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 新琴似四番通りは渋滞していた。上河のカローラは市営バスが吐く排気ガスの直撃を受けていた。渋滞の原因は、国鉄札沼線の踏切だ。地下鉄南北線の延伸が八年後だというが、国鉄はこの踏切を放置するつもりだろうか。定鉄を買収した東急が石狩まで複線電化の通勤路線を建設しようというのに、札沼線は単線非電化。ようやく踏切に現れた気動車はたったの三両編成だった。宅地化の波は恐ろしい勢いで広がっている。警報音が止み、のろのろと車列が動き出す。上河はカローラを踏切を渡った一か所目の交差点で右折させた。畑のあぜ道がそのまま街路になったような狭さ。幅杭が打たれているので、拡幅工事が行われるのだろう。あたりはタマネギ畑だったり、トウキビ畑だったりするが、スイカの切り身を思わせる三角形の建売住宅が目立ち始めている。カローラを防風林手前の空き地兼駐車場に入れ、エンジンを止めた。市電で来てもよかったのだが、予想外に仕事が立て込んだため、退庁後に自宅へ寄り、まだ乗り出しから千キロも走っていないカローラのハンドルを握ったが、西五丁目通りは北三四条、これまた建設中の札幌新道の工事現場で渋滞していた。市電を利用すべきだった。待ち合わせ時間をやや過ぎてしまっていた。

 木造民家の一階部分を改装した小さな喫茶店の店先では、ランプシェードに明かりが灯っていた。午後七時少し前。ムクドリの大群とカラスの大群。みな防風林をすみかにしているようだ。上河は暮れた空をわずかに見上げるが歩は止めず、喫茶店の扉を開いた。ドアチャイムが鳴る。彼女は、いつもの席にすでにいた。

「待ったかい」

 四人掛けのボックス席だが、この店が満席になった様子を上河は知らない。決まっていつもこの時間。平日も日曜も祝日も、午後七時の店内は混む様子がまるでない。

「いえ、私もついさっき来たばかり」

 鈴の音のようなきれいな声。幼さを感じる声音だが、拙さはない。どこかに知性を感じる。けれど、明らかに遅刻をした上河におもねる態度に彼女の主体性のなさを見る。それ以上、上河は彼女の服装に、落胆半分、育成の順調さを確認して満足半分だった。

「もう何か頼んだかい?」

「いえ、上河さんを待ってたんで」

「そうかい、悪いことしたな」

 こんな口調でしゃべる自分に居心地の悪さを感じたが、半年以上続けると慣れるものだ。

「マスター、ピザトーストセット二つね。北崎さん、飲み物は?」

「あの、トマトジュース」

「トマトジュースとガラナね」

 手が届きそうな距離のカウンターにいる中年マスターは目線だけで注文を受け取る。

「今日はバイトは休みか。ちゃんと飯、食えてるか?」

「はい、あの。うん、チョコレートケーキ、もらいました」

「ああ、例の『テルトル・ルージュ』のか。一個いくらするか知ってるか?」

「知りません。でも、椙原先輩は高そうなこと言ってました」

「高い。ここのピザトーストセットより高い」

「そんなに?」

「それだけの価値があるんだろう。君のその服装じゃ店に入れてもらえんかもな」

「そんなにひどいですか、自治会でも言われました」

「まあ、部活帰りの高校生には見える。去年着てたブラウスにスカートはどうした? あれの方が似合ってる」

「あるんですけど、その……」

「活動家らしくないか」

「動きやすいんです」

「そりゃまあ動きやすいだろうな。でも、部活やってるんじゃない。少しは気を遣ったほうがいいと思うがな」

「……椙原先輩にも言われました」

 上河はゆるりと首を振る。やれやれ、どうやら一度も面識のない椙原某とおれは、似たところがあるらしい。こんなところでも意見が一致するとは。

「今日の分、もらえるか」

「はい」

 北崎美香は、カバンから大学ノートを取り出す。。カバンだけは年頃の女の子らしいデザインだ。大学入学のお祝いにもらったというショルダーバッグ。

「これは君のノートだな」

「原本は執行委員会室で保管されちゃうんで」

「君は記憶力がいいんだな」

「勉強したいからって書き写させてもらってるんです」

 美香の手書きの文字は美しい。上河は自他ともに認める悪筆だから、活字のような美香の字には素直に感心する。が、微に入り細を穿つような引き写しぶりには危惧を抱く。

「ここまで真丁(まてい)に写さなくてもいい。箇条書きでもいいんだ」

 しかし発言者の名、地の会話がそのまま聞こえそうな臨場感そのままを書きとった美香の議事録には十分すぎるほどの価値があった。

「上河さんが喜んでくれるから」

「これは借りてもいいのか」

「はい。ノートはちゃんと二冊持ってます」

「これをおれが借りて、明日、神波さんに見せれなんて言われたりしたどうするんだ?」

「うちに忘れたって言います」

 あっけらかんと美香は言い、笑った。共犯者意識はここまで強まっている。

「これだけ写すのに、時間、掛かったろう」

「一時間あれば……コーヒー飲みながら、写してました」

「じゃあ、自治会から直接ここへ?」

「はい。あ、上河さんの言われたとおり、ちゃんと寄り道してきました」

「ここまで細かいと助かる。この鈴木ってのが、東大学生部会の書記だったんだな?」

「はい。まだ除籍にはなってないって言ってました」

「照会してみる。検挙歴があるかないか。……本名かどうか」

「そんなに危ない人たちなんですか?」

 子供のように質問されると、上河は返答に窮する。目の前の「協力者」は十分過ぎる働きをしているが、美香は自分の立場と、自分の組織の立場を十分に理解していない。そしてそれを上河も説明していない。

「アスファルトはがして警官隊に投げつけたり、硫酸の瓶持ってきて警察官に浴びせたりって、危ない行為だとは思わないか?」

「……豊平駅のこと、驚きました」

「君らの道部会は関与していない様子だな」

「はい。でも、あの……」

「対戦車地雷は、この椙原君が手配したんだな?」

 上河は身を乗り出し、囁くように言った。カウンターのマスターはたった二人分のピザトーストを作るのに精いっぱいで、客が何を話そうが、店内BGMほどに気にしない。それでも美香の耳に届くかどうかの囁きで言った。

「椙原先輩がどこから武器を調達しているのかは、私たちも知らないんです」

「ルートは、たぐれるか?」

「私がですか?」

「君以外におれが頼れる人間はいない」

 上河は乗り出した身のまま、美香のきれいな目を見て言った。美香は少し瞳孔の開いた目を見開いて、それからすん、と鼻を鳴らし、肩をすくめた。ショートヘアの髪はまだきちんと洗髪しているようだ。二十歳前の、大人になりきれていない少女にふさわしい甘い匂いがした。

「調べてみます」

「いや、直接訊いてみればいい。君は二年生なのに、執行委員会室に出入りできている。高校時代に学生運動を経験していないのに、大したもんだよ。君が仲良しの神波さんは南高時代に有名だったようだが」

「そうなんですか」

「女の子で生徒会の会長だ。話題にもなるだろう。君は高校では演劇部だったんだっけな。生徒会活動には興味がなかった」

「なかったです」

「いまどきほとんどの人間はそうだ」

「そうでしょうか」

「街を歩いて何が見える? どこもかしこもオリンピック、オリンピックだ。今日より明日は豊かになる。みんなそう信じてる。国を変えようなんて本気で思ってる人間なんていやしない」

「けど、私たちは……」

「奇特だな」

 突き放すように上河が言うと、美香はうなだれた。

「君が本気なのはわかってる。君がもたらしてくれる情報は貴重だ」

「私は、裏切者なんでしょうか」

「そんなことはない」

「組織の情報を、上河さんに渡してる」

「ただ渡してくれてるだけだ。仲間を売ってるわけじゃない。あくまでおれは情報提供者に謝礼を渡しているだけだ。気に病むな」

 上河は封筒をテーブルの上に滑らせた。

「着るものにはもう少し気を遣え。あと、献金もほどほどにしておけ。自分の生活が第一だ。君が汗水たらして稼いだ金が、闘争資金になって何に化けたか考えてみるんだな。君は国を変えたいと願っている。その気持ちは大切にすればいい。悪用されないようにな」

 美香はうつむいたまま、おずおずと手を伸ばし、上河が滑らせた封筒を受け取った。

「組織から抜けるべきなんでしょうか」

「君が決めることだ。おれが決めることじゃない。だが、軽々しく抜けるな。怪しまれる」

 総括されるぞ。続きの言葉は言わずとも彼女には伝わったはずだ。

「上河さん」

 すがるような目で美香が顔を上げた。

「私たちは間違っていますか?」

「それは君たちが、君が判断することだ。君は信念を持っているんだろう? おれもそうだ。その信念の向かう先が、もしかすると違うかもしれないが」

「深入りしない方がいいと?」

「客観的に自分を見つめる時間か、君ら学生には十分すぎるほどにあるはずだ。おれにはない。ぜいたくな時間だ。無益にするな」

「この国を変えたいと思うのは無益でしょうか」

「どうしてこの国なんだ?」

「……なぜよその国に軍隊を送らなくてはいけないんでしょうか。なぜ、農家の人たちを虐げてまで、国際空港を作る必要があるんでしょうか」

「気になるなら、行ってみればいい。君にはその時間と自由がある。おれにはない」

「行けってことですか?」

「そうは言ってない。けどな、北崎さん。おれにあって君にはないものは、自由だ。それはあらゆる部分でそうなんだ。おれは服務規定がある。ちょっとした旅行をするにも書類が必要だが、君は違うだろう。海外旅行も自由化された。献金するくらいなら、貯金をして、その金で、東南アジアの国の現実を見てもいいだろう。どれだけ日本が恵まれているか、あるいはなぜ日本軍が介入せざるを得なくなったのか、机上ではなく、現実として見られるかもしれない。なんなら新空港闘争の現場に行って来ればいい。もちろん、おれにはレポートを出してほしいけどね」

 最後の言葉は冗談めかして言った。さもないと、彼女の純真さは、そのままストレートに上河の言葉を受け止めてしまう危うさがあったからだ。

「自分の目で見たこと、感じたことしか信じないことだ。いまこの街はオリンピックで浮かれてる。自分自身が見えていない。躍らされてるんだ。本州資本にね。いつか気づく。残されるのは借金だ。取り立て屋は津軽海峡の向こうからやってくる。そのツケを延々払わされるのは、おれたちじゃない。むしろ君らだ」

 上河は彼女を前にすると、普段以上に感情を吐露してしまいがちになる。彼女はあくまでも協力者に過ぎないはずなのに、それ以上の感情がほとばしるのを留められないことがある。

 ピザトースト二人前が目の前に届いた。届けたのはマスターの妻でただ一人のウェイトレスだ。愛想笑いはないが無愛想でもない。時間差でテーブルにトマトジュースと炭酸弾けるガラナのグラスが並ぶ。美香はすぐに手を付けず、うつむき加減につぶやいた。

「上河はさんは、私たちの敵……なんですか?」

「君はどう思ってる?」

 上河は美香が手を出しやすいように、先んじてピザトーストにかじりついた。かの山本ならどう評価するだろうか。チーズもサラミも市販品に違いない。不味くはなかった。

「私たちは、この国を変えたいんです。でも、上河さんたちはそれを阻止しようと思ってる」

「……北海道じゃないのか」

「えっ」

 市販品のくせに、ここのチーズはよく伸びる。上河の頬に一筋貼りついた。熱い。

「身の丈に合った革命があってもいいとは思わないかい? なして一気に『この国』になる? 君の持ってくる議事録を読んでるとね、ウチも君らも変わらんなと思うわ」

「どこがですか?」

「冷めるべ、食え?」

 美香がためらうようにピザトーストをかじった。一口、間髪入れずに二口、三口。

「ウチも『本社』は東京だってことだ。結局は東京の気分次第でこっちは支社扱いさ。この鈴木君は、『赤い鳥』の『北海道支社』に出向してきた本社の社員みたいなもんだろう。だから椙原君も野崎君も、腹クソ悪いんだべ。気持ちはわかる?」

「だから不機嫌だっていうんですか? 学園大の菅生さんの件で怒ってるんだって」

「今日はそうだったんだろう。でも、君が提供してくれてる議事録や資料を読んでるとおれにはよくわかる。椙原君は便宜上学生運動をやってるんだろう。君はどう感じる? 椙原君は反戦シンポにも出てこないし、新空港闘争への『外人部隊』派遣にははっきり拒否の姿勢だ。学費値上げ反対闘争だとか、大学自治、その辺では熱くアジってるのにな」

 美香は上河よりも早く、一枚目のピザトーストを平らげた。ほっと一息ついて、トマトジュースをストローで飲んだ。えくぼが見えた。そんな仕草はかわいらしく、活動家にはどうにも見えない。

「会えるものなら会って話でもしてみたい気分だ」

 上河もトーストを頬張る。分厚いパンはどっしりした噛みごたえだ。同じ値段ならチョコレートケーキよりこちらの方がいい。

「でも、立場上それはできん。北崎さん、椙原君の動きには注目しれ。あと、この東京の連中がおかしな動きをするようなら、すぐに連絡してくれていい。したらあれだ、おれはそろそろ行くわ。しっかり食ってけよ。次会うときは、小ぎれいなカッコしてくるんだな」

 伝票をさらい、上河は立った。二枚目のトーストと格闘を始めた美香が軽く頭を下げた。カウンターで勘定を済ますと、上河は振り返らずに喫茶店を出た。



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