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16.侯爵子息の提案


クラリッサは慎重に表情を選んだ。

アロイスの意図を量りかねたからだ。


ゆっくりと美しい微笑みを作り、一線を引いた。


「さぁ……?アロイス様が何をおっしゃりたいのか、私には分かりません」


彼は一体何をしたいのだろう、とクラリッサは訝しんだ。


夜会で、クラリッサに熱っぽい視線と賞賛を向けダンスを強請り、カーに託されたと控えめにそれを制したマクシミリアンに、身分を振りかざし高圧的に侮辱の言葉を吐いた。

これまで何度か顔を合わせているが、そう言えば今まで彼からそのような視線を向けられたのは初めての事で……怒りが湧いて来たのは勿論だが―――もどかしい感情に占める戸惑いの割合も大きかった。

確かに身分で言えば子爵家子息で騎士見習いになったばかりのマクシミリアンより、侯爵家嫡男で、貴族院に出入りし当主の補佐を務めるアロイスの方が上だ。

しかしマクシミリアンは彼女の兄であるカーからクラリッサを頼まれただけなのだ。その彼を侮辱し跳ねつけようとしたアロイスの振る舞いは……公爵家子息にして近衛騎士団少尉、アーベル王太子殿下の側近候補と噂されるカーの面目を潰す行為にもなりかねない。王宮に出入りしそれなりに経験を積んでいるアロイスに、それが分からない筈は無いだろう。

以前ペトロネラとクラリッサに絡み、マクシミリアンに見事に撃退されたキストナ―とか言う伯爵家子息がいたが―――担っている責任も重圧も、あの若手騎士団員とアロイスとでは桁違いに違いない。アロイスの立場は、身分を笠に着て勘違いするような者に務まる役目では無い―――だからこそ、強烈な違和感と印象を彼女は植え付けられたのだ。


茶会で隣合わせになった時もそうだ。

周囲に聞こえるような声高な発声では無かったものの、臆面も無く自らの婚約者の名誉に関わるような話題を上げ、彼はクラリッサに言い寄るような口振りをあえて用いていた―――誰かに聞き咎められれば、アロイス自身も信用を失う可能性もあるにもかかわらず。

例えば、これが女性とみれば口説かずにはいられないと言うイメージが定着している薔薇の騎士、カー=アドラーであったならば―――周囲の人間は誰も気にしないだろう。むしろ社交辞令でも女性を口説かないとあれば、返って何かあるのでは無いかと詮索される可能性もある。

しかし世間の印象ではアロイスはどちらかと言うと仕事を重視し、婚約者を尊重する誠実な男性だと思われている。浮気癖があるとか、遊び癖があるなどと言う軽薄な噂はこれまでクラリッサの耳には入って来なかった。




そして今日。打って変わって穏やかな表情で、今までの妙な態度を翻し、的確にクラリッサの弱い所を抉るような―――鋭い言葉を斬り出して来たのだ。




クラリッサは混乱していた。

しかしこういう時に慌てて挙動不審になったり、浮足立って相手を問いただすのは一番愚かな真似であると、彼女は承知していた。

だから動揺を押し殺す為、彼女は極上の香りを立ち上らせるカップに手を掛け、こっくりと一口飲み干した。すると、追い討ちを掛けるようにアロイスは次の一手を打ち出して来た。


「率直に申しましょう―――クラリッサ様、私と婚姻を結んでいただければ……私は貴女に最大限報いる用意があります」

「―――は?」

「私は貴女が欲しい―――と言うか貴女と言う……身分と美貌を兼ね備え、淑女としての振る舞いを十分に身に着けた婚姻相手を望んでおります」


アロイスの瞳はむしろ真摯と言えるほど、真っすぐな光を湛えていた。

クラリッサはあまりに悪びれない彼の様子に、ただただその榛色の瞳の奥を凝視するように見つめる事しかできずに、内心ひどく狼狽えた。




「私を婚姻相手に選んでいただければ―――貴女の交友関係にまで口出しはしません」




核心に触れる提案に、思わずクラリッサは息を詰めた。




「これまで失礼な態度を取って来た事は重々承知しております。時間が無かったので手荒な真似をしてしまいました。貴女が本来どのような女性なのか―――そして何を大事にしているのかと言う事を、私は把握したかったのです」


アロイスは穏やかな声音で、口元に微笑みを湛えながらこう言った。


「他の縁談相手は、婚姻後独占欲から貴女が『ご友人』と親しくする事を禁じるでしょう。何故なら貴女はただの政略結婚の相手として対するには―――あまりにも心映えが素晴らしく、美し過ぎる。きっと婚姻を結んだ相手は、例え貴女の潔白を信じたとしても嫉妬に駆られて貴女と『ご友人』の交流を断つよう手を尽くすに違いない。私を選んでいただければ―――その心配はありません。私はゲゼル家とアドラー家にとって有益な婚姻関係を結びたい。貴女は自由に『ご友人』と交友したい。まさに都合の良い政略結婚の相手だと思いませんか?……私は嫡男なので跡継ぎを設けなくて良いとまでは言えませんが―――その義務を果たしていただければ、外に恋人を作る事にも目を瞑ります。勿論、醜聞を広めないように気を付けていただけるのであれば、と言う条件付きになりますが」


触れてはいけない張り詰めた糸に囲まれ、ジリジリとその糸が引き絞られている気がしていた。クラリッサは身じろぎも出来ずにアロイスの言葉にただ、耳を傾けていた。

アロイスの提案は―――貴族社会ではそれほど突飛な事では無いのかもしれない。そう言う体裁を維持しつつ、互いに愛人を作り恋愛は家に持ち込まないと言う関係が存在すると言う事も、クラリッサは承知している。政略結婚で思い合う相手と結ばれる確率はそう高くは無いのだろうと言う事も。

ただ―――当の自分がそう言う冷めきった婚姻関係を結ぶと言う想像はしていなかったのだ。


アロイスが提案しているのは、現実的な妥協案だ。

けれどもすんなりと頷く事は―――今のクラリッサには出来なかった。




表情を固くするクラリッサに向かって、フフッとアロイスは口元を緩ませた。


「そんな怯えた表情かおをしないでください。貴女を追い詰めるつもりはありません。じっくり考えていただければ―――私の提案が貴女にとって利益が多い事に気付いていただけると思います。勿論、今返答をいただけるとも思っておりません。私も誠意をもって何度も貴女に訴えていく覚悟がありますので貴女のお考えを―――次回お聞かせ願えると嬉しいのですが」


そう言ってアロイスは立ち上がった。


「お伝えしたい事は全てお伝えしましたので、今日の所はこの辺りで引き揚げます。次回はもっとお互い自身の事を話しましょうか。学院や領地の事や―――どんな食べ物や花が好みであるとか、そんな他愛無いお話もお伺いできると良いですね。相互理解を深めて少しでも貴女の気持ちをこちらに傾けていただければ嬉しいのですが」

「……エントランスまでお見送り致します」


クラリッサも立ち上がり、そう口に出すのが精一杯だった。

何と応えても、纏まらない心のままでは悪手にしかならないような気がしたのだ。


そうしてアロイス=ゲゼルは、意外にもあっさりとアドラー邸を辞したのだった。



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