7.宴の片隅で
「やあ、マクシミリアン」
歌うような声が聞こえて、マクシミリアンはギクリとする。
噂をすれば影。振り向くと銀髪銀目、長身の美丈夫が口元に弧を描きながらマクシミリアンを見下ろしていた。
カー=アドラー少尉―――王家の血を汲む筆頭公爵家子息にして有能な近衛騎士の彼は、彼の従妹レオノーラと先頃婚姻を結んだクロイツ=バルツァー中尉の幼馴染であり、縁あって学院生時代からマクシミリアンを可愛がって(……)くれた存在である。
その腕に手を添え美しい姿勢で並び立っているのは同じく銀髪銀目、アドラー家の至宝と呼ばれる彼の妹クラリッサ=アドラーだった。
彼女は艶やかに微笑んで、マクシミリアンを見つめている。夜会用に美しく淡い水色のドレスで装った彼女は『至宝』と呼ばれるに相応しいほど輝いている。一瞬で惹き込まれ、マクシミリアンは眩暈を起こしそうになった。
しかし自分を叱咤して姿勢を維持する。非公式な夜会の為お互い騎士服は着用していないが、マクシミリアンとジーモンは慌てて胸に拳を当てる騎士の礼を取った。
「アドラー少尉、いらっしゃると思っていませんでした」
「うん、今日は妹の付き添いだからね。しかし会場が華やかで驚いたよ―――若いご令嬢ばかりこんなにたくさん集まる夜会はなかなか無いよ」
確かに、とマクシミリアンは頷いた。
クラリッサが微笑んで補足する。
「ベルンシュタイン家のゾフィーア様は、女学院生達に慕われていますから―――王太子妃候補としても有力だと言われておりますし」
「王太子妃候補……ね。アーベル王子が逃げ回っているから候補が乱立して大変だよ。早く決めてくれれば良いのに。盾にされるクラリッサも大変だ」
「……お兄様……」
二人の遣り取りを黙って聞いていたマクシミリアンとジーモンに、カーは無駄に魅惑的な微笑みを寄越した。
「ゾフィーア嬢が登場する前に挨拶をしなくちゃならない相手がいるんだ。その間マクシミリアン、クラリッサを頼むよ。ウーラント……だっけ?彼を借りても良い?」
「あっハイ……!」
突然名前を呼ばれ、覚えて貰えているとはよもや期待していなかったジーモンはドキリとして姿勢を伸ばした。
カーの提案に目を瞠ったクラリッサが、兄を見上げ抗議を込めて睨みつけた。
「お兄様……マックスにはエスコートのお相手がいらっしゃるのよ」
「ちょっとの間だよ。女の子達はおしゃべりに夢中なんだから、主役が来るまでならフリーだろう?な、マクシミリアン?」
「は……」
「マックス、無理しないでね」
彼女は遠慮しているのだろうが、少し距離を取った言い方に何故かマクシミリアンは寂しさを覚えた。最近の彼女はいつもこうだ。以前はむしろ積極的と言えるくらい彼に接していたのに。―――不敬にもマクシミリアンが―――クラリッサが自分に気があるなどと勘違いしてしまうくらいに。自嘲気味に笑うと、彼はクラリッサをまっすぐ見つめて申し出た。
「俺もエスコート相手が戻って来る間手持無沙汰なんです。クラリッサ様、ご一緒にお願いしても宜しいでしょうか?」
「私の事もお気になさらず」
ジーモンも悪友の台詞に重ねて熱心に訴えた。駆け出しの見習い騎士の子爵家子息の彼にとっては、雲の上の存在であるアドラー少尉に名前を覚えて貰い直接頼み事をされるなど想像もしていなかった事だ。つい声に力が籠ってしまう。
クラリッサの銀色の瞳が、そんなジーモンを捕らえる。
「そうですか。ではウーラント様、彼をお借りしますね」
クスリと笑って頷かれ、ジーモンは真っ赤になってしまった。
そんな悪友の様子を、隣に立つマクシミリアンはジト目で睨んだ。
クラリッサに見惚れる男がいるのは―――例え親しいジーモンであろうと、面白く無かった。
男溜りになっている一角から離れ、マクシミリアンは給仕からスパークリングワインを受け取りクラリッサを伴ってバルコニーへ出た。
大きな掃き出し窓の近くの柵に身を寄せる。ここなら主役が出て来ると思われる大きな扉の様子も窺えるし、エスコート相手のペトロネラが加わった女学生の輪も目に入る。
「クラリッサはあちらに顔は出さないのですか?ペトロネラ様は女学院の友達と一緒におしゃべりしていますよ」
「……」
チラリと女学院生の輪に目をやってから、クラリッサは苦笑した。
「私、女学院にお友達っていないの。ほら、高慢で意地悪な『悪役令嬢』だから」
「『悪役令嬢』……?」
戸惑うマクシミリアンにクラリッサはコクリと頷いた。
「以前私の後に付いて来ていたイレーネとエマがね、面白おかしく私がやっていた事を広めたみたい。まあ自業自得なのだけれど……」
クラリッサはワインを一口舐め、何でも無いように肯定した。
あまりに平静な態度の彼女が、マクシミリアンは少し心配になった。
「大丈夫ですか?」
顔を覗き込むようにすると、クラリッサは目を僅かに見張ってから頬を染めた。
「大丈夫よ!私を誰だとお思い?『アドラー家の至宝』誇り高き公爵令嬢クラリッサ=アドラーよ?妬みや中傷は幼い頃から慣れっこなの」
ツンっとソッポを向く様子が可愛らしくて、マクシミリアンはクスリと笑った。確かに強気に見える彼女の美しい相貌は、外側だけでなく内側から滲み出る強さに支えられているのかもしれない。
マクシミリアンの態度が柔らかくなったので、彼女は安堵して少しだけ本音を漏らした。
「でもベルンシュタイン家のゾフィーア様は、同じ公爵家であっても皆さんに好かれていらっしゃるの。お優しい方だから当り前よね。私はクロイツお兄様に近付くご令嬢に圧力を掛けたりしていたし、イレーネとエマといつも一緒で他の方と仲良くなるなんて考えもしなかった。それ以外の方に意地悪をした事は無いけれど、イレーネ達は下位貴族の方々に冷たく当たっていたみたい。それじゃあ、一番身分の高い私がそれを容認していたと思われても仕方の無い事よね」
実際イレーネ達はクラリッサの名前を使って細かい悪事を重ねていたらしい。トビアスと立ち聞きしてしまった時にハッキリと聞いてしまった。しかし今改めて考えると全く気付かなかった訳では無く、薄々気が付いていたような気がする。そしてイレーネ達の行動をそれほど咎める必要があると思っていなかったように思う。
やはり自分は高慢で意地悪な『悪役令嬢』なのだろう、とクラリッサは思った。
優しくて誠実な唯一の友人、マクシミリアンに相応しい女では無い……と自嘲的に考えた。
そんな事を考えていたクラリッサの顔に、一抹の寂しさが混じる。笑顔が曇ったように見えて、マクシミリアンはどうすれば彼女の気持ちが浮上するだろうかと思案した。
彼女の泣き顔が好きだと思った事がある。
だけどこんな事で寂しく微笑むのは、彼女には似合わない―――彼はそう思った。
スッと手を差し出し、丁寧に腰を折る。
「?」
クラリッサは何も言わずに手を差し伸べるマクシミリアンを不思議そうに見つめた。
「少し体を動かしませんか?」
ニコリと悪戯っ子のようなチョコレート色の瞳を細めて笑う、赤茶色の髪の騎士がクラリッサをダンスに誘っている。
途端にクラリッサの心に清涼な泉の気配が拡がって、うっすらと体を包んでいた霧が弾けるように消え去った。
彼女は艶やかに微笑んで―――繊細な美しい指を、その手に重ねた。