30話 目覚め
気が付くと、そこは見知らぬ場所だった。
どうやら俺はベッドに寝かされているらしく、真っ白な天井が目に映った。ゆっくりと顔を傾け、視線を横に向けると……
「……おはよう」
鼻と鼻がくっつくほどに近くで俺を見つめているティアの顔が視界いっぱいに入り込んできた。
「……なにしてやがる」
「……看病?」
「いや、俺に聞かれても」
ひとまず、心臓に悪いのでティアには少し離れてもらうことにした。
起きたらいきなり美少女の顔が真横にあるとか、嬉しいを通り越してちょっとしたホラーだった。しかもティアは無表情だからなおさら怖い。
「……ルイス、何があったか覚えてる?」
「あー……怪我したってとこまで」
少し体を動かそうとして、腹部に激痛が走ったことである程度のことは思い出した。どうやら俺は適切な処置を受けることが出来たらしい。布団をめくってみると、肩から腹部にかけて包帯が巻かれているのが見えた。
「ここは病院か」
「……うん。いきなり血だらけのルイスがラボに来たときはびっくりした」
「あ、俺お前のところに行ったのか」
「……覚えてない?」
「全く」
「……そう。恐らく無意識に私を頼りにして、ふらふらの体でも助けを求めに来たんでしょう。愛い奴」
「…………」
「……突っ込みは?」
「いや、多分その通りなんだろうなーと思ってさ。俺、病院がどこにあるかなんて知らねえし。咄嗟に助けを求めたのがティアって言うなら納得できる」
「…………(ぽっ)」
「自分で言って恥ずかしがるなら最初から言うなよ……」
相変わらず読めない奴だ。
しかし、助けてもらったのは事実のようだしちゃんとお礼は言わないとな。
「迷惑かけたな、すまん」
「……ううん。迷惑なんて思ってない。それに……」
「ん?」
「……私が出来たのは病院に運ぶところまでだった。だからお礼なら私以上にルイスを心配していたその子にしてあげて」
ティアが指差した先、そこにはベッドの端に顔だけ乗せて「すぴー、すぴー」と可愛らしい寝息を立てるリリィの姿があった。
というかなんちゅー体勢で寝てるんだ、コイツは。どうせならしっかりベッドに入ってくれば良かったのに。
「……三日三晩ルイスの傍を離れようとしなかった。ルイスが起きるまで眠らないなんて言ってたけど……つい10分前に限界が訪れたみたい」
「なんてタイミングの悪い奴……って、三日三晩!? 俺、そんな長い間寝てたのかよ!?」
ダメージが深いのは分かっていたが、まさかそこまでとは思わなかった。
どうやら随分と皆には迷惑をかけたらしい。まあ、皆と言っても俺の心配をしてくれるのなんてここにいる二人と先生くらいのものだろうけど。
「俺に何があったかは、リリィから聞いてるか?」
「……うん。そのことについて私も話したいことがある」
そこまで言ってティアは長くなると思ったのか、近くの木椅子を引き寄せると俺の正面に腰を下ろし、俺が寝ていた三日間のことを語りだした。
「……まずリリィを攫った男については消息がつかめていない。リリィの話を聞いてすぐに調査をしたのだけれどすでに姿はなかったらしい」
「そうか……」
つまり、それは今回の件について何の情報も得られなかったということになる。リリィを攫った理由も、あれほど計画的な犯行をしておいて可愛い女の子を見つけたから攫ってみた、なんてわけもないだろうし。
「でも……貧困街にいた男から情報を買うことが出来た」
「情報?」
「……うん。どうもここ最近腕の立つ者を金で囲っている人物がいるらしい」
ティアの言葉に俺は心当たりがあった。
誘拐犯の男を追い詰める過程で現れた男達。力量からしてただの一般人だろうとは思っていたが、なるほど、貧困街の浮浪者どもだったのか。
「その男は他に何か言っていたか?」
「顔や名前は分からなかったみたい。けど……」
変わらぬ無表情でティアが口にした情報。
それは俺にとって決定的な意味を持つものだった。
「……その人物は学生服を着た若い男だったって」
「…………」
「……それだけで人物は特定できないだろうけど、司法局の人間も動いてる。直にリリィを攫った犯人は見つかると思う。心配はいらない」
ティアはそういうが俺にはそうは思えなかった。
学生服を着ていたということは、そいつは俺のことを知っている人物である可能性が高い。そして今回の事件の性質から見て、俺に敵意を持っていることも疑いようがない。学内での嫌がらせには慣れている。だが……今回ばかりはやりすぎだ。
「……ルイス、怖い顔してる」
「え?」
どうやら知らず知らずの内に顔が強張っていたらしい。俺を心配そうに見つめるティアの視線と目が合った。
「……大丈夫?」
「ああ……大丈夫だ」
そう言いながら俺は痛む体を動かし、魔術の起動の準備を始める。
意識を失っている間は当然ながら魔粒子の操作は出来ない。普段なら、『水蓮』を使って治っている傷でも今はまだ残っているというわけだ。
「……ルイス、あんまり無茶はしないでね」
「問題ない。意識が戻った以上、この程度の傷は一晩で治してみせる」
「……魔術で傷を治すことはあまりおすすめしない」
「そんなことは俺も分かってる。だけど、こんな事態なんだ。すぐにでも動けるようになっておきたい」
ティアの懸念通り、魔術を使っての治癒は傷跡が残る可能性もあり、あまり推奨されていない。更に加えて自然治癒力を強引に活性化させるこの術は細胞の劣化を招きやすい。
簡単に言うと、再生した後は更に脆い体になりやすいということ。人の細胞分裂の回数は決まっているため、それを強引に促進させる治癒魔術は人の寿命を縮めるに等しい。
小さな打撲程度ならともかく、一日をかけて行うような大規模な治癒魔術は本来命の危険がなければ使用を躊躇われるものだ。だけど、俺には何度も言うように時間がない。今は手段を選んでいる場合ではなかった。
「……ルイス」
「心配するな。これは俺が自分で選んだ道だ。後悔したりはしない」
「…………」
何か言いたげなティアだったが、結局は何も言わないでいてくれた。最終的に俺の意思を尊重してくれたのだろう。踏み込みすぎないティアの距離感が今は助かった。
「……ばか」
しかし、それでも心情的には許せない部分があるのだろう。
これも俺のことを思ってくれているが故の罵倒だと受け止めなければならない。
「……すまん」
少しの間、言葉を選んだのだが、結局俺が選んだのはそんな飾り気のない無粋な言葉だった。
やはり俺には色々と教養が足りないらしい。
白銀色の光を腹部に浴びながら、俺はそんな今更なことを自覚するのだった。




