第14話
「薄い緋の刃を持つ黒の魔剣……」
誰かが呟いた。
「かの英雄は黒衣を纏いて敵を狩る」
それは吟遊詩人がこぞって詠う英雄の詩。
勇者であり、勇者である色を捨て、勇者であることを辞めた1人の英雄の詩。
白を捨て、刃を黒に染めた男の詩。
◇◆◇◆◇
「──────────というわけで、ある程度の大型にならなければ妖魔の出現は感知が難しい」
目の前でそう締め括った女性教師はなにか質問がないかと教室を見渡しながら問い掛ける。
入学から4日目にしてようやくまともな授業が行われていた。
それまでしたことと言えば、一日目は入学式。二日目に二時間ほどのHR。三日目に学校内の施設の見学と小学生かと言えそうなものばかりだった。
そんなわけで初授業なのだが、今回行われているのは【基礎妖魔学】なんていう教科だ。
妖魔に関すること全般や、勇者に関する法令や機関内での規則などについて勉強するものだ。
この朝比奈学園は一種の専門学校だ。
朝比奈学園のカリキュラムの組み方を例えるのに一番近いのは農業系の高校だろうか。
通常の科目の他に専門的な勉強を重点的に──例えば銀○匙なんかだと数学などより専門的な物に比重が置かれているのがよくわかる──行う感じだ。
朝比奈学園は週5日、一時限50分、一日6時限で授業を行っている。
一年生の科目は、国語、数学、社会(日本史)、化学、英語、家庭科、体育、芸術、基礎妖魔学、異能学、技術訓練の計10科目だ。
午前8時50分に授業が始まり、間に10分間の休みを挟み12時40分に4時限が終わり昼休み。昼休みは1時間10分。13時50分より5時限が始まり、15時40分に6時限が終了。その後ホームルームを行い、放課後は各自トレーニングをしたりなどというのが主なスケジュールとなっている。
「そのため、今この瞬間も小型の妖魔は顕れている可能性がある。一ノ瀬、日本において一番妖魔の出現率が高いとされているのはどこかわかるか?」
「えっと、群馬県です」
「そのとおりだ」
これを初めて聞いたとき迅は噴き出しそうになった。
まさかかつて魔境とまで言われた群馬……グンマーが本当に妖魔蔓延る魔境になっているとは流石に思ってもいなかった。
まあ、この様にどの国にも妖魔の出現率が著しく高く妖魔に占拠されているような魔境と呼ばれるようなものが存在する。それらはダンジョンなんかとは違うが妖魔の巣窟になっている。この違いについてはまだ詳しく分かっているわけではないが、大まかには魔境はその土地を妖魔が占拠している場所、ダンジョンはどこかしらの入口から入り、中が迷宮と化しているというような感じか。
「妖魔の発生原理は未だ殆ど謎だ。日本では群馬だったが、隣国……例えば旧中国、現中華人民連合共和国では北京のような大都市が、半島はその全土が妖魔が蔓延る魔境になり未確認ではあるがダンジョンが三桁に達する程あるという話も出ている」
女性教師──田中は教室の前面の電子黒板にアジア圏の地図を映し出した。
半島、かつて韓国と呼ばれた国などがあったその土地は妖魔出現時のゴタゴタで国家機能を失い、妖魔に飲み込まれた。無論、ロシアやアメリカを中心とした国連軍が解放を目指したが、基本的に妖魔に聖力を帯びていない攻撃は意味をなさない。勇者の数自体も少なかった当時の戦線は酷かったというのは誰もが知るものだ。
そして、現在の話をすれば、半島は未だ解放されず中国との境界線に長大な壁が築かれ妖魔の進行を食い止めている状態である。
「このように、魔境となるような場所にその土地の性質は関係ない。都会だろうが田舎だろうがなるときにはなる。例えば、今この瞬間に巨大な穴が東京に空いたとしよう」
田中は映し出した地図をアジア圏から東京へと変え、黒い点を描く。
「穴が巨大……ということはそれだけ出てくる妖魔の量は多くなり、大きく強くなる。もし仮に東京本部などが全滅した場合、東京はすぐさま魔境となるだろう」
東京を赤く塗りつぶし、田中はそう締め括った。
昼休み。
朝比奈学園には食事を提供する場所がいくつかある。
主に定食を提供する食堂、軽食類や珈琲などを提供するカフェといった感じに。
そんな中でも、やはりカーストというものはあるもので、高ランクや上級生は比較的過ごしやすい……例えば日当たりの良いソファー席などに座り、低ランクは隅で固まるといった具合だ。
もし仮にそんな場所に迅が行けばどうなるか、などというのは今更語るまでもないだろう。
なにせ、Sランクで唯一の男、しかもイケメンときた(どこぞのアイドルのようなどこか女々しい顔──ミルク顔とでも言ったか──では断じてない)。
そんな迅が一人になれるわけがない。一人と見れば──1人でなくても──色々な生徒が声を掛けて、尚且つ関係を持とうと中には中々に大胆な方法で近寄ってくるものもいるだろう。
この学園は比較的校則は緩い方だ。制服の改造も度を過ぎなければ許されるし、髪の染色(中にはしなくても聖力の影響で変色した者も居る)も自由だ。ただし、正式な場では正装を要求されるのは同じだ。
そうした緩い校則だと、ミニスカートなんていうのはザラなわけで、中が見えそうになるなんていうのは日常茶飯事だし、シャツを開けて胸元を強調するような服装なのも居る。
そんな女達が争うように声を掛けて、中には抱きついてくるのだ。
普通の男子高校生からしたら、美少女の多い勇者にそんなことをされるのはご褒美かもしれないが迅からしたら鬱陶しいだけだった。
そんなわけで、迅は昨日の失敗を繰り返さないべく、手早く学園のカフェでサンドイッチを購入すると校舎の外に出た。
向かった先は学園内の林を少し行ったところにある小さな池だ。
「珍しいな」
迅は林の中の池に着くと先客を見つけ、そう呟いた。
もし、ここに同伴者がいれば迅に「なにが?」と問い掛けたことだろう。なぜなら、その池の周りには何一つ変わったものはないのだから。
だが、たしかにそこには何かがあるのだ。
「精霊か……本当に珍しい」
『あれ?見えてる?』
『見えてるね』
『あの娘以外の人間が私達を見てる』
『しかも男だ!』
『でも、変な匂い』
『でもいい匂い』
迅の呟きに答えるように先客──迅曰く精霊達は物珍しそうに迅の周りを賑やかに飛び回り始めた。
綺麗な水色の光の玉が飛び回るその光景は幻想的だ。
「あの娘?ということはここに来る奴が居るのか?」
『居るよ』
『千夜!私達の友達!』
『ちょうど来たみたい!』
『でも今日も濡れてる』
『どうして?』
精霊達の言葉を聞き、気配を探るとたしかにこちらに近づいてくる気配があった。
少しすると、迅の通ってきた道を歩く少女が目に入った。
ピンク……なんていう本来ならありえないような髪色のメガネを掛けた少女。普通なら校則違反で指導を受けるような色だが、勇者にはその力故に髪の毛の色が変わる者も居る。迅も今は黒髪だが、本来は銀髪だ。中学時代、余計な問題を避けるために黒に染めた影響がまだ残っている。髪色なども個性というのが迅の持論だが産まれながらに白銀髪、赤目というまるで勇者のような容姿ではそうするほかなかった。先天性白皮症と誤魔化すこともできるだろうという意見もあるだろうが、そうするには様々なところで些か無理があった。
その結果が、幼少からの染髪というものだった。
因みに、現代でも地毛証明などという文化は存在している。それ故の問題、例えば教師による黒髪への染髪の強要などというものも存在してしまっている。
それはさておき。
「あ……っ」
少女は迅に気付き足を止める。
「こんにちは、先輩」
一応、迅は挨拶をしておく。
先輩、という呼称は胸元のリボンの色からだ。
この学園で今緑色のリボンを着けているのは二年生だけで、一年生は赤、三年生は青と色分けがされている。
「あ……えっと……こ、こんにちは」
「はい、こんにちは。ところで先輩、どうしてそんなに濡れてるんですか?」
なんて、寒気がするような敬語で話す迅を見たら絢瀬あたりは目を剥くだろう。だが、ここで念の為言っておくならば敬語程度なら迅も使えるということだ。
確かに、絢瀬や舞弥、礼音といった葛木中からの付き合いの人間が知る迅は上級生に敬語など使う事などない人物だった。しかし、迅は一応ではあるが日本の五指に入る……世界でも有数の名門の後継ぎだ。それなりの教育は受けている。
「え……あ、いや……あはは」
「笑ってないで乾かす程度したらどうですか?」
「あ、うんそうだね……」
『かわかすー』
精霊達がフワフワと千夜の周りへと飛んでいく。
そして、数秒が経つと千夜はしっかりと乾いていた。
「ありがとうみんな」
『どういたしましてー』
礼をする千夜とそれに答える精霊達。
「なるほど……精霊術師か」
その様子を見て迅は呟いた。
精霊術師……その名の通り精霊の力を借りて──又は使役して──精霊術と呼ばれる魔術を行使する者たちの総称だ。
純粋なエネルギー体として存在する精霊の力を使った魔術は総じて効果が高い。そんな訳で嘗ては優遇されていた者達なのだが、現代においてはその地位は低い。
それこそ、どれだけ精霊との共鳴率が高くとも機関内ではよくてCランクといった具合に。
精霊達は大して気にしていないようだが、千夜が濡れていた理由など迅は大まかに察していた。
雨も降っていないしここに来るまでに濡れるようなものは無かった。だとしたら誰かに水を掛けられたということくらいしか考えられない。
まあ要するにイジメだ。
なにせカーストがシンプルに決められているような学校だ。その標的なんかは簡単に選べる。なんかムカつく、容姿が醜い。そんなのがイジメの大きな理由だが、それよりももっと単純な理由がある。
[アイツは自分より下の人間だから虐めていい]
普通なら自分より下なんてものは殆ど主観で決めるようなものだ。しかし、この学園ひいては対妖魔機関というものではランクという名のカーストがある。そんなものがあれば客観的にも下だと確定させられる。さらに、千夜のクラスは恐らくだが精霊術師。現代では魔術師の下位互換、役立たずと呼ばれているようなクラスだ。
もし、迅の予想が正しく千夜がいじめられているとすれば、これほどまでに標的になりやすい人間は居なかっただろう。