35話 大いなる悪意
俺の渾身の一撃がゴルゾフに向かって迫る。
水系統魔粒子を受け、白銀に輝くナイフは防御不可能な攻撃力を秘めている。当たり所が悪ければ痛いではすまないだろう。そんなまさしく必殺の一撃を前に、ゴルゾフは恐れることもなくただただ深い笑みを浮かべていた。
「あはっ! あはははははははははッ!」
ゴルゾフの哄笑が周囲に響き渡る。
その意図を測りかねる俺の背後から……
「吼えろッ! サラマンダー!」
唐突にはっきりと感じられる熱量が吐き出された。
咄嗟に反転してナイフを構えるが僅かに遅かった。
俺の刃が空間を切り裂くよりも早く、炎の渦が朝空を埋めたのだ。
到底人間にかわせるような距離ではなかった。だから俺は……
「ぐっ、おおおおおおッ!」
自らの体を魔粒子で満たし、人間の限界を越えた。
魔術ではなく、単純な魔粒子での身体強化は体にかかる負担がより大きい。だが悠長に詠唱している暇もなかった以上、俺にはこれしか手が残っていなかった。
飛ぶように跳躍して、炎の攻撃圏内から何とか脱出する。
だが……くそっ、左腕を焼かれた。何とか火傷程度で済んではいるが、この戦闘中にはろくに動かせねえぞ。あと一秒、飛び退くのが遅れたなら俺は全身炭の塊になっていたことを考えればまだマシな被害ではあるが。
俺だけじゃない。ゴルゾフもまた、相手を殺せるだけの実力を持っている。
伏兵というより、今のは俺の注意力が足りなさすぎた。火竜の存在を忘れるなんていくらなんでも豪気すぎるだろう、俺。
そして、死の危機から何とか脱した俺を見てゴルゾフは落胆するどころか更に嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「いいぜ! いいじゃねえか、おい! ようやく楽しくなってきやがった! ようやく全力のお前と戦えるぜ! 俺がこの日をどれだけ待ちわびたか……お前に分かるかッ!? ルイス・カーライルッ!」
炎の渦を周囲に撒き散らす火竜がいる戦場をゴルゾフは駆ける。
事前に打ち合わせしてあるにしても、あまりにも無茶な攻め筋だ。いつ次の瞬間炎に呑まれるとも知れないというのに。
「ちっ……この狂人がッ!」
そんなゴルゾフの様子に舌打ちが漏れる。
今日のゴルゾフは以前にもまして狂っている。元々、楽しそうに戦う奴ではあったが今日は特に奴の狂気が強い。ただ対峙しているだけで気圧されてしまいそうなほどに。
「ああっ! お前には分かんねえだろうなァ! 最初から何でも器用にこなすお前みたいな奴にはよォ! 凡人の気持ちなんて分からねえだろうさ!」
「……はあ?」
ついに何を言っているのかさえ怪しくなってきやがった。
俺が器用? 馬鹿を言え。本当にそうならこんなところで立ち止まってやしない。俺にもっと才能があれば、努力に応えられる素質が僅かでもあれば俺はこんなに悩むことはなかっただろう。
「凡人の気持ちが俺ほど分かる奴なんて、この学園には他にいねえだろうぜ。そういう台詞はお前みたいなボンボンが言うには相応しくない」
「うるせえ! 俺をボンボンなんて呼ぶんじゃねえ! 誰も彼もが才能だけで戦ってるわけじゃねえんだよ!」
ゴルゾフの狂気の中に、怒気が混ざる。それもただの怒りではない。まさしく炎のように燃え滾る赫怒の光だ。
ティアやリリィが鈍感と称する俺にはゴルゾフがなぜ、こんなにも怒っているのかが理解できなかった。俺はゴルゾフを天才の一人だと思っているし、ここまで何不自由なくやってきたはずだ。
こいつが俺に対して、何か不満に思うようなことがあるわけが……
「お前は良いよなァ! 平民ならちょっと才能があるだけで認められるんだからよォ! 自分の努力が結果になって嬉しかったか? 周囲から嫉妬の目を向けられるのは心地よかったか? それは全部、お前が平民だったから得られた賞賛だ! 最初から貴族に生まれていれば、そんな結果は全て才能で片付けられる! 本人の努力に関係なく、全てが血によって納得されちまうんだからなァ!」
ゴルゾフの搾り出すような叫び。
その言葉に俺はこいつが何を思って俺に突っかかってきたのか。その片鱗を垣間見ることが出来た。
つまり、こいつの原点はただの嫉妬。優秀な平民に向けられる貴族からの当然の感情が始まりだったのだ。そんな感情はそれこそ、この学園に入った頃からずっと感じてきた。
ゴルゾフほどではなくても、因縁をつけられたのは一度や二度ではない。
俺は今回のそれも、今までと同じ同種の感情として扱おうとしたのだが……
「お前が俺の立場なら、俺がお前の立場ならっ! 俺はもっと多くの賞賛を受けたはずだ! 全て全て全て! お前ではなく、俺がッ!」
ゴルゾフのそれは俺の実力そのものではなく、俺の立場に対して嫉妬の炎を向けていた。これは俺の記憶にはないパターンだ。なぜなら平民の地位を羨む貴族なんているはずがないのだから。
圧倒的に立場的弱者にいる平民はあらゆる面で、この学園内で不利益を被っている。そのことをこのゴルゾフが知らないはずはない。
「俺はお前が嫌いだ! お前みたいに自覚なく幸せを享受する人間が大っ嫌いなんだよッ! イラつくから……俺の目の前でいつまでも不幸面してんじゃねぇッ!」
なのに、この怒りは何だ?
元々熾烈な性格だったが、ここまで荒れたゴルゾフを見るのは始めてだ。
一体どうして……
「……っ、まさかッ!?」
俺の視線を向けたその先には、紅色の瞳を怪しげに揺らす火竜の姿があった。
(──契約の不履行……反転支配かッ!?)
高位の魔獣と契約した際に稀に起こる現象、反転支配。
眷属召喚の儀式では、眷属が召喚者の意思に反して逆に相手を支配してしまうことが起こりえる。だが、昨年完成された召喚用魔法陣ではそのようなリスクを完全に管理できていたはずなのだが……
(やっぱり今回の眷属召喚は何かがおかしい……術者の意思に反した召喚に加えて、反転支配だって? 一つだけならまだしも、こうもイレギュラーが重なるなんて偶然は有り得ない)
偶然はただの偶然に過ぎないが、偶然に偶然が重なればそれは必然となる。つまりは何者かの意思が介在していると考えるのが自然だ。
俺は当初、それがゴルゾフの手によるものだと思っていたのだが……
「お前が居る限り俺に栄光は訪れないッ! だから……俺のために死んでくれ! ルイス・カーライルッ!」
それだと、この狂ったというしかないゴルゾフの激情が説明できない。
自分で自分の罠に嵌る馬鹿はいないからだ。だとするならば……
(リリィを狙っている人物は……ゴルゾフじゃないっ!?)
ゴルゾフが急に俺に接近し始めた時期も眷属召喚が終わってから。仮説を立てるには十分な状況証拠がある。恐らく……この一連の事件には全て裏がある。ただ一本の糸で繋がる何者かの思惑が。
「……ちっ、どんどん面倒なことになってやがる」
俺は一体何に巻き込まれている?
得体の知れない悪寒に冒されながらも構えるしかない。戦うしかない。
「──死ねぇぇぇぇぇッ!」
目の前の怪物は俺に殺意を持っているのだから。
迫る炎の渦を前に、俺は戦いの覚悟を固めるのだった。




