第七十二話 ライバル、乱戦をかい潜るのこと。
箭が途切れたとは言え、ゴブリン共も油断していた訳ではない。其れでも負傷者を横たわらせた直後に受けた射撃、射返す物の既に身を隠した後。其処への突撃に対して十分な対応が出来たかと謂えば、其れは無かった。
数人が既に負傷で横たわり、手当てを行った者も矢傷を負い、射返した者も箭が途切れ。其処に駆け込んできた犬人の速攻はゴブリンの陣を狼狽させるに充分であった。私は流石に犬人程の速度は出せないので、彼等が斬り込んだ後から突貫する事になった訳だが、其れはもう犬人の斬り込みは正に「神速」と呼ぶに相応しかった。
そう、ゴブリンの臭気が犬人の足を鈍らせたとは言え、だ。
其れでもゴブリン共も流石と言える、犬人の初太刀に斃れる者は居ない。が、其処にも有効な攻撃という物は有る。
例えば是だ。本来、走り込んで使う物ではないが、双掌を揃えて行う打撃がある。形意拳では「虎形」とか、太極拳では「双按」、八卦掌では「双撞掌」等と謂う。攻撃者は両掌を使って衝撃が分散されるのに対して、被撃者はその運動エネルギーを総て受ける事になる。
私は其れをマークの初太刀を受けて蹌踉めくゴブリンに放った。是が漫画ならゴロゴロ転がっていって了う所だが、精々二つに畳んで天地を引っ繰り返す程度の威力しかない。
当然だが此の程度で即死を期待する程夢見がちではないので、起き上がる前に足ごと押さえ込んで、頸動脈を切っておく。何とか致命傷を与えたい所ではあるが、冑や鎧を着けていると其れも壗ならぬ。胸のみならず、脇腹、脇の下、鳩尾。どれも突けない。厄介だ。頭部への打撃も其れ程有効とは言い難い。
見た目はただ木を刳り抜いてお椀状にしただけだと云うのに、此の冑は厄介だ。胴鎧も独特で、強いて言うなら剣道の胴に近い。是叉堅い木材を刳り抜き、被っているだけだ。其れでも意外に有効で、厄介な代物だった。記憶には定かではなかったが、日本に於いては見られた事のない形式に思えた。欧米ではヴァイキングが使った物に近い。
結局私はナイフを使った刺突で止めを差す事を諦め、頭部を川原の石に思い切りぶつけて気絶させる事で満足するしかなかった。頚からはどくどくとどす黒い血が流れ、此の侭意識が戻らなければ早々に命を失うだろうと思う。
立ち上がればまだまだ乱戦が続いている。初手で負傷させる事で、人数的優位を持っての戦闘にした筈だが、如何せん防具によって効果的な斬撃が行えない事が大きい。勿論負傷して寝かされていたゴブリンも順次立ち上がって参戦してくる。数的優位は次第に互角の戦闘になりつつあった。
勿論、個々の戦闘では犬人が優勢だ。力強く素早い剣捌きでゴブリンの打撃を逸らし、いなし、斬りつける。一方のゴブリンも上半身を鱠の様に斬り刻まれ乍らも、致命傷は巧みに避けつつ棍棒による手痛い反撃を喰らわす。
戦闘の技術、体力では圧倒的に勝っている物の、相性の悪さが際立っている。
是ならばいっそ、剣で斬り付けないで却って冑の上から打撃を加えた方が良いのではないだろうか。
と、ガスがゴブリンの打撃をまともに左半身に受けて転倒した。一発追撃は喰らうが、三発目は避けた。が、衝撃で手放した剣が手の内にない。
私はそのゴブリンの後ろを回り込んで、剣を拾い構える。
「ウッギャリャ〜〜!」
恐らくゴブリン語なのだろう、意味不明な気勢を上げて飛び掛かるゴブリン。その後ろ、冑の上から思い切り剣を振り下ろす。勿論剣と謂う物は縦方向の衝撃に強く、横方向の衝撃には恐ろしい程脆いため、きちんと斬る。更に数合斬り付ける。堅い木の冑はささくれはするが、割れたりする様な事は無い。其れで構わない。
離れてみると既にゴブリンの腕はだらりと下がり、足下が覚束無くなっていた。
行ける。
「ガス!全員に鎧の隙間を狙わずに冑の上から攻撃するように指示を出せ。
「頭を殴りつける様に斬るんだ」
流石に此の乱戦で此だけのニュアンスを含んだ言葉を解ってくれると期待するのは難しい。
ガスは御丁寧に私からだと付け加えて呉れた。
まるで遠吠えの様な雄叫びを犬人達が挙げて、戦場が一気に息を吹き返す。
私はガスに剣を返し、次の敵を探す。
見ると数人の犬人はふらつき乍ら村の方へと戻っていく。安全圏に達すると、村から出てきた何名かが手当てをしている。ほぼ同数のゴブリン兵がやはり戦場から離脱しているが、此方を手当てする者はもう居ない。
一人のゴブリン兵が、レイラを殴り倒して昏倒させ、周囲を睥睨した。
此奴は確か大将だ。下卑た笑い声を上げ、ゴブリン語で吠える。
ふむ。大将成れば、相手にとって不足なし。存分に討ち果たして呉れ様。
睥睨していた大将の視線が私の其れとかち合う。眼力のみで奴腹を殺せる物なら殺して遣らん。
「ケイ!」
リーダーの声に視線を遣れば、何やら剣を腰から外して持ち上げている。投げた。掲げた右手で受け取ると、其の壗鞘を腰から吊す。
三歩、四歩と大将に近付きながら、剣を抜き放つ。
斬り付けられる間合いを計り乍ら、其れで居て歩幅は普通に近付いていく。
ゴブリン大将も間合いが近付けばすっと腰を落とす。
此処だ。




