37話 振るわれる拳
マナ・コンディションという言葉がある。
これは術者の精神状態を示す際に良く用いられる表現なのだが、一般人が思うよりもこの概念は魔術の起動に大きく関わってくる。
そもそもが自分の認識を押し付ける作業であるため、魔術の発動には本人がどこまで自分を信じられるかということが大きく影響するためだ。
俺が一時期スランプに陥っていたのも、このマナ・コンディションが大きく崩れていたからだ。単に調子が悪いと言い換えることも出来るが、魔術師にとって自らのコンディションを把握することは必須の技能に当たる。
故に今、この瞬間の調子を自己採点するとするならば……
「はっ、絶好調じゃねーか!」
過去、類を見ないほどに俺の魔粒子は輝きを持っていた。
自分は優秀な人間だと自らに嘘を付くことをやめたことがどうやら事態を好転させたらしい。いや、ただ単純に下手をすれば死ぬという現状が俺の危機意識を刺激した結果なのかもしれないが。
ともかく。
俺は現在、非常に良い状態で魔術を発動できていた。
今なら何でも出来る気がする。
いや普通に術式に記された範囲のことしか出来ないけどね?
だが、それでも……
「お前を倒すには、十分だッ!」
言うが早いか、俺は早速『水閃』により強化した脚力で駆け出した。いきなり速力が上がったことで火竜も目測を誤ったらしい。爆撃の嵐の隙間を掻い潜り、何とか包囲網を突破することに成功した。
本当ならこのまま逃げてしまってもいいのだが、それでは何の情報も得られない。俺は校舎とは反対側に当たる植林エリアへと逃げ込むことにした。
もしかしたら逆方向に逃げたことで火竜も虚を付かれたのかもしれない。伝説の神獣とはいえまだ赤子。駆け引きという面ではまだまだ未熟らしい。
(なんつって、自分から逃げ場がないところに行ってるだけなんだけどな)
世が世なら物語のラスボスとして登場するであろう火竜に一矢報いたことに笑みを浮かべながら木々の間をすり抜ける。だが、その動きを読んでいた男が一人いた。
「逃がすかよッ! ルイスッ!」
俺の行く手を阻むのは燃えるような赤髪を携えた男子生徒、ゴルゾフ・ディーンだった。
まさしくいつかの喧嘩の再現。俺の動きを予期して火竜に足止めされている間に回り込んでいたのだろう。そこはさすがの嗅覚というべきか、火竜とは違い駆け引きにも通じているようだ。
だけど……
「以前の俺とは、一味違うぞ!」
俺は現在『水閃』を発動している。身体能力で言うなら俺がすでに逆転してしまっているだろう。それでも向かってくるのは貴族の矜持か、狂気の賜物か……
(いや……違うか。思えば昔っから負けん気だけは人一倍だったもんな)
昨年度に4組に昇級した当時を思い出す。
なかなか知り合いの出来ない俺が唯一、会話をしたと言える人物がゴルゾフだった。時が経つほどに俺とこいつの立場や才能の違いから対立する場面が増えたが、最初の最初、本当に出会ったばかりの頃は仲良くやれていたように思う。
最早記憶の底へ捨て去った日常の1ページ。
もしかしたらもっとお互いを理解しようと思っていれば、こんなふうに殺し合い染みた魔術戦に身を投じる必要もなかったのかもしれない。だが、過去をやり直すことなんてどんな魔術師にも出来ないし、後悔する暇があるのならもう二度と失敗しないように備える方が大切だと俺は思っている。
だから……かつて友人だった分。
俺はコイツの為に、止めてやるべきだと思った。
それだけが俺に出来る唯一のことだから。
「歯を……」
渾身の力で拳を握り、助走をつけて振りかぶる。
「……食いしばれッ!」
訪れなかった未来を夢想しながら、俺は万感の思いを込めて拳をゴルゾフへと向けて叩き込んだ。
もう、取り戻せない過去を清算するために。




