14話 契約の終わり
すでに夕暮れが終わり、周囲に暗闇が広がり始めた時間帯。
俺は長い時間をかけてようやくその場所にたどり着いていた。彼女がどこに行ったのか、その見当が全くつかなかったからだ。考えて見れば彼女には行く当てなんてあるはずがなかった。俺が見限ればすぐにでも路頭に迷う。そんな当たり前のことにすら、俺はこれまで気付くことが出来なかったのだ。
きっと、それだけ俺は彼女から目を背け続けてきたと言うことなのだろう。
学園が一望できる丘の上で、俺は……
「待たせたな……リリィ」
ようやく彼女……リリィの後姿へと追いつくのだった。
ゆっくりと振り向くリリィ。その目の周りこそ赤く腫れていたが、すでに涙は止まっていた。もしかしたら彼女が俺から逃げたのは泣いているところを見られたくなかったからなのかもしれない。泣いているところを見せて、俺に迷惑をかけたくないと、そう思ったのかもしれない。
「リリィ、俺は……」
「わかってるよ」
俺が口を開いた瞬間、リリィは俺の言葉を遮るかのように瞳を伏せて言った。
「リリィがルイスの役に立てないのはもうわかったよ。だから……リリィはルイスのじゃまにならないようここを出て行かないといけないの。ルイスにはやらないといけないことがあるんでしょ? それはむずかしくてきっとリリィに構ってたらできなくなっちゃう」
「…………」
リリィの言葉に俺は何も言えなかった。
事実、俺の目標である国家魔術師という壁は子供のお守りをしながら突破出来るような関門ではない。生活全てを魔術に捧げ、ようやく合格できる。それほどに険しい道なのだ。
「だから……ごめんね」
「え?」
あれだけのことを言った俺に対し、リリィはきっと罵声をぶつけてくると思っていた。俺の勝手で呼び出したのだから、契約を一方的に破棄するなんて無責任だと。そう糾弾されると思っていた。
だけどリリィが口にしたのはどこまでも純粋な謝罪だった。
「リリィはまだうまく力が使えないからルイスの役に立てないの……リリィがもっとお母様みたいになんでもできたらきっとルイスが困ることなんてなかった。だから……ごめんなさい」
「そんな、お前が謝る必要なんて……」
「あるよ。ルイスの力になれないなら最初からここにくるべきじゃなかったの。リリィがルイスに会いたいって思っちゃったからルイスは今、困ってる。そうでしょ?」
「…………」
確かにリリィの言う通り、俺は今八方塞の状態にいる。
スランプを抜けられず、知識も限界まで詰め込んだ。最後の希望であった眷族も空振りに終わり、俺には最早打つ手が残っていないのだ。
このままの状態で間近に迫った期末試験に挑んだところで、今期もまた留年するのがオチだろう。下手したら降級となり、再び5組からやり直すことになるかもしれない。
そればかりは許容できるものではなかった。
俺には……時間がないのだから。
「リリィはルイスと一緒にはいられない。いるべきじゃないの」
この一週間だけを見ても、リリィに取られた時間は少なくない。
その失った時間を少しでも魔術研究に費やすことが出来れば、俺の成績もいくらか上昇したことだろう。だけど……
「──言うな」
「……え?」
気付けば俺はリリィの口を塞いでいた。
「もう……何も言うな」
先生の期待に応えたかったからじゃない。傷つけてしまったことを詫びたかったからでもない。
そんなこと以上に、そんな悲しい台詞を聞いてはいられなかったから。
「確かにお前は俺の望んだ結果を残してはくれなかった。でもな、そんなことは端から分かっていたんだよ」
「え……? で、でもそれだとルイスはなんで……?」
「なんでお前を寮に連れて帰ったのかって? そんなもん決まってるだろ」
最初はただの義務感だった。
召喚した眷属の世話は全て契約者の負担となる。事前にそのことが分かっていたから幾らか覚悟はしていた。
流石に、こんな幼女が召喚される覚悟まではしていなかったが。
「お前は俺の願いを精一杯叶えようとしてくれた」
だけど……その義務感も少しずつ変わっていった。
リリィと共に過ごす内に変えられていったのだ。
それは先生に叱責され、ようやく気付いた俺の本心。
「俺はさ、この学園に来てからずっと肩身の狭い思いをしてきたんだよ。周囲には嫌味な貴族しかいやがらねえし、俺に付いてこれるほど勉強熱心な平民もいなかったから。だから……」
もしもここで言わなければ俺とリリィの関係は決定的に壊れてしまう。
そんな気がした俺は柄でもないと分かっていて、その台詞を口にする。
「お前が……リリィが一緒にいてくれて、本当は嬉しかった。こんな俺に尽くしてくれてさ、一人じゃないんだって、そう思えた」
あの月の輝く夜に感じた孤独感。
それをひと時とは言え忘れることが出来たのは側にコイツがいたからだ。
それはどんなに研鑽を積もうと、勉学に勤しもうと手に入れることは出来ない感情。学園を卒業するには必要のないものだったが、それでも俺は……リリィに感謝していた。
「だから……ありがとな、リリィ。俺のところに来てくれて」
「る、ルイス……」
俺の精一杯の感謝にリリィは鼻声で答えた。
先ほどとは違うどこか嬉しそうな表情にほっと胸を撫で下ろす。
だけどここで安心してばかりはいられない。
「先に言っておくが勘違いするなよ。だからってお前を眷属として認めるわけじゃない」
俺はリリィを否定しなければいけない。
俺の最優先順位が国家魔術師になることである以上、リリィのようなものを眷属にするわけにはいかないからだ。
だけど……
「だけど……まあ、どこにも行くところがないなら気が済むまで俺の寮に居候していればいい。ベッドも空いてることだしな」
それ以外のことなら少しぐらい譲歩してもいいと、そう思う自分がいた。
眷属としては駄目でも、それでも……家族としてなら。もう少しだけ付き合ってもいいと。そう思った。
それは脆弱な俺の精一杯の強がり。俺が先生に憧れたように、俺の魔術を見て瞳を輝かせていたリリィの気持ちもまた、俺は裏切りたくなかったのだ。
「けどある程度は家事も手伝ってくれよ。お前の食費だってタダじゃないんだし、その分くらいの労働は……」
「ルイスぅぅぅぅぅううっ!」
「ぐぼらっ!?」
今後の生活に関しての取り決めを口にする俺の腹部に、唐突に風系統魔術が直撃したかのような衝撃が走る。
視線を下げれば、そこには頭から俺に突っ込むかのような勢いで抱き付いてきたリリィの姿があった。
「て、てめえ……ちっとは加減ってもんを……」
「ルイスっ、ルイスっ、ルイスぅぅぅっ!」
文句を言ってやろうと口を開きかけて、止まる。
俺に抱きつくリリィがちょっと普通じゃない勢いで泣いていたからだ。
「リリィ? お前、なんでそんなに……」
どうしてそんなに泣いているのか疑問に思い、気付く。
それはずっと考えてたリリィの目的。
召喚されてからリリィはずっと俺の側を離れようとしなかった。
最初の頃は約束のために俺の役に立とうとしたのだと思ったが、思い返せば召喚された当初からリリィは俺に引っ付いていたように思う。
そこから考えるに……もしかしたらリリィは寂しかっただけなのではないか?
家族もおらず、たった一人で続ける生活に不安を覚えないものはいない。
たかが一人暮らしをしているに過ぎない俺でも孤独感を感じたのだ。恐らく両親と死別したのであろうリリィの不安はその比ではない。そうでなくてもリリィはまだ小さな女の子なのだ。
そんなリリィにとって、居場所を与えられるということがどういう意味を持つのか……それが俺には良く分かった。
「ルイスっ……ルイスぅっ……」
一心不乱に俺の名を呼び、抱きしめてくるリリィ。
そんな姿を前に、俺は……
「良いんだ、リリィ。お前はここにいても良いんだ」
思わずその小さな体を抱き返していた。
いつまで続くとも知れない関係で、そんな無責任なことを言うべきではなかったのかもしれない。だけど、必死にしがみ付いてくるリリィの温もりを前に、俺はどうしても言わずにはいれなかった。
「お前は独りじゃない」
──誰だって、独りは寂しいから。
「う、う……うわあああぁぁぁぁぁんっ!」
泣きじゃくるリリィの頭を撫で付ける。
思えばこんな風に子供らしい一面をリリィが見せるのも初めてのような気がする。それだけずっと気を張っていたということなのだろう。
俺に嫌われないように、俺に見捨てられないよう。
そのことが分かった俺はことさら優しくリリィの頭を撫でる事に努めた。少しでもこの気持ちが伝わるように。少しでもリリィが安心できるように。
リリィが泣き止むまで、いつまでも……いつまでも。




