8.初めてのダンス
マクシミリアンはクラリッサを慎重に引き寄せる。
手に手を取りもう片方の手を彼女の腰に添えると、ふんわりと漂う爽やかな香りに迎えられた。
それまでマクシミリアンにとって、ダンスを踊るのは単なる社交の手段の一つだった。従妹のレオノーラや鬼姉達、挨拶がてらお相手をする年配の貴婦人達と踊るダンスはマクシミリアンにとって、何ら意味を持つ物では無かった。ただ裏を探り合うおしゃべりに華を咲かせるよりは、体を動かす事が好きなのでダンスを踊っていた方がマシ、と言う程度のものであった。
しかし相手が違うとこうも変わるのか。とマクシミリアンは自分自身の反応に新鮮に驚きを抱いていた。
胸が高鳴る……と言うのはこういう事を言うのだと、彼は初めて実感したのかもしれない。
クラリッサはダンスの名手と謳われており、基本的なステップを踏むだけでもそれが如実に現れる。寄り掛かるでもなく突き放すのでもなく―――スッと自分の芯を感じさせる立ち居振る舞いに技術の高さと鍛錬の跡を感じる。明らかにリードが楽なのだ。マクシミリアンは、彼女が矜持に見合うだけの努力ができる女性なのだと改めて感心した。
けれどもそんな冷静な判断が出来たのは、ほんの一瞬の事だった。
広間から漏れ聞こえる楽団の音楽に身をまかせ、ふと目線を下げるとちょうど顔を上げたクラリッサと目があった。
途端に彼女が……ふわりと花が綻ぶように微笑んだのだ。
頭の中で何かが焼き切れて、真っ白になってしまう。
体は長年沁みつかせて来た動きを無意識に追うが、無きボクロの悩ましい垂れ目がちな―――銀色の瞳を潤ませて恥ずかしそうに頬を染める様子から、目が離せない。
彼女に触れている掌がやけに熱く感じてしまう理由は、自分の中にあるのだと分かり切るほど分かっている。
けれども。
マクシミリアンの胸の奥に、コトリと何かが落ちた。
まるで彼女の中にも、同じ理由が存在しているようでは無いか……?
そんな筈は無い、とマクシミリアンは思う。
最近のクラリッサは、彼から少し距離を取ろうとしているようだった。
自分の願望が強すぎて、虫の良い見方をしてしまうだけだと自嘲する。マクシミリアンは暴走する自分を諫める為に、話題を探した。
「……聞いてもいいですか?」
切り出したマクシミリアンに、パチリと瞬きをしてクラリッサは細めていた目を開いた。
「どうぞ?……何かしら」
「……アドラー少尉が先ほどおっしゃっていた―――『アーベル王子がクラリッサを盾にしている』って言うのは、どういう事ですか?」
「……ああ、その事ね……」
クラリッサは苦笑しながら答えた。
「言葉の通りよ。アーベル殿下が逃げ回っているの。結婚や婚約にまだ興味が湧かないみたい。あの方は『仕事の虫』だから……王太子妃候補と言われている方々から面会の要請があっても会おうともしないし、個別に会うのが嫌ならと、事務方で茶会を開こうとしても何だかんだと理由を付けて延期するし―――夜会に参加すれば囲まれるのが嫌だからって、義務で一通り踊り終わったら私をエスコートする振りをして―――男性方の集まりに逃げ込むのよ。お陰でただでさえ女性人気の無い私の評判は、今や地の底まで落ち込んでいるわ」
自嘲気味に笑うクラリッサを見つめたまま音楽に身を任せていたマクシミリアンは、ふと疑問に思った。
「クラリッサも……王太子妃候補なのでは無いですか?アーベル王子がそれを望んでいてそのような行動をしているのでは―――」
「違うのよ……!アーベル殿下はただ女性の相手が面倒なだけなの!私なら、嫌われたり意地悪されても平気だからって、ワザと盾にしているのよ。確かに私以上の身分を持つ女性は王族くらいだし、修羅場になっても切り抜けられるとは思うのだけれど―――それに私は王妃候補に適当な人材じゃないわ。血が近すぎるから王家としてはなるべく避けたいカードなの。―――よっぽど殿下がお望みになるか、他に適任者がいないと言う状況で無ければ有り得ない話なのよ」
「では、クラリッサはアーベル殿下とは……」
「……頼まれてもゴメンよ!あの腹黒……いえ、失礼。コホン……不敬な発言だったわ、マックス今のは忘れて頂戴ね」
思わず素が飛び出した様子に、マクシミリアンはクスリと笑った。
それと同時に、胸に湧き上がった不安が氷解するのを感じる。
クラリッサとどうにかなれるなどと考えている訳では無いのに、彼女が自分以外の誰かのものになると想像しただけで、胸が塞がるような気持ちになってしまう。
「王太子妃候補はね、今のところ五人と言われているわ。ベルンシュタイン公爵家のゾフィーア様、カロッサ侯爵家のエルネスタ様、エッガース侯爵家のフリーダ様、イルクナー侯爵家のミリヤム様、それから唯一伯爵家からテクラ=シュタウディンガー様。でも、それこそ身分も評判も高いゾフィーア様が一つ頭が抜けていて、有力と噂されているそうよ」
「アーベル王子に盾にされたら……その方たちと後見の人間に睨まれてしまうんじゃないですか?」
心配そうに尋ねるマクシミリアンに、クラリッサはクルリと回りながら眉を下げた。
「もう、睨まれているわ。―――最近今まで付き合いのあった上位貴族の候補者の方たちが特に冷たいの。エマとイレーネが私の噂話を広めるのもそれが原因ね、きっと……」
「そんな……」
マクシミリアンは足を止めた。
二人は手を握り合ったまま、向かい合って見つめ合っている。
「大丈夫なんですか……?本当に」
「うーん、たぶん?筆頭公爵家の娘に何かしようと考える馬鹿なご令嬢はいないと思うわ。嫌味や陰口はあるでしょうけど……何より、私はアーベル殿下の身内でもあるわけだから」
「でも、候補者と思われたら」
「大丈夫よ!それに、候補者の中でもゾフィーア様は公平だから、私に辛く当たったりしないし、あと……そうね、エッガース家のフリーダ様当人はそもそも王妃の椅子に興味が無いの」
「でも、他の三人は……もしクラリッサに何かあったら―――」
マクシミリアンは彼女の両手を、思わずグッと握りしめた。
「心配し過ぎよ」
クラリッサはそう言って笑った。けれども、彼が自分を案じてくれる事実に胸が熱くなった。
「―――油断しないでください。もし周囲で何かおかしなことがあったら―――俺に相談して下さい。どんな事があっても―――何とかしてお守りしますから……」
固い声にクラリッサも笑いを収め、目の前の赤毛の騎士の真剣な瞳を見上げる。
思わず縋ってしまいそうになる体を無理に抑え込み、ヒタリと真正面からチョコレート色の瞳を覗き込んだ。
そしてコクリと頷く。
「分かったわ。油断もしないし、無理もしない。おかしな事があったら―――マックスを頼るわ。だから……私を助けてくれる……?」
狡いと思いつつそう言った。
彼が味方で居てくれるなら、少々きつい出来事も憂鬱な嫌味も耐えられる気がしたからだ。
するとマクシミリアンはしっかりと彼女の目を見て頷いてくれた。
「はい、必ず……!」
「マックス、有難う……」
「おや?そこにいるのは―――」
向かい合い見つめ合う二人に、揶揄うような響きを持つ男の声が掛けられた。
マクシミリアンは咄嗟に自分達の距離の近さに気が付き、スッとクラリッサの脇に身を引いた。すると声の主と向かい合う形になる。
金髪の身なりの良い男性が微笑みを湛えてこちらを見ていた。しかしその瞳は冷たい光を放っている。
「クラリッサ様ではありませんか?こんな所で何をしておいでですか……?」