第八十三話 ライバル、動き始めたヴルド軍を偵察するのこと。
五日目。村の跡地から出立して山に登る。一日野鳥や野草の類を採り乍ら監視をした。特に目立った動きはないが、春の長閑な陽気が眠気を誘う。日に日に暖かくなっている。
良く見ると魔王城の正門は細かな人の動きが有る様だ。良くは見えないが大きな正門以外にも通用門の様な出入り口が在るのだろう。
六日目にゴブリン達の食糧補給が届く。暖かい陽気に誘われている野鳥の類を獲る私達には余り関係がないが、ゴブリン達には文字通りの死活問題だ。
南のゴブリン村まではコボルト村を出てから六日の行程を経ているので、都合12日目ということになる。
こうして補給もなく何日もの旅程をこなせる犬人達というのは、何ともサバイバビリティの高い種族なのだと思う。根っからの狩猟民だろうに、平和的でもある。
13日目、動きが有った。正門が開き、中から将にワラワラと軍隊が出てくる。正直に言おう。真逆是程の兵士を動員するとは考えていなかった。何しろ話に依れば、ゴブリンの村を襲撃する奴等は、数え切れない程の兵だとは言え、ゴブリンを根絶やしにはしない。飽く迄も村を襲撃して、対抗する男子を討つのみ。略奪もなく虐殺もない。尤も、真っ当な生物ならゴブリンから略奪する様な物は何も無かろうが・・・。
閑話休題。
魔王軍の兵士は正に数え切れない程だった。大河を横切るのは船だろうか、恐らく10人程分乗して渡河しているのだろう。大槍の先に結んだ軍旗が遠目にも翩翻と翻っているのがわかる。
ハンスとケント、グルに言って、村跡に置いてある荷物を纏めさせる。二人とゴブリン二人が山を駆け下っていく。私とリーダー、其れにグルは此の侭偵察を続けるが、荷物は南の村に持ち帰った上で、村の退避を指示して欲しい。
南の村の人口はコボルト村、ガラッハと大差はない。戦力に成らない女子供まで動員しても50人居るか居ないかだろう。翻って魔王軍の軍旗は20〜30は優にある。近付いてみなければ判らないが、一人ずつ持っていると謂う事もあるまい。ざっとみても20〜30倍の兵力を有している。
気が付くと気持ちの悪い、粘つく様な嫌な汗を搔いていた。
魔王軍は続々と川を渡り、村の此方側の空き地に次々と軍旗を立てていく。昼前にはハンスが戻って来、手配が済んだ事を伝えるが、魔王軍も先頭の方から進軍を開始した。開拓村からは此方に一本の道があり、どうやら其処を進軍してくる様だ。
四人で示し合わせて山を下る。道は山や丘の間をくねりながら、此方へ伸びている。野を駆ければ本隊を遣り過ごし乍ら偵察が可能なのではないだろうか。
坂を下りながら、呉々も無理はしない様に言い聞かせて、グルとハンスに東側の偵察を命じる。私とリーダーは道の西側だ。第一報は入れてあり、避難指示も出しているので、私達はひたすら魔王軍の動向を監視する事に務める。
山を下り終え、少し灌木の間を走ると開けた道に出た。轍や蹄の跡は無く、日常的に魔王軍の街道として使われていると云う様な事は無い様だ。左右から草木が伸びつつあり、放置していれば一年と経たずに道があった痕跡すら無くなるだろう。其れでも今の所は充分、道としての機能を維持している。
ざっと道を観察し終えると、向こうの林に入る。低木、雑草も伸び盛りで、いざと云う時の隠れ場所には充分だ。
道は曲がりくねっていたので、此の侭真っ直ぐ突っ切れば近道が出来る筈だ。途中にある低地は恐らく湿地だろうから、此処は回避していく。程無く小さな丘があり、此処も越える。
昼過ぎには魔王軍に近付いて来た事が判る。数百人の人間が隊伍を成して歩いているのだ。私達に気付かれない程静かに移動出来る訳がない。とは言え、奴等も莫迦では無いだろうから、斥候位は出しているだろう。案の定であった。
木の上に登って遣り過ごす。
「殺らないのか」
とリーダーが目で問うが、首を振る。勿論斥候に見付かって報告されれば敵に情報を与える事に成る訳だが、当然だが斥候が戻らない事も重要な情報を与える事に成る。
彼を知り己を知れば百戦殆からずと言うが、続きがある。「彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し」だ。奴等が奴ら自身をどれだけ知って居るかは解らないが、此方の情報を与える事はない。
ガサガサと通り過ぎていく斥候を見送り、私達は再び地上に降りる。
見た所兜を被り、胴鎧を着け、佩剣していた様だ。背負っているのは食料の類だろうか。勿論彼等は彼等自身の命が最大の武器だ。
林の左前方が明るく、道が近い。数百人が歩く足音、ざわめく私語、武器防具の触れ合う音が辺りに漂う。
此方が見付け難くなっただろうと思うが、其れは此方も同じ事。油断をして死角から見付けられたりしない様に近付いていく。
木立の向こうに見える。
更に近付く。
装備は先程の斥候と大差ない。胴鎧に冑。背嚢。剣。斥候と異なるのは、各人が槍を持っている事だ。相当大きく、所謂大槍に成る。また、一人一人が盾を持つ。バックラーの様な円盾だ。
近付く。
身長は皆150センチ程だろうか。犬人やゴブリン寄りは多少大きいが、其れ迄だ。
思っていた依りも若い。見た所多くが十代後半。十人程度の集団を指揮している者はやや年嵩だが、其れでも二十歳を超える程度か。まあ、戦国武将も多くは十代で初陣を経験しているのだから、こんな物だろう。皆顔が垢で真っ黒で、沐浴も碌にしていない。臭さと来たらゴブリンと五十歩百歩だ。まあ臭いの質が違うと言えば其の通りだが、犬人のリーダーにはきつい。
冑や胴鎧は以前、ガラッハ達が着用していた物と同じだ。木材の幹を切り出し刳り抜いている。打撃には強いのだろうが、隙間は大きく、白兵戦、格闘戦には向かない。ガラッハ達はこの魔王軍からせしめたのか。
鎧の下に着込んでいたのは見窄らしいシャツとパンツ。パンツと言うよりも半ば袴の様にゆったりしている。裾の丈は膝下迄で、脛から下は揉み革を巻き付け、紐で縛り付けている。靴やサンダルの様な物はなく、之が履き物だとすると、山野の行軍には無理があるだろう。
剣は標準的な大きさの刃渡り1メートル弱程の物。唯、それぞれが掲げる大槍が珍しい。世界的にも歩兵が持つ事は少ない、撓りの良い物だ。日本の槍足軽や、スイスのパイク兵などは硬い柄の槍だが、此の槍は中国の六合大槍に近い。熟達すれば、唯の大槍には出来ない、高度な戦いが可能になる。逆に云えば彼等の様な雑兵が扱うには手に余る。
兵士達は列の後方には、弓兵がいた。此方は盾を持たずに弓を持ち、箙がある。弓は木から削り出したらしい、短弓だ。犬人達の弓も似たり寄ったりだが、まあ、飛び道具はあるに越した事はない。
腰に佩剣はしているので、接近戦に持ち込めれば勝てると云う物でも無さそうだ。
当初見て取った通り、10人程で1隊を形成し、隊長が指揮を執っている様だ。
彼等は其の侭行軍し、私達が駐留していたゴブリン村の跡に入った。数の暴力と云うのは斯う云う事を云うのだろう、あっという間に廃墟は片付けられ、敷地中央で火が付けられる。日の有る間にテントを張り、野営の支度をしていく。
自分でも驚いているが、彼等は明らかに魔王だの魔物ではない。にも関わらず、全く同族意識がわかない。恐らくは私と同じ人類であろうにも関わらず、考えているのはリーダー達犬人や、新たに配下と成ったゴブリン達を如何に人類の魔の手から救おうかと云う事ばかり。
村を出てから13日目の夜、三日月の様な月が早々に沈んでしまった未だ未だ暗い夜。人類へと突き立てる爪を研ぎ乍ら、リーダーと交代で眠った。




