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01 18カ月▶▶(早送り)しました

2024/10/15:年号の誤りを修正。


●これまでのあらすじ(やっぱり長くて済みません)


 大津での独立を画策しつつ、二条御所において将軍義輝を守り三好の攻撃を撃退するなど、着実に幕府との繋がりを深める一方で、織田家からは解雇され、派遣先だった浅井家に籍を移し、同盟関係にある織田家をサポートする立場となった大谷は、念願だった浮航要塞を完成させ琵琶湖制圧に向け動き出す。

 6月26日、織田軍は満を持して遂に上洛を開始した。

 45000という大軍でありながら、馬車と連弩を擁する織田軍は進軍も早く、アッという間に六角家の当主六角義治が籠もる観音寺城に迫る。

 しかし、六角家の実質的当主六角承禎は観音寺城ではなく、大津に近い瀬田城に居た。

 織田軍が観音寺城を落とさずに包囲するだけで上洛を目指すことを見越しての策だった。

 一方の浅井軍も湖北西部の切り取りを目指し、進軍を開始する。

 その中で大谷だけは浮航要塞を動かし、琵琶湖を西進。

 折悪しく妊娠中ではあったが、この機を逃すことはあり得ないとして、大津攻略を開始した。

 手始めに琵琶湖最大の島、沖島を攻略、仮の拠点とすると、そこから琵琶湖の湖岸にある観音寺城の支城、伊庭城の攻略に織田軍と共に当たる。

 浮航要塞の攻撃力を遺憾なく発揮し、半日で伊庭城を落とすと、その足ですぐさま大津に向かい、大津港を攻略、占拠する。

 大谷の動きを警戒していた六角承禎は、すぐさま瀬田城を出て大津港に向かおうとするが、大谷側も承禎の動きを監視しており、城を出たとの知らせで即座に浮航要塞を瀬田の唐橋に派遣。

 これを落として六角軍の進軍を阻む。

 迂回を余儀なくされた六角軍は瀬田川の浅瀬を渡り、大津港に向かうと思われたが、そう見せかけて実は背後から迫ってくる織田軍を罠に嵌めるべく、渡河した先で陣を組み待ち構える作戦に変更したとみられた。

 六角承禎の逃げ道を塞ぐため承禎を追うことにした織田軍が、逆に罠に嵌められるのを防ぐため、渡河先で待ち構えているであろう鉄砲隊を先に排除すべく、大谷も鉄砲隊を派遣し背後から急襲することを狙う。

 しかし、この河岸の陣もニセの陣で、大谷の鉄砲隊を誘い出す罠であった。

 そして六角承禎は手薄になった大津港に、騎馬隊に鉄砲を持たせた竜騎兵を投入し、急速に防衛陣地に迫って来た。

 大谷は急遽予備役の鉄砲隊を投入すると、防衛用に開発しておいたガトリング銃で敵を迎え撃った。

 反撃に遭わないと思っていたのか、思わぬ抵抗に怯んだ六角軍は、上手く誘い出したはずの鉄砲隊に逆に背後を突かれ、陣を捨てて撤退していった。

 どうにか橋頭堡を確保出来た大谷達は、大津に仮の拠点を作るため、要塞をほぼ空にして大半の者を上陸させていた。

 これまでずっと戦い通しであり、当面脅威は無いと思われたので、拠点の工事は後回しにして休みを取ることにした。

 しかし、大谷達が寝入った隙に、味方だったはずの織田軍4000名によって包囲されてしまった。

 織田家にいた時からソリが合わなかった佐久間信盛らが、抜け駆けは許さぬとばかりに大津港の拠点を奪取しに来たのだ。

 茂吉なども完全に油断していたため、エドと中村玉尾が人質に取られ、武器も全て没収されてしまい抵抗も出来ず、大谷としては最早大津は諦める他は無かった。

 ここは一旦下野して再起を目指すにせよ、そのためにも家臣は一人も失いたくない。

 そこで、港に停泊中の要塞に逃げ込む策を練り、降伏して琵琶湖から船で浅井に向かうと見せかけ、暗闇に隠しておいた要塞まで佐久間らを呼び込み、そこで奇襲をかけることに成功。

 佐久間信盛は死亡し、佐々成政は右手を失う重傷を負い、河尻秀隆は這々の体で逃げ延びた。

 首魁は潰したものの4000の兵を相手に戦う訳にもいかず、大谷らも大津を引き払い、沖島に一旦もどり、そこで今後の身の振り方を考えることとなった。

 今井宗久の息子の兼久が堺へ逃げ込むことを提案、多くの家臣も賛同したためその方針で行くことに決定した。

 だが、そのための準備をする間も無く、信長から大谷討伐令が出されてしまう。

 逃げ延びた佐々成政が、自分達ではなく大谷が襲ってきたと報告したためだった。

 夜逃げのようにして長浜村を引き払うと、逃走ルートを分散して逃げた後、一旦京都で集結してから堺に向かうことになった。

 しかし、逃げる途中で妊娠中の大谷に遂に陣痛が起こり、琵琶湖上の要塞の中で後に大谷吉継となる男児「慶松」を出産することとなった。

 難産ではあったが無事出産出来たものの、その後逃避行は困難を極めた。

 自力では動けない大谷を抱え、竹中半兵衛らは艱難辛苦の末、京都の啓迪院までたどり着く。

 啓迪院で一息つけると思ったのも束の間、前田慶次が既に京都にも追っ手が迫っていることを伝えてきた。

 大谷はこれまで会った様々な人の協力を得てどうにか堺にたどり着き、その他の家臣らも怪我人は出たものの、一人も失うことなく堺に逃げ延びることが出来た。

 今井宗久のはからいで、移住者達を歓迎する祭を開くなどして、大谷達は堺の人々にすぐに馴染むことが出来た。

 早速料理の腕を発揮し、飲食店に料理のレシピを伝授したり、料理本を出版するなどして堺の街のために尽力する。

 一方で新たな住居を建設するため、画期的なコンクリートの土台を使った建築法を編み出すなど、社会インフラの進展にも助力し、堺の中でも一目置かれる存在となる。

 そして、民主政治実現のため、自ら子育てをしながら市民教育のための学校を作る事業を開始するのだった。


 今は1566年、3月。

 子育てに専念して過ごすこと1年半。

 すっかりご近所で評判の、働き者のお母さんみたいな存在になっていたが、その陰で教育改革を目指し、学校開校に向けあれこれ活動してきた。

 完全に国盗りの表舞台からは消えた存在となっていて、関白様あたりからも全く連絡は無い。

 朝廷や幕府の話は、唯一、山科言継さんが時おり堺を訪れ報告してくれることで、なんとか知ることが出来ている。

 それによれば、今や織田信長が国盗りの主役であり、関白様もどうやら信長に乗り換えたようだ。

 信長は天皇拝謁後、半年ほどは占領した領地の地固めに務め、対外的にも横暴な振る舞いはしないよう心掛けていたように思う。

 しかし、朝倉義景が事あるごとに反目し、朝廷との人脈を駆使して幕府の政策決定に反対することから、遂にある日プッツンいってしまったらしい。

 ある茶会で同席した信長と義景が口論となり、義景が信長にお茶をぶっかけたらしい。

 それに激高した信長は、手元にあった菓子茶碗を投げつけ、義景は頭から血を流し昏倒して、信長は捨て台詞を吐いて退席、茶会は流会となってしまったという。

 それが直接の原因というわけではないだろうが、その後、越前と美濃との国境で小競り合いが相次ぐようになった。

 朝倉は越後の上杉謙信と誼を通じ、織田は武田と婚姻を結ぶという動きを見せ、ここへ来て急激に美濃周辺がきな臭くなってきた。

 因みに長浜村は浅井家の直轄地に戻り、大津は明智光秀が治めることになった。

 六角家の本拠地だった観音寺城は、とりあえず丹羽長秀が治めているが、近々取り壊し、付近に新しい城を築く予定だという。

 その縄張りを秀吉が任されているというから、いよいよ安土城が建てられるのかも知れないな。

 そんな世間の動きは耳に入ってくるけど、こっちに来てからは、最早別世界の出来事みたいになっている。

 ここが租界のような存在だからかも知れないが、知ろうとしなければ本当に世の中のことを知らないまま生活出来てしまうだろうな。

 大規模な田畑が無いため、ここだけで自給自足は出来ないが、金はたんまりあるので、少々高くても買うことが出来る。

 都会生活に慣れている自分からすれば、それは見慣れた日常だった。

 だが、農民出身の親衛隊のメンバーなどは、「野菜がクッソ高ぇ〜」と驚いていたな。

 作っていた方からすれば、金を払ってモヤシを買うなど考えられない事だろう。

 モヤシ栽培はいずれここでも始めようと思っているが、今は学校開校に向け全力を注いでいる最中だ。

 学校自体は、既に校舎の建設が始まっており、コンクリートの土台も完成し、今は上物の建設に取り掛かっている。

 300人以上を一度に収容出来る施設なので、これが完成すれば、この堺の中で一番大きな建物になるだろう。

 日々重くなってくる慶松を抱え、建設現場の見回りや、教師の実習の見学などなんやかんやと忙しいので、モヤシ小屋&火薬製造はそれが軌道に乗ってからだ。

 その傍らで、大谷本舗の次なる戦略を考えたり、大砲の入手について今井さんを焚き付けたりと、いろいろやっているので、吉子村や長浜村に居た頃より、俺個人としてはかなり働いている。

 自分でも働き者になったなぁ、と思うのだが、やはり子供が出来たのと、目標がハッキリしてきたことが大きいのだろう。

 ここに来るまでは、何が出来るか試しながらって感じだったからな。

 だが今は、この国を変えていくことに全力を尽くすことに決めたのだ。

 そのためには、少々イレギュラーなこともするし、神様から「キ〜ッ!」と言われても、やり通すという覚悟が出来ている。

 その心持ちの変化が、一番大きいと自分でも感じている。

 その事は、周囲の人間にもやはり伝わるようで、半兵衛なども労を惜しまず、様々な活動に手を延ばす俺を支えてくれている。

 軍師の仕事は無くなったが、以前より夫婦の間の会話が増えたように思うし、笑顔を見せる機会も多くなった気がする。

 目標を達成したときよりも、こうやって目標に向かって努力している時こそが、本当は幸せな時なのかもしれないな。


 そんな折、エドと玉ちゃんの間にも子供が出来た。

 だからといってエドが日本に骨を埋めるとも思えないが、もう少しここに居る理由は出来た訳だ。

 そんなエドが、珍しく自ら外洋船を作らないかと持ちかけてきた。

 それに乗ってイギリスに帰るのか?と尋ねると、苦笑いしながらも、あくまで俺の商売のためだという。

 確かに大砲を調達するにも中国かインドまで行く必要があるだろうし、もし可能なら作って欲しいと思うが、ここに居る船大工は和船しか作ったことがないからどうなんだろう。

 だが、エドの話によると、最近南蛮船が到着して、その中に知り合いの船大工がいたらしい。

 そいつとは以前同じ船に乗っていた時期があって、インド周辺を主に活動していたらしいが、ポルトガルが今後は活動場所を南シナ海に拡げようとしているようで、それなら東アジアも無縁では無いということで、東の端っこの日本の様子を探りに堺にまでやって来たというのだ。

 なるほど、その男から協力を得られれば、船大工を養成出来るかも知れないな。

 どのくらい日本に居るのかわからないが「一度会って話をしてみたい」と伝えると、「そう言うだろうと思って実はもう連れてきている」という。

 話、早!

 さすがはイギリス人。


 その男は50歳くらいに見えるスペイン人で、ディエゴと名乗った。

 日本語は全く分からないようだし、エドとの会話はなぜかポルトガル語のようだ。

 それでは話がややこしいので、兼久君に来てもらって、通訳をお願いした。

 どうやら彼はずっとポルトガル船に乗り続けていたせいで、スペイン語で会話が出来ると知った途端、堰を切ったようにしゃべり出した。

 それによれば、元々は船大工では無く、設計技師だったそうだが、彼の乗ったスペイン船で航海中に暴動が起こり、彼もそれに加担したとしてギルドから追放されてしまったそうだ。

 仕方なく、以降はポルトガル船に乗り続け、技師としての知識を活かしつつ、船大工のようなことをやっていたのだという。

 だから、もし、自分が必要だというなら、住むところと給料さえ払ってくれるなら、しばらく日本に居続けても構わないと言ってくれた。

 やった!

 もうこれ以上願っても叶わないほどの、最高の人材じゃないか!

 いやあ、ビ○リーチか神様の思し召しですかねぇ。

 どうであれ、この機会を逃す手はない。

 彼を最高の待遇で迎え入れると、船大工の船造とその直属の弟子だった20名をディエゴの下に付けて、外洋船建造に向けてプロジェクトを立ち上げることになった。

 この際、学校の建設が少し遅れようが、こっちの方が大事だ。

 それに200名居る大工のうち20名抜けたところで、そんなに影響はないだろう。

 ディエゴにはさっそく住むところを用意して、食事も無償で提供する。

 そして、一日4時間。

 船大工を養成してもらうための講義をしてもらうことになった。

 通訳は兼久君にお願いするしか無いのだが、他にも仕事がある中、彼は率先してそれを引き受けてくれた。

 そしてディエゴに必要な物を聞いてみると、日本にある材木を入手しやすい物から順に教えてくれと言う。

 さらに、入手出来る油とその価格、工房の機材なども調べていった。

 結果、彼は日本の技術力の高さに驚いており、日本で外洋船を作ることなど訳ないと言い切った。

 ただ、問題はそのための施設が無いことと、防腐技術が未熟だったということで、木材を乾燥させて更には防腐処理をするための施設も要るし、船を組み上げる屋根付きのドックも作らなければならない。

 相当大きな空間を持った建物が必要となる。

 これまで日本では寺以外で、なかなかそういった建物は無かったのだが、ディエゴは建設中の学校を見て、これと同じ建物を港のすぐ脇にも立ててくれと言いだしたのだ。

 これ建てるまでに結構時間掛かってるんですけど、もう1個建てろと。

 まあ良い、やりましょう。

 夢のガレオン船のためにも。

 この時代、ガレオン船自体は日本に来たことはまだ無い。

 しかし、既にスペインがフィリピンとアカプルコの間でガレオン貿易を開始している。

 一方日本によく来る南蛮船は、主にポルトガル船で、ガレオン船より小形のキャラック船かキャラベル船だ。

 一概にガレオンだから凄いとか、キャラックだからダメとは言い切れないが、ガレオン船はその大きさと見た目の格好良さで相手を威圧することが出来る。

 さらに積載量が大きいので、積荷の他にも強力な大砲を何門も積むことが出来る。

 黒船がやったような、いわゆる砲艦外交が可能となる訳だ。

 実際には船足が遅いため、海賊などには苦労したようだが。

 しかし、その積載量を活かした武装貨物船としての役割は、スペインを世界一の海洋国家に押し上げるために、大きく貢献したと言える。

 ガレオン船の登場以降、ヨーロッパ各国は自国の国情に合わせ、同様なタイプの船を競って開発していくことになる。

 そして、およそ100年ほどかけて、いわゆる戦列艦と呼ばれる大型の規格の統一された戦艦へと発展していくのだが、ガレオン船はその基本形となった船だ。

 そのガレオン船がなぜそんなに海洋を支配出来たかと言えば、その積載能力と火力である。

 200トン程度の比較的小型のガレオン船でも、およそ20門前後の大砲を備えていた。

 1000トンを超えるような大型船では、40〜50門も備えている船もあった。

 その大砲も、砲弾の重量が5kgを超えるもので、これの直撃を喰らったら和船は一撃で沈んでしまうだろう。

 この点でも、ガレオン船は外側に装甲が施してあるので、外板が破られてもすぐに沈むことは無い。

 そこで海賊は逆に船足の速い小型船で、大砲の直撃を回避しつつ、接舷して白兵戦に持ち込む戦法を多く用いたのだ。

 だが、貨物船として考えるなら、一度にたくさん積める方がコストを抑えられるので、船底を大きくしようとするのだが、そうするとさらに船足が遅くなってしまうし、だからといって重武装すればそれだけ人件費もかかるということで、なかなかバランスが難しいところだな。

 とりあえず、我々がまず目指すのは、インドのゴアで、そこまで行って大砲を取りつけて、帰ってくるというのが最初のミッションになるだろう。

 インドに行くまでが無防備なので、護衛を誰かに頼めるのか、その辺が問題ではあるが、連弩やらガトリングガンを載せれば急場しのぎにはなるんじゃないかな。

 資源の関係で、残念ながら日本で大砲を作るのはまだ難しい。

 石炭は採れるものの鉄鉱石は日本には無い。

 無論地層内に鉄は存在しているが、鉱山になるような塊として存在しないので、大量に鉄を作ることが出来ないのだ。

 この辺に、日本が鉄と石で発展してきた文明になかなか太刀打ち出来ないという現実があるのだが、そこは知恵を絞って何とかしていくしかないだろう。

 奴らの言いなりにならないようにするためには、こちらにも力があることを示さねばならないのだ。

 ディエゴと相談した結果、座学でいくら話したところで限度があるということで、手始めに練習用の小型船を一隻作ってみることになった。

 そのためのザッとした設計案を立ててもらい、まずは長さ30mで50トンぐらいの2本のマストを持つ、後にブリガンティンと呼ばれる種類の船を作ってみることにした。

 ブリガンティンという船種はこの時代、まだ産まれて無いのだが、練習用ということで俺が2種類の帆を備えた船を作りたいと頼んだため、ディエゴが初の試みで苦心して設計してくれたのだ。

 この船の特徴としては2本のマストの一方が四角い横帆で、もう1本が三角形のラテンセイルを個別に備えていることで、順風なら横帆で進み、逆風なら三角帆で風上に向かって進むことが出来る。

 和船では逆風に向かって進むことが出来ないので、やり方を知っているのはディエゴとエドだけだ。

 だから実際にどうやって進むのかは、実践し体験しながら習得していくしかない。

 練習用なのでもちろん非武装であるが、もしかしたらいずれ戦力として必要になるかも知れないので、ダミーの大砲を載せて、万一の時は戦列に加われるように予め設計しておくことにした。

 この船を、およそ1年かけて建造し、船大工とは別に船員の養成も2年ぐらいかけて行う。

 練習航海で日本の沿岸を一周した後、琉球、フィリピンと、徐々に足を伸ばしていこうと思う。

 エドには、この船長を務めてもらい、まずは50名くらいの船員を養成してもらい、練習航海を2〜3年繰り返して船の扱いを習得してもらう。

 これが上手く行ったら次はいよいよガレオン船に着手する予定だ。

 それの建造中にも随時船員の養成を行い、10年ぐらいを目処に最終的には200名ぐらいの船乗りを育て、可能ならガレオン船を2隻作って、交代でインドまでの航路を作れれば、貿易と外交の両面でかなり大きな事が出来そうな期待が持てる。

 上手くすれば胡椒などの香辛料の日本での生産とか、インドを中継地としたヨーロッパとの取り引きなども可能になるかも知れない。

 俺自身がインドまで出向くようなことはまず無いと思うが、砂糖の生産も日本で行おうと思えば、砂糖大根かサトウキビの栽培が必須となる。

 そして、加工して出来たお菓子を輸出するといったことも、もしかしたら出来るかもしれない。

 そのためにも、外洋航路の定期船就航は是非とも実現したいところだな。

 いやあ、こういうのは「ニッポンの夜明ぜよ」な感じで、わくわくしてくる。

 何となくイメージで、荒い波が叩き付ける岩壁に立ち朝日を見つめる坂本龍馬の姿を思い浮かべるが、坂本龍馬自身はそんなことは言ってないらしいから、俺の知識もいい加減なもんだよな。

 ともあれ、船大工、というか設計技師の登場で今後の戦略がガラッと変わってしまった。

 さらに忙しくなること間違い無しだな。

 子育てなんか、こんな状況で果たして出来るんだろうか。

 この子にはちゃんと育って欲しいけど、根が男だからその前に自分のやりたいことを優先しちゃうよな、どうしても。

 まあ、親のスペックを受け継いでいるなら、相当な才能を持ち合わせていそうだけど、どうなることやら。


ここまでお読みくださりありがとうございます。

とうとう船に手を出しちまいやしたね。

どうなっても知りませんぜ(誰?)

という声が聞こえてきそうですが、しばらくは、いろいろ建設ラッシュが続きそうです。

引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

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