第九十二話 ライバル、人を襲うのこと。その四 凱旋
翌朝、帰り支度をしながら一つだけみんなにお願いをしてみる。それは、現地人の拉致だ。前回一人で偵察に来たときに課題だと思ったのが、この人族の言葉だ。兵士達に呼び止められたのだが、言葉が判らないために兵士達を始末しなくてはいけなかった。
もし言葉が判れば行動の選択肢は増えるだろうし、場合によっては城塞内部の偵察ができるかも知れない。
ただし、どうしても一人、あるいは数人では拉致するにしても移動させることができない。今居る人数ぐらいの人手が必要だろうと思うのだ。
皆にそのように話すと、真っ先にリーダーに反対されてしまった。
「俺はいやだ。奴等を生かしてとらえるなんて面倒だし、食料を分け与えるなんてごめんだ」
「俺もいやだ。何よりも奴等は俺の村を襲撃した仇だ」
とはグル。
第三隊の面々はほぼ同意見だ。目つきが怖い。
難しいか。
「農夫を拉致すれば、農業についての技術をえられるかも知れないぞ」
「農業だと?」
とはグル。
「農業というのはつまり、今コボルト村でおこなっているような、生き物を飼ったり、草を育てたりして食料を増やすことだ」
「何!」
食料を増やすと聞いて、全員の目つきが変わる。犬人は狩猟、ゴブリンは採取と略奪が主なので、どうしても食糧は不足気味だ。今年から野鶏を飼い、豆を植えるようにしているが、まだまだ豆は収穫できていないし、鶏卵も高級品だ。それでも「庭で食べ物がえられる」のは画期的だ。
「考えてみろ。人間がどうしてあれだけの人数で戦争ができるかを。俺たち犬人やゴブリンがあの人数を揃えたら、三日と経たずに食料がなくなる。狩りに出てもすぐに生き物はいなくなり、木の実も葉も、食べられる物は無くなってしまう」
皆頷きながらこちらを見る。
「そこで人間達がおこなったのが農業だ。川のこちら側に広い土地を伐り拓いて人間達はそこで草を植えている。食べ物になる草だ。葉っぱを食べるのか、実を食べるのか、はたまた腐らせてから食べるのか」
腐らせて食べるにはゴブリンが反応した。
「同じものを豆のようにまとめて植えるから、取り入れも手間が少ない。食料がふえれば、毎年引っ越ししないで済む。
「食べ物がたくさんになれば、これまで食べられなかったおいしいものを作り出せるかも知れない」
おいしいものを作り出せるということに犬人が反応した。なんだかんだでゴブリンとの交易でも、結構新しい味覚がふえているからな。
私としてはとにかく兵力の充実が急務だ。ゴブリンの繁殖力は注目に値するが、一方でその人口をまかなう食料がない。これまでゴブリンは苦肉の策として群を分け、毎年拠点を変えながら互いに襲撃し合い、略奪しあってきた。弱い雄を口減らししながら、なんとかやってきた。
一方の犬人は元々繁殖力がそれほど強くないことから、個の戦力を高めて数を増やさずに可能な限り環境と調和するように生存してきた。
が、農業を知る人間が進出してきて、環境が激変した。ゴブリンの戦略では周辺環境に余裕がないと一気に飢える。人類に生活領域を圧迫されてもとれる戦略ではない。
犬人はまだましだが、環境と調和する彼らの生活スタイルは、人族によって変えられるだろう環境とどこまで調和していけるかは未知数だ。
さらに問題になるのが人族の戦略ということになる。人は環境を変え、自然を征服し、増えていく。ゴブリンや犬人が「環境と折り合いを付ける生き方」ならば、人のそれは「環境を屈服させる生き方」と言える。そして圧倒的に「数を殖やすのに向いている戦略」だ。
そして戦が「数できまる」のであれば、こちらも人の戦略をとらねば拮抗することさえ難しい。可能ならばさらにその上をいって圧倒したいところだが、まずは拮抗するまでは持っていく必要がある。何とか皆を説得したい。
もっとも、反対意見自体が感情論だけなので、逆に感情さえ何とか出来れば賛成してくれる可能性は高い。
「どうだろうか」
「いいよ」
といってくれたのは、ケント。
「美味いものには確かに惹かれるけれど、それよりも、戦いに勝つために飯を増やすっていうのが面白い」
「俺もそういおうと思ってたぜ」
というのはリーダー。お前という奴は。
「解った」
と渋々頷いたのがグル。たしかにコボルト村で農業を始めても、発酵させなければ食べられないゴブリンには、今一ピンと来ない話だった。玉子の発酵食品はまだないし、豆はまだ収穫したばかりで本格的には来年からだ。
そうときまればさっそく行動だ。
野営地に戻ってくるにせよ、真っ直ぐ帰還するにせよ、帰り支度は済ませている。このまま全員で南下する方が効率は良いだろう。
昼前には城塞の開墾地へと着いた。
みると収穫時期を終え、藁束をまとめて来年の堆肥にすべくまとめていたり、冬作物の手入れをしていたりしている。
かなりの人数がでているが、手元が忙しく、周辺の気配に気を配るものはいない。ただ、人数は何十人かいて多いが、広い耕作地に散っているためにそれほどの脅威にはならない。
街に近い方ほど年嵩の、周辺、つまり私達がいる方に近いほど若い農民が動き回っている。
目を付けたのはその中でほとんど十代といってもいいほど若そうな一組の夫婦だ。実際に十代なのかも知れない。知識や技術はつたないかも知れないが、変に知恵が働いて私達の内部に工作をされても困る。若い夫婦なら相方が人質にもなるだろう。
皆にすぐに包囲できるように散ってもらい、確認してから夫婦に声をかける。
「やあ」
顔を上げた亭主の方がギョッとしてから、こちらの笑顔に釣られて曖昧に笑う。
ヨーとかホーとかいうような声を上げる。これがこちらの挨拶か。掌をみせ、武器を持っていないことを示しながら普通の速さで近付く。
こちらも挨拶を返す。
と、同時に人差し指を口に当て、話さないようにと示す。通じるだろうか。
亭主はこちらの真似をしてから、声を出さないようにという合図だと理解したのか、内儀の肩を叩いて合図をする。若い内儀もこちらを見て少し驚くが、騒いだりはしなかった。
と、頃合いをみてから右手を挙げ、合図をする。咄嗟の動作に夫婦は驚くが、いきなり突きつけられた剣の白刃には、顔を青ざめさせる。黙っているというよりももはや声もでない。
笑顔を消し、ついてくるように顎で合図をする。
可能な限りの農具や作物、種なども一緒に持つ。
ぎくしゃくした動きの夫婦者を連れ、私達はコボルト村への帰途についた。
夫婦者は蛮族のような亜人を従えるように思えているのだろう、私を恐れている。まだまだ秋もこれから深まる時期に、私達は過去最大の戦果を上げて凱旋した。




