15.アドラー邸への招待
トルデリーゼはクラリッサの気が変わらない内にと、翌日早速ゲゼル侯爵家あてに手紙をしたためた。すると打てば響くようにその日の夕方には、招待について承諾する旨と感謝の言葉を連ねた丁寧な返事が届いた。ゲゼル家から届いた返事は上質な紙に香を焚き染めた物で、白いぽってりとした花弁を持つ美しいアニモ二の花が添えてあった。
「まあ、クラリッサ見て頂戴」
「はい?お母さま」
「アニモニの花よ。白い花弁の花言葉は何と言うのだったかしら?」
トルデリーゼはクラリッサに向けられた好意を純粋に喜んでいた。クラリッサは少し苦々しく思いながらも、表情に出さないように気を付けつつその言葉を口にした。
「『期待』、『希望』……それと『真実』……でしょうか」
「そうね、少し図々しいと言えなくも無いけれど、私としては娘が殿方に強く求められていると思えて悪い気はしないわね。クラリッサはどうかしら?」
クラリッサは微笑んで頷いた。
「……そうですね」
「あら」
彼女の母は僅かに眉根を寄せた。そして娘の頬をそっと包み込む。
「無理はしないって約束でしょ?正直にね。慣れない頃はあからさまなアプローチに落ち着かない気持ちになる事があるのは分かるわ。もっと相手を知る為に会うのだから、この段階で遠慮してたら疲れちゃうわよ。もし添い遂げる事になるなら―――これからその人と長い時間をずっと協力していかなければならないのだから、せめて嫁ぐ前の見合いの段階では身内に正直な顔を見せてね?」
「……有難うございます、お母さま。正直ちょっと気持ちが引いてしまったのは事実です。だってまだ正式にレルシュ様と婚約解消されていない内から『期待』を示されても……」
少し口を尖らせて肩を竦めて見せると、いつもなら行儀が悪いと窘める筈のトルデリーゼも頬を緩ませた。
「そうね、その調子で気楽にね?……アロイス様とどうしても合わないようなら、他の縁談相手を探しましょう。お義父様が何と言っても、私はクラリッサを支持するから安心してね」
トルデリーゼはクラリッサの手を取って、片目を瞑った。
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アドラー家自慢の薔薇園に設えたテーブルにアロイスを招いたその日、空は穏やかに蒼く澄んでいた。玄関で母と共に一部の隙も無い装いのアロイスを出迎え、クラリッサは薔薇園へと彼を案内した。
アロイスは以前顔を合わせた時とは別人のように穏やかな表情で微笑んでいる。
トルデリーゼへの印象を慮っての事なのか、それとも最近クラリッサに見せている表情と別の顔を元々彼が持っている為なのかどちらかなのかは分からないが、少なくともこの様子を見る限りは、彼の世間での評判が良いと言う話も頷ける気がした。
「今日はお招きいただき、有難うございます」
椅子に腰を下ろし紅茶を給仕した侍女にさり気なく謝辞を述べたアロイスが、勧められた紅茶に一口、口を付けてクラリッサに笑い掛けた。
それは以前クラリッサに思わせぶりな口をきき、マクシミリアンを蔑み嘲笑した者と同一人物とは思えない肩の力の抜けた態度だった。
「こちらこそ。急にお呼びたてする事になって、申し訳ありません」
クラリッサは訝しく思いつつも、相手が友好的な態度を取っているのにこちらだけ敵意を向ける訳にはいかず、表面上は平静を装って応じた。
するとアロイスはトビアスによく似た榛色の瞳を細めて、微笑みを返した。
「いきなり本題に入って申し訳ありませんが……クラリッサ様はこちらの事情についてご両親から聞き及んでおられるのですか?」
「事情……そうですね、一応伺っております。と言っても詳しい事は何も。父から伺ったのは、レルシュ様がその……平民の方と駆け落ちされたと言う事と、その為アロイス様との婚約破棄を申請されると言う事……それから、これまでそちらから押されていたトビアス様の代わりに、アロイス様との縁談を申し込んでいただける、と言う事くらいでしょうか」
「ああ、十分です。事実はそれ以上でも以下でもありません」
落ち着いたアロイスの調子に、クラリッサは内心首を捻った。あまりにも以前顔を合わせた時と別人なので、抑えようとしても頭の中に疑問符が飛び交ってしまう。
「……どうしました?戸惑うようなお顔をされています」
「いえ、その……」
「当てて差し上げましょうか?」
アロイスは紅茶のカップをソーサーに置き、テーブルの上に戻した。
そして柔らかな微笑みを口の端に上らせ、目を細めてクラリッサを見つめた。
「私の態度が変わったからでしょう?以前ベルンシュタイン邸でお会いした時、そしてダウム邸の茶会でお会いした時―――随分失礼な態度を取った自覚はあります」
「それは―――」
当惑するクラリッサを面白がるようにクスリと笑い掛け、アロイスは言った。
「そう、わざとです。貴女の本心を知りたかったので」
「『わざと』」
クラリッサは目を見開いて、微笑むアロイスを凝視した。
「意外と素直な性格なんですね?挑発に乗っていただけて、こちらとしても感嘆しました。―――それとも、それは貴女の大事な『お友達』の影響なのでしょうか?」