ドラッヘ領の国境線事情
今回はドラッヘ領についてです。
再会したディオニスとヴィルヘルムの間でさらりと流されたドラッヘ領がリヒトへ国境線を変えたという話があったので、そこら辺を軽く触れます。
東暦192年春の月の頃、各地で問題が頻発しているケーニヒ大公国において沈黙を守っていた領土があった。北部最大領でもあるドラッヘ公爵領である。
龍を冠するこの家の領地は西の山岳地帯、北には同じリュミエール帝国傘下にあるリヒト共和国との国境線を持っている。リュミエール帝国と手を組む前は最も争いの酷い土地として有名だった。
リヒト共和国からすれば南部には人の形をした龍が統べる強国の領地として恐れられていた。特に初代ミハエル・フォン・ドラッヘと聞けばリヒト共和国においても語り継がれるような武勇が存在している。
そんな状況の中、ミハエルの従兄にして義理の兄でも会ったヴァルターは、ミハエルの亡き宮廷魔導士団を纏めていた。元々、ヴァルターが宮廷魔導士長であったので、実務では特に問題をきたす事も無かった。
無論、部下からは実力のない形だけの魔導士長、ミハエルの金魚の糞などと揶揄されることも多かったが。それでも、権力はドラッヘ家の嫡男であるヴァルターが握っていた。ミハエルはあくまでも強力な戦力であり、政治的なカードではあっても、個人としての権力があったわけではない。
これはドラッヘ家が武家でありながらも戦う人間には権力を持たせないようにしていたのが理由であり、ファルケンやレーヴェとは極端に違っている。無論、宮廷魔導士は別に表立って戦わなくても良いので、ミハエルのように前線に出て槍まで振るう例は非常に珍しいのだが。
そんなドラッヘ家の周りの貴族は、次々と立ち行かなくなって来て、領地をドラッヘ家へと返還する事が多発していた。
元々、三大公爵家は貴族達に領地を与えていた歴史がある為、主家に領地を返還する事を、帝国も大公国もさして大きい問題とは考えずに認めていた。大きくなった所で、南東部の辺境伯領ほど大きくもなければ、ドラッヘ領はファルケンやレーヴェよりも小さかったので、それが彼らよりもちょっとだけ大きくなるだけという認識だったからだ。
最初に合併したのは、リオが婿入りする予定だったメレンドルフ家で、この家はそもそももう後継者が赤子のマティアスしかいなかった為でもある。
ヴァルターは、王都では街の景気が悪くなってきているという事以外には、特に大きい影響は耳にして無かった。メレンドルフ領のドラッヘ併合に関しても、元々ドラッヘの分家が分け与えたもので、リオの死亡があったので、仕方ない事だと思ったのは確かだ。未亡人になったマルガリータには、最大限の保証をしてあげてほしいと願うだけである。
彼は普段どおり、宮廷魔導士長の任として書類仕事を終えると、魔導士団の魔導士たちの指導に当たっていた。
場所は丁度、シュバルツバルト中央にある巨大な黒いモノリスのようなビルが見える場所で、遠くには巨大な国際会議場が見える。
魔導士達の訓練は夕方まできっちりと行われて、解散となる。すでに空は夕日が落ち掛け、青くなりつつあった。
「ありがとうございました」
魔導士たちは指導者でもあるヴァルターに礼をして解散する。
ヴァルターは同じ宮廷魔導士団の副団長と共に帰る準備をしていた。
「俺みたいな名ばかりの宮廷魔導士団長などによくもまあ礼をするものだ」
「そうでもないだろう。確かにミハエル様がいた頃はミハエルの尻尾みたいに思っていたものも大勢いただろうが」
「それは酷いな」
ヴァルターは破願して笑う。分かってはいたが直接面を持って言われるのは流石に笑い飛ばす以外に考え付かなかった。もしかしたら怒って良い場所かもしれないが、当人もミハエルのオマケみたいに感じていたので否定できなかった。
「彼がいない今、団長より腕の立つものもいないのは分かっている。ミハエル様は特別すぎた」
「なるほど」
ヴァルターは副団長と共に帰途に着こうとしていると、訓練場から丁度2人の目の前には、丘の上に聳える巨大な国際会議場が目に映る。
夕方に差し掛かっているが、既に爛々と灯が燈っていた。
「それにしても、毎晩毎晩よくやるわな、大公閣下も」
そんな中、副団長は呆れるような言葉を吐いてヴァルターに同意を求めてくる。
「ん?毎晩とは?」
「晩餐会だよ。毎晩は言いすぎだが、3日に1度は開催しているらしい。帝国の皇女殿から言わせればそれが普通らしい。華美な装飾品がふんだんにあしらわれたドレスを毎回変えているとか。税が増えるわけだよ」
副団長は肩を竦めてぼやく。
「俺は武門の子でよかったね。そんな肩の凝る晩餐会に毎度参加したくはない」
「だが、貴公の父トマス殿は国政に加わっている方だろう?参加しているんじゃないのか?」
「そういえば、親父もぶつぶつ文句を言っていたが、これの事か」
ヴァルターは呆れるように会議場のほうを見る。そもそもあの会議場は城を壊した際に、その代わりに催し物を開く為の場として建造された施設である。
その為、この国でも屈指の巨大な館となっており、見た目は背の低い城としか言いようが無い形になっている。
「にしても、そんなに晩餐会やら舞踏パーティやらを開くような理由があるのか?」
「帝国貴族の訪問の際には毎回やるらしい」
「……大公殿も我らも帝国貴族だろうに」
「直轄領と傘下国家とでは大きく違うのだろう?バカらしいが、そうらしい」
「…なるほどな」
「魔導士長殿ももう少し回りに目を向けたほうが良い。忙しいのは分かっているが」
「分かっているなら、書類仕事を私に押し付けないでくださいよ、先輩」
ヴァルターは副団長を半眼で睨む。副団長は苦笑して肩を竦めるのみであった。
「俺はガキの頃から魔法以外にとりえがなくて、力だけでこの地位に立ったようなものだから」
「私の亡き義弟は、戦以外にとりえがなくても、書類仕事はちゃんとこなしてましたよ」
「うぐ」
団長の右腕にしてエースだった男の前例を上げて、父親に近い年代の副団長を責める。ただ、宮廷魔導士団というのは基本的に戦術魔導士なので、魔導士団といえば頭が良さそうだが、基本的に軍隊と変わらず脳筋ばかりなのである。
武器をふるって筋肉を鍛えるか、魔導を振るって魔法を鍛えるかのどちらかだと言ってしまえばそれだけだ。だから、ドラッヘ家のように次期領主がその統括者として上に立って指揮官にならねばならなかった。
「そういえば、ヴィルヘルムはどうなりました?」
副団長はふとリオの事を言われて思い出すように訊ねる。
「こちらの調べでは、国外へ逃亡したらしい。赤髪の男が葬儀の日にそのまま船に乗って川を下ったと報じられている」
「戦ってみたい男でしたが」
「やめておいた方が良いぞ。あれの存在が発覚して全部調べたが、およそ人類の残した勇名ではないからな」
「……例えば?」
「我等を壊滅させたベヘモスを切り飛ばしたのは奴らしい。ファルケン領とプフェールト領の間に続くアームズ帝国の行軍4万を皆殺しした上でだ。ヘルムートの不審死、ミハエルとドラッヘ家のトライデントも……とくれば分かるだろう?」
「噂に尾鰭がついてないのが怖いですな」
副団長も額に汗を滲ませて、ヴァルターを見る。
「全くだ」
「でも、ヴァルター卿はまだ若いし、ミハエルを目標にしていたのでしょう?」
「………。今となっては……どうなのだろうな。従弟に責任を押し付け、のうのうと嫡男として育った私は、それが口先だけだったのではと思わざるを得ない。それに…ヴィルヘルムを倒すなど…」
ヴァルターは口にしつつも、葬儀でヴィルヘルム当人を見てしまった。
無論、副団長もヴィルヘルムを葬儀で見ていた筈だ。
自ら切り殺しておきながらも、自分達同様にミハエルの死に傷ついていた姿を見て、復讐などとはもはや口にも出しにくかった。
しかも、彼の素性は叔父ニクラスの子供でリオの実弟だった事は既に分かっているのだ。
何故?どうして?そういう思いはある。リオの妻マルガリータも真実を知り、もはや復讐という言葉もなく、ただ静かに息子と暮らしたいという思いしか残ってないそうだ。
それをかき混ぜてまでヴァルターは報復に出る気は、どうやっても起こらなかった。
「何でこうなったかな」
「気にしても仕方ないでしょう?」
「確かに」
シュバルツバルトの中心だけは輝き続け、ヴァルターの周りは大事な従弟がいなくなっただけで、何も変わらない日々が続いていた。
ヴァルターが、国家の情勢の変化を知るのはそれから数日後。ドラッヘ領へ呼び戻された時になる。ドラッヘ領の中心都市にして北部最大都市エドレスハウスの中央にある巨大な城で、ギュンター・フォン・ドラッヘと会う事となった。
「ヒルダの婚姻する相手が決まった。リヒト共和国の次期大臣になるフィッシャー侯爵家だ」
会って早々に切り出された話は想定外の話であった。
リヒト共和国は同じリュミエールの袂にある国家であるが、歴史で言えばこれ以上ない程の敵対国家でもあった。なにせリュミエールに併合される前まで、ドラッヘ公爵領とフィッシャー侯爵領は何度も武力で国境線を引きなおした関係である。最終的に、ドラッヘ領の北方にあるかつてのドラッヘ公爵が作った巨大城塞バリエールはリヒト共和国のものとなって、そこで国境線が引かれている。
戦争がおわったからと言って国民感情は簡単に仲良くなれるはずもなく、北は巨大な山とモンスターのはびこる森によって隔てられているので、彼らとしても交流の低い関係だった。
「フィッシャー侯爵は停戦時に我らバリエール城砦を強奪した、思いっきり敵対関係にある貴族だと認識していますが?」
「だが、リヒト南部において最高権力者でもある。共和制を取る彼の国は、王も公爵も廃されているが故に、あの国にいる5人の侯爵がもっとも巨大な権力を握っている。そしてこの婚儀は彼らにとっても非常に重要なものとなるだろう」
「ヒルダがあの国で悪く扱われるのではないかと言う点が不安なのですが」
ヴァルターにとってヒルダは実の妹である。それが心情的に敵対国家の家に嫁ぐとなると不安があって然るべきだろう。
「無論、向こうは快く受け入れた。我らはこれまでの蟠りを棄てる事を誓っているからな」
「……我らの間に何の利益があったのですか?リヒト共和国で大きく変わったことでも?」
ヴァルターは不思議そうに訊ねる。
ギュンターは大きく頷く。
「フィッシャー侯爵領の東部、我が領からすれば隣接する北東部にはモンスターが出没する大きい森があるのは知っているな?」
「ええ」
「あそこの森の中央には亜人種の集落があることも?」
「だからこそ、あの森はリュミエールから独立した土地のように思われていた部分があったと認識しています」
森の中だけは亜人種の住む、独立自治区のように扱われており、隣接するリヒト共和国&ドラッヘ領はどちらも非常に関わりが薄かった。
「その亜人種の一族、つまりは亜人種の長であるエルフはリヒト共和国に下り共和国における5大勢力の中に加わり6大勢力として末席に座ることが決定したらしい」
大きい話だが、それはドラッヘ家とかかわりないことだ。そもそもドラッヘ領ではないから、森に近づく事さえしないのだ。
「それがどのような話に繋がると?」
「我が領は北部と北東部に巨大な交易都市を2つ持つ事となった。森の奥にあった亜人種領はドラッヘに比類するものだという報告を受けている。つまりリヒト共和国は勢力図が大きく変わってしまう事を意味している。フィッシャー侯爵家は力をつける為に我々の力を欲しているという事だ」
「我々の力?」
「リヒト共和国を7大勢力にして、我々を迎えようと言う話だ」
「!」
長く続いたドラッヘ公爵家が、まさかケーニヒ大公国からリヒト共和国へ国境線を引き直すという言葉に、ヴァルターは驚きを露にする。
「本気ですか!?」
「既に帝国には内密に話を通している。無論、リヒト共和国もフィッシャー家がこれ以上力をつけようとするのは好まぬから難航しているが、帝国からすれば、我等が加わる事で、手に余る森のモンスターが住まう土地を開拓し、交易路が出来るなら安い話だろう。同じ国にしてしまえば開拓を止めることは出来なくなるからな。我等とリヒトの因縁がこれで解消されるならば丁度良いと喜んでおった」
クーデター直後、ギュンターがリュミエール本国に行っていたのは知っていたが、そんな話を進めていたとは思いもしなかった。
「……まさか…婚姻とは婿入りさせるという事でしょうか?」
ヴァルターは怪訝そうにギュンターを見る。ギュンターはニヤリと笑う。
「そこはまだ決まってはいない。婚約の発表は丁度、今、帝国と大公国に行なっている」
ヴァルターはこの祖父が何を言おうとしているのかが今一理解が出来なかった。
だが、薄っすらとだが、彼が何か企んでいるモノを感じる。
ギュンター・フォン・ドラッヘという男はドラッヘ家史上で言えば、武力において下から数えたほうが早いような男であったが、戦争続きの情勢で自領の衰退を起こさせなかった一流の政治家でもある。戦いに身を置くヴァルターからすれば彼の深遠な考え等分かる筈も無かった。
話の流れでは帝国に対してはドラッヘ領をリヒト共和国に移したい旨を打診して了承を得ている。
リヒト共和国はドラッヘ領の獲得は勢力的に分かれていてどちらとも言えない状況にある。
「まさか…強引にドラッヘ公爵領をフィッシャー侯爵領にしてしまうと!?」
「まあ、そういう形で参入してしまうのも1つだと考えている。まだ決まってはおらぬ。フィッシャー侯爵とて自領と同じかそれ以上の領地が増えては手に余るからな。それは最悪の手段だ。あくまでも7大勢力体制への移行を目論んでる」
つまりドラッヘ公爵家がリヒト共和国に入る必要がある。だがリヒトとはかかわりが薄い。リヒト貴族とヒルダの婚約が決まったというのは決定的とは思えない。リヒト貴族がドラッヘ家を継いで、リヒトへ併合するというのならば言い訳としては不十分だが、リュミエールの後ろ盾があれば態の良い屁理屈にはなる。
「なるほど。とすると……邪魔なのですね?」
「ああ」
現在、ドラッヘ家は嫡男がちゃんと存在している。女系が多く男の持つ継承権は既にヴァルターの父トマス、その次がヴァルターという一極状態にあった。だがリヒト共和国の血を入れて後を継がすには、トマスとヴァルターは非常に邪魔な存在である事を自身が一番理解する。
「トマスは、一昨日に国政の任から解かれて、こちらに戻っている。だからお前を呼び戻したが?」
「それも初耳ですが?」
「財政が上手く行かず、大公殿にその失態を突きつけられて失脚という話だ。私はトマスに隠居するように命じて、咎めをなくした。まさか同じ宮廷に所属するお前に話が回らぬとはな」
「そもそも阿呆が適当な政治をしている所為で財政が破綻しつつあるのではないか。それを父上の所為に!?」
「気に入らぬ男ならば、己の父さえ斬る男だぞ?あの大公は」
「野蛮なファルケン共が」
チッとヴァルターは舌打ちをして、反吐が出る思いを口にする。
「お前は王都にいたが、情勢をどこまで把握している?」
「…正直、把握は出来ているかはわかりません。父の事も、ドラッヘ家の事もそこまで耳にしてませんので。宮廷魔導士の仲間が、自領の危機にドラッヘ領に合併する事になったという話は聞いているが、その程度でしょうか?後は…まあ、王都が不況気味だという事ですね」
ヴァルターの説明に、ギュンターは呆れるように溜息をつく。
「お前はいずれこの領を継ぐものだった自覚があるのか?確かに武門の子として育てたが、情勢把握は必須だ」
ギュンターの言葉に、ヴァルターは少しだけ腹を立てる。宮廷魔導士にそのような権限がない。基本的に軍人と同じ立ち位置にあるのだから。軍人の1人1人にそんな情報を集めるような特技等あるはずも無いのだ。そもそも騎士団も軍隊も宮廷魔導士団も基本的に脳筋集団である。
「そも、今の情勢は祖父上が招いた事でしょう。トライデントやリオが殺され、われ等が窮地に陥ったのも、クーデターに手を貸したからだ。このクーデターが成ったが故に、王都はあまりよくない事になっている!お忘れか!」
ヴァルターも軽く返す積もりだったが、喋り出したら止まらなくなる。義弟を殺されたのも元を正せばヴィルヘルムの所為ではなく、失態を犯した祖父なのだ。
それに対してギュンターは呆れるように溜息をつく。
「問題は我が領などではないのだ。私は守る為に尽くしただけだ。そして国土を守る為に女王陛下をヘルムートが殺したように、私は領土を守る為にケーニヒを背く」
「……」
「クラウスに手を貸して内密裏にクーデターに手を貸さねばどうなったと思う?レーヴェ家は何もかもこちらに押し付けただろう。あれはクラウスと共犯者であるという事実を作るだけだった。でなければ、ここも地獄を見ただろう」
「地獄?すでに多くの我がドラッヘ系列の貴族は自領を守れずわれらに吸収されているそうじゃないですか?」
ヴァルターは祖父に噛み付くように訴える。
「ああ、それは嘘だ。リヒトへ移動する際に、彼らを一緒に連れて行く為だ。私は身内を見捨てて逃げるつもりはない」
「!」
とんでもない嘘を平然と作り上げていた祖父に驚きを禁じえなかった。つまりドラッヘ勢力そのものをリヒトに売り込むという事だったのだ。北部を丸ごとリヒトへ移管する事実に、ヴァルターは顔を引き攣らせる。
「そこまでする必要性があるのですか?」
「その問いをお前がする時点で呆れてものもいえないという事だ。良いか?ドラッヘ領はあのクーデターで大きい借りを作ったから、レーヴェ家に叩かれずに済み、バカの尻拭きなどと言う事をせずに済んでいる。南部がどうなっているか知らないのか?」
「南部?」
「半数の領地は冬を越せずに壊滅、領主が餓死したという話も聞いている。夏の収穫前にどれだけ収穫できるかの算段がつき、それが終わり次第、つまり春を開けたら戦争になるだろうな。その時、北部まで地獄にする予定はない」
「そこまで酷いのですか!?」
ヴァルターの疑問に対して、ギュンターはただコクリと頷く。
そんな情勢なのにシュバルツバルトでのうのうと宮廷魔導士をして、何も把握していなかったとなれば、祖父が嘲るのも仕方ないだろう。
「シュバルツバルトで不況が起こっている…というのも簡単だ。金のない南部の民が一斉に王都に押し寄せるならまだしも、滅んでいるのだからな。大量の移民があちこちで死んでいるそうだ。たった60日ちょっとだぞ?それに関しては私も誤算だったというのは確かだ。故に、早急にこの国から逃れる必要がある。戦争となって当てにされるわけにはいかない」
ギュンターは暗い顔で呻く。
ヴァルターは自分の視野の狭さに呆れてしまう。義弟の死やトライデントの崩壊など、ドラッヘ領にとってはあまりにも小さい話だった。飢えた国民の一斉蜂起、それに対してどこまで対処可能なのか、理解の範疇を超えていた。
「ヴァルター、お前には2つの取れる手立てがある。分かるな?」
ギュンターの問いにヴァルターは頷く。
「私がいなくなるか、私が祖父上を廃して大公国に殉じるか…と?」
「そうだ」
ギュンターはヴァルターを見る。
ヴァルターは宮廷魔導士団の連中を見捨てるという判断はしたくない。だが大公国に殉じるのかといえばそれも違うような気がする。
そもそも自分は何で戦って来たのかといえば、それは流されていただけだ。
従弟のリオは正しく自分の信念を持っていた。世話になったメレンドルフの役に立つ為、そして愛した女性と添い遂げる為に、ミハエルの名を継いでも、その名を棄てられる日を手にする為に戦っていたのだ。
そんな従弟が次々と名声を博していく姿を見てどこかで自分とは違う才能を持った男なのだと羨みもしたが、誰よりもその姿を見守りたく思っていた。従弟を目標におくなど阿呆らしいが、それに伴う実力を持っていた。
ただし、ヴァルターは同じく才能に愛されており、リオとはスタート地点はほとんど同じだった。リオの方が確かな信念を持って生きていたが為に、どんどん先へ先へと進んでいた。どこかで従弟に譲っていた面があったのは否めない。本気で勝とうとした事なんて1度も無かった。血筋で宮廷魔導士団の長になったが、誇れるものといえばそれくらいだろう。
だが、ここを去って、1人になって何を成す?ここを去る事自体は特に構わなかった。
「妻や子は?」
だが、1人の妻と息子を残す身だ。それを棄てる等出来るはずもない。
「リヒトは実力主義だ。ドラッヘ家の嫡男の子供の才能を持ってすればあの国でなりあがる事は難しくないだろう。私が責任を持って育てさせよう」
「ならば本日限りをもって私は死んだ事にしてください。国を出ます」
ヴァルターは頭を下げる。
「そう言わずとも良い。妻子に会っていけ。死んだ事にせずとも、いくらでも方法はある。スペアは多いほうが良いからな。身分を隠すのは行く先だけで十分だ。たまには妻子に会いに来ることくらいはしてやればいい」
厳しいギュンターにしては珍しく家族をいたわる発言にヴァルターも少しだけ驚く。だが、それが本当に許されるのかヴァルターはわからなかった。
「…ありがたい提案ですが、果たしてどのようないいわけが通じますか?嫡男がいなくなるなど正気の沙汰じゃない」
「例えば…義弟を殺されたヴァルターは、国家を逃亡したヴィルヘルムがその容疑者の可能性があり、それを国の外に手をまわそうとしないドラッヘに愛想を尽かして国を棄てた…とかな」
ギュンターは大公に対して思い切り皮肉を込めた言い訳を用意していたようだ。ヴィルヘルムを国外へ追い出したのもトマスを政権から追放したのも現大公である。彼もまた祖国には声にできぬ苛立ちを持っていたのだろう。最終的にはお前がドラッヘを潰したからリヒトに行く羽目になったのだ、という形にするつもりなのが明らかだった。
「…なるほど」
だが、ヴァルターといえば、もはやヴィルヘルムへの恨みは薄い。
どうしようもない話だったのは確かなのだ。しかもヴィルヘルムはリオの実弟だったことも発覚している。これ以上、血の繋がった家族を殺すような真似は、ヴァルターも望まなかった。死んだリオも、残されたマルガリータも同様だ。
だが…
「それはいいかも知れないですね。ヴィルヘルム打倒…ですか」
ヴァルターはヴィルヘルムを追うという言葉にだけは何故かしっくり来るものを感じた。
ギュンターは目を細めてヴァルターを見る。ヴァルターは急に目の奥に光が燈されたように輝き、楽しげに口元を歪ませる。
「まさか……正気か?」
「正気ですよ、祖父上。言われて気付きました。一人の武門の子として、あの男に勝利することこそが私の真なる望みだと。どこかで弟分に遠慮して、責任ある立場に立ち、無茶をしないようにと心がけてきましたが…。ああ、今、私は1つの事実に気付きました。私はヘルムートやヴィルヘルムのような稀代の武人になりたかったのだと」
もはやミハエルのオマケとも揶揄されていた名ばかりの宮廷魔導士団長ヴァルター・フォン・ドラッヘと言う男は存在しなかった。
ドラッヘ領はこうしてリヒト共和国へと滞りなく国境線を変える事になる。
大公へは皮肉を込めて、『後継者が不在の為、リヒト国民を新侯爵にし、領地を存続させるのに必要な処置としてリヒト共和国に併合されます』と文章を付け加え、帝国経由でその宣言をさせたのであった。
とはいえ、ヴァルターは家を出る事になるのだが、そう簡単に武者修行を出来る程の生活能力が存在しなかった。そこら辺は、所詮は貴族のお坊ちゃんなのである。
結局、野盗紛いの傭兵と組んで、適当に仕事をこなし、金を溜めて、大きい戦争にでも潜り込もうと歩き回る事になる。
その先で、意外と簡単にヴィルヘルムと再会する事になるとは当人も思っていなかった。




