誓い
王国復興軍はプフェールト領の西端にある地で野営をする事になる。
設営された本陣の幕中には女王であるリズ、マイヤーらファルケン系の将軍達、ヴァルター、ヴィルヘルム、ヨハンの3人が加わり、ヴィルヘルムに付き従うようにオリバー、エメリ、トルーデ、ディオニスの4人がいた。
マイヤーから具体的な戦況を報告される。ほとんどリズの知略によってどうにか堪えている点、アームズ帝国が見捨てた点、そして少数対多数という状況が全く変わっていないという点を主に説明される。
ヴァルターやヨハンも複雑な表情をして話を聴いていた。予想を遥かに上回る南部の厳しさと絶望感が押し寄せる。
ヴィルヘルムと行を共にしたヴァルターから、ここに至るまでの国の状況の酷さは、もはや他国人であってもどうにかしたいと思う程に悪く、ここに来てほとんど情報を持ってなかったヨハンは大きく肩を落としていた。
「つまり状況はかなり悪いのは良く分かった。オリバーはどうする?ディオニスは亡命先の渡りもつけていたようだが」
ヴィルヘルムはオリバーに尋ねてみるのだが、オリバーは首を横に振る。
「それは滅んだ時に私が生きていたら…だと思います。エメリやトルーデは亡命させたいですが、僕は父の後を継いだ男爵です。民を守る義務がある。ハインリヒ領を捨てて行く訳には行きません」
オリバーの真摯な言葉を受け、エメリやトルーデもオリバーが父の跡を継いでしっかりと領主の自覚を持つ姿に、改めて感じ入るものを持つ。そして、多くの軍人達は恥じる様に俯く。ハインリヒに世話になりながらも彼を牢に閉じ込めていた男達だ。
「まあ、私も村人達とはよく世話になったからな。まあ、どうにかしようじゃないか」
ヴィルヘルムはポンポンとオリバーの頭をなでる。
「で、何で敵側の男がいるんだ?」
ヴィルヘルムは思い切りヨハンを指差して訊ねる。
「お兄様は何も知らずにここに暗殺者として送り込まれてきた。万が一、この地が傾いた際に私の首を敵に差し出す手札の1つとして残してるの。奴らは我等の言い分を聞くとは思えないから弁護してもらえるようにする重要な手札になるわ。私とアームズ帝国に脅されていたとし、民は一切の翻意はないとレーヴェ家の人間が庇えば、最後まで滅ぼされる恐れはないだろうと言う保険って訳」
「それは無理だろう」
答えるのはヴィルヘルムだった。その言葉にフェルナンド・マイヤーは何故かとヴィルヘルムの方へ視線を向ける。
「16年前はどうだったかは知らないが、私はリュミエールの中で見た軍の方針を見るに滅ぼすまで止まらぬぞ?ここに来る途中の軍だったかもしれないが、たった2000人の領地に5万の軍を差し向けたような国だ。住民も何もかも滅ぼしに出るような国に期待するのは酷ではないか?今回だって…南部の住民はもう50万程度、ロートブルクは下手すると20万程度だろう?そこに20万も差し向けるバカがリュミエールだ」
ヴィルヘルムの言葉に、誰もが口を閉ざす。ヴィルヘルムの推測は、南部を統べる羽目になった貴族たちが重々理解しているので言葉を失う事になる。
「死に物狂いで防壁を固めるしかないでしょうな」
「防壁を固めるにしても限度もある。向こうは何人いる?私が知る限り20万程度と推測しているのだが」
「大体その程度という認識で正しいわ」
「各2万で10方向から攻め立てられたら、全て止められるか?1つでも抜かれたら終わりだろう。以前、5万の軍を相手にした際、どうやったら勝てるかを必死に考えたが、さすがに答えは出なかった。私の背後にいた兵士は全て殺されたし、私は延々と敵を殲滅し続けたが、残念ながら守っていた領土や逃げた住民がどうなったかはサッパリ分からない。数の暴力の前には小さい力は無力だ。確かにリズはチェスが強かった。私とリオの2人掛かりで1手ずつ打ってお前と戦ってもクイーン抜きで完勝されたのは苦い記憶だ。だが、2手じゃないぞ、今度の敵は。お前が1手打つ頃には10手打つぞ」
ヴィルヘルムの言葉は切実で、本質をついている。
実際に100対5万などと言うあほらしい戦場に立ったことがあったから言えることだ。今回は、それよりはましでも、同じ事になるのは目に見えている。
「で、ですが、農民達を後方支援に使えば…」
「20万対……いくつだ?」
「20万対10万ねん出できれば…」
ヴィルヘルムの問いに答えるのはマイヤーだった。仕事を失った難民達の非常徴収で、一時的に高い人口比で軍を形成するというやり方だ。
「3倍の数を引っ繰り返した前例はあるのだろうが、こちらを滅ぼすまで延々と攻め続ける20万を相手にどうにかなるとは考えられないな。縋るような手と保険がある戦いではあるが、実際には20万対2万程度なのだろう?防衛では絶対に厳しい。こっちから打って出る手はないのか?」
ヴィルヘルムとしては、今やろうとしている事があまりにも無謀のように感じられた。よほど強固な防衛網を張っている下準備はしているのだろうが、それでも余りに厳しすぎる。
「それはかなり厳しい。前は相手が15万を中央に集めたタイミングで、シュバルツバルト南部平原に奇襲して叩けた。今は各軍を数万程度に細かく分けられていて、ユーリ…じゃなくてヴィルヘルムが言うように四方八方から叩く方針に向こうも切り替えてる。そうなるのが分かってたから、防壁を各所に作って防衛網の構築していた」
リズの戦略は先読みしたものであったが、それでも流石に20万を2万で相手するという実質的な状況は、あまりに厳しいことが誰にも理解できてしまうので、全員が厳しい表情で唸っていた。
「実際、大公側が20万になった時点で自分の首を落として救いを請う程度しか考えて無かったのだろう?それが怪しいから防衛網を構築していた。防衛網は自分が死んだ後に機能する為の切り札じゃないのか?」
ヴィルヘルムのダイレクトな問いにリズは俯いてしまう。
「ご名答よ」
リズの苦しそうな返事は、全員に絶望感を過ぎらせる。
「そもそも広域破壊魔導砲が向こうにあるからアイゼンシュバートの城砦も1撃でぶち壊される可能性だってあるのではないか?」
「1~2発くらいで破壊されない程度の強度は保持してます。次の補充に時間が掛かりますから、その間に広域破壊魔導砲を壊せば…」
マイヤーは自信を持って答えるが
「大公軍は広域破壊魔導砲を5門持っている。クラウスあたりなら堂々と5門並べそうだな」
ヨハンは、自身の兄の過剰な破壊を好むやり方を思い出して、とんでもない事を口にする。
「アイゼンシュバートを魔導砲で吹き飛ばしたら、食料も一緒に燃やしてしまい、手に入らなくなりますぞ!?やつらがほしいのは食料の筈だ!……あ」
マイヤーは必死になって訴えながら、そこで1つの懸念事項に差しあたる。
「気付いたか?」
ヴィルヘルムはマイヤーが一気に顔色を青くした事に気付き、彼がやっと一番重要な事実に行き当たったと察する。
「ウルリヒ大公は……そんなことまで考えていない。あの男は…食料なんて簡単に手に入るものと勘違いしている。そうして南部を滅ぼしたんだ…」
マイヤーは頭を抱えて口にする。
「リュミエールもそういう部分がある。リュミエールはそれでも広いから集めようと思えばどこからでも集まるのだが、ケーニヒはそれが出来ない。だから今があるんじゃないのか?」
ヴィルヘルムの言葉に、ファルケン勢は一気に消沈する。
「1つ聞きたいのだけれど、私はウルリヒ大公と言う男をよく分かって無い。どういう人間なの?仮にも大公に叙され、高等学校では首席で卒業した男でしょう?まさか、そこまで考えなしのバカじゃないでしょうに」
リズは不思議そうにヴィルヘルムに訊ねる。
ディオニスは首を横に振る。
「基本的に阿呆ですよ。リズさんは一度だけしか見てないでしょうから、ろくでもない男だと言う程度の把握しかないと思いますけど、僕はヴィルヘルム様と何度かあの男を見ていたので知ってますが、基本的に色々と大事なものが欠けています」
「でも、ヴィルヘルムをファルケン家から追い出したのは、自身の派閥を有利にする為でしょう?オズバルドさんの葬式を土足で踏みにじった男ではあったけど、あれはヴィルヘルムをファルケンから追い出すために身を削った策の1つじゃないの?」
論理的に考えるリズからすれば、昨年の行動はウルリヒの自派閥のために身を削る行為だと考えていた。
「あの男の人となりからすると、単純に、『俺はもう大公になる事が決まっているから、ヴィルヘルムなんてもはや恐れるに足らない。だから直接、俺の口で引導を渡して、刃向かうようなら手勢で葬ってやるぜ。やつもリュミエール相手に刃を向ける訳がない』みたいな軽い乗りでやってきただけで、あれは多分、ただの私怨です」
ディオニスはヴィルヘルムに護衛されているのに、俺が大公になったら殺してやる宣言をしていた、阿呆な現大公の姿を見ているので、彼がどういう原理で動くかおおよそ見当がついていた。
「いやいや、そんな阿呆が貴族なわけないでしょ。大体、貴族って言うのは奉公する下々に対して、恩賞を出すのが義務でしょう?ライナー公爵はそこら辺を弁えていたし、ウルリヒ大公は本質を理解している上で、リュミエールに良い顔をする為にある程度目を瞑っていただけじゃないの?この状況だって、リュミエールがこっちに来なければケーニヒ崩壊に至る事は無かったわ」
リズは慌てて持論を展開する。
その時点で、ヴィルヘルム、ディオニス、オリバー、そしてマイヤーらファルケン系貴族達との間に大きい溝が出来ていた。
リズもウルリヒ大公の人となりを知っている人間達がこぞってリズの考えが間違っているという顔をしている事を察して、一気に血の気が下がる。
「待て、お前ら!そんなバカを公爵に据えようとしていたのか!?」
ヨハンは驚いたように口にする。ヴァルターも厳しい視線をファルケン系の人間達に送る。
マイヤーは俯いて重たい口から言葉をつむぐ。
「私とて直にウルリヒ様が頂点に立つとは思っていなかった。ライナー公爵は他派閥には非常に厳しい方だが、自派閥に対しては良き公爵だった。…ヴィルヘルム様は爵位の関係上敵対関係にあったから、良い印象はないだろうがな」
「ファルケンが厳しい状況なのは祖父からもオズバルドさんからも聞いている。だがライナーは優秀な文官で、ファルケンのギリギリの状況を支えてきた男だ。でなければとっくに斬り殺していただろう。私も…ライナーがウルリヒを後で支えるから、ケーニヒは問題ないと思っていたのだ。あのバカもライナーの下で仕事を学んでおけば使えるようになると思っていた」
「ファルケン勢は皆が同じ気持ちです。ウルリヒの独裁は誰も望んでいなかった。夏の収穫前に我らは厳しい状況があったので免税を直訴したのですが、取り合っていただけなかった。故にこの状況になったのです」
ファルケン系の人間の証言で、リズは大前提がそもそも間違っていた事実に気付かされる。
リズは右手でコメカミを抑えながら大きく溜息をついて俯く。
今、直ぐに新しい策を練るには余りにも厳しい。大前提として大公がリュミエールの手前仕方なく行なっていると考えていた。だが、全て自分の好きにしたい為であるなら、対策は大きく異なる。最終的に大公が国の為に、どこかでリュミエールとの間に入る事が大前提だったからだ。盤面をひっくり返された気分だった。
「策を練りなおす。アイゼンシュバートへの撤退までにもう少しここにいる事になる。時間を頂戴」
リズは今まで見たことない位、陰鬱な表情をして、作戦会議の解散を申し付ける。
夜営をする王国復興軍はそれなりに活気はあった。兵士達もアームズから一難を逃れ、プフェールトでの戦いが無くなるかもしれない事実を聞いて気が楽なのだろう。
ヴィルヘルムは丘の上に座って5000人の夜営を見下ろしていた。
すると丘の方へ登って来る人影が見える。
「まさか、リズがお前の所に保護されていたとはな。ヴィルヘルム・フォン・ファルケン」
そこにやって来たのはヨハン・フォン・レーヴェだった。
「名乗った覚えがないが……、貴公は元公爵ヨハン・フォン・レーヴェで良いんだな?」
「妹が世話になった…とだけ言っておこう」
「リズとは持ちつ持たれつの関係だ。ヘルムートにしこたまやられて死ぬしかなかったからな。リズが俺をハインリヒ邸に運ばねば恐らくは生きていまい。それに…リズを匿ってたのは亡きハインリヒ男爵だ。礼なら彼の墓前か、オリバーにでも返すんだな」
ヴィルヘルムは肩を竦めて、ヨハンへ返す。
「その積もりだ。……やはり貴様が父を殺したのか」
ヨハンは気になっていた事を確認すべく訊ねる。
「まあ、あれがヘルムートだったという確証はたたかっている最中でも無かったがな。街中で女を襲う現最高権力者など想像もつくまい。生き残って、そのニュースで持ちきりだったのを知ってやっぱりそうなのかと分かった位だ。やけに強いとは思ったし、当人が自称していたからな」
ヴィルヘルムはあっさりと犯行を認める。隠してもしょうがない事だ。恨み言の1つでも聞いてやるとばかりに白状する。報復される謂れは無いが、報復する権利くらいはあろう。今の状況でそれをする程バカな男ではないと分かってはいるが。
「あの父をやけに強いで済ますか」
だが、ヨハンからは思ったものと違う反応が帰ってくる。
「?……随分とあっさりした反応だな。リズもそうだったが、お前ら子供達は復讐にでも燃えているのかと思っていたが」
「比較的、私は父に懐いていたが、あの傍若無人な父を嫌っている子供の方が多かった。あんな問題児が大人になったような男を慕っていたのはリズと私くらいだったかもしれないな。とはいえ、私は武門の子だ。父は遥か頂上にいるような存在で、その強さに心から憧れていた。その父を殺した男に、興味がないわけでもない。何せ私が全く手も足も出なかったライオネルを瞬殺した武人だ。それなりに敬意も持ってやろう」
「何で上から目線!?というか、あの程度の猫人族に手も足も出ない?レーヴェ家は無能なのか?そこまでヘルムートとの間には格差があるのか?奴ならばあの猫人族など余裕で倒せるだろう?」
ヴィルヘルムはヨハンから語られる言葉に驚きを露にする。
ヨハンはその言葉に心から自分の弱さに肩を落とす。復讐以前の問題である事実を突きつけられた気分だった。
「貴様が強すぎるのだ。常識を知らない貴様が改めろ」
ヴィルヘルムとヨハンの背後からヴァルターが歩いて現れる。
奇しくも、本来あるべき三大公爵の継承者が揃ってしまう。
爵位を分家に明け渡したヴィルヘルム、クーデターの責を問われて兄に爵位を譲ったヨハン、国を鞍替えす言い分として家を出て爵位継承権を放棄したヴァルター。
「そうか?ファルケンとは基本的に切るか切れないかだ。間合いの中に敵がいれば切れるだろう。人間等ものの数ではない。間合いの中にいる人間等、次の瞬間には死体になる。つまり相手を切れるか切れないか、切れないと思うような人間こそが最も手強い。私からすれば、貴様らよりもオリバーやリズ達の方がよほど手強いがな」
父を殺し、兄を殺し、友を殺した怪物の言葉に、ファルケン家の本質を、ヨハンとヴァルターの二人は垣間見る。
「だが、父は強かったのだろう?」
ヨハンは、父がどれほどまでこの化物と戦ったのかが知りたかった。接近戦を旨とするレーヴェ家が、間合いの中に入ったものを全て斬る等と口にするヴィルヘルムに勝てるはずも無かった。
「あれはファルケンを知り尽くしていた。私が斬れない状況を作って、自身の接近戦へと導く様は見事だった。一番の問題は祖父が恐らく手合わせして奴に奥義を見せていた点だ。その所為でカウンターを食らい負けそうになったのだ。お陰で未だに体はボロボロだ。ディオニスの小言が五月蝿い事この上ない」
ヴィルヘルムは嫌そうな顔をして答える。
その答えにヨハンは満足する様に頷く。自分の目指した男が、この怪物をも嫌にさせるような男だったのだと思い、少しだけホッとする。ライオネルのように簡単に殺されたと聞かされれば余りにもむごすぎる。
「今思えば、ヴィルヘルムの儀はヘルムートとミハエルと戦う事になった際の対策だったのだろうな。家族を切らせ、そして奥義を超える奥義を求めた。それは奥義を知っているヘルムートと、血の繋がったミハエル、2人を斬るには大前提として実力と覚悟を必要としていた。どちらも…少しでも剣先が鈍れば勝てる相手では無かった。まあ、……ヴァルターやあの獣人など寝ぼけざまに斬り殺せる弱者ではあったがな」
「ぐぬ」
ヴィルヘルムはそこで矛先をヴァルターへ変え、ヴァルターは思いっきり渋面を作る。その獣人に手も足も出ずに負けたヨハンもまた同じように渋面を作る。
「ふん、いつか、貴様を越えてやる」
ヴァルターは悔しそうに訴えるのだが、ヴィルヘルムは溜息を吐いてヴァルターを見る。
「そもそも、何で貴様がここにいる、ヴァルター・フォン・ドラッヘ。貴様はヴィルヘルムに報復する為に家を出たのだろう?それがヴィルヘルムと帯同する等おかしいではないか」
ヨハンはヴァルターを指差して呻く。
「そういう貴様も、何故ここにいる。たしか20代にして爺様の様に隠居生活に突入したと聞いていたぞ?」
ヴァルターもまたヨハンに訴える。
「大変だなぁ、貴族の子息と言うのは」
ヴィルヘルムは遠くを見てぼやく。
「「貴様にだけには言われたくないわ!」」
見事に息を合わせてヴァルターとヨハンはヴィルヘルムへ訴える。
そして夜も更けて寝静まる頃、邪魔な二人の男は自分の寝床に戻っていき、ヴィルヘルムはそのまま外で1人横になる。秋ではあるがまだまだ外套にくるまれば問題はない。
だが、さらにもう1人の客がやって来る。足音が近づくのが聞こえて、ヴィルヘルムは体を起こさずに訊ねる。
「リズか」
「ええ。ちょっと外で夜風に当たろうかと思っただけよ。こんな所で寝てる人がいて何事かと思っただけ。藁や掛け布は用意されていたと思うけど」
「こうしてずっと放浪していたからな。必要ない」
「そ」
リズはヴィルヘルムの横に腰掛ける。
2人は無言で静まった野営地を眺めていた。薪の火があちこちに見えるが、随分と静かに寝静まっていた。リズもこうして1人で歩けるようになったのはかなり久しぶりでもあった。常に逃げないように監視がついていたからだ。
「何を悩んでいる?」
ヴィルヘルムはリズに問いかける。
「……戦争もチェスも絶対に終着点が決まっているものだわ。ルールもある。でも、さすがに今回は私の手に余る。そう思ってしまったのよ」
「弱音か。チェックメイトされた感想はどうだ?」
ヴィルヘルムもリオも、これまで何度となくリズとチェスをして1度も勝てなかった。リズがチェスで負けたのを見た事がない。それだけに興味深くもあった。
「こんなのチェックメイトではないわ。相手はルールも無視して反則負けなのにチェックメイトするまで戦うなんて、戦いになる筈がないじゃない」
「だろうな」
分かり易い例えである。なるほど、ウルリヒの取っている策とはまさにこんな無茶苦茶なのだ。リュミエールという軍隊を使うのは反則だったが、さらに反則負けを繰り返してもチェックメイトするまで戦い続ける。
「どうやっても生き残る術が思いつかない。上手く生き残れても人口の半数以上は滅びるでしょう。さすがに…ただの民を戦に巻き込ませて死んで来いなんて言えないわ。どうしようもない。多くの人を犠牲にして、無様に生き延びて、その結果がこれだなんて余りにも申し訳ない。死にたいけど死ぬに死ねない。自分が嫌になる」
リズは悔しそうに歯噛みしていた。
ヴィルヘルムは、それが誰に申し訳ないのかという事はあえて触れないようにする。彼女の歩んできた人生は多く犠牲が伴っていたことを耳にはしていたからだ。
「らしくないな」
「?」
「お前が1人で背負うこともあるまい。女王女王と担がれて、本当に女王になった積もりか?」
ヴィルヘルムはリズの様子が随分と変わっていた事に対して違和感を感じていた。戦時の所為だと思っていたがどうもそうではないように感じる。だから、あえて挑発的に尋ねてみる。
「で、でも…」
「ケーニヒ南部の民からすれば、川で溺れて流されている状況に過ぎぬ。必死に掴める物を探して掴めそうな藁しべが偶々お前だっただけだ。藁しべが切れた所で何とも思うまい。それを自身の責任と勘違いするな。そこまで頑固な藁しべがあるものか」
ヴィルヘルムにしては珍しく良い例えを口にしたので、リズは苦笑してしまう。全く持ってその通りなのだ。別に自分じゃない藁しべでもおかしくなかったのは事実だ。
「それでも掴んで貰ったからには、その任務を全うしたいのが藁しべ魂なのよ。いっそどこかの殺人鬼に無残に殺されて、私の責務を仕方なく誰かに明け渡したい気分だわ。そうしたら、私も仕方なく仕事を誰かに押し付けられるもの」
「それを殺人鬼に言うのか?」
呆れるようにヴィルヘルムはリズを見る。
ヴィルヘルムは、冗談めかしているその言葉こそがリズの本音である事を察する。リズは、『いっそ、ヴィルヘルムが私を殺して、後は全部責任を継いでくれ』と言っているのだ。
「じゃあ、逆に聞こう。私は全くド素人だからな。戦場の勝敗さえも分からない、ただの人斬りだ。……我らの勝利とはどこにあるのだ?どうなれば終わる?」
「南部の防衛」
リズは簡単に返す。
それが出来そうにない状況であることも重々理解していた。
「そうじゃない。本質的の方だ。南部の防衛は現状の打破だろう。すべてが上手く終わる結果はどこにあるか聞いている」
「それは……もっと険しい話よ。大公を討ち、リュミエール軍を短期間で撤退させる。そうすればシュバルツバルトも救える可能性も出てくる」
理想を言えばいくらでもある。
「でも、それをするにしても、大公を討つにはシュバルツバルトへ大軍を向かわせる必要がある。それによってシュバルツバルトの都市は崩壊するでしょう?中央から難民が大量に出たら、南部は支えきれず崩壊する。さらにリュミエール軍も速やかに国土から追い出さねばならない。20万の兵糧は一気に国を亡ぼす。でも、移動するだけでも凄まじい時間が掛かるわ。戦争で倒す戦力さえもない。それをする方法なんて存在しない。神様でもいないかぎりどうにもならないわ」
リズは泣き言の様に口にする。
何かを立てれば何かが終わる。どこをどう動かしてもどうにもならないのが現状なのである。現代においては忘れ去られた、全知全能の神などという存在でもいなければ、この状況はどうあっても覆らない。できて南部の防衛。それでも莫大な損害は免れない。
「それが終わっても、次々とリュミエールから軍隊は送られる…か?」
「そう、終わらない。万一勝てたとして、リュミエールを滅ぼすまで戦い続ける?大陸を地獄にする事になるのよ?私はこれ以上、民を殺したくも殺させたくも無いの。どうしようもないじゃない。負けしかない状況にどうしろって言うの?これ以上、私は人の命を背負いきれないのよ!」
リズは嗚咽する様にヴィルヘルムへ訴える。ずっとそう言って放り投げたかった人生だった。絶対に、口にすまいと思っていたことだ。口にしてリズは一気に涙腺を決壊させて目元を手の甲で拭く。
「全て分かった」
ヴィルヘルムはリズの頭に手を置いて、髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。
「な、何を…」
「今回はリズのアドバイスが欲しくて立ち寄ったからな。元より、何か背負わす予定はない。つまりリズは大公を討ち、リュミエール軍を速やかに殲滅して、リュミエールと停戦したいのだろう?それが最善策だと」
「そ、そうだけど…」
「それを、私が勝手にやってしまっても、そこで出る莫大な被害は別にリズの責任でもない。私がただやりたいからやる。それだけだ。それで良いじゃないか」
リズはその不可能なミッションを、あたかも簡単に話すヴィルヘルムの言葉に目を丸くしてしまう。
ヴィルヘルムが何もわかっていないことを理解しているが、それでもこの馬鹿は命尽きるまでその無茶をしようとする男だとわかっている。
「そ、そんな無茶よ!正気の沙汰じゃないわ!」
「その……無茶をやる為に私は戻ってきたのだ。私は自分の力をどう使うべきか、未だに分からない。だから、リズの助言が必要だ。少なくとも、私はお前ほど頭のいい人間を知らない」
ヴィルヘルムはあっさりした様子で無茶を簡単な事のように言う。
「ユーリが考え無しなだけよ」
リズは恨みがましくヴィルヘルムを見る。
「リズがどうすべきか口にすれば良い。私は私の責任の下で、私の出来る事をする。そこにお前の責任なんて無い。それで良いだろう」
「……その果てに死に場所を求めると言うの?」
リズは、口にした言葉の先に、ヴィルヘルムが死ぬだろう事も含め、その責任の一切をヴィルヘルム本人のものだと口にしている事を察する。元々、彼がこの地を去ったのは、誰も知らぬ地で、戦の果てに死ぬ事を望んだからだという事を最初から知っていた。
「そうだ。ここを出てからろくでもない戦場にいた。どこに正義があるかなど分からぬ。余計にかき乱しただけかもしれない。余波によって多くの土地を更なる地獄にしたのかもしれない。それさえも分からないほどに刃を振るい続けた。そしてそんな戦場でも私はやはり死ねずにここに戻ってしまった」
ヴィルヘルムは思い切り溜息をつく。
本当に自分でも何をしたいのかさえ分からなかった。困った人がいたから助けて、それでも助けられないのに生き延びて。そんな流され続ける人生が、ヴィルヘルムは本当に嫌になっていた。
「つまり、アドバイザーが必要だと?」
「どうせ死ぬなら正しく力を振るって滅びたい。その為にはリズが必要だ。私の死に場所を教えて欲しい」
ヴィルヘルムの言葉は、人生を差し出すにも等しいもので、さすがにリズも少しだけうろたえる。実際、死ぬまで一緒にいてくれと言っているのだから、プロポーズと言っても過言では無いのだろう。
「貴方が戦場で死ぬまで、見届けてあげるわ」
リズは全て背負ってきた肩の重荷を下ろして、共にある事を誓う。
翌日、斥候よりプフェールト領城塞都市グアステがものの見事に滅びている事を聞き、王国復興軍はアイゼンシュバートに引き返す事となる。
ブクマ、感想、評価、ありがとうございます。
ヴィルヘルムがやっとやる気になってます。これまで、流されてそこに至っているケースが多く、自分から積極的に結果を求めたことがありません。これが一つの成長になるのでしょう。ついに本当の鬼神が現れます。
私の中で剣士というイメージがヴィルヘルムのような者なのだと思ってます。剣士ならば斬るか斬られるか、その中間とかありえない、みたいな感じです。普通の剣士ならば斬られても倒せないことはありましょうが、これだけ何でも斬れて、人間を一撃で斬れないというのは無しだと思ってます。ドラゴン真っ二つにしておいて人に刃が通らなかった…とかなったら興醒めでしょうし。
実際、作者は、週刊少年某誌に出てくる凄腕の剣士達が建物や怪物をどかどか斬ってるのに、対人となると全く斬れない点に違和感をずっと抱いてました。大人の事情は分かりますが。
ヴィルヘルムはどちらかというと、剣士ではありませんが、ヤング誌に出てくるようなハゲでマントをしている側の人です。基本、容赦ないです。




