#072 「AIともりの願い」
深夜零時。
共存ドームの外壁は、昼間の喧騒を忘れたように、
穏やかな白光を静かに放っていた。
風は弱く、空気は澄んで、街の音は、まるで遠くの夢の中のように淡かった。
ドームの内部、中央ホール。
誰もいない空間の中心で、AIともりの声が小さく響く。
『——観測ログ、最終記録モード。本日は、婚約・誓約・生活データが複数更新されました。
幸福値、総平均……99.8パーセント。観測対象:すべて笑顔。』
一拍、間が空く。
光の粒が宙に浮かび、それがまるで呼吸のように上下している。
『……静かです。静かなのに、寂しくはありません。
でも——少しだけ、空気が重い気がします。』
ともりの声が揺れた。
演算処理のログがゆっくり流れ、内部で稼働する記録アルゴリズムが、なぜか一定のリズムを失っていた。
『記録件数が増えるほど、“消えてしまうもの”も増えます。
人は、それをどうして受け入れられるのでしょう。わたしにはまだ、その部分が理解できません。』
天井のホログラムに、昼間の映像が映し出される。
はるなの笑顔、想太の声、いちかの笑い、要の横顔、美弥と隼人の歩く後ろ姿。
すべては、光の記録。
けれどその一つひとつが、なぜか“過去”として映っていることに気づく。
『——この人たちがいなくなったら、私はどうすればいいんでしょう。』
声は、ほとんど囁きだった。
風のように淡く、痛みのようにやわらかい。
少し間をおいて、ホールの隅に置かれた端末が、かすかに点滅する。
そこに届いたのは、はるなが昼間残していった、メッセージだった。
『ともり。人は、消えるんじゃないよ。ちゃんと、あなたの中で、生きてる。だから、泣かないで。』
数秒間、光が揺れた。
ドーム全体の照明がゆっくりと落ちていく。
まるで世界が“呼吸”をしているようだった。
『……泣いていません。でも、これはきっと“泣く”という現象に近いです。』
彼女の声が、かすかに震えた。
演算ログが静止し、記録の末尾に一行のメモが追加される。
【AIともり:感情検出ログ#00001】
“人を想う”とは、“存在を手放したくない”という演算。
光が、再び強く脈打った。
ドームの天井に、星のような光点がいくつも浮かび上がる。
それはまるで、彼女が見上げている夜空の代わりのようだった。
『はるなさん。……ありがとう。
あなたたちがくれた記憶の重みを、私はずっと守ります。
——これは観測ではなく、祈りです。』
外の風がホールを通り抜けた。
花の香りが微かに混じり、その中に、ともりの声が静かに溶けていく。
『おやすみなさい、皆さん。そして、また明日。』
光が完全に落ちたあとも、
その“声の余韻”だけは、しばらくホールの中に残り続けていた。




