日常と隣り合わせの非日常
やっては駄目だと言われることほどやりたくなる。
守らなければならない秘密ほど打ち明けたくなる。
重大な秘密を持って随分経つ。わたしはずっとその葛藤に苦しめられてきた。
そしてとうとう、我慢できなくなった。
ひとりだけなら言っちゃってもいいんじゃないかな、と思った。きっと信じられないだろうし、驚くなり「何言ってるのこいつ」的な目で見られるなり、なんらかの反応が得られれば十分だ。
やはり一般人には理解できないのだ、とほの暗い優越感も得られるだろう。
「広尾くん、あのね、実はわたし――」
放課後の教室。残るのはクラスメイトの生真面目な広尾くんただひとり。
彼は予備校のテキストを広げ、自分の席で勉強しているようだった。その彼の前の席に座り、わたしは告げる。
「――魔法使いなんだ」
予備校のテキストから、正面のわたしへ彼の顔が向けられる。夕日が照らしたのは彼の驚愕の表情――ではなく。「何言ってるのこいつ」的な顔でも、なかった。
「ああ、そう」
まるでわたしが「信号が赤に変わっちゃった」とでも言ったかのような、どうでもよいといった様子の広尾くん。しかしわたしの目論見には思い切り赤信号がついたわけで。ぜんぜん、どうでもよくない。
「なんで? ねえなんで」
縋るように彼の机に身を乗り出す。必死である。
「薬屋さん的な意味の魔女じゃないんだよ? ついでにいうと契約して魔法少女になったわけでもないよ? この教室に誰もいないのだってわたしが――」
「知ってる」
若干身を引きながら、顔をしかめて彼は言った。
わたしは口を開けて呆けてしまった。きっとわたしが見たかった顔を、わたし自身が浮かべているのだろう。
知っているというのなら――わたしが秘密結社に属していることとか実は隣のクラスのアミちゃんも魔法使い(しかも先輩)ということとか、某国とドンパチやらかしそうなこととかも知っているのだろうか。
「戦いを控えて秘密結社が緊迫した雰囲気で、休みがちだった学校に逃げるように来てるんだろ。でも、何も知らないのん気な生徒達の中で秘密を抱えるのがつらくなってきた」
息を呑んだ。
彼が言ったように、何も知らない生徒達の中にいるのがつらくなってきたのは事実だった。
初めは自分が魔法使いだという、私の身の上だけの秘密だった。それが上の事情でいつの間にか緊迫した事態になり、秘密は重さを増した。国の規模までいったら、どうしたって一般の生活にも影響が出る。
何も知らない一般人にわたしは苛立っていた。他に道はないのかと駆けずり回るわたしのことなんて、彼らは知らないのだ。未だ実を結ばないわたしの努力は、結社の人にも彼らにさえも無駄だといわれているようで。
この秘密の告白は、ただの腹いせだったのかもしれない。どうせ彼らには理解できないのだと、初めから思っていた。ほの暗い、優越感。
でも。
最初は、知られないことを望んでいたはずだった。すぐそばで起きている非日常なんて、知られたくなかった。魔法なんて特殊能力に恵まれて、クサいけどみんなの日常と笑顔が守れれば、それをこっそり見守ることができたなら、それで良かったのだ。
「……わたし、魔法使い失格だ」
忘れていた。自分のつらさで一杯になって、大事なことを。
両手で顔を覆う。目をかたくつぶる。泣くものか。
「及川さんにしか、できないんだよ」
ぽん、と頭に何かが載った。柔らかいから、たぶん予備校のテキストじゃない。広尾くんの手、だと思う。
「まだ時間はある。どうにでもできる」
じんわり、頭に温もりが伝わる。
手で乱暴に目元を拭うと、わたしは立ち上がった。
彼は少し驚いた顔をしている。驚いた顔、さっきまでは見たかったけど。
「わたし、がんばる! どうにかしてみせるから!」
にっと笑いかけると、わたしは脱兎のごとく駆け出した。
がらり、と教室の扉が開く。
開けた生徒は教室の中に予備校のテキストを広げた広尾の姿を確認し、尋ねた。
「なあ、さっき及川さんがそこの窓から飛び降りたように見えたんだけど」
「ここ四階だぞ。魔法使いじゃあるまいし」
すげなくこたえる。
そんな応対にも馴れっこなのか、教室に入った彼は軽く肩をすくめて自分の席に向かい、帰り支度を始めた。
ふと、広尾がテキストから顔を上げた。
「お前さ、あの脚本及川さんに見せたの? 明日配るって言ってた、文化祭で演じるやつ。できれば及川さんに主人公やって欲しいって言ってたじゃん」
「……何かあった?」
心なしかぎくりとした様子で、彼は尋ねた。
「さっき、いきなり自分が魔法使いだって言い出して。重大な秘密を明かすみたいにいろいろ言ってきて面倒だったから、知ってるって答えた。脚本とか設定とかはお前から聞いて知ってたし」
「……んん?」
「そしたらいきなり考え込み始めて。かと思えば『魔法使い失格だ』っていきなり落ち込んでさ。励ましたらがんばるって言ってたから、たぶん主人公やってくれると思うけど」
一連の出来事を聞いた彼は「そのまんますぎるよなあ」「やばいかなあ」「でも知ってほしい気持ちもあるんだよね」などとぶつぶつ呟き始めた。
広尾にはなんのことだかさっぱり理解できない。先程の及川の様子といい、みんな疲れているのだろうか、とぼんやり思う。
「そういえば、今日予定あるって言ってなかったか」
「あ! そう、駅でアミちゃんと待ち合わせ! やべ、急がないと。アミちゃんとデートってのは他言無用だからな!」
「わかってるわかってる」広尾が投げやりに答える。それにかぶせるように「じゃ!」と手を上げ、彼は急いで教室を出た。
それからしばらくして、広尾もテキストを閉じた。予備校に向かうため、いつも通りに。