第六十二話 ライバル、コボルトの村に入るのこと。
犬人の長は供を従えて門から出ては来るが、どう見ても河を渡って来るようには見えない。此処は此方から行くか。荷物を軽く肩にかけ、両手を開け、掌を見せる様にする。様子を窺うと特に動きはない。是は了承と謂う事だろう。
渡河の際に転んだりしたら、いい笑い物だ。慎重に歩みを進めよう。
く、流れが中々厳しい。バランスを崩さぬ様に、転ばぬ様に。余りゆっくり歩を進めると、今度は片足立ちする軸足が流されそうになる。
浅瀬に足を進めた。今度は石に苔生している。此は是で滑り易くて危険だ。乾いた岸に辿り着くが、まだ犬人達とは距離がある。
荷物を一旦下ろす際に彼らに一瞬緊張が走るが、此処は構わずに昨日囓った干し肉を取り出す。既製品のビーフジャーキーではないので、犬人の食性が犬その物であったとしても問題にならない筈だ。
一口囓って良く噛み、呑み込む。残りの本体を手前の石において、数歩下がる。刀剣の間合いの外に。
再び両掌を見せて手を肩の上に挙げる。
供の片方が此亦慎重に川原に降りてくる。
俺の置いたお手製干し肉を手にとり、匂いを嗅ぐ。
まあまあ、大丈夫だと見たのか、長の所迄持って行く。
長もまた手に取って匂いを嗅ぐ。犬の長い鼻面は嗅覚を発達させる為に鼻腔を大きくした結果だと何かで聞いた事がある。してみると此の犬人達も相当に鋭い嗅覚を持って居るのじゃないか。
慎重に囓る。噛む。
良く噛んでいる。味わっている。反応?聞く迄もない。彼等に尻尾がある事がわかった。
供が何かを言ったが、まあ、身振り等から「貢ぎ物は満足だ。歓迎するからこちらに来る様に」と云う様な内容だろうと思われた。
「解った。宜敷お願いする」
返事をすると、荷物を背負い上げて、手を挙げたまま村に近付く。異文化コミュニケーションというのは緊張する。人同士でさえ文化の違いでファーストコンタクトには失敗する事がある。況してや此の犬人だ。臭いが不愉快だと言って斬り殺されたりしたら堪った物ではない。
門に近付くと遠巻きに包囲され、招じ入れられる。
潜り抜けると門の影からばっさり、等と云う事が無いかと緊張してしまう。
門は高さ150センチほどの門柱に扉が取り付けられている。門柱、門扉は確りしていて、塀同様に其程の高さが無い事を除けば、まあ、実用的と言える。
門扉の下には丸石が敷いてあり、足場になっている。門を裏から見てみて驚いた。蝶番がない。表側にも無いから内開きかと思っていたが、内側にもなかった。何と、閂を門扉だけではなく塀まで通す事で固定している。閂鎹が門扉と塀にある事で、扉を前後左右に固定するのだ。こりゃ吃驚。
閂だけでは左右に動いてしまえそうだが、門柱と門扉が当たって左右には開かない。村が大規模になったら、扉の開け閉めが大変だなとか、余計な事を考えた。
村は塀の内側に木造の家屋が建ち並び、一際大きな建物が門の反対側、一番奥に鎮座している。長の建物と考えるとやや立派すぎる嫌いがある。又、家には戸があるのに、此の神殿の様な建物には戸が無く、入り口からは中が黒々と見える。
高床式なのは川が近いせいか。意外と豊かな暮らしが想像できる。
村の中央には広場があり、時には火を焚く祭りなどをする様だ。
神殿の向こうには木が茂り、西日を遮っている様にも見える。
長達に促されて、広場の中央に進み出る。村人達が周りを遠巻きにする。危機感というのとは少し違うが、緊張感が一際高まった。村人は全部で50人程か。結構大きい様に思える。見た所子供達は家の中から出させて貰えない様だ。家は20軒程だから数が合わないが、日本でもちょっと前までは大家族で数世帯同居と言う事も珍しくなかった。
と、神殿の方から唸り声が聞こえた。村人が一斉に其方を向くが、跪いたり、況してや平伏したりする者はいない。詰まりは神様と謂う程ではない?
足音は硬い物と柔らかい物が混在している様だ。ヌゥッと姿を現す。
いや、或る程度予想はしていた。蜘蛛であの大きさなのだから、下手な犬なら其れこそ象程のサイズがあっても可笑しくないのではないかと。
結論から言えば、其処迄の大きさは無かった。馬と同じぐらいの、まあ、馬と言っても大小あるが、大体サラブレッド位の大きさの「狼」だ。
うわ・・・。
ふと気がつくと、長が何か仕草をしている。催促をしている様だ。あー、是はあれか。あの干し肉か。
でも、差し出した干し肉を全部一人で食べて了ったのは、長なのだが・・・。何やら間尺に合わない物を感じる。是ではもっと差し出さないといけないではないか。之はもう先行投資と思うしかあるまい。
又もや荷物を下ろし、干し肉を取り出す。あ、扠は遠目に「未だ有る」事を見ていたのか。犬の様な外見に拘わらず、目敏いな。
今度も端を囓って毒味をして見せ、近寄ってきた長に手渡す。長、長。尻尾振れてる。
気取ってはいるが、之の長とは仲良くなれそうだ。
長は干し肉をのせた皿を巨狼の眼前に置く。金色の双眸が細められ、鋭い光を放つ。と、「がう」と一声かぶり付いた。
イヌ科動物には人間の様な頬がないので、咀嚼の音が結構大きい。私の頭などを一囓りにできそうな大きな口が、干し肉を噛み砕いている。
一渡り食べ終えると
「グルルゥ・・・」
啼いた。
どうやら此の生き神様?大神様に満足して頂けた様だ。此なら此の村で暮らしていけるだろうか。
とホッとしたのは油断だったのだろうか。
狼様がこちらを見据え、唸っている。私は此処で大神様に食べられて仕舞うのか。参った。




