第2話 回想
「ーーーーーー」
入学式が始まり、数分。
迅は微睡みのなかを揺蕩っていた。
マイクによって拡大された音声も聞き取れないほどにその意識は沈み、無意識に数ヶ月前の出来事を脳裏に浮かび上がらせていた。
◇◆◇◆◇
【西暦2112年12月24日】
いつもと同じ日々。
特に珍しいこともない普通の日常。
突然の異世界召喚なんてないごくごく普通の生活。
迅はそれを楽しんでいた。
クリスマスイヴ。
そのイベントの余波は、ここ葛木中学にも及んでいた。
「さて、明日はクリスマスで冬休みの始まりな訳だが……お前ら、怪我とかすんじゃないゾ~。誰かが怪我したら皆が悲しむってはっきりわかんだね!」
葛木中学の3階。3年A組の教室で、担任の三浦浩二──高校時代のアダ名は野獣──がそんな臭いセリフを吐きながら、冬休みの注意をする。
そして、これが終わればクリスマスプレゼントの交換会……同時に一部女子達の戦争の開始だ。
だが、そんな賑やかさとは裏腹に迅はある存在が近付いているのを感じ取っていた。
『ビービービービー』
突如、警報が鳴る。
この警報が知らせているのは空爆なんかではない。
それより遙かに強力な存在の襲撃である。
「なっ!?これは、妖魔の……みんな、訓練通り地下シェルターに避難するゾ!これはやばいってはっきりわかんだね!」
妖魔……この世界に突然現れた未知の生物だ。
現存兵器での攻撃は効かず、斃すには勇者と呼ばれる存在が不可欠。
それが現れたからには一先ず、一般人は避難するしか手段はない。
しかし、ここ葛木中学のある高北市に妖魔が現れることなどここ数年間無く、訓練をしていても浮足立つ。
現に、すぐに避難をしろと言われているにも関わらず、一部の生徒たちは談笑をしている様が目立つ。
「おい、幹島~。
お前、妖魔倒せんだろー」
「やってこいよー」
「むりだろ(笑)、お前ら行けし(笑)」
「ほら、そこ!早く進め!」
「へーい」
三浦がそんな生徒たちを窘め、シェルターへと誘導して行く中、教室には迅と2人の少女が残っていた。
「……お前ら、逃げないの?」
迅は、少女達が残っているのを疑問に思い問い掛ける。
先ほどの馬鹿な男たちは兎も角、この2人は生徒会も務めた優等生だ。何か、学校に対する反抗なんてするわけもない。
だからこそ、迅は疑問に思ったのだ。
「東雲くんこそ逃げないの?早く行かないとしまっちゃうよ?」
「質問に質問で返すのか?まあ……いい。それに閉まるってんならお前らだって早く行かないと閉めだされるぞ」
「あ……うん、そうだね。早く行かなくちゃ」
少女の片割れ──深瀬舞弥はそんなことを言うと、彼女の親友であるところの御堂礼音を伴って教室から出て、シェルターへと向かって行った。
迅もそれに続いて、教室から出る。
────上空に浮かぶ、黒い渦を確認して。
警報が発令されてから凡そ5分。
黒い渦から、泥のようなものが落ちた。
それは徐々に巨大な鬼の形を取っていく。
タイプ:オーガ。
パワーに優れた妖魔である。
それが現れる様子を迅達はシェルターの中のモニターで見ていた。
その様子を見るということはつまるところ、街を破壊する様子も見るということであり、中には涙を堪えるものも居た。
そして、妖魔が現れてから数分。
妖魔へと対抗できる唯一の存在が到着した。
まあ、包み隠さず言えば酷い戦いだ。
迅は一人、呟いた。
到着した勇者の戦闘のレベルが低いのも要因の一つではあるが、大規模戦闘の要とも言うべき回復役が居ないのがなんとも言えない。
確かに、タイプ:オーガは妖魔の中でも低位階の存在だが、それでと最低のことを考えて戦うのが当たり前だ。それを分からず低レベルな勇者だけを戦わせても仕方がない。
そして、なにより……オーガが魔法を使ったくらいで騒ぎたて、総崩れになる時点で終わっている。
まあ、このままだとイタズラに街が壊されて、被害が拡大するだろうな。
そんなことを考えていると、不意にシェルターの入口が開いた。
「お、おい!深瀬!どこ行く!?」
「ちょ、舞弥!」
「御堂も!戻ってこい!」
同時にそんな声も聞こえてきた。
見ると、どうやら舞弥と礼音の2人がシェルターから出て行ったようだ。
考えるに、勇者たちの助太刀に行ったらしい。
「馬鹿が……」
迅はシェルターの扉が閉まるのを見ながら吐き捨てた。
今、この状況で外に出れば戻ってきても扉が開くことがないのはわかりきっていたはずだ。それなのに、自分たちを守るべく傷付いている勇者を助けるために外に出るなど、迅は馬鹿だとしか思えなかった。
そう、勇者適性を持つだけで、まだ大した力も持たない少女が外に出るなんてことは馬鹿だとしか。
モニターに勇者の証とも言うべき【聖装】の杖を持った舞弥と、長刀型の聖装を持った礼音が映る。
さすが、専門教育を受ける前と言うべきか、拙い聖力の使い方だ。それでも、多少のことができているのは2人の才能故か。
まあ、それも長くは持つまい。
迅は冷酷にもそう思いはするものの、動こうとはしなかった。
「まあ……そうなるよな」
迅は勇者の結界術に守られている舞弥と礼音を見て再び呟いた。
いくら勇者候補とはいえ、まだ2人は一般人。勇者達の守る対象だ。そんな彼女たちが戦場に赴けばああなるのは目に見えていた。
そして、妖魔も気付いたのだろう。
彼女たちが弱点で、与えた傷を癒やしている邪魔者なのだと。
彼女たちへの攻撃が激化する。
同時にシェルターも揺れ、悲鳴が起こる。
このまま行けば増援が来る前に彼女たちは死ぬだろう。
迅は、シェルターの壁に体を預けながら、そう考えていた。
だが、それを回避する方法はある。
自分がここから出て、あの妖魔を斃すだけ。
実に簡単だ。
しかし、それをすれば自分は普通の生活を送れなくなる。
記憶を消すなりなんなりすれば楽だが、そんな面倒なことは進んでやりたいとは思わない。
だから……それはしない。
高々3年一緒に居たくらいの人間相手に自分の平穏を潰そうなんて思わない。
自分は自分のやりたいようにやるだけ。今までだってそうしてきたのだ。
だが……
迅は無意識に胸元のネックレスへ手を伸ばした。
そこにあるのは大小2つの指輪。かつて、1人の少女と共にしたものだ。
「お前なら……こうするよな」
迅は壁から背を離すと扉へ向けて歩き出した。
それを見て、三浦が迅に声を掛ける。
「東雲。どこ行く気だ?まさか、お前まで外に行くなんて言わないよな?」
迅はその言葉に無言で返答する。
「いいか?あいつらは勇者候補だから今どうにかなってるようなもんだが、お前は男だ!あんな中に行けばすぐに死ぬ!」
三浦が自分の身を案じているのは迅とてわかる。
だが、考えが完全に相違している点がある。迅は男だが、べつに勇者に劣っているわけではない。
「先生、ここ開けてくれないか?」
「東雲!」
「まあ、開けてくれないならそれはそれでいいけどな」
そう言うと迅はその手に黒革で柄が巻かれた鍔の無い刀を取り出し、極自然にそれを振るった。
黒と緋の閃光が奔り、シェルターの扉が斬れる。
迅はそこを通り抜けるとゆっくりと地上へと向かって行った。