ヴィルヘルム青年
赤い屋根の巨大な石造りの王城を持つ1000年都市ロートブルクでは、ファルケン公爵家に属する貴族達が会議室に集結していた。
「くそっ!プフェールト侯爵風情が、我々にカッツェ領の援軍に行けだと!下の爵位の家に我らが何故命令を下さらねばならぬ!」
ガンッ
机を叩くのはコンラディン・ルートヴィヒ伯爵、ファルケンから派生した貴族のトップである。茶色い巻き毛の老紳士といった雰囲気が台無しであった。
隣に立っている痩身の中年貴族であるフェルナンド・マイヤー伯爵は腕を組み唸る。
小柄な禿頭の老魔導師ベリンハルト・フォン・ファルケン侯爵は、カッツェ領南部で行なわれている南のアームズ帝国との領土戦の戦況を、地図を盤面にして駒を置いて状況を確認する。
「西のノイエンドルフ領はどうにか持っているが、カッツェ領の中央軍が恐らく南の高地を押さえられてしまった為、押し込まれているというのが正しいでしょうな」
「ハインリヒ卿、この戦争はいつもの如くアームズ帝国による領土侵略と考えてよいのか?」
中央に立つ現ファルケン公爵、恰幅のいい中年男性のライナー・フォン・ファルケンはファルケン領直轄地エンゲルハルトに隣接するハインリヒ男爵領の領主に尋ねる。
「いえ、どうやら昨年末、南西部の火山が噴火した事で火山灰が降り、帝国の傘下にあるウエストエンド騎士国は夏の月に入る前に飢饉に陥る恐れがあるとの見通しだそうです」
ハインリヒ男爵は淡々と答える。
「というと食料の略奪か。領土を奪ってその保証として手に入れる…と?」
「戦争での食料の確保のほうが余程大変な気もするが」
「一時的に徴収するだけで、奪えればそっちのほうが多いですから」
「いっそカッツェ領の食料を焼いてやるか?」
「そしたら我が領まで来てしまいますよ」
大の貴族が冗談のような話をする。だが領としては、領土侵犯して来ている相手がいるわけでもないのに、食料を徴収して戦争に行くなど論外である。だが公国中枢からは命令が出されているのだから出なければならない。王国であった頃なら勅令として当然のように向かうが、現在は同じ公爵家からの命令なので、釈然としないものが残るのは仕方ない。
「そんな臨時食料を我が領が持っているかという話ですが」
ハインリヒ男爵は話を引き締めようと真面目な提案をする。
「ただでさえシュバルツバルトの関税が厳しく、こちらは首が絞まっていると言うのに」
「余裕があるなら中央から軍を出せばよい」
「だが中央の命令だ」
ファルケン公爵派の大御所が大勢で溜息をつく。
「ヴィルヘルム3世を使うか」
ライナー・フォン・ファルケン公爵はぼそりと呟く。
「ヴィルヘルムですか?」
コンラディン伯爵は不審げに公爵を見る。
7年前、本家がヴィルヘルム継承の儀に失敗して、達人達すべてを失った。それはそのままライナー公爵に伝えられ、そして公国中枢にも伝えられた。
生き残って報告をしたのは10歳にも満たない少年だった。彼の証言は要領を得なかった。だが、ゲルハルトの孫で、戦いで隠れていたのか、結果的に彼は生き残ってしまい、ゲルハルトの遺言に従うならば、少年をヴィルヘルムにする必要があった。だが偶然生き残ってしまっただけの少年を、誰もヴィルヘルムとは認めていない裏事情がある。
このヴィルヘルム継承の儀によって失われた存在は、ファルケン滅亡のシナリオを大幅に進めてしまったといっても過言でないだろう。50年前、天下無双と名を轟かせたゲルハルト、100年に1人の天才と謳われたエドガー、その弟2人もまた抜きみ出た実力を持っていた。
結局、形だけ継いでしまった少年は使い物になるかも怪しいので、ハインリヒ男爵の下で修行をしながら、辺境の地でモンスターなどの襲来の際には出兵させている。何故、ハインリヒ男爵の下なのかと言うと、ハインリヒ男爵家は180年前にヴィルヘルム2世の弟子として、ファルケン家の剣術の全てを伝えられてきた一族である為だ。
ファルケン家は、ヴィルヘルム3世の腕が上がっているという話は耳にしているが、過去に数度の対モンスター殲滅戦の出兵を命令していたが、彼が戦場に合流する頃にはほとんど片付いており、まともな活躍をした事が無かった。
「しかしヴィルヘルム様は先日、西部のモンスター討伐より戻ったばかりで…」
「何を言う。大した戦いもなくモンスターは退いたというではないか。ヴィルヘルムの名はこういう時に使うために存在していたはずだ。直ちに出兵させろ」
ライナー・フォン・ファルケンはキッパリと言い切る。
「分かりました…。そのようにお伝えいたします」
深々とハインリヒ男爵は頭を下げる。
そんなやり取りがあった翌日。
オズバルド・ハインリヒはハインリヒ男爵領という小さな町と農村4つを統べる小領主である。西部の山岳地帯はハインリヒ男爵家の修行場であり、オズバルドは亡き父より習ったファルケン公爵家より代々伝わった技術の数々を息子と、ヴィルヘルム3世を継いだ少年かつてユーリと名乗ったヴィルヘルム・フォン・ファルケンに教えていた。
ヴィルヘルムの吸収力は凄まじく、30になってようやく、形だけを全て引き継いだオズバルドだったが、ヴィルヘルムはそれを完璧なものとして、たったの12歳で習得した。
つまり家に来て2年ちょっとでファルケンを極めたのだ。
最初の頃はまるで死んだような瞳で言われた事をただやるだけの機械人形のような少年だったが、次第に色々と話してくれるようになった。その才能と実力は本物で、話を聞いてようやくオズバルドが理解したのは、ヴィルヘルム継承の儀が決して失敗ではなかったという点だ。
だが、その時、ライナー公爵にそれを伝えるのは憚られた。ヴィルヘルム少年は心の傷を負いすぎて、痛みや悲しみに鈍感で、このまま戦場へ投入するにはあまりにも危険すぎると思ったからだ。そして、ライナー公爵自身もゲルハルトがいなくなってからいよいよ独裁政治をはじめ、本家のヴィルヘルムに対しても道具の様に扱うようになってきている。危険な組み合わせになるとしか思えなかった。
今日は初めてオズバルドはヴィルヘルムに『人を殺してきてくれ』という命令を出さねばならない。その所為で少し気が重かった。
オズバルドは家に辿り着くと、ヴィルヘルムは息子のオリバーと一緒に修行場へ行ったと聞き、オズバルドもまた修行場の方へ顔を出す事にする。
大山脈の麓にある修行場は、岩や砂利があちこちに転がり、非常に足場が悪く、近くには川が流れている。ヴィルヘルムがユーリと名乗った頃に長年修行した場所と似た景色がそこにあった。
「ほら、どうした、オリバー。しっかり相手を見ろ。剣だけを目で追うな」
激しく攻め立てるのはオリバーと呼ばれた少年。齢14歳程、短い髪を上に立て、ブラウンの瞳をしたやんちゃそうな少年で、背丈は170センチちょっとある歳の割には大柄な少年は、一回り体の大きい痩身の青年に真剣を打ち込む。
一回り体の大きい痩身の青年はその真剣を全て体に触れるか触れないかギリギリでかわし続けていた。
この青年、かつてはユーリと名乗り、今はヴィルヘルム・フォン・ファルケンと名乗る男は赤みの差した茶色い髪に紅玉と見紛う美しい瞳をした美丈夫へと成長していた。体は細くとも無駄な贅肉が全く存在しない芸術的と形容できる筋肉質な体を持っていた。
オリバーが大きく踏み込み剣を打とうとするが、ヴィルヘルムはオリバーの足元を足ですくって転ばせる。
そして、ヴィルヘルムは木刀をオリバーの首下に突きつける。
「まだまだだねぇ。オリバー、今日はこれで20回死んでるよ。今朝は勝てる気がするって言って無かったかい?」
ヴィルヘルムは笑って訊ねる。
「うー、ヴィルヘルム様、足はずるい!剣士なら剣で勝負だ!」
泣き言を言って足をジタバタさせるオリバー。
息子の未熟に頭を抱えながら、オズバルド・ハインリヒは修行場へと入る。
「ヴィルヘルム様、精が出るね。どうかな、息子は」
「技はそれなりに、とはいえ小手先に走りすぎて実が無い。そりゃ、ハインリヒ家は技を伝える一族なのだから、技さえあればいいのかもしれないが、それらを守り伝えるには生き残れる実力も必要だ。身を守る実力は欲しいかなぁ」
ヴィルヘルムは苦笑して、地面に腰を下ろして膨れっ面の弟分オリバー・ハインリヒに手を貸して起こす。
勿論、ヴィルヘルムもまた、幼い頃は散々兄達に転ばされたものだ。とは言え、今のオリバーの頃には既にヴィルヘルムはその兄を殺しているのだが。
「まあ、そう言う事だ。それに基礎がなければ、技を身につける事も出来ないからな。素振りも魔力の溜め方も、剣術の技量も、まだ足りぬぞ」
オズバルドは息子の頭をポンポンと叩いて苦笑する。
そもそもオズバルドの家族は既にオリバーしかいないのは17年前に起こり15年前に終結したリュミエール帝国との戦争だが、その終戦間際に、南方からアームズ帝国からも攻められてしまった為に、ハインリヒ領は蹂躙され、唯一残ったのが末っ子のオリバーだった。ヴィルヘルムが言うように技を残すにも自信が生き残らねば意味が無いという言葉は非常に切実だった。
「ぐぬぬぬぬ。俺だってヴィルヘルム様くらいの年齢になれば…」
「いや、ヴィルヘルム様はお前の年齢の頃に、既にファルケンを極めているからな」
「がふっ」
強がる息子にオズバルドは止めを刺す。
そんな微笑ましい親子のやり取りに、ヴィルヘルムは笑いを見せる。
「で、何か御用ですか?オズバルドさん」
ヴィルヘルムはオズバルドに視線を向けて率直に訊ねる。
大体、ここに来るときは用事があるときだ。修行を見るときは一緒に来るし、綿と麻で出来た丈夫な修行着に着替えてくるが、今は貴族の儀礼服で来ている。会議が終わって、直にここに来たと言う雰囲気から、ヴィルヘルムは自分に用があるのだと察する。
「また、本家からの命令だ。今度は南からせめて来るアームズ帝国を止めよとの事だ」
「……ウチの領はアームズと隣接はして無かったと認識してますが」
「カッツェ伯爵領が少々押し込まれているらしい」
「カッツェは15年前までファルケン傘下だったのに、あっさりレーヴェに寝返って、我が領へ出兵した裏切り者でしょう?助けろと?あいつら本気ですか?」
「首脳部も口にはしなかったが、そこはもう中枢の命令だから何も言えんのだ。そして公国命令としてファルケンへ出ている。腹の内は皆煮えくり渡っていたよ」
オズバルドからすれば、それをハインリヒにも出兵命令するファルケン家も正気を疑う。まさに15年前、ハインリヒが北東部のリュミエールとの出兵中に、南部からアームズ帝国と連動してカッツェ領の軍勢はハインリヒ領を見捨てて、ファルケンへ攻め立て、ファルケンは自分達を守る事に手一杯で多くの傘下の家々を見捨てている。
「そもそも、王がいて貴族があるのに、その王を廃しておいて、貴族をいつまで名乗るんでしょうね、ケーニヒ公国の貴族達は」
「一応、今はリュミエール皇帝陛下の貴族…だからな。公爵位も旧ケーニヒ王国の血筋だからだ」
辻褄合わせに爵位をそのまま残しているが、その実は全く無い物となっている。つまりリュミエールは、ケーニヒ王族だけを皆殺しにしたかったといっているようなものだった。
「はあ……公国命令はそのままリュミエール帝国命令と同義…ですか。分かりました」
「しかし、今回は…人斬りとなるが…」
渋い顔をするオズバルドの姿に、ヴィルヘルムは怪訝そうな顔をする。
「何を逡巡する事があるんですか?」
「帝国は獣人国家といえど、相手はあくまでも人だ」
「それを言うなら、先日のワームの討伐任務も、その前のオーク集団の討伐任務も、蛮族と呼ばれるゴブリン族討伐任務も、生きとし生ける相手であるには変わりませんよ?」
「だが…人は人だ。君にそのような事を…命令を伝えなければならないのは申し訳なく…」
オズバルドは俯き、悔しそうに唇をかむ。対して、ヴィルヘルムはその姿があまりにも滑稽だったのでついつい噴出してしまう。
「?……ははははは。ヴィルヘルム・フォン・ファルケンに人も蛮族も怪物も、区別がつくと本気で思ってるんですか?オズバルドさんは面白いなぁ。最愛の兄を切り殺せる人間が、人間か人間じゃないかで躊躇う筈が無いじゃないですか」
ヴィルヘルムは自嘲気味に笑って見せる。
オズバルドは、ヴィルヘルムの保護者として7年一緒に暮らしたが、ヴィルヘルム・フォン・ファルケンという男は非常に優しい青年である。いつも周りの事を気に掛けているし、どんな下位の身分の人間であっても自身と対等として扱う。オリバーやヴィルヘルム付きの従者ディオニスのような少年達にとっては、優しい兄として接している。しかし一度戦闘となれば、感情の無い戦闘人形へと切り替わる。
オズバルドは、戦闘人形となるヴィルヘルムを何度となく目撃しているだけに、心を痛めている。確かにファルケン本家は怪物を作り出した。だが、ここまでする必要なんて無いではないかという思いがどうしても心の中に残ってしまう。
「誰を殺して、誰を殺してはいけないか明確にしてもらえれば後は適当にやりますよ。というより………そもそも戦争になると水や食料の徴収だったり、軍務を動かすから金が掛かりますね。攻めて来ているのは、アームズ帝国でも、実際の軍隊はアームズ帝国の傘下にあるウエストエンド騎士国だったような。カッツェ領の南の高地にある砦からの攻撃で後手後手になって困っているんだし、いっそハインリヒ領の軍を動かす前に、………南の高地に兵士を送り込んでる高地の南部にあるハイランダムを壊滅させませんか?補給路が消えれば戦えませんよね?」
ヴィルヘルムの戦略は間違っていない。
カッツェ領の南に広がる高地を奪われて、そこに砦を建てられたからアームズ帝国傘下のウエストエンド騎士国は堂々と攻め込んできている。ただ、そこの高地は作物があまり育たず、軍事拠点としては重要であっても、村や町は定着しないという弱点がある。その為、常に砦には高地のさらに南にあるハイランダムという大きい都市から、武器、兵器、水、食料のすべてが送られている。ウエストエンド騎士国がケーニヒ公国を攻める事が出来るのはつまりハイランダムという大都市があるからであり、つまる所、そこが両国における戦争のボトルネックになっている。
「だが、南の高地の砦は我が国が手にしていた頃は不落の城砦として機能していたが、今では逆に奪回不可能な向こう側の防衛線となってしまっている。そこを越えねばそもそもハイランダムへはいけないだろう。迂回路はあるが、そこは既に戦場だ」
「じゃあ、ハイランダムに行く途中に高地の砦を……っていうか城砦は破壊するって事で良いですよね」
「ちょ、待ちたまえ!ケーニヒ公国の誇る超広域破壊魔導砲でさえ傷のつかなかった砦を、まさか剣で斬るつもりかい!?」
ずぼらな計画を立てるヴィルヘルムに、慌てて待ったを掛けるオズバルド。
ヴィルヘルムは確かに戦場を人に見立て、的確に急所を見つける才能がある。
だが戦略的には正しいが、それを成し遂げるにはどれほどの大変さがあるかは理解していない部分がある。そういう部分を埋めるのがオズバルドの仕事でもあった。
「じゃあ、切れなかったら侵入できる場所から入って、向こうの指揮官クラスを斬るって感じで」
ヴィルヘルムのあっさりした物言いに、オズバルドはあっけにとられる。
そもそもヴィルヘルムはこれまで、モンスター討伐や蛮族討伐において、軍隊より先陣を取り、軍隊が到着する前には決着をつけて終わらせて勝手に帰っている。
その為、戦積が無いのだ。
オズバルドもヴィルヘルムに実績がつけば、現公爵は、ヴィルヘルムを良いように利用するのは目に見えていたので、極力、ヴィルヘルムの才能を公にしない様に動いていた。
「いつぐらいに終わってれば良い?」
「ウチの領から軍を出すのに500人程度、食料等を集めるのに5日、カッツェ領まで行軍で10日の合計15日ごろには辿り着くでしょう」
出兵に500人というのは男爵と言う位であれば多い方だ。最も貴族の持つ私兵団を多く抱えているのはレーヴェ領の5万騎、中央政府のもつ軍隊は10万騎と言われるのだから貴族として別格なのが分かる。通常の男爵なら農村から男手を集めるだけなので精々100人前後でも仕方ない。
「なるほど。じゃー、明日から、ぶらっとハイランダムの方へハイキングに行って来るかぁ」
ヴィルヘルムはなんとなしにぼやく。
ハイキングではなく、戦争に行くのであるが、オズバルドはこの少年の感覚が既にマヒしているのを理解しているので、突っ込むのを諦める。
ちなみに、行軍では10日掛かる道のりでも、普通に歩けばカッツェ領まで5日、ヴィルヘルムの足なら3日である。だが、科学都市リュミエールを支えるオーバーテクノロジーとも言われた軌道列車の速度であれば数時間で辿り着く。この軌道列車は大都市間しか繋いでいない為、カッツェまでは当然歩かなければならない。
何故、ヴィルヘルムがハイキングと口にしたことに対して、この時は誰も気付いていなかった。そもそもヴィルヘルムはカッツェ領へ行かずに北の高地へ直行、つまりハイキングへ行くのである。彼はアームズ帝国から入ってきた外来語「ハイキング」を高い場所へ遊びに行くという意味で勘違いしていた。