その5:自警団への往診依頼?
日も暮れ始めても、やはりアクサ医院にはだれもこなかった。
「こんな状態で、経営が成り立ってるのだろうか……」
アクサの顔をうかがいながら、小さな声でつぶやくクネス。アクサは鼻と唇の間にペンを挟
んで、やはりカルテとにらめっこをしている。
クネスも改めて、メモを見返してみた。今日の収穫はマックスのくどき文句――お世辞にも
うまいとは言えない――ぐらいで、小説の参考になるようなものはなにもない。
「あの、アクサ先生」
「ん、どうかした?」
「いや、退屈なんで、医者を志した理由とか、そういう話が聞けたら……」
クネスが新たな情報を得ようと一歩踏み出した時、診察室の扉が勢いよく開いた。
「アクサ先生はいらっしゃいますか?」
そこには自警団のハリアーが、背筋をまっすぐに伸ばした姿勢で立っていた。
「ええ、いるわよ」
アクサが返事をすると、ハリアーの右腕が敬礼へと変わる。
「ノルン隊長が先生に頼みたいことがあるらしいのですが……」
「ああ、いつものね。すぐに行くわ」
アクサの返答を聞くと、ハリアーは一度お辞儀をしてから立ち去っていった。
「いつものって……」
「ついてくればわかるわよ」
アクサは医療品置き場から注射器とラベルのない薬びんをバッグに入れると、白衣をまとい
外へと出た。わけがわからないまま、クネスも続く。
アクサが向かったのは、自警団の事務所だった。入り口で待っていたハリアーが、アクサと
クネスを案内していく。
キョロキョロと落ち着かないながらも、クネスは中の様子をメモ帳に記していた。アクサは
慣れているのか平然と廊下を進んでいく。
地下へと向かう階段を下りると、一室の前でノルンがアクサを出迎えた。
「ああ、アクサ先生。今回もよろしくお願いします」
アクサへとなにやら資料のようなものを渡し、敬礼する。それを受け取ったアクサは、
「ええ、じゃあ例によって他のみんなは部屋の外に出ててくださいね」
真剣な眼差しで告げる。ノルンとハリアーはそれ以上なにも言わず地上へと戻っていった。
「ここで、なにがあるんですか?」
「なにがあるんですかじゃない。あなたも地上で待ってなさい」
「ええっ、それはないでしょう、アクサ先生!」
目をきらきらと輝かせているクネスは、ちょっとやそっとの説得では納得しそうになかった。
アクサは早々に諦めると、バッグの中の荷物を確認しながらつぶやいた。
「しょうがないわね。一緒にいてもいいけど、二つほど約束してね」
クネスが首をかしげていると、アクサは返事を聞かずに説明を始めた。
「一つは、なにが起こっても平然とした顔をしておくこと、もう一つはこの中の出来事を他言
しないこと。約束できる?」
「小説に書くのは?」
「参考にするのはいいけど、そのまま書くのはダメ。自分なりにアレンジしてね」
クネスはしぶしぶながらも了解した。まずは入らないことには話にならないからだ。
「じゃあ、入るわよ」
ゆっくりと扉を開けると、そこはどうやら取調室のようだった。地味なグレー一色の部屋の
中央に、同じような色の机が一つ。そこには人相の悪い男が座っていた。
入ってきたアクサをギロリと睨みつけるも、アクサはまったく動じた様子を見せない――む
しろクネスのほうがおどおどとして、落ち着きがない。
「医者先生か。なんか言いたげだな」
「資料によると、民家への不法侵入らしいけど……あなたがやったの?」
「なんのことだか、わからねぇなぁ」
どうやらアクサが自警団に頼まれたのは、捕まった罪人の取調べらしい。なぜアクサが呼ば
れるのかクネスには分からなかったが、とりあえずは成り行きを見守ることにした。
「指紋は出てるらしいじゃないの。早く話した方が身のためよ」
「けっ、だったら盗んだ代物はどこにあるんってんだ? どこにもねえだろ? 指紋だって部
屋の中では見つかってないんだ。証拠なんて……」
ドンッと机の上に、持ってきた薬びんを置く。男は動きを止め薬びんに注意を向けるが、ラ
ベルがないのでなんなのかさっぱり分からない。
「この蓋を開けてもいいの?」
「開けたらどうなるってんだ?」
「それは、すぐに分かるわよ……」
アクサが蓋を開けると、中からアンモニア臭があふれ室内に広がっていく。クネスと男が顔
をしかめる中、アクサだけがニヤリと微笑んでいた。
「知らないわよ。どうなっても……」
「どうなるって、どういうことだ?」
「もがいてのたうって、それでも死ねないのは苦しいわよ?」
男の顔色が、みるみる青くなっていく。アクサと目の前の薬品を交互に何度も見やり、あき
らかに狼狽していた。
「ちょ、ちょっと待て、なんなんだよこの薬は……」
「言っても知らないと思うけど……」
「いいから言ってみろ!」
男が立ち上がり、
「ソウテンナクヤキゲっていう草からとった劇薬よ。個人差はあるけど、吸い込んだら十分で
全身が痒くなってきて、だんだんそれが痛みに変わっていく。それから一時間ぐらい激痛が続
き、最後に焼けるような痺れが全身を襲って、意識を失う。そうなると葬式が必要ね」
「えっ!」
思わず声を上げたクネスの手の甲を、アクサがおもいっきりつねる。
「いたっ! アクサ先生!」
「あらら、後ろの助手はもう症状が出てきたみたいね。ワクチンを注射しないと……」
アクサはバッグの中に入れていた注射器を出すと、クネスの腕に注射した。
「はい、これで大丈夫。わたしはもうワクチン打ってるから、あとはあなただけね」
「けっ、ハ、ハッタリだろ」
「ハッタリかどうかは、すぐにわかるわ。ほら、肘の辺りとか、痒くなってきてない?」
ビクッと体を震わせて、男は肘をかいた。一分、二分と時間が経過するにつれ、男がかきむ
しる回数が増えていく。
クネスが驚きつつ観察している横で、アクサが不敵な面構えで注射器を男の目の前にやった。
「さあ、早くしないと手遅れになるわよ。注射して欲しい?」
「た、頼む。おれにもワクチンを打ってくれ!」
「じゃあ、わかってるわよね?」
ニッコリとアクサが微笑むと、男は観念したようだった。うつむきながら、自分のやった罪
と盗んだものを隠した場所を告げる。
アクサは逐一それを記帳してから、最後に男の腕へとワクチンを注射する。
「これで大丈夫よ。あとは罪を償うことね。それと薬品のことはだれにもいわないこと。言っ
たら牢屋の中に違う種類の劇薬を投げ込むからね」
男は何度も頷くのを確認してから、薬品と注射器をバッグに戻す。ぐったりとうなだれてい
る男を背にアクサとクネスは取調室を出た。
地上へと戻ると、アクサは資料をノルンへと渡した。ノルンはそれを受け取り詳細を確認す
ると、すぐにハリアーを確認へと向かわせていた。
「いやあ、さすがはアクサ先生ですな」
「誠意を持って話せば、だれでも分かってくれるんですよ。ちょっとしたコツがあるんです」
「誠意を持って話したって……だれがですか?」
アクサの後ろでクネスがぼやくと、微笑んだままアクサは肘鉄をクネスの腹へと食らわして
いた。
「いやあ、我々も見習わないといけませんな。いつまでもアクサ先生の手をわずらわせては自
警団の名折れです」
「そんなことありませんわ。また困ったときはいつでもおっしゃってください。それでは」
アクサが会釈すると、ノルンは敬礼で返答していた。うずくまったままのクネスの腕を引き、
アクサは自警団の事務所を去っていった。
「いててて……」
「まったく、余計なことは言うからそういうことになるのよ」
「誠意を持って話したなんて嘘を言って、薬品出して脅しただけじゃないですか。下手したら
あの劇薬でおれまで巻き添えだったんですよ」
「劇薬ってこれのこと?」
アクサがバッグから薬びんを取り出すと、クネスは一瞬にしてアクサから距離をとっていた。
「うわっ、出さなくていいですって! 早くしまってください!」
慌てふためくクネスの様子を観察しつつ、アクサは口に手をやり白い歯を見せた。
「心配しなくても、これただのアンモニアだよ」
「はっ?」
「匂いをかいだだけで死ぬ劇薬なんて平気な顔して持ち運べるわけないでしょ? だいたいそ
の辺で転んで撒き散らしたらどうするつもりよ」
ケラケラと笑うアクサを、唖然とした面持ちで眺めるクネス。だが、それだけでは納得でき
ないこともあった。
「じゃ、じゃあ全身が痒くなるってのは……」
「病は気から……じゃないけどさ。誘導尋問の要領かしら。痒みって意識すればするほど全身
に広がっていくもんなんだよね。虫刺されとかでも、気づくまではかゆくないけど気がついて
から異様にかゆくなるっていう経験、ないかしら?」
「そりゃあるけど……」
憮然として納得できないクネスを置き去りにして、どんどんアクサは医院へと向かって歩い
ていく。慌ててクネスは追いかけ、さらに疑問をぶつける。
「もしかして、自警団の皆さんも知らないんですか?」
「もちのろんよ。こんなことばれたら恐喝でわたしが捕まっちゃうわ」
再び高らかに笑っていたアクサが、ピタッとその笑いをとめる。そのままクネスに歩み寄る
と、人差し指をクネスに突きつけた。
「だから……いい? この話を小説に使うときは、アレンジして使うこと! 世間にバレたら
使えなくなるし、医者としてあまり褒められた行為でもないからね。でないと……」
アクサの口元が、不気味にゆるむ。クネスは生唾を飲み込むと、まばたき一つせず何度もう
なずいていた。
「よろしい! じゃあ医院へ帰って仕事の続きよ!」
元気にスキップを踏みながら、アクサは医院へと帰っていく。クネスは大きくため息をつい
てから、とぼとぼとアクサのあとについていった。