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9.侯爵家の嫡男

マクシミリアンは(誰かに似ている)そう思った。

クラリッサは少し固い声で相手に向き直り、扇で口元を覆った。


「まあ、アロイス様……お一人ですか?婚約者の―――レルシュ様はご一緒では……?」

「あちらでおしゃべりに忙しいようだ」


そう言って、冷たい笑みのままアロイスと呼ばれた金髪の青年は視線で女学院生達が纏まっている人溜りの方を指し示した。それからツッとマクシミリアンに視線を向ける。その視線に僅かに侮蔑の色が混じっていると感じたのはマクシミリアンの気のせいでは無いかもしれない。発した声が冷え冷えと冷たい色を孕んでいたから。


「……そちらは?」


アロイスが彼女に尋ねるが、クラリッサは無意識にマクシミリアンへの紹介を優先してしまう。本来であれば、質問をした身分の高いアロイスにマクシミリアンを先に紹介するべきである。


「―――ご紹介するわ。マックス、こちらゲゼル様」




(ゲゼル……)




そこで漸くトビアスの兄だと気が付いた。そう言う目で見れば確かに、金髪もはしばみ色の瞳も、冴え冴えとした面差しも、彼を想起させるものだった。

ただ明らかに違うのは―――瞳の奥に秘められた、マクシミリアンに向ける感情の色だ。


「アロイス様、こちらはコリント様です」

「ああ……あの道場の。トビアスが随分世話になっているようですね……剣術の成績も上々と伺っております」

「いいえ、トビアス……様が熱心に学ばれているからこその結果です」

「―――まぁ、そんな事よりもっと熱心になって貰いたい事は山ほどあるのだけれどね」

「……」


(『そんな事より』?)


挑発的な台詞に気付きはしたが、明らかな身分の上下がある。マクシミリアンは表面上は平静を装い、聞き流した。


「アロイス様」


咎めるような声を上げるクラリッサに、アロイスは目を細めて笑顔を作った。


「クラリッサ様、一曲お相手していただけませんか?ダンスの名手と言われる貴女にご教示願いたいのですが」

「名手なんて……人並に踊れるだけですわ」


やんわりとした拒絶が、その声に滲んでいる。

彼女がアロイスに心を許していない事は、その声音で分かった。やんちゃで傲慢だった頃のトビアスを批判する時でさえ彼女は……このような感情を押し殺した声を出す事は無かった筈だ。


「アロイス様、私はアドラー少尉からクラリッサ様を託されております。どうかアドラー少尉が戻るまでお待ちいただけませんか」

「―――名を呼んで良いと誰が言った?」


ヒンヤリとした固い声が飛んで来た。

マクシミリアンは一瞬息を呑んで、頭を下げる。


「申し訳ありません」

「下位の者に名を呼ぶ権利を、私が与えると思うな。できそこないの弟に取り入ったからと言って、同じに思われては迷惑だ」

「―――アロイス様っ」


冷たく言い放つアロイスに、クラリッサは噛みついた。

扇を握りしめて、キッと彼を睨みつける。


「これ以上、私の友人を侮辱するのは許しませんよ」

「ああ……これは―――申し訳ありません」


するとガラリと態度を変え、アロイスは微笑んでクラリッサに頭を下げた。


「つい嫉妬してしまいました。『アドラー家の至宝』と呼ばれる美しい貴女を独占し、勘違いする不埒な輩だと誤解したので―――『ご友人』でしたか。ならば良いのです」

「―――何ですって?」


クラリッサも突飛なアロイスの台詞に、扇を拡げるのも忘れて思わず聞き返した。


「クラリッサ様、哀れな私にどうかお情けを下さいませんか?貴女の美に傅くしもべに―――」


そう言って慇懃に腰を折るアロイスが差し出した手を、奇異なものを見るような目でクラリッサは眺めた。


「貴方―――何をおっしゃっているか分かっているの?」

「ええ、存分に。私の本当の気持ちを……そろそろ分かって頂きたいと思いまして」


「ゲゼル様、それ以上は―――」


唐突に現れクラリッサに絡みだしたアロイスに対して、マクシミリアンが一歩前に出て彼女を庇おうとした時、キンッとつんざく様な声がその場に響いた。




「アロイス様っ!こんな所にいらしたのね」




駆け寄って来たのは黒髪を結い上げた青い瞳の令嬢だった。

彼女はバルコニーへ飛び込んでくると、アロイスの腕に縋りついた。


「ああ、レルシュ」


フッと乾いた笑いを寄り添って来た令嬢に向けたアロイスは、クラリッサに向かって言った。


「―――時間切れのようですね。クラリッサ様、それではまたお会いしましょう」

「クラリッサ様……?」


その時やっと黒髪の令嬢は、アロイス以外の存在に気が付いたらしい。

怪訝そうな瞳でジロジロと不躾にクラリッサに視線を這わせながらも、一応と言った様子でスカートを摘まんでペコリと頭を下げ、広場に足を向けるアロイスにぶら下がるように付き添い去って行ったのだった。







「―――何なの?あの人は……」


金髪の男と黒髪の女が嵐のように去って行った掃き出し窓を見つめて、クラリッサは呟いた。

マクシミリアンにはこれまでの経緯はさっぱり分からなかったが、クラリッサの婚約者候補となっているのは、お互いの祖父の後押しでアロイスでは無く、弟のトビアスになっているのを知っていた。今までクラリッサが乗り気で無かった為、正式に婚約者となってはいないのだが。


なのにアロイスの態度はあまりに不自然だ。

黒髪の令嬢は彼の婚約者に違いない。そんな存在がいながら、家の後押しで弟と婚約を持ち掛けているクラリッサに人目のある所で言い寄るとは。


「……今のご令嬢は、『アロイス』の婚約者なんですよね?」


目の前にいなければ、敬称を付ける気にもなれない相手だ。マクシミリアンは躊躇なく名前を呼び捨てにする。意地っ張りな割に根が素直なトビアスの兄とは到底思えない男だった。


「ええ、ヴァルドール伯爵家のご令嬢よ。確かご領地内に港町があって、その特産物が高値で取引され大変裕福だと噂で伺った事があるわ……あまりお話した経験は無いけれど、私と同じ学年の女学院生なの」

「アロイスは―――婚約者がいるのに……以前から、あのような口を?」


クラリッサは首を振った。


「いえ、記憶にある限り彼は今まで私に感心を向けた事なんて無いわ。お祖父じい様と一緒にゲゼル家と顔合わせは何度かしているのだけど、あのような戯言を言うタイプでは無かったのよ。だから嫌悪と言うより―――正直面食らってしまったわ。昔から身分にうるさい傾向はあったように思うのだけれど……マックス、ごめんなさい。貴方をあんな風に侮辱させてしまって」


辛そうに眼を伏せるクラリッサに、マクシミリアンは取り成すように言った。


「あんなの、気にしちゃいません。それに、クラリッサの所為ではありませんよ」

「私は悔しかったわ……大事な……友人を貶められるなんて」


そう口にした後、クラリッサは自分を振り返ってしまう。


「でも、私も同じね。クロイツ兄様に近寄る女性達を身分を笠に威圧していたんだから。……相手の気持ちがよく分かったわ」


しゅんと、俯くクラリッサが可愛くなって、思わずマクシミリアンの眉間も緩んだ。

彼女の背中をポンと叩き、笑い掛ける。


「全然、違いますよ。あんな『浮気野郎』と一緒にしないで下さい」


マクシミリアンから飛び出して来た、粗野な台詞にクラリッサは目を丸くした。

王立騎士団で平民の先輩に可愛がられているマクシミリアンは、最近、俗語スラングまみれの生活を送っていた。もっと酷い台詞もたくさん聞き及んでいるが、一番軽めの俗語でも、クラリッサにインパクトを与えるのは十分だった。


「『浮気野郎』?」


ポカンとクラリッサが繰り返す。きっと彼女はそんな台詞を口にするのは人生で初めてのことだろう。マクシミリアンは(ちょっと拙かったかな)と一瞬後悔する。彼女の可愛らしい上品な唇に乗せて良い言葉では到底ない。


すると彼女はプッと笑い出した。


「ふふふ……おかしい。そうね、あれはルール違反よね!れっきとした婚約者がいながら、取って良い態度では無いわ」

「そうですよ、気にする事は無いです。私の大事な『友人』をあんな『浮気野郎』と一緒にしないでください」


おどけた様子で、アロイスを『浮気野郎』と連呼する彼を諫めようとしたクラリッサだが。


「ちょっ……マックス、言い過ぎ……」


そう言い掛けた彼女が堪えきれず本格的に笑い出したので、マクシミリアンはホッとした。

少々真面目な性質たちの彼女が気に病む気持ちも分からないでは無いが、あんな失礼な男の為に顔を曇らせるより、明るく笑って欲しかったのだ。

彼女の笑いにつられるように、マクシミリアンも笑い出した。




「随分、楽しそうだね」




そこへカーが現れた。

二人が声の主に目を向けると、彼はペトロネラを伴ってバルコニーへ出て来る所だった。


「ペトロネラ様、ごきげんよう。お兄様、用事は終わったんですか?」


クラリッサは優雅にドレスの裾を摘まんで、ペトロネラに礼を取った。ペトロネラもそれに礼を返し、ニッコリと笑う。

カーは頷いてクラリッサに手を差し伸べた。


「ああ、待たせて悪かったね。さあ、幾つか一緒に挨拶に回ろう。もうすぐ主役もお出ましになるようだ」


そしてマクシミリアンの隣から、流れるようにクラリッサを引き寄せると、カーは彼に向かって嫣然と微笑んだ。


「マクシミリアン、悪かったね。思ったより時間が掛かってしまった」

「いいえ」


マクシミリアンはカーに向かって頭を下げる。

すぐ隣にあった温かい熱源が消えてしまうのを寂しく思ったが、ペトロネラが彼の元に歩み寄って来たので、気を取り直して彼女に笑い掛けた。


「ペトロネラ様、お友達と挨拶は済みましたか?」

「はい……有難うございました」


そう言って、恥ずかしそうに彼女は微笑んだ。




そんな二人の様子を、カーの腕に手を掛けながら見守っていたクラリッサは、小さく溜息を吐いた。


先ほどまで流れていた親密な空間は、まるで夢のように消えてしまった。少し泣きたくなるような……キュウッと心臓を締め付けられる思いが湧いて来たが、長年鍛えた公爵令嬢としての矜持でもって抑え込む。


「お兄様、まいりましょうか?」


そう口にして背の高い兄を見上げると、カーが既に目を細めて自分を見つめていた事に気が付いた。彼女は少し吃驚して目を瞠ってしまう。そんな彼女にカーは珍しく包み込むような笑顔を向けた。




「うん、行こうか」




この時のクラリッサは―――マクシミリアンとペトロネラの事に心を奪われてしまい、ついさっき受けたばかりのアロイスの奇妙とも言えるアプローチの事をすっかり記憶の隅に追いやってしまっていたのだった。



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