1.泉のほとり
『女神様と赤毛の騎士』の続編です。よろしくお願いします。
ゆっくり更新の予定です。
王都の西側にはアンガーマン家が管理している小さな山林があって、その裾野にある森の中に小さな泉がある。幼い頃マクシミリアンは母に連れられてレオノーラとよくこの泉を訪れた。身軽な彼は、従妹からよく木の実や葉の採取を強請られたものだ。
泉のほとりに到着し、懐かしい景色に思いを馳せた時思い出したのはそんな事だった。思えばそんな小さな頃から女性陣に便利に使われる人生だったかと、彼は少々苦々しく思った。
クロイツとレオノーラ、マクシミリアンはそれぞれ自ら、クラリッサはアドラー家の護衛の馬に同乗し泉まで辿り着いた。しかしクロイツは到着後間もなく仕事に向かう予定で、食事をする余裕も無く取って返す事になっている。
帯同したバルツァー家の護衛とアドラー家の護衛、クラリッサとマクシミリアンは敷物や食事の入ったバスケットをの準備をしていた。一方レオノーラは泉の裏手に回って何やら薬草を採取している。クロイツが後ろに付き従っている様子を見て、もう自分はお役御免になったのだとマクシミリアンは実感した。勿論肩の荷が下りて清清している。後は未だ嫁ぎ先が決まっていない二人の姉が片付きさえすれば晴れて自由の身だ。
食事の準備が出来た所で、レオノーラがクロイツと一緒に戻ってきた。クロイツの抱えているバスケットの中身を見てマクシミリアンは息を呑んだ。
「レオナそれ……」
「ピトヒロです」
「げっ」
そこはかとなく香る異臭。高級な珍味として人気は高いが、その特殊な匂いの所為で好き嫌いの別れる薬草が、マクシミリアンは大の苦手だった。レオナに付き合って初めて運搬を手伝った日、強烈な匂いに当てられて頭痛で寝込んで以来近寄っていない。
「何ですか?その薬草」
クラリッサが興味深そうに覗き込む。
「どうぞ嗅いでみてください、良い匂いですよ!元気が出ます」
「クラリッサ、やめ……」
マクシミリアンが制止する前に、クラリッサはヒョイっとクロイツの持つバスケットに顔を近づけた。そしてすぐに「うぐっ……」と体を引いて思わずよろめいた。マクシミリアンは咄嗟にその体を支える。
「す……スゴイ匂いですね……」
ケホッと噎せながら、何とか感想を言うクラリッサを見てクロイツが優しい顔で笑った。
「クラリッサには合わないようだな」
「滋養強壮にとても良いんですよ。ではクロイツ様、料理長によろしくお伝えくださいね」
「承知した。フーベルト、後を頼む」
「お任せください」
バルツァー家の護衛のフーベルトが緊張した面持ちで頭を下げた。
クロイツは泉までレオノーラ達を送った序でに、レオノーラの薬草採取のお使いも頼まれているらしい。昇進し今では中尉となったバルツァー家の嫡男を顎で使うとは何事だとマクシミリアンは思ったが、馬に蹴られるのは嫌なので黙っていた。クロイツが喜々としてレオノーラの世話を焼いているのが見て取れたからだ。
それから三人は敷物に座り食事にする事にした。
高位貴族としての自意識が低いレオノーラが護衛にも一緒に座るように声を掛けたが、真面目なフーベルトとアドラー家の常識ある護衛は丁寧に断った。クラリッサが取り成して少し距離を置いた場所に別の敷物を敷き食事を融通してその場を収めた。
護衛が仕える主人と同席するのは一般的には有り得ないのだ。最大限譲歩した提案ができるクラリッサにレオノーラは素直に感心していた。マクシミリアンはもの知らずの従妹を揶揄った。
「レオナはクラリッサにマナーを習った方がいいな」
「そうですねぇ。家庭教師や伯母上にも教えていただいたのですけれど、何故か綺麗さっぱり忘れてしまいましたから」
母親を早くに失い、父親に甘やかされて好きな事ばかりしていたレオノーラは世事や社交に疎い。バルツァー家に嫁いでから最低限露出しなけらばならない場面も増えた。クロイツがフォローするとは言え、こんな事ではいずれ支障が出るのではとマクシミリアンは眉を顰めた。
「クラリッサ様、色々教えてくださいね」
レオノーラはニッコリとクラリッサに微笑みかけた。
「はい……私で良ければ」
「ビシビシ厳しく言ってくださいよ。コイツの心臓は鋼で出来てますから、遠慮は無用です」
敷物に直に腰掛けている分、今日はレオノーラにヒールで踏まれる心配は無い。マクシミリアンは十分に距離を取りつつ軽口を言った。
そうして暫く近況を報告しながら三人は楽しく食事の時間を過ごした。
クラリッサは女学校に最近新しく配属された女子生徒に非常に人気のある教師の話を、レオノーラは祖父が理事をする武道大会で化粧品のサンプルを配布した事や、義母から剣の手ほどきを受けた事を話した。
「レオナは学院で剣術の授業を受けていないのか?必須講義な筈だぞ」
「私は特待生で二年間しか在学していないので、学院長の権限で幾つか講義を免除されているんです。その代わり馬術の講義は受けましたよ?野草採取やフィールドワークに欠かせませんから。そう言えば女学院には馬術や剣術の講義はあるのですか?」
「必須では無いですが、希望者は特別講義を受ける事は出来ますよ。と言っても剣術や武術は護身術程度のものですけれど……昔は女性には必要ないと言われてましたが、やはり危険な状況に陥った時最低限身を守る術を身に着けた方がいいという意見が多くなったようです。それまでは各家が独自に家庭教師などを雇って、学ばせていたようですけれど」
クラリッサの返答にマクシミリアンが頷いた。
「そう言えば道場出身のお弟子さんが女学院に指導に行っていると聞いた事があります。特別講義の講師だったのかもしれませんね」
「そうですね。それ以外は座学が多いです。実技はダンスやマナー、音楽に刺繍を主に習いますね」
「レオナは初等部もすっ飛ばしてるから、その辺り全然だもんな」
「そうですね~、全く分かりません」
「侯爵夫人がそんな事でいいのか?」
「うーん……クロイツ様は今まで通りで良いと言ってくれているのですけれど……マズイでしょうかね?お義祖父様のカスパル様にご注意を受けて、やっと気が付く事ばかりなんです。最近は侍女頭のビルギットも色々教えてくれますので、もう少しマシかと思うんですが」
ちなみにカスパルの小言の八割はスルーされている。最近次期侯爵夫人に対して遠慮の無くなったビルギットの注意事項も守られるのは五割がせいぜいだった。が、レオノーラはその事に気が付いていない。興味の薄い事にはトコトン記憶力が低下するのだ。フーベルトが同じ敷物に座っていればすかさず突っ込みを入れたかもしれないが、おしゃべりが聞こえない程度の距離を取っているので彼女の認識違いを修正する者はこの場にはいなかった。
海流が運ぶ暖かな空気の影響で、シュバルツ国は一年を通して温暖な気候を保っている。山の裾野にある泉の周辺は日が傾くと山の影に入る為、幾分涼しさが増す。空気の冷たさが、この山に親しんだレオノーラに帰宅時刻を知らせた。彼女は生家の領地を知り尽くしているのだ。
「そろそろ戻った方が良いかもしれませんね」
レオノーラがそう口にすると、クラリッサが緊張の滲む堅い声を発した。
「あのっ……レオノーラ様!」
レオノーラに改めて向き直るクラリッサの表情は張り詰めていた。
「ごめんなさいっ!私……貴女に失礼な態度を取って……本当に申し訳ありませんでした」
しかし当のレオノーラは、真剣な表情のクラリッサの前で当惑していた。
「ええっとぉ……」
そしてチラリと従兄に助けを求めるような視線を投げ掛けた。
ある程度予想通りだと思いながらも、従妹の鈍感さに改めて呆れながらマクシミリアンは口を開いた。
「あのな、レオナはクラリッサとの初対面……覚えているか?」
「ええと……ああ!婚約披露宴の会場で、クロイツ様に紹介していただきましたよね」
「違う!その前のバルツァー邸の夜会が初対面だ」
「……」
レオナは腕を組んで斜め上に視線を投げ―――暫く記憶を探った。しかし全く思い出せない。
「お会いしましたっけ?」
ガクッと疲れたように項垂れるマクシミリアン。
クラリッサはまさか記憶にも引っ掛かっていないとまで予想してはおらず、あまりの事に声が出なかった。レオノーラに謝罪する機会を作って欲しいとマクシミリアンに頼み込んだ時、彼が「……多分あまり意味が無いと思うけど」と言っていた意味をこの時、漸く理解した。
「クラリッサ……すみません。こんな奴なんです……」
「いえ、こちらこそすいません。わざわざお時間を作って頂いたのに―――レオノーラ様が覚えていらっしゃらなくても、私がやった事に変わりはありません。本来は謝って済まそうと言う事自体、こちらの我儘なのですから」
と殊勝に言うクラリッサに、マクシミリアンは身内として申し訳なくなった。
もっと酷い事をしても平気な顔して過ごしているレオノーラと自分の鬼姉達に、この姿勢を是非見習って欲しいと強く思った。
クラリッサのお上品な嫌がらせなど、彼女達の所業に比べれば可愛いお遊びみたいな物なのだから。
一方クラリッサは、一歩先に帰路についたクロイツの様子を思い返していた。
あの異臭を放つ薬草を涼し気な顔で携え、甲斐甲斐しく妻の世話を焼くクロイツの柔らかい表情を目にして改めて、自分はクロイツにとってただの妹分に過ぎなかったのだと実感したのだ。
自分が行った卑怯な嫌がらせなど眼中に入らないほど―――二人の仲は強固に見える。
憑き物の落ちた目で見れば、二人はこれ以上無いくらい似合いの夫婦だ。
そしてクロイツがこれまで他の女性に向けていたた視線にも、熱など籠っていなかった事がよく分かる。レオノーラを見る温かい視線を見れば一目瞭然だった。
キョトンと首を捻るレオノーラに眺め、それからクラリッサはマクシミリアンに視線を移した。
マクシミリアンがクラリッサの視線を優しく受け止め、苦笑して肩を竦めたので―――クラリッサも漸く肩の力を抜いて微笑んだのだった。