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10.公爵夫人の憂慮

鏡の前で憂鬱な顔をしている娘に向かって、トルデリーゼは発破を掛けた。




「まあ……そんな浮かない顔をしていては、せっかくの衣装も台無しよ?笑ってちょうだい、クラリッサ」




豊満な胸に対しあくまで折れそうなほど細い手足。コルセットで締め付けるまでも無い細い腰の―――魅力的な肢体を持つ、冷たくも見える冴え冴えとした美形の母親はそう言ってすっかり仕度の整った娘に歩み寄った。


「申し訳ありません」


その銀糸の髪、灰色の瞳は王家の血を引く証。

父親譲りのともすれば思わせぶりに見える垂れ目がちな瞳を伏せる美少女は、サラサラと輝く生地をゆったりと使った最新流行の衣装を纏っている。まだ女学院に在籍している女学生だと言うのに、少女の肢体は母親譲りの蠱惑的な曲線を描き、既に大人の色香を放ち始めている。


「……あの、お母様。やはりどうしても行かなきゃ駄目でしょうか……?」


その銀色の瞳を伏し目がちにして、クラリッサは憂い顔のまま後ろ向きな発言を差し向けた。

トルデリーゼはスッと眉を寄せ、溜息を吐いて美しく装った娘の肩に手を掛けた。


「あちらはとっても楽しみにして下さってるの。少しでも顔を出すといいわ、ね?そうすれば、きっと気分も上がって楽しめるわよ。最近夜会も少ししか参加しようとしないじゃない?閉じこもっていても、貴女あての縁談はたくさん来るけれど……やはり貴女自身で相手の為人ひととなりを知った方が今後の為になるわ。それに社交は公爵家の娘として行わなければならない大切なお仕事よ?勿論貴女は十二分に理解していると思うから―――言うには及ばないのでしょうけれど」


トルデリーゼは幼い頃から憧れていたクロイツに完全に失恋してしまった娘を心配していた。母親としては娘の恋が叶うのは願っても無い事だが―――公爵家としては実はあまりバルツァー家との縁は好ましく無い物だった。




アーベル王子のお気に入り、側近候補と言われている人間は何人かいるが―――その中でも最年少の二人が、アドラー家のカーとバルツァー家のクロイツだ。側近候補の二人を輩出するこの騎士団で大きな役割を担っている二家が婚姻によって結びついてしまう事は―――権力の集中を招き他家の妬みと批判を浴びるだろう。貴族間の均衡が崩れれば、国の乱れを呼ぶ。王家の意向を常に汲んで動くアドラー家としては選びにくい選択肢であった。


そこへ飛び込んできたクロイツとレオノーラの縁談は、シュバルツ王家の思惑と当人達の意向がちょうど良いタイミングで噛み合った、その時点でベストな組み合わせだった。

多くの文官や学者を輩出するアンガーマン侯爵家は、『武のバルツァー家』と同様、『文のアンガーマン家』と名を冠されるほどの名家であり、世間的には権力の不均衡を招く繋がりだと思われている。が、貴族院の議長を務め、王族に近い家柄の公爵家と縁を持つより余程マシな縁組と言える。

バルツァー家は代々政治的な駆け引きから一線を引く、仕事一途で生真面目な性質の当主が多い。元々婚姻を切っ掛けに勢力を拡大しようと画策するような家柄では無く、だからこそクロイツがアーベル王子の信任を得たとも言えるのだが、妬み嫉みと言う物は物事の本質よりも表面的な所に焦点が当たりがちになるものだ。




そんな望ましく無い縁談でも、もしクロイツとクラリッサ両人が望むなら―――母親としては後押しを惜しまないつもりであった。けれどもクロイツがクラリッサを単なる可愛い妹分としか見ていないのは近しい者には明らかなだった。どうせ叶わない恋なら心残りの無いように好きにさせてあげたいし、結局は自分で撒いた種の始末は刈り取らねばならないのだからと、トルデリーゼはある程度クラリッサの夜会での振る舞いを放置していた。

―――が、クロイツとレオノーラの婚姻が纏まって以来、覇気の無い娘の様子を見ていると、今までのやんちゃな振る舞いよりずっとこちらの方がトルデリーゼとしては心配になってくる。


王家の血脈を継ぎ『アドラー家の至宝』と呼ばれる『公爵令嬢クラリッサ』は、もっと誇り高くシャンと立つべきである。そうトルデリーゼは考えているし―――期待もしている。

微笑み一つで殿方を動かし……貴族女性達を牽制できないようでは、今後決して低い地位の貴族に嫁ぐ事にはならない彼女は、この魑魅魍魎がひしめく貴族社会で生き抜いては行けないだろう。


トルデリーゼにはクラリッサはいまだ失恋の痛みからは立ち直れず、自棄やけになっているように見えていた。身分の低い子爵家の次男坊と『友達ごっこ』をしているのも、取り巻きを掌握できずに勝手をさせているのも、その所為だと思っている。

しかしそろそろ自分の将来を見据えて、前を向いて欲しいと考えているのだ。




ダウム侯爵家で開催される茶会に招かれているのは、未婚の若い男女ばかり。中には婚約者が決まっている者もいるが、その方が返って気楽に参加できるだろうとトルデリーゼは判断した。

何もここに参加する貴族子息の中から伴侶を選べと言っている訳では無い。トルデリーゼは疑問視しているが、アドラー家の前公爵が後押ししているトビアスと言う婚約者候補もいる事だし、リハビリのつもりでクロイツ以外の男性にも目を向けて欲しいと考えているのだ。その結果都合の良い婚約者が見つかれば、これ以上の事は無い。

つまりクラリッサの母親として彼女は子供っぽい嫉妬心で娘に絡むトビアスを相応しい婚約者候補だと認めてはいなかった。学院に入学して少々大人しくなったとは聞き及んではいるが―――家格と政治的思惑が適当でも、娘が幸せになれない相手には進んで嫁がせたいとは思わない。前当主の意向は完全には無視できないが、出来得できうれば家格も王家の都合も相手の資質も―――娘との相性も、全て満足できる相手に嫁がせたい。全てを望む資格が、自分の愛娘クラリッサにはある―――と、トルデリーゼは考えていた。




クラリッサもトルデリーゼの気持ちは痛いほど理解している。

彼女の愛情も、公爵令嬢としてすべき事も。


けれども苦しいのだ。

現実を分かり切っているのに―――感情が剥き出しになったようにヒリヒリと痛む。


「分かりました―――お母さま。そうですね、閉じこもってばかりいないで外に目を向けなくては行けませんね」


そして少し寂し気に笑った。

トルデリーゼは眉を下げて頷き、クラリッサを柔らかく抱きしめた。


「貴女は望めば大抵の物を手に入れる事ができる。―――それを思い出して」

「……はい、お母さま」


クラリッサはトルデリーゼの柔らかい体を抱きしめ返した。


母は、きっとクロイツを手に入れられなかった自分を慰めてくれているのだろう。

けれども。




(私が本当に欲しいと思う人を望んだとしたら。―――それは『大抵の物』に入らないとおっしゃるに違いないわ)




一時の気の迷いと断じられ、友人として彼と会う事も禁じられるだろう。

クラリッサは、何を捨ててもそれだけは避けたかった。

今ではマクシミリアンとの繋がりは、彼女の数少ない心の支えとなっている。それを失わない為にも―――(この気持ちはお母さまに打ち明ける事はできない)―――彼女は、トルデリーゼの温もりと愛情を感じながら、現実から目を逸らす様にそっと瞳を閉じたのだった。







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