プロローグ
大陸の東方には4つの大国と数多の小国が存在しており、この四大国家は互いに牽制をし、小国は彼らの脅威の下で生き延びている状況にある。歴史は遡る事180余年、聖剣大戦の折に分断された国家から、4つの大国がほぼ同時に建国された。彼ら四大国家はその建国を祝い、共に東暦という年号を使っている。
西の大国であるリュミエール帝国は他国との戦争を警戒しつつも、西方にある巨大山脈の奥から現れる魔物や山岳地域に住まう蛮族の襲撃に備え、国土の安定を保つ為に隣接する小国を次々と併合していく巨大帝国である。特筆すべきは他国が獣人種や亜人種が多くいる中で、人間種族が統べる科学技術の発展した国家であるという点だろう。
東暦170年代まで存在したリュミエールに隣接するケーニヒ王国は独立国家として存在し、長らくリュミエールと戦争を繰り広げていた。しかし、三大公爵家レーヴェ公爵家はケーニヒ女王を殺害、リュミエール帝国の軍門に下る事で戦争は終結した。
リュミエール帝国領ケーニヒ公国と名を変えて存在するこの地域は、三大公爵家によって権勢を切り分けられていた。貴族政治となったこの国は、未だに三大公爵家において権力を手にしようと殺し合いを続けている。この三大公爵家が権勢を誇るには理由がある。彼らは西方の山岳地帯を越えてやってきた魔族の血を引くといわれていて、圧倒的武力を兼ね備えていた。つまり軍事力によって互いが互いを牽制しあっているのである。戦争になって帝国に屈したのは、自分達が帝国と戦っている間に、他の公爵家が背後から狙ってくる恐れがあったので、戦争を回避したとさえ言われている。
古くは初代女王が自身の親族に、最初に領土を分け与えたのが三大公爵家。正確には女王の夫の親族なので正確には女王の血筋は引いていない。しかし、生涯を王の為に尽くすように、剣をファルケン家、盾をレーヴェ家、杖をドラッヘ家に授けたのだが、盾で女王を守る事無くレーヴェはリュミエール帝国にケーニヒ王国を売り飛ばしたのである。
当時、帝国と戦っていたファルケン公爵家は、王国側の領主だった事で一気に衰退する事となった。古い時代の剣豪として、王家の懐刀とさえ言われた鋼の一族は、再興を目指し富国強兵策をとっていた。そして強い公爵の長を生み出すべく自身の後継者を創り出す為に厳しい修行を息子達に強いていた。
東暦184年春の月、そのような政治事情から中央での政治からも外され、地方領主へと成り下がって久しい頃であった。
ユーリ・ファン・ファルケン。丈夫な麻の服を着て、山野を駆け回り、小さな体に不似合いな巨大な鉄の剣を振り回す1人の少年がファルケン領最西端の領土エンゲルハルトの荒野にいた。赤茶けた髪と紅玉の瞳はファルケン家の証。白い肌を持つのはケーニヒ人の特徴である。齢10歳、まだ遊びたい盛りであるが、剣豪ファルケン家の人間として、日々修行として厳しい課題を課されている。
この日もファルケン家の持つ巨大な渓谷の川辺で剣の素振りを行なっている。
「精が出るね、ユーリ」
「あ、兄上。おはようございます」
「おはよう」
ユーリが修行をしている山々に囲まれた川辺の近くに立ち寄るのは背が高い美丈夫、エドガー・ファン・ファルケンであった。ユーリのような修行着という服装ではなく、軽装の鎧を着けた格好で、腰には長刀が下げられている。ユーリと同じ髪と瞳の色をした貴族であり、少し伸びた髪を後ろに束ねている。
「日課の素振りは終わったかい?」
「いえ、まだです。先程、山奥でキラーボアに襲われてしまい、折角なのでそれを狩ったのですが、持って帰るのに大変だったから…」
ユーリははにかむような笑顔で兄に手振り身振りで伝える。キラーボア、1体に対して1個小隊が戦うような大型の猪型モンスターである。それを10歳で傷1つ無く倒したことを誇ることも無く説明する弟が、いかに一般常識のない家で育ってしまったかが伺える。同じ年頃でドラゴンを殺したエドガーは、弟も着実に育っている事を察して満足そうに頷く。
「じゃあ、一緒にやろうか。私もまだなんだ。それにしても祖父上様も、素振りをサボると察する事が出来るのか不思議だよね。大体、いくらファルケン家が武門の公爵家だからって古き慣習に倣わなくても良いとは思うんだ。周りの人間も貴族と言うよりは一子相伝の剣術一族だなんて笑う始末だよ」
肩を竦めるエドガーに、ユーリは不思議そうに首をかしげる。
「貴族ってこういうものじゃないの?」
10歳のユーリは学校にも通っておらず、ファルケン家の中しか知らないので、当然のように兄に尋ねるのだが、兄は苦笑を見せるばかりだ。
兄は一応、ケーニヒ公国首都シュバルツバルトにある帝立シュバルツバルト高等学校に通っていた。当然、貴族のお坊ちゃんとしての教育はなされている。
「まさか。そもそも貴族ってのは民を守る者だからね。基本は政治家であるべきなんだ。我がファルケン家の領政は分家のライナーが行なっていて、我々は王国の武官として仕える側にある。少々変わっているんだよ」
「ふーん、でも、王国の貴族ならば剣を持って民の為に戦うのは当然じゃないの?」
「それは正しいな」
弟の素直な声にエドガーは頬を緩めて笑う。
「それじゃ、素振りしようか」
弟の頭を撫でながら笑いかけ、弟も笑顔で頷く。
2人は並んで数を数えながら剣を素振りし、より強くなる為と鍛えていた。
エドガー・ファン・ファルケンは優しい兄であるが、ファルケン家の最高傑作と呼ばれており、三大公爵家において最も注目を集めている男でもある。
エドガーが10歳の頃、ケーニヒ王国がリュミエール帝国と戦争が始まった頃に、西部の山を越えてドラゴンが現れるという事態が起こった。ドラゴンは1頭で1000人の一個大隊で当たるようなレベルの化物であっただけに、背後からのドラゴンの奇襲は戦時中では危機に陥るものだった。だがエドガーは単独でこれを撃退。ドラゴンスレイヤーとしてその名を知らしめる事となる。
2年の歳月が経って戦争が終結後、ドラッヘ家がファルケン家を裏切りレーヴェ家と手を組む際に、ドラッヘ家に嫁いだエドガーの叔母アデーレを殺害した。その際、12歳のエドガーは単独でドラッヘ家を強襲、魔導師団幹部10名とアデーレの遺骸を取り戻すべく、夫だったニクラスを殺し、アデーレとその子供のユーリを持ち帰ったという凄まじい逸話がある。
エドガーは幼い頃より本当の兄のようにユーリと接しており、ユーリもまたエドガーらとは従兄弟であることを承知しているが、本当の兄のようにエドガーを慕っていた。
修行が終わると、エドガーとユーリは足早に山野を駆けて、ファルケン家の別邸に辿り着く。
「ユーリは随分とタフになったな」
「えへへへ、兄上が色々と教えてくれるからです」
嬉しそうにユーリは照れて、後頭部を掻く。
「もしも私が出張中に、領土がドラゴンに襲われても、ユーリがいるなら大丈夫だな」
「無茶振りだよー」
ユーリはいきなり恐ろしい事を振られて涙目で呻く。確かにユーリは幼き日よりファルケン家の人間として剣にすべてを捧げるように生きてきた。ファルケン家は貴族でありながら、武力こそが全てという凄まじい鬼神のような家である。頭を使うのは王族の仕事、それを刃で持って支えるのがファルケンであると言い伝えられてきた。
だが、さすがに9歳のユーリにドラゴンスレイヤーを求めるのは過酷である。10歳でドラゴンスレイヤーになったエドガーが特別すぎるというのが、ユーリを含めた一般人の常識である。そも、この国にドラゴンスレイヤーは5人といない。
昼食時間となり、ユーリは兄と共にファルケン家の修行場の拠点でもある別邸に辿り着く。ファルケン領の最大都市ロートブルクにあるファルケン本邸はまさに城なのだが、この別邸は地方領の大使館のようなものなのであまり大きくはない。農村が見渡せる程度の小高い丘の上に立っている3階建ての普通の豪華な家といったところだ。
ユーリとエドガーが別邸の前に辿り着くと、ファルケン家の家紋が入っている豪華な馬車が停まっていた。
家に入るといつものように使用人たちが出迎える。
「御領主様がいらっしゃってます」
との言葉にエドガーは分かってるよと返して先へ進む。
すると家の廊下でばったりと領主であるゲルハルト、つまりエドガーやユーリの祖父がそこにいた。
「エドガーも修行をしてたか」
「ユーリが随分山奥にはいっていったと聞いたので様子を見に。着替えてきますよ、祖父上様」
無骨な格好となっているユーリは、祖父といえど、一応領主が相手なので着替えを断る。
「そのままで良い。部屋に入れ」
ユーリはどうすれば良いかと思ってあたふたしていると、使用人たちに着替えを強要されて、家の奥へと連れて行かれてしまう。
エドガーは屋敷の居間で祖父と対面してソファーに座る。
「して、何かご用件でも?」
「ふむ。他家の情報が流れてきてな。お前にも一報を入れておこうと考えていた」
「他家の情報…ですか」
祖父の気難しそうな顔を見て、エドガーはそれがあまり好ましくない事を察する。
「ユーリはどうだ?少しは使えるようになったか?」
「筋は悪くないです。気が弱い所為で対人戦闘に向きませんが、素振りの早さや足腰の強さは私が9歳だった頃よりも上かもしれません。精神的に熟せば、他の弟達を軽く超えるでしょう」
「あれはお前が甘やかした所為もあって甘ったれだ。過剰な期待はしていない」
「……」
エドガーは言葉を失う。
甘やかしたつもりは無いが、エドガーはドラッヘ家との戦争でユーリの父、つまりドラッヘ家の太子を殺し、泣きじゃくる赤子だったユーリを連れ帰ってしまった。結果として本当の兄はドラッヘ家の人間として育っているはずで、生き別れにしてしまっている。その後ろめたさを残して、武人の家にあって普通の兄のように接していたのは事実だ。
「ところで、ドラッヘだがな、正式にミハエル4世を襲名した男が現れた」
「ミハエル4世ですか?」
「うむ、そこで我々はヴィルヘルム3世を襲名させようと…そう考えている」
祖父の言葉に対して、エドガーは目を見開いて絶句する。
東暦よりも遥か昔、ケーニヒ王国は独立してから実に1000年の歴史を持つ古い王国である。つまり四大国家よりも古い歴史を持ち、生き残っていた国家である。その背景として、三大公爵家は圧倒的な武力を有していた為と、王国の治世が非常に優れていたからであるが、その中でも、各家で伝説となった武人が存在しており、彼らは須らく同じ名前を使っている。
ヘルムート・フォン・レーヴェ、ミハエル・フォン・ドラッヘ、そしてヴィルヘルム・フォン・ファルケンの3つの名である。かつての三大公爵家は権力に縛られない王国最強の尖兵として実在したのは、この3つの勇名が轟いていた為でもある。
初代ヴィルヘルム・フォン・ファルケンはヒルデガルド10世を助け、西側の山岳地帯より奥から現れたオーガ部隊10万の侵攻を1人で滅ぼしたという伝説の剣士である。ヴィルヘルムは王家のためならば親兄弟をも斬り捨てたという逸話があり、二代目ヴィルヘルムを襲名する際には流儀に乗っ取り領主であった父親は自身を殺させて二代目を継がせ、ファルケンを三大公爵筆頭へ上り詰めさせたことは有名な故事である。
親を斬って鬼と成す
まさかその故事をなぞらえるとは流石にエドガーも思っていなかった。
だが父であるゲルハルトはこうも口にする。
「ここに来る前に、領政については分家のライナー殿に全て受け継がせてきた。この意味が分かるな、エドガー」
「そんな前時代的な!祖父上様、いくらなんでもこんなもの、意味がなさ過ぎる。そも王家は既に滅んでいるのですよ!?」
エドガーは祖父へ訴えるが、祖父は耳を貸そうとはしない。
初代ヴィルヘルムは王家に仇なそうとする家族を殺して、鬼神の如き活躍をした。
ヴィルヘルム2世はその故事に則り、彼の父親は自身を殺させてヴィルヘルム2世を名乗らせてその武勇を端に発したとも言われる。
ヴィルヘルム継承の儀、つまり祖父は自身を殺して鬼神になれとでも言うのだろうかと…。
「我らがファルケン家に伝わる剣術の奥義が存在する。それを極めねばヴィルヘルムなどと名乗るのはおこがましいだろう。まずはそれを身に付けてからだ」
祖父の言葉にエドガーは少し安堵した様子を見せる。
エドガーは帝国との戦争で母を失い、戦犯の責任を負わされ父は自害している。その為、家族は弟3人と祖父だけとなっている。今まで、ヴィルヘルムの名を冠する事を回りから期待されていたのも事実、だが故事になぞらえれば当主の座を継ぐ際に父を殺さねばならないという宿命を背負わされた名である。その父がいないから、自分は継ぐとしても故事になぞらえる必要等ないと思っていた。
だが祖父であるゲルハルトは、奥義継承の話をした際に安堵したエドガーの顔を見逃す程、甘い男ではなかった。