4.侯爵家の次男坊たち
道場の入口でスッと頭を下げた学院生二人が、マクシミリアンを見つけて駆け寄って来た。
「先輩!珍しいですね、今日お休みなんですか?」
「こら、走らない」
「あっすいません……」
「……スイマセン」
黒いくせ毛のファイトは、怒られているのにニコニコしながら頭を下げた。
ファイトより一つ年下の金髪のトビアスも少し不満げに頭を下げる。
ファイトはクロイツの弟で学院の二年生。マクシミリアンに興味を持ち、学院で話し掛け剣術の手ほどきを受けるようになった。今年騎士団に士官したマクシミリアンと中々会う事は出来なくなったものの、コリント家の道場に通い日々鍛錬を続けている。
トビアスもマクシミリアンの俊敏さと剣筋の美しさに魅了され、学院に入学する前からコリント流道場に通うようになった。今年王立学院の一年生となり、道場で知り合ったファイトといつも連れ立って現れる。二人とも侯爵家の次男と言う似通った立場で、何やら思う所が通じ合うらしい。次男坊と言っても気楽な子爵家の末っ子であるマクシミリアンとは、違う葛藤を抱えているようだった。
素直なファイトと過ごす内に、トビアスの居丈高な振る舞いも徐々に収まって来た。少し強張った表情で頭を下げる様子を見ていると、生意気盛りだった頃が思い出されてマクシミリアンはニヤニヤ笑ってしまう。
―――とは言え道場外では彼の不遜な態度は少し大人しくなったと思える程度なのだが……道場内限定でも、身分の上下に関わらず先輩を敬う態度を見せるようになったのは、かなりの進歩だとマクシミリアンは考えている。
体を温める為に丁寧に演武を舞うマクシミリアンを、侯爵家の次男坊達が真剣に見つめていた。
舞終わってタオルを肩に息を弾ませていると、トビアスが難しい顔で呟いた。
「―――何でコリントの剣はそんなに速いんだ?」
隣のファイトがコツリと拳でトビアスの頭を小突いた。
「『コリントさん』だろ?」
「―――コリントさん……の剣は―――学院の講義で見本を見せてくれた筋肉ムキムキの三年生よりずっと速く見える。特に筋肉質にも見えないのに、不思議だ。力が強い方が剣をふるう速度が速まる筈なのに」
と真面目に首を捻っている。
するとファイトも頷いた。
「そうなんだよな……!どんな体格の良い学院生より、コリント先輩の剣の方が速い」
マクシミリアンは笑って言った。
「筋肉って言うのは重い物を持つ時は有効だが―――堅いだろ?」
黒髪と金髪の次男坊達が同時に頷いた。
「単純な事さ。伸びの悪いゴムを纏っていれば、関節の動きは制限される。筋肉の付け過ぎは滑らかな動きを阻害する事もある。まあ、体の作りは人それぞれだから必ずしも誰もがそうなるとも言えないけれど」
「そう言われると凄く当り前のように聞こえますね」
「じゃあ、筋肉を付けない方が―――良いの……デスか?」
トビアスが慎重に敬語を使った。うっかりタメ口になりそうなところを慎重に躱す所が体格の割に可愛く思えてしまうんだよなぁ……とマクシミリアンは内心思ったが、トビアスの矜持を傷つけないよう口には出さなかった。
「付ける場所と量が大事かな?例えば極端に腹筋を鍛え過ぎると……走りが遅くなる」
「え!」
「そうなの……デスか?」
驚きに目を見開く学院生達に、マクシミリアンはゆっくりと分かり易く説明する。
「骨盤の動きを制限するから、脚の回転数も制限してしまうんだ。だけど―――結局自分がどんなタイプの騎士になりたいかによるよ。その人にとって足の速さより、腹を殴られた時のダメージの軽減が必要な場合もある。そう言う場合は腹筋を鍛えた方が良いよね」
「へぇー」
「なるほど」
感心してしきりに頷いていたトビアスだが、ふとピクリと体を震わせる。
そしてぞわわ……と背筋を震わせて、柱の影へ一瞬で走り去った。マクシミリアンとファイトが不思議そうに問いかける視線を送ると、唇に指を当てて必死で「シーっ」と顔を強張らせた。
「トビアース!来てるの?」
喜々とした声に、マクシミリアンとファイトが振り向いた。
そこには満面の笑顔の、マクシミリアンの姉コルドゥラがいた。
柱の影のトビアスはひたすら気配を消し―――蒼白な顔で固まっている。
「マックス!トビアスは?」
マクシミリアンは、柱の方を意識しないように心掛け首を振った。
「いや……今日は来ていない……かな?」
「あら、ファイト。今日はトビアスと一緒じゃないのね」
コルドゥラが妖艶に微笑むと、ファイトは身を縮めて頷いた。
「あ、ハイ。学校で課題があるみたいで……」
「なーんだ、残念!マックス、トビアスが現れたら教えてね」
「……ハイ」
鬼姉の気配がすっかり消えた後、柱の影からのっそりと顔面蒼白のトビアスが戻って来た。
トビアスは最近コルドゥラに大層気に入られてしまい、手合わせを強制させられるので辟易していた。短時間で気絶させられるので、訓練に全くならないのだ。
「コリント……さん。あの鬼あ……いやお姉さん、何とかなりまセンか……?」
「ゴメン」
マクシミリアンは即座に首を振った。
「今はもう実力は俺の方がある筈なんだけど……あの姉の目の前に出ると、何故か体が動かなくなるという病に掛かっているんだ」
それを聞いてガッカリと肩を落とすトビアスを見て、ファイトもポツリと言った。
「それ……分かります……」
強すぎる母を持つファイトも、神妙な表情でコクリと頷く。
常に父親の言いなりになる大人しい母を持つトビアスには、今いちピンと来ない感覚だった。
「……女性が『守るべき弱い性』だって言うのって何処の国の話ですかね?」
「少なくとも俺の周りにそんなか弱い女性は―――いなかったな。……御伽噺の中にしか存在しないんじゃないか?」
溜息を吐くマクシミリアンを見て、トビアスはちょっと不安になった。本当にこの人に教わっていて自分は強くなれるのだろうか―――と。