6.ベルンシュタイン邸にて
ペトロネラと本日の夜会会場であるベルンシュタイン邸を訪れたマクシミリアンは、会場の華やかさに目を瞠った。
豪奢な公爵邸もさることながら、通常の夜会より若い参加者が多く華やかなのだ。誕生祝に招かれた女学生達が其処彼処で話に華を咲かせている。一方彼女達の話に付いて行けない様子の若い貴族令息も多く、猛然とおしゃべりする女性陣の傍らで手持無沙汰に視線をうろつかせていたり中にはほっぽり出されて会場の片隅に固まっているのが見受けられた。
主役のゾフィーア=ベルンシュタイン公爵令嬢が現れるまで、この光景は暫く継続されるのだろう。
ペトロネラは友人に話し掛けられつつも彼にも話を振るなど、エスコート役のマクシミリアンに気を使ってくれた。しかし更に親しい何組かの参加者が入口に現れた後、僅かにソワソワしている雰囲気が彼にも伝わって来る。どうやら仲の良い女子生徒が集まって盛り上がっているのが気になっているらしい。
「私、彼方に顔を出して来ようと思っているの。ペトロネラもちょっと行ってみない?」
友人に声を掛けられたが首を振り「後で行くわ」と言ってペトロネラは彼女を送り出した。マクシミリアンは彼のためにペトロネラが遠慮しているのだと思った。
「ペトロネラ様、遠慮しないでください」
ペトロネラはその碧い瞳で問いかけるようにマクシミリアンを見上げた。儚げな庇護欲をそそる容姿の金髪の令嬢は、見た目通り性格も柔らかで控えめだと彼は感心した。本能のままに動く姉達と真逆な行動を取る彼女に驚き、彼は思わず微笑んだ。
「でも……」
「俺なら大丈夫、彼方で悪友が同じように固まってますから」
そう言って放置された男性陣の塊を視線で示す。見習い騎士や学院の同窓生がワイワイふざけ合っている。
「主役が現れたら合流しましょうか。お友達とお話して来たら良いですよ」
「……有難うございます」
マクシミリアンがそう言って笑うと、見上げるペトロネラの頬が少し染まった。
彼はその理由を(自分の希望を通す事をはしたないと思っているのかな?)と受け取った。そして周囲にそのように男性の立場を慮ってくれる女性が極端に少ない(というか滅多にいない)ので、新鮮に感じた。まさに御伽噺の中のご令嬢だ、と金髪を揺らして礼を告げる彼女を眺めながら考えた。
今では同僚でもある悪友を男達の輪の中に見つけ、マクシミリアンは歩み寄る。
彼の婚約者も女学院に通っていたから、会場で会えるのはお互い事前に分かっていた。
「ウーラント!マーリアに振られたのか?」
揶揄うように言うと、榛色の長髪を結わえて背中に落としその髪と同色の装いに身を包んだ子爵家嫡男のジーモン=ウーラントが、僅かに力なく笑った。
「お前も振られたんだな?」
「俺は『敢えて』送り出したんだ。エスコート相手は気遣って傍にいようとしてくれたけどな」
「……」
自慢げにマクシミリアンはそう言ってみて、いつものように辛辣な応酬が来るのを待っていた。が、何故かウーラントが沈黙してしまったので、マクシミリアンは訝し気にその顔を覗き込んだ。
「どした?元気無いな?」
いつもの遠回しな未来の嫁自慢が彼の口から出てこない。
ウーラントは寂しそうに榛色の瞳を揺らし、溜息を吐いた。
それでマクシミリアンは以前心配していた事が、現実になったのではないかと思い至る。
「―――もしかして、手遅れだったのか?マーリアちゃんも人気教師に夢中になってしまってたとか……?」
居酒屋での会話を思い出し確認すると、ウーラントは薄く笑って首を振った。
「いや……それは大丈夫だった」
「そっか、良かったな」
「ああ」
そう言いながらも浮かない表情のジーモンが口を閉ざすので、マクシミリアンは給仕に酒と食べ物を一皿頼み一息つく事にした。
歴史も勢いもあるベルンシュタイン家の供する食事は、流石に豪勢かつ美味だ。ペロリと平らげワインで口直しをした所で、憂いを帯びた表情のジーモンがやっと口を割った。
「……昔はアイツ、俺の後ばっかり追いかけてたんだ。幼いくせに背伸びして一所懸命にさ。それが可愛かったんだけど……」
(なんだなんだ)
照れ屋のジーモンが珍しく素直に惚気るので、マクシミリアンは違和感を覚えたが黙って耳を傾けた。
「最近、アイツ上の空で―――どうやら夢中になっている男がいるらしいんだ」
「はぁ?まっさか……」
俄かには信じ難かった。
箱入りの伯爵令嬢で、婚約者持ち。女学院の寮に押し込められている少女が男性と出合う機会は殆ど無いだろう。それこそ接する機会のある男性は家族と教師くらいだ。けれども人気教師と接点は無かったと今し方確認したばかりだった。
「……『クランツ=バルチュ』って言う近衛騎士に夢中らしい。アイツが書いた恋文をこの間偶然見ちゃったんだ。今も友達とその男について夢中で話しているらしい……先輩達の言っている事は正しかったよ。すっかり女らしくなっちゃってさ、女は男で変わるって言うのは本当だったよ」
「クランツ……バルチュ……?」
「何処のどいつか知らないが、かなりの美男らしい」
苦々し気に言い捨てるジーモンを見ながら、聞き覚えのある名前だとマクシミリアンは記憶を探った。その様子を見て取ったジーモンが首を傾げて尋ねた。
「お前、知っているのか?その『バルチュ』って優男のこと」
「うーん、何となく聞き覚えがあるような―――」
そこまで言って、マクシミリアンは固まった。
「思い出した」
「え?知っているのか?どんな奴だ、爵位は?独身なのか?」
矢継ぎ早にジーモンが繰り出す質問に、マクシミリアンは何と答えたものかと口籠った。
『蒼の貴公子、クランツ=バルチュ』
彼は一部の貴族子女の間で大人気らしい。
巷で人気の創作物語『蒼の薔薇』の主人公の一人だ。
その物語は蒼の貴公子クランツ=バルチュと薔薇の貴公子カール=アードルングの秘められた運命の恋を綴った―――(マクシミリアンにとっては)世にもおぞましい恋愛官能小説だった。
マクシミリアンは鬼姉その一、コルドゥラに頼まれて取り寄せた本にたまたま目を通して―――胸が悪くなった。
『蒼の貴公子』クランツ=バルチュのモデルは、明らかに『蒼の騎士』とご令嬢達に崇められているクロイツ=バルツァー中尉で―――彼はマクシミリアンの変わり者の従妹レオノーラの夫となっている。
『薔薇の貴公子』カール=アードルングは、『薔薇の騎士』と呼ばれ華麗なる女性遍歴で知られるカー=アドラー少尉がモデルで間違いは無い。
どちらもマクシミリアンにとっては、恐ろしい上官である。
その二人が恋人同士としてイチャイチャしているなんて想像も付かないし、想像するのも気持ち悪い。
説明するのも気が重いので、マクシミリアンは溜息を吐きながら悪友の肩を叩いてこういった。
「それ、御伽噺の登場人物だよ」
「え??でも―――そんな。じゃあマーリアは物語の登場人物相手に恋文を書いたって言うのか?その御伽噺―――一体、どんな内容なんだ?」
「……これ以上は俺の口からは言えない」
「そんな、ここまで聞いたんだから教えてくれよ」
マクシミリアンはジッとジーモンを正面から見据えた後、溜息を吐いて目を逸らした。
「―――もしもっと知りたかったら、俺の姉が一冊持ってるから借りて来てやってもいいけど―――」
こう言って、マクシミリアンは一旦言葉を切った。
深刻な彼の口調に思わずジーモンは唾を飲み込み、暫く思案していたがやがてシッカリと頷き、こう答えた。
「その本、読んでみたい。借りて来てくれ、頼む」
「―――後悔するぞ?」
「何も知らない方が……後悔すると思う。本当にマーリアの恋文の相手が実在しないのか、確かめたい」
珍しく真摯な物言いをするジーモンに、マクシミリアンは神妙な表情でコクリと頷いた。ジーモンは後日、本当に後悔する事になるとも知らず「有難う」と悪友に礼を伝えたのであった。