19話 穏やかな日々
研究室を追い出された俺がとぼとぼと帰路についていると、突然背後から俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ルイスぅぅぅっ!」
見ると大きく手を振りながらこちらに全力で駆け寄ってくるリリィの姿があった。どうやら俺を追いかけてきたらしい。俺を見つけたリリィは本当に嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
その純粋な笑顔に思わず俺も笑みを漏らしながら、立ち止まってその小さな女の子を迎える。しかし、追いついたら止まるかと思ったらリリィはそのままの勢いで俺に抱きついてきた。
「おわっ!? あ、危ねえっ!」
本当にいきなりのことだったからびっくりした。
リリィは俺が避けることなんて一ミリも考えていなかったのか、全力で飛ぶようにして俺に抱きついていた。何とかリリィミサイルをキャッチした俺は、その勢いに押され一歩、二歩と後ずさりながらも何とか受け止めることに成功した。
「えへへ、ルイスだぁ」
「ああ、俺はルイスだよ。それよりお前、いきなりこんなことして危ないだろうが。次にやるときはきちんと一声かけるようにしなさい」
「はぁーい」
ったく。本当に分かってんのか?
まあいい。次からは俺がもっと気をつければいいだけだ。
「で? お前はいつまで俺に引っ付いてるつもりだ?」
「家に帰るまで!」
「はあ……それならもっと後ろに回れ。今のままだと歩きにくい。きちんと背負ってやるから、ポジションだけ変えてくれ」
「あれ? いいの?」
「ああ。別にそんなに重いわけでもないしな」
ゆっくりとリリィの小さな体を持ち上げ、歩きやすい体勢を整える。
今日が休日で良かった。ゼロではないとはいえ、人影が少ないから変に人目につくこともないだろう。
「そういや戻ってくるのが遅かったけど、ティア達と何か話してたのか?」
リリィの性格的にすぐにでも俺を追ってくるかと思って、実は研究室の部屋の前で少しだけ待っていたのは秘密だ。
「な、なにもはなしてないよ!」
そして、リリィもまた俺に何か秘密にしたいことがあるらしかった。
何だろう……妙に気になるな。あの二人はちょっと性格がアレだから、リリィの教育上よろしくない影響を与えてしまう可能性がある。ここはリリィの保護者として無理にでも聞き出すべきだろうか。いや、でもリリィが言いたくないならやっぱり……
「ねえ、ルイス?」
「ん?」
俺が一人悩んでいると、耳音近くでリリィが呟いた。
「ルイスはリリィのこと……」
僅かに声に緊張の色を残したリリィはそこで、言葉を区切ると、
「ううん。やっぱりなんでもない!」
「なんだよ、それ。そこまで言いかけてやめるなよ。気になるだろうが」
「い、今はいいよ。またいつか聞くから」
「ふーん。ま、言いたくないならいいけどさ」
最近は少なくなってきたとはいえ、まだ少し遠慮の見えるリリィ。彼女がいつか完全に俺と心を通わせる日がくるのだろうか?
……いや、そんなことはそもそも無理か。
俺は人と人との信頼関係がいかに脆いものなのかを知っている。どんなに仲の良い家族でさえも、お互いを完全に信用することなんて出来ない世の中だ。何の繋がりもない俺たちに完全な信頼関係なんて望めるはずもない。
だから……
「リリィ。しっかり捕まってろよ」
「え? ……わっ、わわわっ!?」
俺は魔粒子を活性化させ、俺の出せる全力で走り出した。
「る、るるるるいしゅ! はやい、はやいよぉ!」
「はははっ、どうだ! 風が気持ち良いだろ!」
俺たちが分かりあえる日は来ない。
人は言葉という不完全なツールでしかこの感情を伝えることが出来ないからだ。どんなに言葉を重ねようとも、本当の心が相手に届くことはない。だけど……それでも、俺は彼女と同じ景色を見ていたかった。
彼女の不安が少しでも減るように。
俺は言葉ではなく、行動で彼女に示す。
それが不器用な俺の、精一杯の感情表現だった。
「る、ルイスぅ……っ!」
「おう、どうした!?」
まるで飛竜に乗っているかのような速度で駆け抜ける俺の背中で、リリィは搾り出すような声で俺に言った。
「──楽しいねっ!」
満面の笑みを浮かべているのだろう、彼女の言葉に、俺は答えた。
「だなっ!」
いつ終わってしまうとも知れない関係性。
だけど、この時だけはこの世界には俺とリリィの二人しか存在しなかった。まるで加速したかのように通り過ぎる世界で、俺とリリィはお互いに笑い合っていた。




