聞いている。大量の魔粒子を持つ眷族との契約は魔術師ならば誰もが求めるシチュエーションだ。
だが今回はその夢のような契約がゴルゾフに対して牙を向いている。
反転支配の影響は精神状況以外にも魔粒子の逆流という現象も招く。つまり、今火竜が使っている分の魔術にかかる魔粒子は恐らくゴルゾフから徴収されているだろうということ。
意識がはっきりとしていればそれに対しある程度拒絶することも出来るだろうが、無意識化ではそれも望めない。魔粒子はその人間を形作る魂のようなものだ。このまま魔粒子を吸われ続けたら下手したらゴルゾフは廃人になってしまう。
それが分かっていたから俺は早急に火竜を何とかする必要があった。
(何とかっつってもそれが一番の難題なんだがなッ!)
火竜の暴炎を掻い潜りながら俺はとある物を探していた。
とある地点と言い換えたほうがいいかもしれない。
元々ここに逃げ込んだ理由でもあり、火竜に対する唯一の対抗策となりえる秘策。それが俺にはあった。そして……
「……ッ! あった!」
何時間にも感じる防衛戦の末、俺はようやくそれを見つけることが出来た。
ちらりと背後に視線をやれば未だに上空を旋回し続ける火竜の姿が見えた。
タイミングは一瞬、チャンスは一度きり。
これに失敗すれば恐らく俺は死ぬだろう。
(はっ……だったら成功させればいいだけの話だ!)
挫けそうな心を自ら鼓舞して、走り抜ける。
俺が賭けに勝つにせよ、負けるにせよ、決着はすぐに付く。
終幕の合図はすぐぞこまで迫っていた。




