32話 師匠と弟子
「聞きましたよ、ルイス。ようやく君も鉄火場童貞を卒業したようじゃないですか」
「……見舞い早々の発言がそれでいいんですか。先生」
俺が意識を取り戻した次の日、忙しいだろうにマクレガー先生が直々にお見舞いにきてくれた。俺の容態が回復したことを見ると、途端に流暢に喋りだすのだから先生は本当に先生だ。
「つか、鉄火場童貞って何ですか」
「そのままの意味ですよ。やはり魔術師……いや、男たるもの命をかけたやり取りの一度や二度は経験しないとですね」
「一度はもうやっちまいましたけど、二度目は絶対に嫌です」
「はは、そりゃそうでしょうね。あ、これお土産です」
妙なタイミングで先生が差し出してくれたのは幾つものフルーツが入れられたお見舞い品の定番とも言うべき品物だった。こういうところに気が利くのも流石だ。
俺は早速、一番上にあった林檎を手に取りながら先生に逆に尋ねてみることにした。
「そういう先生は鉄火場経験があるんですか? とてもそうは見えませんけど」
「失敬な。これでも昔は地元でヤンチャしてたんですよ?」
「ええー」
「その顔は全く信じてませんね。本当ですよ。妻と出会ってから改心しましたが、それまでは随分と恐れられていたものです。刃物を持った男十数人が、私の姿を見るや否や逃げ出すほどでしたからね」
「むしゃむしゃ」
「ついには話すら聞いてませんね。そこまで興味ないですか、私の話。仕方ありません。これは私の武勇伝を今の新婚生活に至るまで細部に渡って語り聞かせる必要がありそうですね」
「いや、いいっす」
「そんなこと言わないで。あ、娘の写真見ます?」
「もう目に焼きつくほど見たんで良いですよ。それより今日は何の用事で来たんですか? 試験も近いこの時期にただのお見舞いってわけでもないんでしょ?」
先生ののろけ話はとてつもなく長い。
それを分かっていた俺はすぐに話題を変更することにした。実際、俺にしてもこの人にしてもあまり悠長にしていられる時期ではないし。
「まあ……そうですね。用事があるといえばありますよ」
「? 珍しく歯切れが悪いですね」
「あまり嬉々として話す類の内容でもないですからね」
先生はそこで、なんとも言えない複雑な表情を浮かべると手元から一枚の紙を取り出すと俺に向けて差し出した。
これは……なんだ?
名前が二人一組で書かれているようだが……ん? 見知った名前もある。学園生の名簿か?
「実は、今回の期末試験ですが3組と4組から一人ずつ辞退者が現れていたようでしてね。まあ、それ自体は家庭の事情などでない話ではないんですが……人数調整として取られた方法がルイスにとってはとてもとてもバッドなニュースのわけなんです」
期末試験。その話を先生が切り出したおかげで俺はこの用紙が何を記したものなのかがようやく分かった。
つまりは期末試験における対戦表。二人一組で書かれていたのは、その組み合わせで対戦が行われるという意味なのだろう。よく見ればこれと同じ形式のものが以前にも学園に張り出されていたことを思い出す。
「もう発表されていたんですね。俺の相手は……って、これ」
自分の名前を探し出した後、隣に書かれていた名前に俺は驚いた。
なぜならこの期末試験は原則として、同じクラスの人間同士で行うものだからだ。あまりにも実力差があると、力を出し切る前に試験が終わってしまうからというのが一つの理由としてある。
だというのに、今回俺が対戦することになった相手は……
「……ゴルゾフ・ディーン」
何の因果か、俺に敵対する男の名前だった。
「なんだよこれ、偶然か?」
「さすがにこれが偶然ということはないでしょう。あまりにも露骨で笑ってしまいそうなくらいでしたから」
俺の言葉を否定した先生は笑ってしまいそうと言いつつ、とても険しい表情をしていた。ここまで真剣な表情の先生は見たことがない。それだけ今回の件に腹を立てているということだろう。
「調べてみたら試験を辞退した二人の生徒は両方とも、ディーン家とは懇意にしている家柄の子息でした。それもディーン家より下の家格のもの。どう考えても何かしらの強制力が働いたとみるのが正しいでしょうね。この、組み合わせに関しても」
テーブルに置かれた紙をパシッと軽く叩いてみせる先生。どうやらよほど腹に据えかねているらしい。それは俺にしても同じだ。
「……それだけ俺を潰したいってことなんでしょうね」
「というよりここまで目をつけられるって一体何をやらかしたんですか」
「知らないですよ。優秀な平民が貴族からやっかみを受けるのはいつものことですし、それの延長なんじゃないですか?」
言いつつもそれはないだろうな、と思う自分がいた。
今までの喧嘩に似た絡みだけならそういう理屈が通ったが、ここまで念入りに因縁をつけられてはそれ以外の理由を疑ってしまう。
とはいえゴルゾフとは去年半年間同じクラスにいただけの間柄だ。ここまで目をつけられる理由が特に思い当たらないのも事実。
「……まあ、ここで理由を考えても仕方ないことなのでしょうけどね。十分気をつけてくださいよ、ルイス。弟子があっさり死んだなんてことになったら僕の顔に泥が付きます」
「死ぬとか不吉なことを言わないでくださいよ。というか弟子の件は断られたんじゃなかったでしたっけ?」
以前に俺は本格的に先生に弟子入りしたことがあった。
彼の持つ技量に憧れてのことだ。だけど、そこで先生が条件として出したとある"課題"を俺はクリアすることができなかった。そのせいもあってその話は流れたと思っていたのだが……
「僕の研究室にあれだけ入り浸って無関係もないでしょうよ。ミスティアの場合は進む方向性が違いすぎるから弟子という言葉は当てはまりそうにないですが、ルイスは別です。『水閃』も完成させたんでしょう? 僕はルイスを優秀な魔術師だと信じています。ですから、いずれ僕の研究を手伝ってくださいね」
「…………」
先生の語った言葉に、俺は何も言えなくなってしまった。
だって、先生が俺のことをそんなふうに思っていてくれたなんて全く予想していなかったから。
研究を手伝ってくれ。
それは先生のような研究職の人間にとっては最大級の褒め言葉だ。
俺は知らず知らずのうちに、胸の奥が高揚していくのを感じていた。
「評価とは実力ではなく結果で測られるものです。学園の人間全てが貴方を軽んじているというのなら見せ付けてやりなさい。万全の状態ではないかもしれませんが……期末試験、頑張ってくださいね」
「……は、はいっ!」
立ち上がった先生は俺に激励を残し、病室を後にしていった。
こういうところがあるから先生は格好良いんだ。
俺が唯一、憧れる魔術師なだけはある。
(……これはますます格好悪いところは見せられなくなったな)
手の中にある対戦表を見て、笑みを浮かべる。
色々と思惑が交差しているようだが、俺のやるべきことは唯一つ。
──この手に勝利を手に入れる。
誰も傷つかないように。皆を守れるように。
そして……俺の悲願を達成するために。
アンディール魔導学園、前期期末試験。
その運命の日がすぐそこまで近づいていた。




