第八十九話 ライバル、人を襲うのこと。その一 初襲撃
暑かった夏も過ぎ、去年までならばゴブリンの移動が始まる頃、私達はそのゴブリンを率いて出陣しようとしていた。十人前後で一隊を編成した部隊を三小隊。第一隊は私、第二隊はリーダー。そして第三隊はグル。基本はゴブリンに犬人を加えた編成をしたが、第三隊だけは純ゴブリン隊になった。武器は可能な限り佩剣したが、剣の間に合わなかったものには弓に短剣をもたせている。
基本戦術としては可能な限り遠くから矢を射掛けて、そのあとに突撃、白兵だが、初の実戦だ。どこまでできるのか。
第三隊が士気だけは目に見えて高い。
出陣にあたって、村の守護神たる大神様にみなで挨拶しているが、ゴブリン達の興奮は、コボルト村の中庭で行っているせいかもしれない。何しろ通常ゴブリンは村への立ち入りができない。中の様子も周囲の塀に遮られ、大神様の姿を見たものもいないはずだ。
それが軍に志願をしたことで大神様を目にできた。まあ、よくわからないが神様の降臨に立ち会ったようなものなのだろう。
それから隊毎に食料や替えの衣類などをまとめていく。今回は人類様式の鎧はおいていく。兜は邪魔になりにくいが、あの鎧は嵩張るばかりでいただけない。木製なので正面から槍で突かれると割れてしまうのも問題だ。ゴブリンがよく使う棍棒への対策には有効なのだが。
バックラー様の円盾は最前線を務める者の腕に革紐で固定できるようにする。その他は犬人式の籠手と膝当て、肩当て程度の軽装備だ。
往路も十日弱、復路も十日弱。
私達亜人軍の最初の遠征は不安なままに始まった。
最初の目的地、ガラッハまでは全く問題ない。ガラッハにはスミス謹製の長剣を三振り持参した。かわりにゴブリン達の食糧を補給する。
こういう時に金属製品というのは重宝する。長期間持ち運んでも品質劣化が少なく、重さはあるが嵩張らない。さらに表面のその光沢が、そのまま付加価値となる。
ガラッハで一泊し、更に南下をする。南のゴブリン村については少し川沿いから離れることもあって、立ち寄らない。これはグル達の意志でもある。
グルにしてみれば村の先達が亡くなったことはともあれ、ゴブリン達が毎年行う村の移動のようなものなのだろう。あるいはそう割り切ることにしたのか。
更に下って、一番南の山際を回り込む。しばらくは川沿いから離れるので、思う存分水を飲み、体を洗い、水筒に詰め込む。
半日ほど進むと、新たなゴブリン村が建設途中だった。
挨拶をしておこうかと思ったのだが、この時期に他所の村へ顔を出すというのは誤解のもとだとのことで、止められた。
略奪文化というのは厄介だ。
更に進んで以前の村の跡地に着く。春に偵察にきたときにはここに何泊かしたのだが、そのあと人類軍が泊まってただの焼け野原になってしまっている。
奴等は何でもかんでも焼き払うので、再利用が難しい。まあ、これほどコボルト村と離れた土地を利用する気にもならないけれども。
いずれにしても、ここがこの遠征でのベースキャンプになる。三隊のうち二隊が出撃して、一隊がここを守る。最初の出撃では第一隊と第二隊が出撃、グルの第三隊が駐屯する。
作戦の最後の打ち合わせを終えるとみなで毛布に包まり、見張りを交代で立てて眠った。
翌日、計画通りに出撃する。食料については日帰りを想定して二食分だけ。武器、防具を確認して隊毎に出ていく。第一隊は偵察を兼ねて城塞の東へと進む。リーダーは私の偵察情報をもとに西側の山から下ってくる街道を襲撃する予定だ。
城塞北部の開拓村が見えるあたりで二手に分かれることになる。私の副官を務めるのは今回ゴブリンから抜擢した。武闘派で血の気が多い奴だが、日本語を理解して話す、珍しいゴブリンだ。僅かなら人間達の言葉も判るという。
はじめてくるが、開拓村の東はなだらかな丘を経て海岸へとつながっていた。漁村というほどではないのかも知れないが、漁師の住まうらしい家がぽつん、ぽつんと離れて建っている。今回彼らは攻撃対象ではないので、遠巻きにして怯えている限りは攻撃を仕掛けない。
まだ防砂林、防風林の考え方はないのだろう、ほとんど坊主に近い丘の上を越えて南下していく。
ゴブリンを見慣れていないのだろう、完全に不審な武装集団をみる目で遠巻きにしている。
少し南下すると大河の河口にでた。右手の河上には対岸に城塞の威容が見える。東西に細長いその城壁は、ここから見るとまるで軍艦のようだ。例えにしてもこの世界のものには理解し難いかも知れないが。
河口にでたはいいが、困ってしまった。あの小さな漁村から補充兵がでるとは思えず、どう考えても対岸の豊かな土地から補充されそうだ。なんとかして渡らなければ、兵力の漸減ができない。
河岸を少し上流に進むと、船が舫いであった。渡しのものらしく、比較的大きい。これならば全員を乗せても渡れるだろう。
昔、大井川の渡しでは大柄の人が肩車をして客を渡したなどとも聞くが、ここの渡しはそれほど栄えてはいないらしい。
舫いであった綱を解き、全員で渡ると対岸に見付けた杭に、また舫いでおく。
上陸してしばらく進むと、街道にでた。これまでのあぜ道まがいの道とは異なり、しっかり踏み固めてあり、それなりの往来をうかがわせる。
午後になって少し冷たさを感じる日差しが心地良い。
まずは街道脇を道に沿って南下していく。すぐに村が見える。ここが城塞に入る前の、最後の宿場といったところか。江戸でいえば川崎宿とかにあたるのか。
トラブルを避け、村を迂回して更に南にでる。
大分日が傾いてきた。
少し進むと、南から四人連れの子供が見えた。旅装を整え、薄汚れてはいるが家出人や浮浪者には見えない。見付けた。
隊のものにハンドサインで指示を出す。
四人は年の頃は十代前半。日本だったらまだ中学生程度か。体は小さく、見るからに子供っぽい。脇の草むらに隠れた私達に気付くことなく近付いてくる。
宿場村は遠く、道の曲がりに隠れている。南側の道も緩くうねり、他の人影は見えない。
右手を挙げる。
子供達が歩いてくる。
右手を下げる。
背後から二つ三つ風を切る音が聞こえ、子供達の悲鳴が上がる。
一気に駆け寄り、袈裟懸けに剣で斬り下ろす。引いたそのままの剣で更に喉を突く。絹を裂くような悲鳴が止まった。
他の三人も沈黙する。
うかうかしてはいられない。街道から山手に引き、斜面を駆け上る。街道から見えない草むらまで引いたところで、身を隠して点呼する。
悲鳴を聞きつけたのだろうか、宿場村から数人が走ってくる。
今日は陽のある内に駐屯地まで戻れまい。
皆にそういうと、皆黙って頷いた。
強盗の類はよくあるのだろうか、特に追っ手がかかるようなこともなく、日が暮れた。ただ、他に2〜3グループの兵士候補らしい集団を見かけたが、宿場村からは結構な人が野次馬的にでてきていたので、襲撃は断念せざるをえなかった。
川岸の船はもとの岸に戻っていて、全く使え無い。
衣類装備をまとめて頭に乗せ、真っ暗な水面を見ながら渡河をする。秋の虫が涼しげに鳴き、水の冷たさが身に染みる。
岸に上がって体をきちんと拭き、身なりを整えたらまた点呼する。夜陰に乗じて丘を越えてもどっていくが、途中で何度か警備の兵をやり過ごさなければいけなかった。
駐屯地の焚き火が目に入ると、どっと疲れがでる。体を引きずるように仲間達の元へともどっていった。
こうして私たちは一度目の襲撃をおこなった。




