21.交換条件
少し薄めの形の良い唇が弧を描いた。
整い過ぎているカーの笑顔は作り物めいていて、目の前に存在するのに現実感が無い。
「交換条件?」
不穏なカーの申し出に、マクシミリアンは緊張を漲らせた。
あの鬼畜なカーが口にする『条件』なんて―――恐ろしい予感しか浮かばない。
艶っぽい黒子があしらわれた垂れ目がちな美しい瞳を細めて、楽しそうにカーは言った。
「条件は―――マックス、君が俺の奴隷になる事だ」
「ど、奴隷?!」
マクシミリアンが目を剥いて聞き返すと「あ、間違った」とカーは笑って言い直した。
「俺の部下になるんだ、マックス」
「部下……ですか?」
『部下』と言いつつ、『ドレイ』と言っているようにしか聞こえないのは何故なのか。
話を整理できず動揺するマクシミリアンに、カーは多くのご令嬢方を魅了して来た華やかな笑顔を大盤振る舞いして、恐ろしい事を口にした。
「俺は絶対に裏切らない手駒が欲しい。君がクラリッサを手に入れる為に其処まで出来ると言うなら―――惜しまず後押しもしてやるし、婚姻が認められるよう手を貸してやる」
艶やかな笑顔がこれほど恐ろしく見えるのは―――そう言えば初めてじゃないな、とマクシミリアンは少し間抜けな事を考えた。カーの鬼畜さ加減は散々見せつけられて十分理解しているつもりだったが……。
「俺は近衛じゃありません、王立騎士団所属の見習い騎士です」
騎士団間の異動は無い訳では無いが、非常に稀だ。
何故なら半分以上平民出身者が占める王立騎士団に所属する条件と、近衛騎士団に所属する条件には大きな格差が存在するからだ。
市井の揉め事を収め、有事があれば最前線に投入される王立騎士団は、ある意味捨て駒にもなり得る。一方近衛騎士団は、高位貴族の出身者で占められている。その中で伸し上がる者は王立学院でも成績優秀で、実力も兼ね備えた者だけだ。例え採用されたとしても―――一定期間毎に受ける試験に落ちれば、契約を切られてしまう。結果近衛騎士団は身分が高く、かつ能力主義の矜持の高い騎士の鏡のような集団に純化してしまっている。おまけに何故か、見目麗しい者が多いというオプションが付いている。
王立騎士団は常に荒くれ者を相手にする。舐められないように見た目で圧倒する必要があるからか、騎士団員は一見して恐ろしい容貌をしている者も多い。彼等は自分達が真実国の治安を実力で維持しているというプライドを持っているし、一旦戦に出れば自分の剣一つ、腕っぷし一つで相手を捻じ伏せようと言う気概も兼ね備えている。だがそう言う気概を持つ一方で、王立騎士団の下っ端は正直言って街のチンピラ上がりの人間も居て、近衛騎士団の騎士の前に出れば正面から目を合わせる事が出来ずに高貴な雰囲気に気圧されてしまう人間も多い。王立騎士団を支えているのは警邏限定採用など、給料も低く昇進する予定の無い大勢の平民騎士なのだ。
がそれにも関わらず―――王立騎士団のトップ、将軍は幹部候補となれば近衛騎士団を凌駕するほどの権力を手にする事もできる。
つまり王立騎士団と近衛騎士団は、同じ騎士団とは言え常に反目し合う間柄なのだ。そうそう頻繁に交流するような関係になるのは難しいと言うのが、騎士達の間では常識だった。
子爵家出身で王立学院を(一部の科目のみだが)優秀な成績で卒業したマクシミリアンは、新任時であれば近衛騎士団に所属する事もギリギリ可能であったかもしれない。しかしコリント家の男は基本的に王立騎士団に所属する事になっており、コリント家次期当主である彼の兄も現在幹部将校だった。歴代の当主の中には一時国王の求めに応じて有事に限り将軍職を受任した者も数人存在する。しかしこれまで―――コリント家の者が近衛騎士団に所属する事は稀だった。
ちなみに学院の同級生で伯爵家嫡男のジーモンは近衛騎士団志望だったが、学院の成績が振るわず入団条件をクリアできなかった。騎士にならなくても暮らしては行けるが、貴族の嫡男は大抵騎士経験を数年経験するのが習わしなので、第二希望であった王立騎士団に所属している。近衛の条件を満たさない高位貴族の嫡男や、次男坊以下の爵位を得られない貴族の就職先として王立騎士団は受け皿の役目を果たしている。そういう貴族の『お坊ちゃん』が王都警邏隊みたいな平民出身者が多く仕事のキツイ部署に馴染む事は滅多に無い事だ。今の部署に馴染んでいるマクシミリアンとジーモンは珍しい存在だ。大抵の貴族の『お坊ちゃん』は、先輩騎士の誘いではあっても場末の居酒屋になど足を踏み入れないものなのだ。
つまり王立騎士団の中でも貴族と平民の間には厳然とした格差と距離が存在する。
近衛騎士団と言えば―――その上を行く、貴族の中でも選ばれた一握りの人間だけが所属できるエリート集団なのだ。王立騎士団の見習い騎士が志望して、簡単に異動できるような場所では無い。
王家の血を汲むアドラー公爵家の人間で、既に中尉の位を叙任しているカーと雖も、王立騎士団と近衛騎士団間の人事を自由にできるとは思えない。それとも何か抜け道があるのだろうか……マクシミリアンには到底見当も付かないが。
「まあ、簡単には行かないだろうね。王立騎士団の方がマックスを手放すとは思えないからね」
「ん??―――は?逆じゃないですか?新卒ならまだしも王立騎士団から子爵家の人間を引っ張るなんて、近衛騎士団で認められる筈ありません」
「マックスって自己評価低過ぎじゃない?子爵家とは言えコリント家の出の者を軽んじる者はいないよ、王家に近い者ほどね……いつぞやのキストナーみたいな物知らずや、政治や軍事の中枢に関わらずに終わるような普通の貴族は別だけどね」
「……とは言え見習い騎士を取り立てる権限が、カー中尉にあるとは思えません」
かなり失礼な物言いだと分かっていて、敢えてマクシミリアンはこう言った。こういう率直な意見にカーが腹を立てる事は無いと、これまでの付き合いで学んだからこそ言える。そう判断できる程度には彼等は親しかった。
案の定、カーは眉を上げて面白そうに目を眇めた。
「よく分かっているね。勿論そうする為に二、三の条件はクリアして貰わなきゃならない。それを含めて『俺の条件を全て受け入れるなら』と言ったんだ。どうする?君の本気がどの程度か―――分からないが、俺の手を取る覚悟はあるか?」
「あります」
マクシミリアンは即答した。
どのみちカーが敵になれば、クラリッサを手に入れる事は最初から叶わないだろう。それにマクシミリアンには彼女に近付く決意は固めたものの、具体的な方策は全く浮かんでいない。姉達に散々『脳筋』と揶揄されたが、手練手管について頭では理解できても―――性質的に権謀術数に向かない自覚はかなりある。
納得できない事が多いアロイスの事も―――情報を集めて直接対決するしか無いと思っていた。何しろアロイスには不審な行動が多すぎる。もし彼が埃が出る身であれば、何としても阻止するつもりだった。そういう事実があれば、脳筋のマクシミリアンにもやりようがある。道場に出入りする門戸生にはあらゆる方面の人間がいる。人脈は多いつもりだった。
埃が無いなら無いで、一対一で試合を申し込み叩きのめすくらいはしなければ気が収まらない。アロイスが簡単にクラリッサを手に入れられると勘違いし、彼女を軽んじるような事が無いように。
しかし反目しているとは言えトビアスに兄を探るような真似はさせられない。クラリッサ当人に婚約者候補のアロイスの事を聞くのも難しいだろう。その点カーであれば、こちらには見えない情報も掴む事は可能な気がする。
マクシミリアンの素早い回答を聞いて、カーは不敵な笑みを浮かべ満足気に頷いた。
その笑みを見て背筋に悪寒が走ったが―――マクシミリアンは微かな恐怖心を振り払った。
彼の進む道は既に決まったのだ。後はもう前へ進むしか無い。例え―――その道が―――彼女の拒絶と言う雷で崩れて途切れてしまう可能性があったとしても。
しかしマクシミリアンは、どうにも気になり尋ねずにはいられ無い事があった。
「どうして其処までして、駒を必要としているんですか?近衛騎士団にも陛下に忠誠を誓う優秀な騎士がごまんといるでしょう?……どうして俺を?」
「……この国の安寧の為……」
そう呟いたカーが薄っすらと浮かべた笑顔は、マクシミリアンがぞっとするくらい―――まるで死の女神のように美しかった。
「……とでも言えば、恰好良いかな?ハハハ……勿論、身分の高いお坊ちゃんには出来ないような泥臭~い仕事をやってもらうつもりだよ。その為には命を懸けるのも厭わないような『手勢』が必要なんだよ。どんなに辛い任務も―――ご褒美の為にやってくれるような」
「……」
何となく予感はしていたが、近衛になったからと言って格好良い清潔な仕事が与えられる訳ではないらしい。
「勿論クラリッサを好きな男って言う条件だけじゃ、俺の眼鏡には適わない。マックスじゃなければ駄目だ。君ほどの実力があって尚且つ俺の無茶な条件を飲もうとするような無謀な男は他にはいない。―――アロイスには自分や家を捨てる気はサラサラ無い。気持ち以外育っていないトビアスも論外。他の男も右に同じ―――それだけ俺は君を認めているって―――これまで付き合って来て伝わっていなかったって言うのは、俺にとっては寂しい限りだな」
「……全く伝わっておりませんが」
艶やかな流し目を受けて、カーの内心を推し量れないマクシミリアンは気味が悪くなった。
飲みに付き合わされ、鬼畜な話を聞かされて過ごした夜は数知れないが―――それ程信頼されていると言う印象は全く感じていなかった。否、ワザワザ飲みに釣れまわすというカーの行為自体を『信頼』と受け取ればそう取れなくもないのだろうか……?
『アロイスは無い』と断言したカーの台詞は、最初のそれと矛盾していると、マクシミリアンは気が付いていたが……。
しかし選択肢が無い事は重々承知している。
この契約を受け入れる以外―――クラリッサを手に入れる道が無いのなら。
どんな条件があろうと頷くしかマクシミリアンには選ぶ道は無いのだ。




